第2話 惜別

 新幹線出入口を降りると人が多かった。さすが観光地、でも新宿には大きく劣るだろう。


「京都駅って電車で行くとこんなに大きいのね。いつも車だったから分からなかったわ」


「でも駐車場結構混んでいたでしょ」


「前の晩から移動するのよ。駐車場も高いけど、子どもたちへの巡礼を思えば仕方ないことよ」


 そうだ。この人は子どもを亡くしているのだ。


「ペンネ。八坂神社というのはどのバスに乗ったらいいのかしら」

 僕たちは広いバスロータリーをグルグル回ることとなった。


「八坂さんは階段ばかりね」

 人波に押され僕たちに休む暇を与えぬ大盛況ぶりに神様も踊りまくっているに違いない。金が入ると神様は喜ぶものなのか。初日の出をここで迎えたい者はいないだろう。


 迎えるとしたらそれは比叡山とか伏見稲荷大社の裏山らしい。そんなことを旅行マップで見た気がする。


 八坂さんは混み入っていて、ソシネと別れぬようソシネは僕の手を握った。握られた手を僕は無理に引き上げずにソシネのペースになるべく合わせた。何を焦る必要があるのか、ただありがたい名所を巡る旅だ。

 まだ始まったばかりなのだ。本殿に着き、抗わず群衆に従って順番を待った。財布を見たが、十円以上の硬貨が入っているだけだった。ソシネは僕の財布をのぞきこみ一言。


「若い子って五円を持ち歩かないのね」


「たまたまだよ。ソシネさん」


「さん付けはいいの。ペンネ、会ったばかりで戸惑うのは分かるけど、本当なら戸惑うべきは私なのよ。私がいいと言っているのだから、いいわよ」

 確かに振り返ってみると、新幹線で起こせと言われてソシネと行動を共にしている。


 次にソシネの希望で清水寺に行った。ぜぇぜぇとソシネは息をし、ときおり咳き込んだ。ソシネの様子が心配になるほどの咳だったので、今回は止めておこうといったが、どうしてもというので休みながら行くが流石に最後の階段は無理そうだったので僕が背負った。


 一時間かけて清水の舞台に立った。ソシネはおかしな呼吸をしながら、ただ僕にありがとうと。


「ペンネ。あなたが私の隣にいなければこの景色を見ることが出来なかったのよ」

 ここまで四時間ほどの関係性だが、そもそも新幹線で起こせという頼みも相当ぶっ飛んでいる。


「ソシネ。そんなことを言ったって、新幹線で起こせというのも横暴だろう」


「だって、あなた断れない人でしょ」

 コロコロとソシネは笑った。ソシネはよく色が変わる。面白い。


「そんなムスっとしないで、巡礼の旅は始まったばかりよ」

 次はバスに乗って銀閣とかどうかね。そういって行きとは違ってスタスタと群衆の中に入っていくソシネを慌てて追いかけた。


 最初に八坂に行って、清水に行ったのはまずかった。清水に行った時点で、金閣寺や銀閣寺に行くにはバスしかないが、僕は携帯の地図でしか確認出来ないがどちらへ向かっていけばバス乗り場があるかわからない。


 真剣に真剣に考え込んでいる僕をソシネは若いうちから悩むと禿げるとクスクス笑った。

 ソシネにバス移動は難しそうだ。今日、一日では終わらないというとタクシーを頼みましょうと言ってくれたので、タクシーをチャーターした。お金は昼食代と交通費しか持っていないので、ソシネに僕は頭を下げて詫びた。


「金は天下の回りもの。いいじゃない、年金をタンス預金にするくらいなら使った方がいいわよ」

 そういって、タクシーに乗り込んだものの、車通りは多く。道は混んだ。

 そのうちソシネは空咳をしだした。あまりにしつこい咳なので、心配していると。今度は胸を押さえだし、喀血した。

 これは一大事と思い、タクシーの運転手に救急病院に連れてくれと頼んだ。ところが運転手もこの混雑じゃ大きい道へ出て救急車か歩いた方がいくらかマシだと言い、車の中で救急車を呼んだ。


「肺がんですな」

 検査をたくさんした。

 レントゲンを見せ、まだ確定ではありませんが、ガンだと医師は告げた。僕を孫だと勘違いした救急病院の医師は言い切った。余命は、と言い始めて、実は自分は孫でも親戚でもないと伝えたようとしたが、電車の中で出会ったとはいえなかった。


「ペンネ、ごめんね。最後の供養をしたかったの。山の上にある暑い墓地よりこの方がよほどいいと思ってね。ごめんね、ペンネ。今日初めて会ったあなたに迷惑をかけたわよね」


 ソシネはベッドから起き上がって机を引き寄せた。


「ペンネ、あなたの住所と名前を教えてちょうだい。私には子どもも兄妹も孫も夫もいない。だからあなたは最後の私の希望なの。おかしなばばあだと思うかもしれないけど、住所を教えてちょうだい。どうせこの病院から出ることが出来ずに死ぬのよ。私」


「ソシネ、ダメだよ。生きて」


「まもなくダメになったら、もうダメだから京都に来ておくれと呼ぶわ。それまであなたと文通がしたいの」


「文通?」


「私はペンネの事をもっと知りたいの。ペンネが何を背負って、どんな性格で、どんな楽しさを持っているかを知りたいの。あなたのことをもっと知りたいの」

「ソシネがいいなら」


「ありがとうございます」

 たった四時間ほどの数奇な運命だった。後ろ髪を引かれたが、僕は救急病院を出た。

 

 そして縁を感じてソシネが言った通り静岡で降りて、バスで行かないといけない場所にある集落の狭い家を訪ねた。

 タンスに通帳と現金が入っていた。ウロウロと見回ると謀ったかの如くダイニングテーブルの上に封筒が置かれていた。数万だったので、病院の住所へ現金書留でタンスとテーブルのお金を送って、通帳は内容証明郵便で送った。


 ソシネはこのバスでしか行けない小さな町から、京都まで一日で行ったのだ。


 東京に帰った冬の気配が門を叩こうとする十一月に母の郷里へと住処を変えることになり、僕は慌ててソシネに手紙を送った。ソシネは予め手書きで書くように指示していた。パソコンばかりで手書きなんてほとんどしなかったから、最初はとても難儀だった。


「ソシネ、住所が変わります。母の郷里へ帰ることになった。金谷町って小さな町、東北にあるらしい。雪が深くなるかもしれません」


 転居したら、郵便が転居先に届くことを知らなかった僕は転居先の住所を書いた封筒を郵便局に出した。そして冒頭に戻る。


 どこにいようと忘れない。そういう存在を拾うことが出来たのが僕の幸せだ。あと数か月で逝ってしまうのだ。おそらく最後まで苦しむだろう。あんなに身なりはきれいでシャンとして美しく、相反することに表情は庇護欲をそそられるほどの不安げだったソシネがもうすぐ消えてしまう。


 冬も明け、歩道から雪は消えた。歩きやすくなった道、新しい命を待つ田畑、晴れわたった空。なんと過ごしやすいことか、気温も少し肌寒いようで心地よかった。このころになると友達も出来て、電車に乗ってイオンなんか行って映画見たり、友達の家で徹夜ゲーム大会をしたりしていた。


 ソシネの事は気にはかかっていたので、手紙は度々送り合った。日に日に手紙の文字は震えていき、ソシネの死が近いことを知った。それだけで僕の胸は痛かった。毎週、火曜日の朝に届く京都の病院からの手紙、震えた字でもちゃんと規則通りに来た。


 そして三月、とある金曜日。手紙が届いた。いつもの火曜日ではなく金曜日。嫌な予感がした。京都のあの病院からだった。急いで僕は自室に帰り、ペーパーナイフで慎重にノリを外した。

 便箋は二枚。

 一枚は、病状思わしくなく、あと少しだろう。今までありがとう。幸せにつよくいきて、未練が残るから会いに来ないで。あとは弁護士に任せてあるからあの静岡の家で気を揉むことはない。


 ここ数か月ずっと見続けたソシネの字だったので、クセや言葉の言い回しをよく知っていたので、読むのは苦には思わなかった。


 そして次の一枚にはただ大きく美しい字で惜別と書かれていた。惜別は大きく濃い色で書かれていた。ソシネの遺言だった。


 そこからの僕は早かった。幸い、病院からの電話はまだ来ていない。何か変わったことがあれば連絡してくれと携帯番号を渡していた。

 大切な人に会いに行くのだという使命感を制服と共に鞄へ詰めた。幸いお年玉は残っているが片道のお金しかない。母に相談しなくてはならないが、母は往復分の交通費を快く貸してくれた。後に聞けば、並々ならぬ覚悟を感じたとのことだった。


 前に行った時も京都は遠かったけど、東北新幹線から東海道新幹線に乗り換えた時、もっと遠くなったと感じた。京都駅からタクシーに乗って病院に向かった。あの時とは違って道はするすると動き、僕はまだ幻想を見ているように感じた。


 ふと冷静になる。あの時、家庭がすさんでいなければ。あの時、新幹線に乗っていなければ。あの時、こだまを選んでいなければ。「ければ」が全部無いと今に繋がっていない。ほんの数時間の出会いだ。別れても数回手紙のやり取りをした。それだけなのに永遠の別れがこんなにも辛く悲しい。


 京都に降り立った時、電話が鳴った。病院からだった。危篤と留守電に入っていた。間に合えと地下鉄に乗って、向かった。


 病院の受付でソシネの病室を尋ねた。四階の個室にいるとのこと、病室に入ると中では医師が心臓マッサージをしていた。僕に音は聞こえなかった。本当なら機器や医師の声が聞こえただろう。でも僕の心はそんな雑音を消した。


 僕は会わねばならない。ベッドにいる細くなっただろうソシネに、ソシネに。


「ソシネ、来たよ。目を開けて」

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惜別にて ハナビシトモエ @sikasann

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