流星

夏瀬縁

リュウセイ



ドラマよりも無機質じゃない取り調べ室で、俯く少年を数人の大人が囲んだ。

降り止まない雨の音。



今日、同級生を殺した。



こんな大事おおごとになるとは思わなかった。

僅かに震える拳を膝の上で震わせた少年、何を思うか。

誰も何も言わなかった。

誰も何も言わなかった。

青っぽい制服の警官たちは、ただ少年を見下ろして独白を待った。

今少年はただの冷たい氷。

体の芯が冷え切るのを感じていた。


下を向いて隠した表情、もう自分がどこを向いているのかも分からなかった。




◽︎





最初はただの噂話だった。


「なぁ佐藤、あの話聞いたか?」


坊主頭、小中高気づけば長い付き合いだ。

普段は野球部の練習が忙しいとか何とかで一緒に帰る機会が減っていたかと思えば、正門を出てすぐにそんなことを口にした。


彼とは色んな話をした。

宿題や成績と言った当たり障りのない雑談や、将来の夢や職業と言った大切な事も沢山話した。

僕が赤点をとった時も、最近こいつが彼女に振られて自暴自棄気味になってた時も。

流石昔からお互いを知っているだけあって、良い話し相手だった。


しかし藪から棒に『あの話』と言われても、僕は最近こいつと一緒に帰ってすらいないものだからなんのことか検討もつかなかった。


「なぁ、あれだよ」


じっと黙ってる僕に無視されたとでも思ったのか、坊主頭の木村はじれったそうにもう一度言った。

「知らない」

正直に言う他なかった。


木村は特段驚くでもなく、呆れたような表情でため息だけついた。

もったいない。知らないのお前だけじゃないか。いやまじで。

木村が呟いた。


「じゃ、教えてやるよ。今学年をにぎわせてる『世紀の大不倫騒動』を」


はぁ。

正直興味はなかった。

けれど言葉というものは不思議なもので、もったいぶった前置きがあるとその先が気になるものだった。


それでも数分後、僕は木村の話を聞いたことを後悔することになった。

あまりにも面白くなかったからだ。

内容としては、所々時系列をすっ飛ばしながらの木村の説明。


事の発端は一週間前、とある生徒が放課後に忘れ物を取りに行った時まで遡る。


どこか抜けてるその生徒は、学校に忘れ物をすることなど最早常連レベルでこの日もいつものように忘れ物に気づいて取りに来たのだった。

薄暗い夕方の長い廊下を抜けて、自分の教室がある4階まで一気に登った。

途中まではこの時間の高校に一人しか居ないことを良いことに歌なんか歌いながら教室に向かっていたそうだ。


しかし3階の階段の踊り場当たりで、あることに気がつく。


何やら上の階から2人の男女が言い争う声が聞こえたのだ。

言い争うと言っても、そこまで感情的になっている訳ではなく何やら話し合っているふうであったことは確かだったらしい。

それでも若干張り詰めた空気感を感じ、鼻歌をやめ、歩くスピードを落として4階へと足を踏み入れた。


ゆっくり進み、この教室も違う。この教室も違うと、ひとつずつ横目で見て進んだ。

段々と教室をすぎるうちに、男女の声の発生源が自分の目当ての教室からであることが分かった。

バレないように、悟られないようにドアに耳を当てる。


『…くんが…ちゃん…と遊ぶから』


『い…別に俺は』


もっと。

息を殺して、先程より強く耳を押し付ける。


『…もう私には飽きたの?』


『そういう訳じゃないって!』


『嘘。やめてよ、嘘つくの』


『えぇ…結局何が言いたいんだよ』


2人の男女の言い合いがよく聞こえた。

この男女が誰なのかはよく分からなかったそうなのだが、辛うじて男の方は特定できたらしい。


同じクラスの川田。


この男子だが、まぁモテた。

正義感があり、委員長も部長もやっているような男だった。

そんな彼でもやはり根は普通の男子高校生なのか、日々色々な女子との噂が飛び交う中の中心人物だった。


僕にはそんな人には見えなかったが、どうやら沢山の証言が集まっているらしくここ最近は妙に一人でいることが多いなと思っていた。


なるほどこんな噂がたっていたのか。


それは確かに彼の友達も友達で一緒に居づらいだろう。


「って話さ。

みんな今はこの話題でもちきりさ」


得意げな木村。

こいつは昔から口が軽いタイプだ。

ぺらぺらとよく喋る。


ふーん、とだけ返しといた。





二週間。


川田はクラスで日に日に孤立していった。

今思えば最初は甘いものだった。

彼の列はいつもプリントが1枚足りなかった。

筆箱から数本のシャーペンが姿を消した。

集めてもらった宿題は提出されなかった。


あの噂はフライパンに熱が伝わる様に最初はゆっくりと、されど1度ある水準を超えるとそこからは早かった。

もうそれが真実だとかどうとか、善か悪かすらもうこの集団には関係の無いことだった。


「…よう、川田」


元々そこそこ話せる仲だった。

でも僕をつき動かしたのはただ単純な興味か、彼への哀れみかは僕にも分からなかった。


「なんだ、お前か」


川田は相変わらずひとり、教室の隅の席で突っ伏して寝ていた。

彼の前の席である僕がいつものように声をかけると、ちらっとだけ僕を見てそう言ったきり。

もう僕を見なかった。


この2週間、なんと声をかけていいか分からないままで、ただ形だけの挨拶をしていた。


「なぁ」


「…っん?」


今日もそれだけかと思っていた。

ほぼ反射的に、僕は漁っていたカバンから顔を上げた。

僕は彼を見た。

彼も僕を見ていた。


「なんでまだお前は俺に話しかけるんだ」


抑揚なく言った。

休み時間の教室はざわざわ、僕たちの声を飲み込もうとうねっている。

なんだか嫌な予感がした。


「…とくに、これといった理由なんてないけど」


「聞いてないのか」


間髪入れずに彼は言った。

無機質な瞳、初めて見た。


彼とは対照的に僕は迷った。


「誰から聞いた?」



僕は首を高くあげた。

時計を見てみれば、時刻は13時16分を過ぎたあたりだった。

唾を飲み込んだ。音を立てて落ちるのを、はっきりと感じた。

僕は迷った。


「きむら…」


でも答えは出てたのかもしれない。


「俺は決めたぞ」


くしゃくしゃの丸まった紙くずを、混乱する僕の手のひらに押し込んだ。


「そんならまずはあいつだな!

何人か絞ってるんだ」


さっきまでの表情かおが嘘のように柔らかく笑った。

紛れもなく二週間前の川田だった。

釘で足を床板に打ち付けられたかのように動けない僕を他所に、彼はまた机に突っ伏した。


僕はくしゃくしゃの紙を開く。

チャイムがなり始めた。

ゆっくりと1音ずつ、まるでシャトルランみたいだ。





『一人ずつ殺す。協力しろ』






小さな、小さな僕は無意識のうちに教室に飲み込まれてしまっていた。

どうにか足を持ち上げようと踏ん張るが、抜けない。


いつの間にか床板は泥沼に姿を変えていた。


やられた。

その何人かに僕は入っているだろうか。


こいつはもう止まりそうにない。

心の底から思った。


もう用は終えたとばかり。

突っ伏して寝ている様子の川田。

僕の心の中で彼が笑った。




◽︎





『お前が奴を呼び出せ。

時間稼ぎをしろ。俺が手を下す。』


毎日毎日、寝る前に紙くずの皺をひとつだけ伸ばしているうちにその日は来てしまった。


「おいおい、なんだよ話って」


「…」


若干伸びた、いがぐり頭。

木村はへらへら笑いながら教室に入ってきた。


「おう」


「なんだその神妙なかお」


なんとか絞り出した。

自分の声が、録音した声みたいに聞こえた。


「あの話」


いがぐり頭が動きを止めた。



「あれだよ、あの話だ」


木村がため息をついた。

窓から伸びる夕焼け、今まででいちばん綺麗だった。


「あぁ、この教室らしいな!

他人ひとの別れ話ほど面白いものはないよな」


教卓の端っこが欠けてる。

ホコリが床に漂ってる。

髪の毛が這いつくばってる。


木村が窓を大きく開けた。

少しだけ生ぬるい風が床のゴミたちを走らせた。


「いやでもまさかあいつがあんなやつだったなんてな!あ、でもそんな奴なんかーー」


「やめとけ」


もう僕はいがぐり頭を見ることが出来なかった。


「…噂なんだろ」


ぽつりと言った。

届いて欲しくなかった。



僕は出来るだけ声を押えた。

木村にもそうして欲しかった。

切に願った。

死にたくなかった。


誰かがどこからか言った一言。

それがクラス中、はてには学年中に広まった。

もう誰が始めたかなんて特定出来なくなった

そうなるともう匿名性を持って責任を失った集団は止まることを知らなかった。


「お前を助けたかった」


揺れるカーテンに吸い込まれて消えた。

一瞬だった。


「木村ぁ!!」


木村は何も言わなかった。

言えなかった。


木村の肩が掴まれる。

僕は木村の制服の皺を眺めた。


彼が走ってきて、そのままの勢いでつかみかかった。


「…っ!かわ、た」


「なんで俺が!こんな目に合わされんだ!」


「が…うっ…」


周りの机が音を立てて倒れる。

僕は顔を手で覆った。

次は僕だ。

本当に覚悟した。


「落ちろ!!」


「なんの…ことだ」


「ホラ吹き野郎!」


もみくちゃになっていた。

教室も、僕の頭の中も。

どうしてこんな事になってるんだろう。


あの話を聞かなければ。


川田なんて無視していれば。


脅されることなんてなかったんだ。

嫌だ。


こんな所で。


気づいたら、1歩進んでいた。


彼らの足が見えた。


走った。


2人の顔が見えた。


しわくちゃになった制服が見えた。

掴んだ。






こいつらがいなければ。





夕焼けが大きな口を開いた。

一息に飲み込んだ。


ここは4階。




心臓がうるさい。

体が空気を求めてる。

命を求めてる。



静かになった。

1人になった。

さっきまでのが嘘みたいだ。


窓に写った僕を見た。



皺ひとつない綺麗な制服。




無機質な目が僕を舐めるように見つめた。

口角が上がった。


僕は川田に殺されたくなかっただけだ。

何も悪くない。


彼はみんな殺す気だった。





夕焼けなんて直ぐに消え去った。

突然の雨の中、赤い光がコンクリートに反射していた。





◽︎






気づいたら座っていた。

僕は辛そうでも、悲しそうでもなかった。



一瞬の出来事だった。

刹那のうちに、何もかも全部通り過ぎた。



命が消えた。




誰も何も言わなかった。

誰も何も、言ってくれなかった。





の創作。


勘違いの螺旋。

後から聞いた。


真相は、誰も知らない。



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流星 夏瀬縁 @aiuenisi8

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