サキコとカルマ

駒野沙月

サキコとカルマ

「咲子さん咲子さんっ!カルマ先生の新刊が入ってますよ!」

「後で聞いてあげるから、仕事しようね恵美ちゃん」

「はぁ~い…」


 静かに窘めれば、明るく染めた茶髪をポニーテールにした少女は売り場へと向かって行く。

 全国でチェーン展開している、ある程度知名度のある書店。その小さな支店が、今の私の職場である。


 今日のシフトは大学生バイトの恵美ちゃんと二人、閉店まで。

 他の職種に比べれば幾分か暇そうなイメージを持たれがちな書店だが、入荷した商品の品出し・返本作業・店内整理・レジ打ちなど、仕事は意外と多い。

 それに、書店員という仕事は曲がりなりにも接客業。お客さんへの応対だって、立派な業務の一つである。


「ふぅ…」


 なのだけれど。

 売り場に向かおうとして立ち上がったところ、ついついそんな風に息をついてしまった。

 近頃はどうにも体が重く、少し動いただけで息が上がってしまう。睡眠はしっかり取っているし、仕事で充分動き回っている筈なのに。…そろそろ、私も歳なのだろうか。


「咲子さん、お疲れですか?」


 ほとんど無意識のうちに、今度は別の意味で息をつけば、恵美ちゃんが心配そうに声をかけてきた。三十路近くにもなると、本の入った段ボールを軽々と抱えられるその若さが羨ましくなってくるものだ。


「うーん…最近なんか寝れてない感じがするのよね…」

「大丈夫ですかあ?無理しちゃ駄目ですよ」

「ええ、ありがと」


 書店にだって意外と仕事はある。しかし、夜にもなればその客足はまばらになるものだ。

 そもそもが都会の中心部から外れた小さい店だ。中央の店舗と比べれば客足はどうしても落ちるし、電子書籍が流行して書店に足を運ぶ人が減ったこの時代では、その問題はより一層深刻である。


 だから、という訳でもないが…その日の業務が終わってしまっていれば、この時間店員は暇になる。

 学生バイトの子たちはその時間を使って勉強したり読書をしたりして時間を潰すらしいが、今日の恵美ちゃんはというと。


「…ですから、カルマ先生の作品はですね、」


カルマ先生推し作家』について、熱弁していた。


 新進気鋭のライトノベル作家、カルマ。

 とある小説投稿サイト出身の逸材にして、空前の大ヒットを飛ばした処女作がそのまま出版へ…という経緯でデビューした作家だと、恵美ちゃんから聞いた。


 それだけ聞くと、どんな天才なのだろうかと思う所だが、カルマ先生は典型的な覆面作家であるようで、本名も年齢も、一切の個人情報は不明。この情報社会でそこまで秘匿にできるのは素直に凄いと思うが、未だに性別でさえ分かっていないらしい。


 恵美ちゃんは彼(彼女?)の熱狂的なファンであるようで、新刊が出ればその日の内にこの店に買いに来るし、新刊が出る度に毎回こうしてカルマ先生談義が始まる。

 その熱狂っぷりは凄まじく、以前は特にお願いしたわけでもないのに、「店に置いてください」と手書きのポップまで作って来たこともあったほどだ。その時は、「ほんとに好きなのね」と他の従業員と苦笑してしまったが、実際この店舗のカルマ氏の著作の売れ行きは良好だ。恵美ちゃんのポップ効果は凄まじい。


「発想は独創的だけど文章はめっちゃ丁寧で、尖ったところもあるけど優しいんですよねえ。色々と過激な部分もありますけど、きっと先生の素はそっちなんだろうな~と私は思ってます」


 …と、恵美ちゃんは言うが、カルマなんていう厨二的な、ちょっといかつさすら感じる名前からは、彼(彼女?)がそんな優しい文章を書く人にはどうしても思えない。おそらく、というかほぼ確実にペンネームだろうが、何を思ってそんな名をつけたのか、理解に苦しむ。


「咲子さんも一回読んでみて下さいよ、絶対ハマりますって」


(そういえばあそこ見えにくいよなあ、配置変えた方がいいかも。担当の人に言ってみた方がいいわよね…)


「…ええ、そうね」


 恵美ちゃんのカルマ先生談義もこれで5回目。店のレイアウトを眺めつつ、半分受け流すように話を聞いている内に、つい、そう答えてしまっていた。


 気づけば、目の前で恵美ちゃんが目を輝かせている。言質を得たぞとでも言いたげな…いや、もっと無邪気な笑顔だった。

 別の意味で、断れない奴だ。


「じゃあ、これ貸しますね!いつ返してくれてもいいですから!」


 適当に答えるんじゃなかったと後悔しても、もう遅い。恵美ちゃんから渡されたのは、文庫サイズの本だ。

 この店のブックカバーのかかったそれは、現在この店に大量に最新刊が入荷されている作品の一作目だ。確かカルマ先生の処女作となった作品のはず。


 どうしてこうも都合よく持っているのか、と思わなくもなかったが、この子のカルマ先生への熱を考えれば、それもおかしくはないかとこの時は納得してしまった。


 ◇◇◇


(若いなあ…)


 恵美ちゃんに押しつけられたその本の、読了後の第一声(厳密には、声は出していないのだが)は、それだった。


 面白い。確かにこの小説は面白かった。

 若者向けの作品ではあるが、ある程度歳のいった人間でも十分楽しめる、深くて壮大なストーリー展開。恵美ちゃんの評価はけして間違っていなかった。

 情景描写はこれでもかと言わんばかりに丁寧かつ緻密だし、一回読むだけでするすると頭に入って来るようなワードチョイスとその組み合わせも絶妙だ。少々過激な所もあるけど基本的には優しい、それも確かだろう。


 …ただ。


 読んでいて感じた。カルマ先生は自分の作品を、つまりは自分の作る世界を、心の底から愛している。

 だからこそ、これほどまでに素晴らしい文章が生み出されているわけだが…それこそが、「若い」と感じた理由だった。


 カルマ先生の描く、確かな技術と発想力に裏打ちされた、自信と愛情に満ちた華やかな世界。

 その世界が、三十路を越えた人間にはとにかく眩しくて仕方なかったのである。


 ベッドに寝転がって読んでいたその本が、急に重たくなったように感じる。とりあえず一旦仕事用の鞄に仕舞い、私は別のバッグからノートパソコンを取り出した。

 このパソコンは大学進学を機に購入したものだが、今でも時々引っ張り出して動画を見たり仕事に使えそうなものを探すのに使っている。

 そういえば、最近はやけに電池の減りが速くなってきたような気がする。買ってから結構経ったしそろそろ買い替え時だろうか、とは思っているのだが…。決して安くはないし今の生活にそこまで必要ではないというのもあって、中々買い替えに踏み切れずにいるのである。とりあえずはまだ使えるからいいことにする。


 仕事関係の作業でもしようと、私はパソコンを開く。どうやらスリープ状態になっていたようで、ディスプレイには私の好きな画像が設定されたロック画面がすぐさま表示された。

 前回電源オフにしなかったっけ、と不思議に思いつつも、特段気にはかけずに普段通りパスワードを打ち込む。


 数秒の読み込みを経て、パソコンが開いた。

 ロック画面同様、好きな画像でカスタマイズしたデスクトップが私を迎えてくれる…筈だった。


「…なによ、これ」


〈それ〉を目にした私は、思わずひとり呟いていた。

 見慣れたデスクトップのど真ん中で開かれていた、見知らぬファイル。パソコンに元々インストールされていたメモ帳アプリであろうそのファイルは、小さな黒い文字で埋め尽くされていた。

 埋め尽くされている、と言っても、その文章は改行と空白が適度に駆使されており、思っていたより見やすい文章となっている。


「…ん?」


 恐らく小説だろうか、でもこんなもの書いた覚えはないのに…などと思いつつも読み進めていると、いつしかその文章に既視感を覚えた。


 どこが、と言われても絵のように一目で分かるようなものではないため説明はしにくいが。強いて言うなら、文体、記号の使い方、改行するタイミング…とかだろうか。何よりも、このキャラクターの名前に見覚えがある。


 もう少し読み進めた末に、そこで私は確信する。

 間違いない。私は、この少年を


 この文章の正体についての確信と、今もなお消えない疑問を抱きつつも、私はファイル名を確認しようとポインターを移動させる。

 しかし、開いたフォルダにつけられた名称に目を向けたその瞬間。


 ─そこから、〈私〉の記憶は途切れている。





「ふぁ~あ…よく寝た」


〈彼女〉は起き上がると、んん、と声を漏らしつつ伸びをする。

 やはり眠そうに欠伸をした〈彼女〉は立ち上がろうとするが、パソコン画面の右下に表示された日付が眼に入ると、焦ったように呟いた。


「やっば、締め切り明日じゃん。急がないと」


〈彼女〉はパソコンの目の前に座り直し、塗装の禿げかけたキーボードを叩いていく。

 時々考え込むように手を止めつつも、リズミカルな〈彼女〉のタイプ音が部屋に響く。


 小さなウインドウで表示されたファイルが小さな文字で埋まっていくのに合わせて、ほんの数秒前までは眠たげにぼんやりしていた〈彼女〉の瞳は、生き生きとした輝きを宿していく。





〈彼女〉の名は、"カルマ"。

 書店員・宮下咲子が所持するもう一つの名前にして、彼女が知ることのない"覆面"でもある。

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サキコとカルマ 駒野沙月 @Satsuki_Komano

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