鶴を折る

isia tiri

千羽鶴と原爆

私はこの十七年、何羽の鶴を折っただろうか。

一羽一羽にどれほどの平和を願い折っただろう。

私は鶴を折ることで何をなそうと思ったのだろう。


どれほど考えても鶴を折るということは平和を願うため、ただそれだけだ。



小さいころから習慣のように原爆の日に向けて鶴を折っていた。学校で配られる折り紙を私の手で鶴へと生まれ変わらせていた。


「折る」と「祈る」

漢字が似ていることに私は勝手にも意味があると思った。小さいころから平和を祈って鶴を折っていたからだ。そう思ってしまうほど鶴を折ることは平和を祈ることであるのだ。



『鶴=平和のシンボル』


私たちは鶴に平和の願いを込めた。

「世界平和」

「核兵器消滅」

「戦争のない世界」

時には鶴を折る前に折り紙に「平和への願い」を書いてから折っていた。それぞれの言葉でそれぞれの想いを鶴に込めた。そして毎年その鶴たちは平和記念公園に捧げられる。一つ一つ当たり前のように平和を願いながら折った鶴を。


『千羽鶴』


全校生徒力を合わせて千羽の鶴を折るのだ。ほど遠いような作業のように思われても、何百人もの生徒によっていとも簡単に作り出される。

その千羽鶴が県内ほとんどの学校から捧げられるのだ。もちろん広島でも。

そうするとどれほどの千羽鶴が集まっているのだろうか。どれほどの平和への願いが込められているのか。そしてなぜ千羽鶴を折るようになったのか。


鶴は千年、亀は万年。皆さんも一度は耳にしたことがあるだろうことわざ。鶴は千年と言われていることから縁起がいいと言われ、長寿祈願や病気平癒などの意味が込められている。

そして鶴が今のように平和記念公園に捧げられるようになったのには大きなきっかけがある。私が生まれ育った長崎ではなく広島での話。


広島にある原爆の子の像を知っているだろうか。

私はまだ一度も広島に行ったことがないので直接見たことはないが、写真で見て話を聞いたことがある。



ナガサキに原爆が落とされる前、八月六日八時十五分、ヒロシマに原爆が投下された。

そこで当時二歳で被爆した佐々木禎子さんの話になる。

禎子さんは、被爆による傷ややけどはなく十年間は何事もなかった。しかし十二歳で白血病と診断された。原爆による後遺症は恐ろしいものだと私はこの話を聞いた時改めて思った。元気に過ごしていたのにいきなり白血病と診断されるのだから。放射線という見えないものに体は蝕まれていたのだ。多くの被爆者が白血病によって亡くなった。

禎子さんはそのうちの一人だ。

それでも元気になると信じていた禎子さんは鶴を折り始めた。鶴を千羽折ると病気が治るということを信じて。

しかし、発症から八か月後、禎子さんは永い眠りについた。

そのことを禎子さんの同級生は悲しんだ。記念碑を建てられないかと思い、それは多くの人を巻き込んだ。そこで原爆の子の像を造ることに至ったのだ。


原爆によって亡くなった子供たちの霊を慰め、世界の平和を祈るために。



原爆の恐ろしさを物語る像であると私は思う。


そして今、多くの千羽鶴が捧げられている。

過去を忘れないために、私たちは平和を願っている。


また今年も鶴を折った。

何羽も何羽も平和を鶴を折った。


私は、長崎に産まれたことをうれしく思う。

なぜなら長崎は私に戦争を教えてくれて命の尊さを教えてくれた。生きること死ぬことを教えてくれた。平和を願うことを教えてくれた。


鶴を折ることの意味を教えてくれた。


知ってほしい戦争を。願ってほしい平和を。



ほら今日も見えない空を鶴が飛んでいる。




「♪はばたけ折り鶴 私からあなたへ 

はばたけ折り鶴 あなたから世界へ♪」

(曲名:折り鶴 作詞作曲:梅原司平)

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