18

凄まじい雪崩が押し寄せる轟音の中で聞こえてきた声の後――。


まばゆい光がルシールたちのことを包んでいた。


まるで太陽がかすむほどの輝きに目がくらみ、雪崩が止まるとそこには、金髪碧眼の小柄な人物が、雪崩からルシールたちを守って立っていた。


手の平をかざし、光の障壁を出して、大量の雪と土砂どしゃを防いでいる。


「あぁ……あぁ……あぁぁぁッ!」


ルシールは、その人物の姿を見て涙ぐんでいた。


彼女たちを光の障壁――魔法で守った人物は、振り返るとその整った顔で笑みを浮かべた。


体は女性であるルシールよりも小さく少々頼りない印象だが、彼女にとっては自分を産んでくれた両親よりも、大げさにいえば神よりも安心できる笑顔だった。


「こんなに傷ついて、かなり無理をしたんだね、ルシール。何はともあれ、君が無事でいてくれて嬉しい」


ずっと聞きたかった声。


ずっと見たかった顔。


極寒の辺境へと嫁入りし、会えることを心待ちにしていた人――現れた人物は、リュックジール·シィベリーランドだった。


「リュ、リュックジール……。ですが、私は結局あなた……」


やっと対面できた夫に返事していた途中で、ルシールは気を失ってしまった。


すでに心も体は限界がきていたため、彼女はその場に崩れ落ちる。


雪の地面に倒れる瞬間、リュックジールがルシールを支える。


その小さな体で、両腕で彼女を抱きしめるように。


「本当に……本当に頑張ってくれたね、ルシール……」


――意識を失ったルシールは、夢の中にいた。


それはまだ、彼女が王都にいたとき――魔王軍との戦争後の頃の夢だった。


「キャー! ルシール様よ! ドレス姿なのにどうしてあんなに凛々しいのかしら!」


「今日も素敵ね! あの燃えるような赤い髪なんて、まるでルシール様に秘めた情熱を表しているかのようだわ!」


ルシールは騎士として、魔王軍から王都を守る立場にいた。


代々騎士という家柄もあって剣を取り、女性ながら若い頃から魔王軍との戦いを続けていた。


そして魔王が勇者に倒され、世界が平和になったため戦う必要がなくなった後――。


ルシールは王都中の女性の憧れの的になっており、その人気ぶりは、流行りの舞台俳優すら軽く超えていた。


彼女が現れれば黄色い声援が飛び交い、どんな容姿ようし端麗たんれいな貴族も、屈強な体を持った騎士も霞んでしまうほどだった。


そんな女性人気とは反対に、ルシールの男性からの評価は低かった。


おそらく嫉妬しっともあったのだろう。


王都の男たちは、国を守った英雄である彼女をけして邪険じゃけんに扱ったりはしなかったが、それでも距離というか、深い溝ができていた。


その影響もあって、平和になった後でも、ルシールに婚姻こんいんの話は一切来なかった。


彼女の家は代々騎士を輩出してきた由緒正しき家系で、王都内でもかなり高位の身分だったが、その評判のせいで、他国の男ですら避けていたようだ。


ルシールの両親は、そうはいっても器量も良く教養もあって、男性を立てることができる娘の心配はしていなかった。


いずれ政略結婚という形でも、必ずルシールを妻にほしいという男が現れると、楽観的に考えていた。


だが数年が経っても、そんな男は現れなかった。


「お前は母さんに似て美しく性格も良いのに、どうして結婚できないのか……。やはりあの評判のせいなのか……」


「そんな評判はすぐに消えると思っていましたが、どうやら私たちは噂話を甘く見すぎていたようですね……」


このままでは婚期を逃してしまう――。


そう思ったルシールの両親は、急に不安に駆られ始め、娘に努力するように言った。


淑女しょくじょとしての立ち振る舞いを一から学ぶように言い、必ず男の一歩引いて発言するようにと、ルシールに強制。


彼女は魔王軍との戦いで、ずっと短くしていた髪も長く伸ばし、殿方とのがたが喜ぶ露出の多いドレスを身に付け、朝は淑女になるための勉強、夜は若い男女が集う舞踏会へと参加した。


しかし、そんなルシールの努力も虚しく、相変わらず男たちは彼女によそよそしいままだった。


そんな日々が数年は続いた頃――。


実家であるシルドニア家でおこなわれた夜会で、一人の男がルシールに声をかけてきた。


「こんばんは。ルシール嬢。僕の名はリュックジール·シィベリーランドと言います」


女性であるルシールよりも背の低い金髪碧眼の男性――リュックジール。


彼は極寒の辺境の地にあるシィベリーランド家の跡継ぎとして領主となり、各地を仕事で回っていると、自分の身分、素性を話した。


ルシールはリュックジールに丁寧に返事をしながらも、内心ではあまり彼のことをよく思っていなかった。


その理由は、どうせまた社交辞令だと思ったからだった。


辺境の田舎貴族が、少しでも王都に住む貴族と繋がろうとしているのだろう。


ましてや自分は男に避けられていると噂の令嬢。


くみやすいと考えるに決まっている――ルシールはそう考えていた。


だがリュックジールは、彼女のそんな想像を粉々にした。


談笑しながらグラスが空けばすぐに用意し、ルシールを淑女しゅくじょとしてエスコートしたのだ。


そのときは会話をするだけで終わったが。


それからというもの彼女は、リュックジールのことばかり考えるようになってしまう。


「ルシール様ったらぼんやりしちゃって。またあの辺境の領主のことを考えてるんですか?」


「な、なにを言うのミミ! 私は別に彼のことなんて――ッ!?」


「やれやれ。一回女扱いされたくらいでこれだぁ。まったく、どんだけチョロいんですかぁ、ルシール様は」


それは、専属メイドのミミも呆れるほどの重症だった。


それからミミは、ルシールがリュックジールに気があるという話を、彼女の両親に話した。


話を聞いた両親はすぐに舞踏会を開き、リュックジールを招待することに。


「ルシール様。ご両親に頼んで、あのリュックなんとかいう田舎の領主を呼んでおきましたよ」


「えッ!? なにを勝手なことを!? あの人はとっても忙しいんですよ! それなのに勝手にお誘いして……。断るのだって気を遣うのですよ!」


「そんなこと言ってぇ。ホントは嬉しいくせにぃ」


「ミミッ!」


「ひゃー! ルシール様が怒っちゃった! 逃げろぉぉぉッ!」


手紙を出してからすぐに返信があり、予定が合えば是非にと、リュックジールの了解を得た。


どうやら丁度、王都近くまで来る仕事があったようだ。


そして、舞踏会の当日。


いつになく緊張していたルシールは、リュックジールと再び顔を合わせた。


「お久しぶりです。リュックジール様」


「こちらこそお久しぶりです、ルシール嬢。お元気そうで何より」


その舞踏会から、ルシールとリュックジールとの手紙のやりとりが始まった。


彼が王都へ立ち寄るときには、シルドニア家へと招き、そのときの夜会で一緒に踊ったりもした。


互いに少しずつ距離を縮めていき、関係を深めていく。


ルシールにとって、魔王軍と戦っていた頃からは考えられない幸福な時間が、そこにはあった。


二人が出会ってから数ヶ月後――。


ついにリュックジールのほうからルシールへ告白した。


これから自分の妻として共に領を守り、シィベリーランド家を盛り立ててほしいと。


ルシールの両親としては、リュックジールを王都に招いて、彼を王の側近として推挙すいきょするつもりだったようだが。


ルシールはそんな父と母に向かって、リュックジールのもとへ行くと答えた。


極寒の辺境がどのようなところなのかはわからない。


領主夫人が何をするのかも知りもしない。


だけど、それでも自分は彼の育った土地で生きていきたいと、反対する両親を説得した。


その後、強引についてきたミミを連れ、ルシールはシィベリーランド領へ嫁入りしたのだった。


「うぅ……。リュックジール……?」


「お目覚めのようですね。残念ですが、リュックジール様はもう出てしまいました」


魔獣――ブリザード·ウルフや雪崩の事件後――。


ルシールが意識を取り戻したのは、事件から三日後だった。


シィベリーランド領の伝統的なお祭り――雪の殺到スノー·スタンピートは無事に終わり、ルシールが目覚める前に、リュックジールは仕事に行ってしまったと、ノエラから聞かされた。


さらにルシールたちが助けた子どもたちも無事で、あれだけ彼女を毛嫌いしていたランゼも心配していたと伝えられる。


「そうですか……。子どもたちが無事でよかったです……。ランゼさんにも、改めてご挨拶をしなければいけませんね」


だが仕方がないこととはいえ、やはりルシールは俯いてしまう。


リュックジールはもういないのだと。


ノエラはそんなルシールを見て小さくため息をつくと、再び口を開いた。


「ルシール様。そちらをご覧ください」


ノエラに言われるがまま見た先には、花が飾られていた。


真っ赤な花が、質素ながら上品な花瓶に生けられている。


その花の数は凄まじく多く、もし子どもが花束にして持ったら隠れてしまいそうなほどだった。


ルシールが見舞い用にわざわざ用意してくれたのかと訊ねると、ノエラは笑みを浮かべて言う。


「リュックジール様がルシール様へと」


「彼が……?」


少し戸惑っているルシールに、ノエラは話を始めた。


赤色の花はバラであると。


「ルシール様は花言葉というものを知っていますか?」


「花言葉ですか……。すみませんけど、私はそういう分野に疎くて」


「では、説明させてもらいますね」


赤いバラの花言葉は“愛情”。


そして、365本というバラの花の数には 花言葉で“あなたが毎日恋しい”という意味がある。


この花束は、リュックジールからルシールへの無言のメッセージだと。


「そ、そんな意味が……」


ノエラが説明を終えると、ルシールは押し黙ってしまい、そのほおを染めていた。


側にある赤いバラに負けないくらいに顔が真っ赤になっていた。


それからルシールはもじもじと俯きながらも、バラの束をチラチラ見ては、そのたびに顔を赤くしてた。


「あぁぁぁッ! やっと起きたんですね、ルシール!」


「やれやれ、騒がしいのが来ましたね……」


そこへミミが部屋に入ってきて、ノエラは大きくため息をついた。


ミミはそんな彼女のことなど気にせずに、ベットにいるルシールに声をかける。


「でも、すっごい顔が真っ赤ですね。変だなぁ。熱は下がったってお医者さんが言ってたのに?」


「そ、そうですね! どうやらまだ熱っぽいようなので、少し一人にしてもらえないですか!」


ルシールは毛布を被り、自分の顔を隠した。


ミミはなぜ彼女がそんなことをしたのか意味が分からず、小首をかしげている。


ノエラはそんなミミの首根っこを掴むと、ベットにいるルシールに背を向けた。


「ほら、行きますよ。ルシール様はお一人になりたいようですから」


「えぇッ!? そんなッ!? 三日ぶりに顔を合わせたのにもう面会終わりですか!? ルシール様は顔が赤いだけで元気そうに見えるのにッ!?」


「あなたには仕事があるでしょう。ルシール様が働けないんだから、その分あなたが頑張らないと」


ノエラは暴れるミミを連れて、部屋を出て行った。


毛布から顔をのぞかせ、去っていった二人のメイドを笑みで見送ったルシールは、側にあったバラの花束に手を伸ばす。


バラの香りを嗅ぎながら、ルシールは思う。


これは、彼が初めてくれた贈り物――。


迎えが来るのを無視して、勝手に領の屋敷へと来た。


そのせいで、ろくに式も披露宴もやれていない状態で、数ヶ月が経っていたのでいろいろと忘れていたけど……。


リュックジールは、彼なりに自分のことを考えてくれていたのだと。


「雪が降ってきましたね……」


ふと窓の外を見ると、晴天に雪が降り出していた。


ルシールにはその光景が、雪の粒が陽を浴びて、まるで一つひとつが光の雨のように見えた。


思うのはそれだけではない。


あのとき――雪崩から自分と子どもたちを救ってくれたリュックジールが放った光を、彼女はつい先ほどのことのように思い出す。


「ねえ、リュックジール。今度はいつ会えますかね……」


ルシールは視線をバラの花に戻すと、夫の名を口にし、花に声をかけた。


〈了〉

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令嬢騎士の嫁入り~極寒の辺境はあたたかい人ばかりでした~ コラム @oto_no_oto

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