エピローグ 忘れじの言の葉
(この子は、どれだけ優柔不断なんだろう?)
「休みに母さんの顔をながめに来てる場合じゃないよ。まさか、ミツル……噂のマザコンってやつじゃないだろうね?」
「えええっ?!」
母子家庭で充を育て上げた母親は、充が就職してからは、それぞれ別々に暮らしている。一ヶ月に2日か3日ほど、こうして会って話をしている。
入社一年目の一人息子の充が母親の
(もたもたしてたら、二人とも他の人にもってかれちゃうじゃないの、まったく!)
ほめて育てるのが良いというのは、ほめられたいばっかりに無茶をするように育つ場合がある。
「おい、七橋にあんなに仕事やらせて大丈夫か、三倍で仕事してるぞって上司に言われちゃったわ。だから、私のミス……そんなに気にしないで」
最近、ちょっと元気がなさそうな憧れの水原チーフの手伝いのつもりで、充は後輩と一緒に水原チーフの仕事を回してもらった。
ただ後輩の確認ミスで手直しがあり、結果として水原チーフの仕事が長引いてしまった。新人にはありがちな小さなミスだから気にしないでもいいと水原チーフに言われても、充はへこんでいた。
水原チーフは気づかい上手で、充はきつく叱られたことがない。入社一年目で、後輩の新人教育を充は任されることになった。新人教育といっても、充の仕事をサポートさせて仕事の流れを覚えてもらうという感じだ。
充は水原チーフが教育担当だった。新卒で、しばらくはわからないことだらけだから、ほめて育てようと充は考えた。
(よし、水原チーフみたいに憧れてもらえるような人になるぞ!)
三ヶ月後、後輩の新人、
「この資料良くできてるわ。ちゃんと、見やすいグラフも使ってある。あと、七橋……たまには、しっかり叱れる関係にしておかないと、あとで彼女が他の人と仕事する時に苦労するわよ」
「はい、気をつけます」
たしかに充も、最近、緊張感がなかったかもしれないと思っていた。悠莉は明るく素直な感じの女性で、毎朝、満面の笑顔を浮かべて隣の席から「おはようございます、先輩!」と充に声をかけてくれる。なつかれている感じに充はとまどいながらも、充のほうが後輩の彼女に、元気をもらっている感じになっていた。
「先輩、今日は何を食べます?」
「お弁当作ってきたから、今日はここで食べるよ」
「うわぁ、ちゃんと卵焼きも、ウインナーも入ってますね。作るの大変じゃなかったですか?」
「まあ、高校生のころは母親と自分のお弁当を作って持っていってたから、久々にお弁当を作って楽しかったよ」
一週間後、悠莉もお弁当を持ってくるようになった。
「先輩のまねして作ってみたんですけど。冷凍食品のおかずってちっちゃくてかわいいですよね~」
充は昼休みぐらいは後輩の悠莉とべったりしてないで離れておく作戦だったのだが、おかずを交換したりしてしまい、この作戦は失敗した。
残業して手直しとチェックが終わった。水原チーフから「帰りに一緒に食事でもいかない?」と充は声をかけられた。
(水原チーフは、迷惑かけられたって怒ったりしないけど、ちゃんとあやまっておくにはいいかも。むしろ、こっちから食事ぐらいおごりますって言うべきだったかもしれない)
「あら、松田さんは一緒じゃないのね?」
「明日、用事があるとかで。すいませんでしたってチーフに伝えて下さいって彼女も言ってました」
「二人とも気にしすぎよ。おなか空いたわね」
母親の瑛子は、それから二人でどこで何を食べたのかと息子の充に聞いてみた。
ラーメン大盛と餃子と言われて瑛子は、はぁ~っとため息をついて、充の顔をまじまじと見た。
(うーん、ラーメンと餃子のあとじゃ、キスはないわね、きっと)
母親には言わなかったが、水原チーフから充はラーメンと餃子を食べながら、後輩の松田さんと充が仲良くみえて、ちょっと嫉いてしまって、変なアドバイスをしてしまったことを反省していると、しれっと言われていた。
充は少しむせてしまって、水をガバッと飲んだあと、水原チーフから背中をさすられていた。
「おいしいラーメン屋教えてもらいました。水原先輩、また来週、よい休日を!」
「おー、いつもの七橋だね、ニンニクパワー、恐るべしだわ。じゃ、お疲れさま!」
絶対に水原チーフは、男性だったら気づかい上手のイケメンで、充が女子なら絶対に惚れると思ってしまった。やっぱり、かなりカッコいい。
ラーメンを食べて帰宅すると、悠莉からの着信があったのに気がついた。
水原チーフがどんな様子だったのか気になったのだろうと、アパートの部屋でかけ直してみた。
「逆にチーフからあやまられちゃったよ。大丈夫、怒ったりする人じゃないからさ」
「えっ、ああ、よかった。えっと先輩……あの……やっぱりいいです!」
「ちょっと気になるじゃないか、なに?」
すると小声になった悠莉から、水原チーフと充が今夜はデートしてるのかもとか想像しちゃいましたと言われて、充はスマートフォンを床に落としてしまった。
「せ、せ、せ、先輩っ、大丈夫ですか?!」
「あ、うん、びっくりしてスマホをオンボロアパートの床に落としちゃっただけだから」
とりあえず、そのあと気まずくなる前に、充ではなくて悠莉から「先輩、おやすみなさい」と通話が終わった。
「で、先週、二人に一人前になって母親を楽にさせられる目標を達成できるように仕事をがんばるから応援してくださいって昼休みの会社のそばの公園で、悠莉って子が三人分用意したサンドイッチを食べたあと言ったというわけね」
「うん、そんな感じ」
充はそう母親に言って、カフェ「ラパン・アジル」の珈琲を一口飲んだ。
悠莉からおすすめのカフェがあると聞いたので、充は母親の瑛子を連れてきた。
ホットケーキを瑛子はぱくりと食べてから、充に「で、どっちを選んで私に紹介してくれるの?」と言った。
充の父親も優柔不断なところがあって、女性からの押しに弱いところがある人だった。
告白しやすいようにかなりお膳立てしてあげて、充の父親は瑛子に告白してきたのを思い出した。
母親に恋人はできたかと聞かれて、嘘をつくのが苦手で、どっちの女性も素敵な人で選べずにいるのを見せている息子を、瑛子はかわいいと思う。
(過保護すぎたかしら。本当に充はあの人に性格はそっくりだわ)
充の父親も仕事熱心だった人だけれど、充が五歳の頃に癌で亡くなっていた。
それから再婚もせずに瑛子は子育てと、仕事をこなしてきた。
「母さんこそ、いい人がいたら再婚したらいいよ。最近は40代で結婚する人も多いらしいよ」
「そうね、いい人がいたらね」
瑛子はそう言ってカフェ「ラパン・アジル」の光がきらきらとしているのステンドグラスの窓ガラスを見つめた。
充には言っていないけれど、再婚を申し込まれたことは今まで三回あったが、瑛子は充が大人になるまでは、なんとなく自分の恋に夢中になれなかった。
(充、恋にはね、タイミングがあるのよ。恋のタイミングは、気持ちの準備が整ったり生活が安定するタイミングとぴったり合うとは限らないのよ。この人だって思えたら、恋のタイミングを逃がしちゃダメよ!)
同じ休日、綾子と悠莉は一緒に映画をみたあと、ホテルのレストランで、ケーキを食べながら話していた。
「少し前の私だったら、ゆずってたかもしれないけどね」
「水原先輩でも、あたし、負けませんから。ふふっ」
親友の藤田佳乃が、がんばって恋に鈍感な本宮勝己と交際できたのをみて、綾子も恋に踏み出してみたくなったタイミングだった。
悠莉は大学では告白されても、恋人にしたい人はいなかった。悠莉から自分から誰かを、こんなに好きになったのは初めてだった。
七橋充という同じ人を好きになった二人だけれど、ケーキと紅茶好きのところまで気が合った。
(恋はともかく悠莉とは友達になれそう。仕事をもっと教えたら、七橋よりも、がんばり屋さんだから、すごくできるようになる。おもしろくなってきたわね)
水原綾子は悠莉に、にっこりと微笑を浮かべた。
詩人はモテるという噂 平 健一郎 (たいらけんいちろう) @7070ks
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