怖がり屋さんの小さな女の子
リウクス
橙色
小さな女の子はとても怖がり屋さんでした。
朝はお腹が痛くなるから、みんなと一緒に登校できなくて、お母さんの車で小学校に通っていました。
下校するときも同じです。
一人で帰ると、なんだかみんなに笑われているような気がして怖かったのです。
夜になると、女の子は少し安心します。
可愛い妹が一緒に遊んでくれて、あったかいご飯も食べられて、その上、優しいお母さんとお父さんがたくさん褒めてくれるからです。
女の子はずっとお家にいたいと思っていました。
女の子がとりわけ好きなのは、夜9時半。寝る前の時間でした。
妹と一緒にベッドに入ると、お母さんがやってきて、明かりを間接照明に切り替えると、部屋を出る前に頭を撫でてくれるのです。
「がんばったね」って言ってくれているような柔らかい手つきが心地良くて、女の子はすぐに眠りについてしまいます。
この橙色の瞬間が永遠に続けばいいのに、と女の子は願っていました。
しかし、時間は流れるのです。
彼女は歳をとり、中学生になりました。
もう小さな女の子ではありません。
彼女が中学に上がると、急に周りのみんなが大人っぽくなっていくような気がしました。
そうすると、車で送り迎えしてもらうのが、なんだか恥ずかしくなってきて、彼女は強がるようになりました。
中学生になったんだから、もう大丈夫。
彼女は何度もそう言いました。
怖がりなのは変わらないのに。
学校に来ても、朝の会が始まるまでの時間は腹痛で教室にいないのに。
彼女は部活を始めました。
ソフトテニス部です。
部活に入れば、仲の良い友達ができて、怖いこともなくなるかと思ったからです。
しかし、何もかも、彼女の思うようにはいかないものです。
毎朝起きるのが遅くなって、その分焦って、緊張して、朝ごはんを食べると胃が気持ち悪くなって、重い足取りで学校へと向かう。それが彼女の日常になりました。
部活もうまくいかず、友達なんて一人もできませんでした。それどころか、入部してしばらくすると、彼女は嫌がらせを受けるようにもなりました。
女子部員から人気の高い男子キャプテンが、彼女のことを気になっているという噂が流れていたからです。
もちろん、根も葉もない噂です。しかし、怖がりな彼女は、何が正しいのか判断できなくて、何も言えませんでした。
そして、誰にも相談しませんでした。
学校は今まで以上に窮屈な場所になってしまいました。
家に帰っても、彼女は安心することができませんでした。
彼女はもうお母さんに甘えようとしなくなっていましたし、妹と一緒に遊ぶことも少なくなっていたのです。
大人びていくみんなに遅れないように、一人でも大丈夫にならないと。そんな焦燥が募っていきました。
そんな毎日を送り、しばらくした頃、彼女は朝起きるのをやめました。
布団の中に篭り、別室から家族が外へ出て行く音に罪悪感を感じながら、学校に行かないことに安堵する。それが新しい日常になりました。
みんなは学校に行ったり、働いたりしているのに、自分は怖がりで、逃げて、布団の中で何をやっているのだろうと何時間も自問自答して、結局夜になって、また朝を迎える。
彼女は不安という檻に囚われてしまいました。
そんな彼女のことを、家族は心配しました。とりわけお母さんは頻繁に彼女の部屋を訪ね、ご飯を持っていき、たまに頭を撫でるなどしていました。
お母さんにとっては、中学生の彼女もまだ、怖がりで小さな女の子なのです。
お母さんは昔と同じように彼女に優しくしました。
しかし、そんな優しさに触れるたび、彼女の心は嫌な感情に蝕まれていく一方でした。
私なんか優しくされる権利もない、私なんかが甘えていいわけがない、早く大人にならないといけないのに。
そんな閉塞感が彼女を苛んでいきました。
そうして、ついに、彼女はお母さんにもう優しくしないでほしいと言ってしまいました。
怖がりで、一人だと不安で不安でたまらないはずなのに。今にも心が壊れて崩れてしまいそうなのに。
それから、お母さんがお話しに来たり、頭を撫でてくれることもほとんどなくなってしまいました。
間接照明のない、真っ暗な部屋で、ただひたすら彼女は眠り続けるのでした。
眠っている間は、何も考えずにすむから……。
——しかし、ある日、そんな彼女が飛び起きてしまうような事件が起きました。
彼女のお母さんが、酷い交通事故に遭ってしまったのです。
買い物の帰りだったそうです。
強く頭をぶつけて、意識不明の重体。
お医者さんによると、すぐに回復する見込みは少ないとのこと。
彼女は病院から家に帰ると、しばらく放心しました。
そしてまた、どうしようもなく怖くなりました。
……お母さんがいなくなってしまったら、どうしよう。学校も、その先のことも、どうしよう。たくさんの「どうしよう」が頭の中を駆け巡りました。
布団をかぶって、眠ろうとしても、目を瞑ることしかできませんでした。
——そうして何時間も経つと、突然、彼女の部屋をノックする音が聞こえました。
お父さんです。
お父さんは部屋に入ると、まず彼女に慰めの言葉をかけて、布団から少し出ている頭を軽く撫でました。
彼女は何も言いませんでしたが、涙が溢れないように、唇をきつく結んでいました。
それから、お父さんは部屋を出る前に、何かの箱を置いていきました。お母さんが事故の前に買っていたものだそうです。
彼女はゆっくりと布団から這い出て、時間をかけてその箱を開けました。
——すると、出てきたのは、あの間接照明でした。子どもの頃に使っていたものと全く同じものです。
彼女はそれをベッド近くに設置して、真っ暗な部屋で、恐る恐る明かりをつけました。
——その瞬間、懐かしい橙色が空間を包み込みました。優しくてあったかい、あの景色が、彼女の眼前に広がりました。
永遠に続いてほしいと願っていたあの時間の記憶が鮮明に映し出され、彼女は堪えていた涙を抑えきれず、泣いてしまいました。
声を上げて、子どものように。
今の彼女は、怖がり屋さんの小さな女の子なのです。
光の中で、女の子は気づきました。
本当は誰かに相談したかったってこと。
本当は甘えたかったってこと。
本当は強くなんてないんだってこと。
みんなみたいな大人になろうと焦る必要なんてなかったんだってこと。
だって彼女はまだ、子どもなのですから。
そうして、橙色は女の子の心を落ち着けて、彼女は安心して眠りにつくのでした。
それから一週間が経ち、女の子のお母さんは目を覚ましました。意識がはっきりするまでには数週間かかりましたが、とても運が良かったとのことです。
女の子は妹と一緒に喜びました。
しばらくしてお話ができるようになると、女の子はお母さんに伝えました。
今まで話せなかった悩み、辛いこと、苦しいこと、全部。
女の子は甘えたかったのです。
すると、お母さんは、女の子を抱き寄せて、柔らかく頭を撫でました。何度も、何度も。
女の子は幸せでした。
怖がりのままでもいいのだと、怖いときは誰かを頼ってもいいのだと。そうやって肯定されているような気がして、また少し涙を溢してしまいました。
そして、月日は流れ、女の子は高校生になりました。
いまだに登校前はお腹が痛くなりますし、仲の良い友達もほとんどいません。中学の頃の経験から怖くて部活にも入っていません。
しかし、それでも、何か困ったことがあれば誰かに甘えても良いのだと知っているから、強がらなくていいのだと分かっているから、彼女はまだ怖がり屋さんの小さな女の子のままでいられるのでした。
怖がり屋さんの小さな女の子 リウクス @PoteRiukusu
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