リビング・ワールド・オンライン

天藍 翠華

フェイク

 夜の森。ヴィンストン王国から程近い街道の一角は枝葉が月明かりを遮り、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。風に揺られて枝葉が擦れる音と夜行動物の息遣いが耳に届く。


 PKerによる狩場として相応しいこの場所には凄惨な光景が広がっていた。

 ジョウの眼前には9人のプレイヤーが転がっている。どれも死んでいた。あるものは内臓をぶちまけ、あるものは脳髄を露わにし、あるものは手足を失い芋虫になっている。

 辺りに充満する鉄錆の匂いが脳により一層の現実感をもたらした。


 この場面に出くわした人間はLWOの表現力を恨めしく思うに違いない。

 ジョウにとっては慣れた光景なので何の感慨も抱かなかった。



 血に濡れたダガーを携えて、頭をぐるりと動かす。赤いコートの下に覗く梟のマスク越しに男を見据えた。最後の1人となった彼は壊滅したパーティーのリーダーだ。視線を向けられて鈍色の甲冑に身を包んだ騎士風の男はわなわなと口元を震わせる。カシャン、と鎧を鳴らして後ずさった。


 ジョウはお構いなしに足を進める。男は後ずさる。ジョウと男との距離は徐々に縮まった。どんどん縮まる距離。男は耐えかねて、一目散に走り出した。背を向け、脇目も振らず逃走する。鎧同士が擦れ合い、ガシャガシャと夜の森に喧騒を奏でた。


 ジョウは付与魔術を行使する。AGIを上昇させた。一拍遅れて男を追う。男よりも格段に速いジョウは一瞬で距離を詰めた。必死に動かす脚を引っ掛けて地面に転がす。


 勢いのままに衝突し、喧しい金属音が響いた。ジョウに向けた顔は引き攣り、視線をあちこちに彷徨わせる。


「逃げれると思ったか?」

「うるせえ!」


 男は怒鳴って立ち上がった。両刃の長剣を抜いて切先を向ける。剣尖には震えが認められた。剣を握る手に必要以上の力が込められているのだろう。


「オウル! お前らPKerは寄生虫だ!」


 Pkerの素顔は隠され、名前も不明なため、通称が与えられる。オウルはジョウの呼び名だ。


「寄生虫は宿主を殺さない。例えとして不適切だな。虎とでも言ってくれ」

「そんな高尚な存在じゃあねぇだろ!」

「虎は森に姿を隠し、獲物を襲う。似たようなものだ」


 寄生虫呼ばわりにも動じず淡々と返す。男は気勢を削がれて、口をぱくぱくと開閉させた。まるで池の鯉だ。


「お前らはモンスターを狩るなりして稼ぐ。俺らにとってのモンスターがお前らだ。狩られたくなきゃ勝てばいい」

「っ!」


 男は身構える。ジョウは歩を進めた。間合に入る。剣は動かない。男は迫る死に、大きく目を見開き、ガチガチと歯を鳴らす。


「どうした? 死ぬぞ」

「うああああっ!」


 腕を振り上げた。会心の一撃には手応えがないという。全く抵抗なく動いた腕からそう確信し、口元に笑みを浮かべている。


 しかし、ジョウの体どころかコートすら切れていない。温かい液体が顔に降りかかった。両手首から先がない。足元に視線をやれば柄を握る手がついた剣が転がっている。


「まっ、待ってくれ!」


 手首を振り乱して懇願する。ジョウは鼻を鳴らして、手を止めた。聞くだけ聞こうという態度である。


「俺には家族がいるんだ。だからっ!」

「あんた専業プロか」


 RMTのあるゲームで生計を立てるプレイヤーを専業と呼ぶ。毎月コンスタントに稼ぐのは困難で、一般プレイヤーからは羨望と嫉妬を向けられる。専業を夢見てゲームに者は少なくない。


「しかし、家族ねぇ」


 にわかには信じがたい。大規模クランの幹部ならまだしも、この男はそう見えない。マスク越しに疑いの眼差しを向けるジョウへ男は釈明する。


「投資だ!その収入の不足分を補ってる!」

「ああFIREね」


 ここ数十年の流行だ。ジョウからすれば労働がゲームに置き換わっただけに思う。拘束時間を考えれば働いているのとさほど変わらない。


「見逃してもいいが何をくれるんだ?」

「今日のアガリだ。デスペナがきついんだ。頼む……!」

「仕方ないな」


 言ってダガーをホルスターに仕舞う。懐から回復薬を取り出し、男の足元に放り投げた。ガラス製の容器はチャプチャプと内容液を揺らして転がる。


「出血でHPが減ってるだろ? 飲めよ」

「あ、ありがてぇ」


 ペコペコと頭を下げる。ただ手首から先がないので開けられない。男は上目遣いでジョウの顔を伺う。ジョウは無反応だ。

 大きく目を見開いている。HPゲージが減少するのを目で追っているのだろう。


「開けてくれ、オウル! このままじゃ」


 言葉は続かない。ジョウに縋ろうとした男は前のめりに伏した。HPバーが0になり、死亡したのだ。

 ジョウは転がるガラス瓶を拾う。中の液に合わせて光が揺らめいた。


「瓶は破壊不能オブジェクトじゃないんだけどな」


 呟いて腰の弾薬帯に収める。主を失った手先が付いた剣を拾った。品定めして、放り投げる。特に価値あるものではない。


 死体の側に跪いた。インベントリにアクセスし、アイテム欄をスクロールする。一々漁らないとプレイヤーやモンスターからアイテムを収集できないのだ。LWOは妙なところで手間をかけさせる。


 浮かび上がったウインドウに目を通していると鳥の驚いたような囀りが耳に届いた。


「——っ!」


 凄まじい速度でダガーを抜き放つ。ろくに見もせずに振り上げた刃は頭上で衝撃を受けた。ジョウは耐え切れずに地面を転がる。回転する視界に映った靴底。跳ね起きて飛び退いた。鈍い音を伴って土が砕ける。自分の脳漿が飛び散っていたと思うと笑えない。


 眼前には黒ポンチョを纏い、ドクロのマスクをしたプレイヤーが立っていた。そんな風体の人間をジョウは1人知っている。

 通称死神。LWOでは最強のPKerとして名を馳せる。右手のナイフは月明かりを受けて、青く光っていた。


「随分なご挨拶だな、死神」


 ジョウは黒衣のプレイヤーへの警戒を怠らない。驚くべきことに索敵に全く感知されずに襲撃してきたのだ。探知妨害を受けた様子もなく、索敵は機能している。現に範囲内を正常に探知しており、眼前のプレイヤーも同様に映っていた。


「この上ない挨拶だろう?」

「ま、久々の再会を祝すには相応しいな」

「黙れ」


 ジョウにナイフの先端が向く。細身で刃渡りの長い得物は流麗な印象を与えた。


「ダインスレイブ、返してもらうぞ」


 ジョウの右手に握るダガーの銘だ。肉厚で巨大な刃を持つ凶器の柄は革紐で覆われている。埋まるガラス管を隠すためだ。満ちた赤い液体が動きに合わせて揺れ、微かな水音を立てる。

 かつての死神の武器はジョウの物だ。


「変わったな、お前」

「数ヶ月もあればな」

「スキルの話じゃない。喋らなくなった。聞きもしないことをべらべら喋ってたのに。どうした?」

「……人は変わる」

「あの自慢話大好きマンが? それはないな。お前の口数が目に見えて少ない理由。それは」


 ジョウの言葉は続かなかった。黒衣が視界に広がる。距離を詰められてナイフを突き出された。半身で躱し、ダガーを振り上げる。上体を反らされ、フードの先を僅かに裂いた。2、3度刃を交える中で蹴りを放って距離を取る。


「わかりやすいな」

「何が」

「喋らないんじゃなくて喋れないんだろ。ぼろが出るから」


 押し黙る。マスクの奥から歯軋りの音が届いた。ジョウは更に続ける。


「それに体捌きも違う」

「鍛錬の結果だ」

「いくら鍛錬しても性別は変わらないだろ。お前誰だ?」

「オレは、死神だ」

「死神のフェイカーになる必要があるのか?」


 有名プレイヤーの真似事をする人間をフェイカーと呼ぶ。特にPKerにはそれが多い。なぜかと言えば虎の威を借る狐だ。相手が勝手にビビる。

 しかし、目の前に立つプレイヤーは自分を大きく見せる必要があるだろうか。あの隠蔽スキルをもってすればPKなんて容易い。フェイカーにならずとも有名プレイヤーになれる。


「オレは、フェイクじゃ、ない」

「お前が誰なのかはどうでもいいことだが」


 言葉を切って、手の中のダガーをくるくると回す。


「問題は何故、コレをダインスレイブなのか知っているということだ」


 ダインスレイブは柄のガラス管を除けば見た目には無骨なダガーだ。その柄も革紐を巻いて隠している。この武器が持つ能力も一度として使ったことはない。


「見ればわかる」

「似たようなダガーはいくらでもある。それこそ死神のフェイカー達が持ってる。つまり、死神の敗北を知ってるな? あの場は俺と死神だけだった。まさか死神が喋るはずもない。プライドの塊みたいな男がな」


 言ってから思い直す。『俺と死神だけだった』というのは果たしてそうだろうか。眼前のプレイヤーが隠れて見ていた可能性はある。


「……それを知る意味はあるのか?」

「まあ、どうでもいいな」

「お前が知る必要があるのは死ぬ、ということだ」


 がさり、と音を鳴らして茂みに入る。フェイカーの姿が木々に遮られた途端、索敵から消えた。

 ジョウは呻く。隠れることがスキルの発動条件だったようだ。みすみす見逃した自分の不用意さにため息を吐くしかない。


 ここでジョウが考える選択肢は3つだ。仕掛けるか、逃げるか、迎撃するか。

 仕掛けるはない。相手の居場所がわからないのに薮に飛び込むのは自殺行為だ。

 逃げるのもなしだ。本来魔法職であるジョウのAGIなんて高が知れている。バフを掛けてもフェイカーから逃れられる程にはならない。


 消去法によって迎撃を選択した。付与魔術で全てのステータスを向上する。脚を肩幅に開き、脱力した。いつでも来い、と集中を高め待つ。


 がさっ、と茂みが大きな音を立てた。弾かれたようにジョウは左にダガーを振る。今までで最高の反応だった。

 パキャッ、と乾いた音を響かせて砕ける。細かい木片がジョウのマスクを叩いた。同時に背後で微かな音が鳴る。


「終わりだ」


 木屑をマスクで受けるジョウの背後から届いた死神の声。当然、回避は間に合わない。ジョウは右手に力を込める。ごぼり、と濁った音を立てて、ダガーのガラス管の液体が減少した。瞬間、刃が膨れ上がり、卵の殻のようになってジョウの背中を守る。僅かな時間で展開された盾は甲高い金属音を響かせた。


 これがダインスレイブが唯一無二たる所以で死神が猛威を振るった要因だ。ダガーは血液から鉄分を蓄積する。刃はそれを消費して使用者の意のままに変形する。死神は刃を交える最中に自在に変形させ、プレイヤーを殺してきた。


 更なる変形を恐れてフェイカーは距離を取る。ジョウはダインスレイブの形態を半球から刀へと変形させた。


「やはり音か」

「梟なんでね」


 最初の強襲は枝の揺れに驚いた鳥の囀りに反応した。今回は茂みの音。フェイカーは音を頼りにしていると見抜き、フェイントを交えてきた。


「次は気づいたら死んでいるぞ」

「させねえよ」


 一瞬で間合を詰め、斬りかかる。ナイフと交錯し、金属音が響いた。舞った火花はお互いのマスクを薄く照らす。


「自信がないから隠れるんだろ?」

「斬り合いがお望みなら付き合おう」


 鍔迫り合いになる。ギチギチと刃が擦れ合った。呼吸が聞こえそうな距離で出方を伺い合う。


 先手を取ったのはフェイカーだ。受け止めるナイフの角度を変え、刀をいなす。虚を突かれて体勢を僅かに崩した。ナイフは刀身を滑る。元はダガーの刀に鍔はない。手首を捻り、強引にナイフを弾く。


「チッ」


 舌打ちが鳴った。弾かれて間合が空いた今、優位なのはジョウだ。刀のリーチを活かして攻め立てる。刃渡りが長いとはいえナイフだ。全てを防ぐには無理がある。致命傷は避けるも、次々に傷が刻まれた。黒衣は裂け、白い肌が露わになる。傷からは血が滴り、徐々にHPを減らす。出血の状態異常だ。


「きつそうだな、おい」


 満身創痍のフェイカーに大上段から振り下ろす。相手を唐竹割りにするはずの一撃はガキン、と硬質な音と共に受け止められた。予想外の出来事にジョウは目を見開く。


「頑丈だな」

「それと同じ鍛治師が作ったものだ」

「ダインスレイブも新しく作ってもらえよ」

「2本目が存在してはならない」

「フェイカーのくせに拘るねぇ」

「黙れ……そもそも鍛治師はいなくなった」


 再びの鍔迫り合い。先程のこともあってジョウは迂闊に圧力を掛けられなかった。


 お互いの出方を伺う。マスク越しに視線が交錯した。深夜の森で緊張感が高まる。耳に届くのは木々の騒めきと夜行生物の鳴き声だけだ。


 先に動いたのはフェイカーだった。風を切る蹴りが放たれる。始動を感じていたジョウは足裏で膝を抑えた。同時にナイフをカチ上げられ、バランスを崩す。


「おわっ」


 背後に倒れるジョウ。絶好機と見てフェイカーは追撃に移る。一歩踏み込んだところでジョウの左手が閃いた。袖に隠したピックが放たれる。フェイカーは舌打ちを零してナイフで迎撃。澄んだ金属音を残してピックは茂みに消えた。


 ジョウはそのまま手をついて一回転し着地する。顔を上げた時にはフェイカーの姿は消えていた。索敵にも映らない。


「視線が切れても隠れたことになるのか……」


 嘆息して、ジョウは懐に手を入れる。赤いコートの下から取り出したのは短杖だ。肘先ほどの長さの杖には宝珠が揺れる。枝葉の隙間から覗く微かな光を受けて僅かに輝いていた。


 ジョウは短杖に魔力を流し、自分を中心に力場を形成する。さらに3メートルの範囲に魔法、『サーチ・グラウンド』を展開。地面に通した魔力によって物理的に侵入者を探知する魔法だ。


 フェイカーは2度も奇襲を防がれている。2度目はフェイントを交えたが僅かな音に反応して防御された。次は音もなく忍び寄り、背後から来る。そう予想してジョウは待ち構えた。


 突如索敵に輝点が映る。敵が索敵範囲に足を踏み入れた。刀の間合に入るまで待つ。一歩、また一歩と迫った。タイミングを誤れば死ぬ。緊張感の中、ジョウは刀を背後に斬り払った。


 手応えはなく、刃は空を切る。索敵に映る輝点はジョウと重なろうかというところにあった。上だ。狡猾な敵は敢えて隠蔽を解除し、位置を晒していた。高さを認識できなかったジョウは見事に見誤る。


 頭上ではすでにフェイカーが音もなく舞い降りていた。ジョウの頭頂部を貫かんとナイフを力強く握る。しかし、その刃が届くことはなかった。


 フェイカーは重力に従って、速度を増していた。ところがジョウに近づくにつれて、加速が緩やかになる。勢いを失うまでには至らないが、ジョウが回避するには十分だった。


「なっ」

「備えあれば憂いなし、だな」


 ひと足先に体勢を整えていたジョウは着地直後を狙って斬りかかる。斬撃は全力で上体を逸らしたフェイカーの胸元を深く裂いた。黒衣が裂け、鮮血が舞う。黒い布地からは白い肌が露わになり、控えめな膨らみが顔を覗かせた。


 ジョウはわざとらしくヒュー、と口笛を鳴らす。対するフェイカーは膝を折りながらも、マスク越しに睨みつけた。


「おお、怖え」

「まだ……まだ、終わってない」


 ジョウは左手に短杖、右手に刀を持つ。攻撃の気配を感じてフェイカーもよろよろと迎撃態勢をとった。


 先手を取ったのはジョウだ。無造作に踏み込み、刀を振るう。手負いの女はどうにか受けるのが精一杯だ。頭上からの一撃を押し留める。ジョウはガラ空きの胴を短杖で殴打した。何かを砕く手応えが伝わる。フェイカーは衝撃で呻いた。くの字に体を折り、不恰好に転がって距離をとった。


「隠れなきゃ弱えなぁ」

「どうして、魔法職、なんだ?」

「それを知る意味があるのか? お前が知る必要があるのは死ぬ、ということだけだ」


 先刻の問答と同じセリフを返す。髑髏の下からは歯噛みの音が届いた。


 ジョウは短杖を向ける。フェイカーは身構えた。満身創痍の体で防ごうと試みる。


 短杖の宝珠が淡く瞬いた。来る、と考えた瞬間予想外の方向から衝撃を受ける。正面ではなく斜め後ろだ。攻防の中で弾いたピックが刺さっている。HPバーは消し飛び、何故と口にする間もなく意識はアバターから離脱した。


「……よく勝てたな」


 独り言を呟く。あのフェイカーはジョウを付け狙うだろう。次も防げるか自信はない。どうにか対策を立てねばと思う一方で不可能だろうなという考えが頭によぎる。


 ため息をこぼして、ピックを茂みに抜き放った。スコン、と木に突き立つ。


「で、お前は?」


 茂みを鳴らして現れたのは身なりの良い男だ。丁寧な物腰でジョウに依頼があると告げた。

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