濁点の有無

@HasumiChouji

濁点の有無

「あれ?」

「前畑さん、どうしたの?」

 客先への移動中に打ち合わせ用の書類を確認してると、変な記述が有った。

『下記の条件A条件Bを満たしている場合に処理1を行なうように修正しました』

 納入したプログラムで不具合が起きたせいで、設計部署の古橋課長と品質保証部の課長である俺が、不具合の原因と対策を客に説明する事になっていた。

 それなのに……。

「あ……マズい。設計そっちが審査・承認のハンコ押して、品証ウチでも確認してる筈なのに、こんな、しょ〜もない誤字が……」

「どこ?」

「ここ……『下記の条件A条件Bを』の間違いだよね?」

「えっと……そう書いてあるけど?」

 へっ?

 あれ? さっきは、たしかに、そう見えたのに……疲れ目かなぁ?


 朝は曇り空だったのに、客との打ち合わせが終る頃には……青空が広がっている。

 けど、少しも爽快感を感じられない。

 まぁ、それだけ、客に絞られた訳だが……。

「お客さんとの打ち合わせ、さっき終った。定時前には戻れると思うけど……そっち、何か問題有った?」

 俺は、ウチの会社に、そう電話する。

『大した事じゃないですけど……河西さん、とうとう無断欠勤ですよ』

「仕方ねえなぁ……鬱なら休職するって手も有るのに……」


「さっきの電話、河西さんの話? そっちに異動しても酷いの?」

「まぁね……」

 河西は、俺や古橋課長と同期入社だった。

 新人研修では、すごく優秀だったのに、現場に配属されてからは失敗続きだったらしく……。

 そして二〇年……俺達は課長になったのに、河西は係長にさえなれないまま。

「こまったもん……ん?」

 何故か視界に……黒い斑点がいくつも見えた。


 どうやら、「か」という文字が「が」に見えたのも、このせいだったらしかった。

 土曜日に目医者に行ったら……。

「眼球内で内出血が起きてますね。それも、複数箇所で」

「へっ?」

「高血圧が原因の可能性が有ります。総合病院に行って健康診断を受けて下さい。紹介状は診療費の支払いの際にお渡しします」

 だが、これは大事おおごとの始まりだった。


「なるべく早く入院して下さい。とんでもない高血圧と高血糖です」

「え……えっと……」

 更に次の土曜に、総合病院で健康診断を受けると、担当の医者から、そう言われた。

「入院可能なのは、いつからですか? こちらは、すぐにでもベッドを空けます」

「い……いや……あの、その……そんなに大事おおごとなんですか? 私にも仕事が……」

 医者が俺を見る目は……「この馬鹿に、どう説明すりゃいいものか?」とでも言いたげなモノだった。


「あんたさ……お医者さんにも少しは運動しろって言われてんでしょ。あたしが入ってるのと同じスポーツジムに通ってみる?」

 入院は1ヶ月以上に及び、退院早々、嫁にそう言われた。

「そうするかな?」


 嫁が入ってるのと同じスポーツジムに入会して……最初の日。

 入会したはいいけど……器具の名前さえ良く判らない。

 えっと……ランニング・マシンみたいなヤツは……案内を見ると……ドレッドミルって言うのか。

 一番軽いコースにして……走ると言うより、歩くぐらいなのに……くそ、体がなまってる。

 ああ……一応は……学生の頃は、趣味程度のスポーツはやってたのに、その頃の「貯金」は無くなってるようだ。

 その時、スマホに着信音。

『どんな感じ?』

 嫁からだった。

「今、ドレッドミルってのを使ってる」

『へっ?』

「だから、ドレッドミル」

レッドミル』

「えっ?」

レッドなら「歩く」の意味だけど、レッドだと「恐怖」よ。「恐怖の機械」って何よ?』

「あれ? おかしいな……目の治療もした筈なのに……。ああ、くそ……そんなに走ってないのに、もうヘバってきた……」

「そうか……。だが、止まったら終りだぞ」

「えっ?」

 その妙な……けど、聞き覚えが有る声の方を見ようとしたが……。

「おっと、後ろを見るのはオススメ出来ないな。歩き続けろ、そうしないと死ぬぞ」

「お……おい……待て……その声は……」

 な……なんで……こんな所で……河西の声が……?

「前畑ガンバレ。前畑ガンバレ。前畑ガンバレ。ほら……バテたら……今、俺が居る場所に御案内するぞ……」

 じゅるっ……。

 その時……俺の首筋や肩や足や背中に何かが触れたと同時に……そんな音が聞こえたような気がし

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