「いのちの電話」で失われる命

羽川明

「いのちの電話」の現実

 羽川明です。


 他の評論でも軽くお話ししましたが、私にはかつて暗い過去があり、その時期は「希死念慮」と呼ばれる理由のない自殺願望を持っていました。

 そんな私は無知であるため、「いのちのホットライン」「いのちの電話」というようなサービスにいくつか電話したことがあります。


 状況としては、高層階から飛び降りようかと迷っていて、救って欲しかったというよりは話がしたかったのでかけました。


 何年も前のことなのでよく覚えていませんが、調べられる限りの電話番号すべてに片っ端から電話しました。


 なぜそんなことをする必要があるのか? 疑問に思ったあなたは鋭い。


 そう、のです。


 明らかに緊急性を要する、つながらなければあきらめて命を絶ってしまう可能性さえある大変重要なサービスでありながらつながらないのです。


 具体的には5、6回かけ直しました。

 どこもセリフは同じ機械音声。


「ただいま、回線が混み合っております」


 無機質なその一言によって失われた命は、軽視することができない。


 テレビ、ネット記事、SNSなど、この現代でも未だにこんなジョークが飛び交っている。


「専門家がすすめるいのちの電話であなたの悩みを聞かせてください」


 なんと笑えない冗談だろう。

 史上最低のブラックジョークとしか言いようがないです。


 ちなみに、「いのちの電話」などの各種電話サービスそのものは必要でしょう。それ自体を否定する気はありません。


 問題は運営方法です。


 あまり有名ではないのかもしれませんが、「いのちの電話」などの各種自殺対策通話サービスの通話相手である相談員は、無給どころか少なくない額のお金を払って受講して学んだ上で成立している場合が多いです。


 わかりますか? ボランティアどころの騒ぎではないのです。

 あの人たちは善意で数万円単位のお金を払った上で、苦しむ人々の悩みを無給で聞いてくれているのです。


 もちろん、すべてのサービスがそうだとは言いません。

 しかしこの現代においてもそのような運営体制が実在するのもまた事実。


 例えば実例を一つ挙げると、なんと完全無給な上に交通費など、各種費用がすべて自己負担の2年間の研修の果てに成立するのです。


 国家資格が必要だろうから仕方がない?

 何を言っているんですか?


 


 というか、国家資格なんて持ってる人がわざわざ数万円単位の自己負担をして2年間の研修の果てに「いのちの電話」の相談員になると思いますか?


 つまりそういうことです。


 それでは、唯一つながった「いのちの電話」の相談員の方と私、羽川との実際のやりとりを羅列してみましょう。

※特定防止のため、相談員様の名乗り口上は完全にフィクションです。


++++++++++++++++++++++++++++

「もしもし?」


「もしもし、〇〇自殺対策サービス相談員の〇〇です。どうされましたか?」


「今死にたくて、高層階から飛び降りようとしています」


「なにか、精神科などには通院されていますか?」


「はい」


「では、その病院の先生にそのことを相談してください」

++++++++++++++++++++++++++++


 通話はそこで、切られた。


 「いのちの電話」で救われた命と、失われた命。

 ──天秤てんびんかたむくのは、だろう?



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