3 にじいろの鱗

 どういう運命の巡り合わせか、隕石は私の元にも降ってきた。

 ユヒ・カレンがやってくる。

 撮影を兼ねたサイン会が電車で一時間ぐらいのとこでやるゆう話が飛び込んできた。カレンはどこいっても目立つから、ほんならいっそ大々的にしてまうゆうんが本人のスタンスらしい。ちぃちゃんは聞くまでもなく、興味ないゆうて素っ気なかった。けど、私は一回でええからあの子に会ってみたかった。別になんかしてほしいとかなくて、私もこうなれたかもしれん、ゆう可能性を間近でみせて欲しかった。話を聞いた夜には、サイン会の抽選に応募した。

 一か月後の土曜日、私は大勢のファンと並んで、写真集を胸に抱えとった。私がファンかと問われると、素直に頷けない。可愛いけどあの子みたいになりたいのとはちがう。異性のファンが抱く好意みたいなんとも。たぶん羨ましいんやと思う。堂々とお日様の元に、鱗を晒せる日はこんやろうから。

 列が短くなるにつれ、単なる整理要員とは違うボディガードが目に付く。そこには彼女を取り巻く緊張感のみたいなんがあった。身分証の確認、持ち物検査、ボディチェック、挙句の果てに病歴や体温まで調べられた。待機列で並ぶ間にも、泣きながら退場させられるファンを幾人も見送った。

 サイン会のブースは衝立で仕切られて、外からは覗けないようになっていた。そこにカレンがおるゆうことが想像しにくくて、騙されているような気さえした。ほんまはカレンなんておらんくて、入ったら赤の他人が待ってて、ドッキリのネタばらしされるみたいなんを何度も考えた。

「やった、同い年ぐらいのファンで、しかも女の子だよ。嬉しいなぁ」

 カレンは私をハグで迎えた。スーツを着たふたりのボディガードが慌てとったから、誰にでもするわけではなさそう。

「右沢有美、17歳で同級生、です」

 固まったまんま、私は半自動的に自己紹介を述べた。

 直にみるカレンは画面越しや写真集でみるより、異物感が強烈で、脳がおかしくなったと錯覚するほどやった。まるでニンゲンでないものと対面しとるのに、まるでニンゲンのように喋ってコミュニケーションとれることが不思議でしょうがない。宇宙人とのファーストコンタクトのほうが上手くやれるんちゃうかってぐらい。

 カレンは下着同然の薄着で、自分をいかんなく発揮していた。

 彼女が表情を変える度、四つの胸も動きを合わせ、お腹を覆う蛇皮はライティングにうねった。

「有美、あなたも雑種でしょ」

「え? な、なんで……」

 出し抜けに言われて、心臓を掴まれた気がした。だって、ちぃちゃんにも明かしたことのない、細胞レベルの隠し事だ。会ったばかりのカレンに言い当てられて、思わず腕を庇った。

「安心して。ここでは隠す必要ないよ」

 彼女が合図を出すとボディガードがブースから下がって行った。

「実はね、このサイン会は事前にひとを選んでいるの。治療の記録って残りやすいから。地方で撮影するフリして、仲間を探し回っているわけ。秘密を隠して生きてる子は少なくない。私はそんな子たちを励ましたい。私の姿を見せて、誰に恥じることも、怯えることもない世界に変えてみせるって約束するの」

「でも、カレンみたく、カワイくないから」

「遺伝子組み換えしてる子は、表面にみえる数よりずっと多い。数十年前と比べて顔形の整った子供が随分と増えた。親が子供にすら隠して弄っていることは珍しくない。ほんの一部、容姿や能力に関する遺伝子を操作して、表出しない例なんてごまんとある。『私たち』はもっと、ずっとたくさんいる」

 上着のボタンに手が掛かる。丁寧な、でも有無を言わせない手つき。私を覆っていた膜が引き剥がされ、何年も押し隠してきた秘密が日の元に晒される。生えかけた鱗は、光の加減で肌の上に薄く小さな虹色の欠片を落す。アスファルトからにじみ出た、薄汚れた油染みみたいに。

 思わず目を背けた。私にとっては醜さと痛みの象徴やったから。

「私たちの痛みは、いずれ裏返る」

 カレンの柔らかい唇が、そっと私の鱗に触れた。腕に触れた刺激がつま先まで痺れさせた。

「怖がらないで。この鱗が隠れた仲間を探し出すランドマークになる。有美は私たちの旗頭になるの」

 カレンは私を優しく誘惑する。夏でも長袖を着なくていいように。

「世界は常に変わり続けている。身体も、心も。遺伝子だって例外じゃない。人間的だとか、日本人的だとか。固執するのは愚かなことよ。この鱗はきっと出会わせてくれる。有美が思っているよりもたくさんの仲間に。だから、隠さなくていいよ」


 翌日、私は今まで一度も着ることがなかった夏服に袖を通した。半袖は風にあおられ、肌と鱗を日に晒す。それは川底で泳ぐ魚みたいにきらめいて、遠目には小さな宝石にもみえるやろうか。カレンが私にくれたモンは、自信とか肯定感やなくて使命やった。私にしかできんこと。言い出せなくて、人の目を恐れて、私みたいに痛がっている仲間を見つけ出すこと。

 嬉しかった。私にも、醜いと思てた鱗にも、意味が与えられたことが。

「ちぃちゃん、はよぅ」

 私は勇気を出した。ほんまは一番の親友であるちぃちゃんに認めて欲しかった。これは鱗なんかやない。染みやない。痛みやない。ずっと望んでいた。

「なんで」

「え?」

「なんで、やめてしまうん?」

 身体の痛みなんて。身体と心は繋がってる。当たり前やんか、心も体の一部なんやから。そないなこと、わかりきってたはずやのに。涙はこらえきれんかった。じんと、勝手に目尻から滲み出した。

「ずっと努力してきたやんか。身体かて心の形なんに、どうしてやめてしまうん? 急に変わられたら怖いって。有美のこと、わからんくなってしまうやんか」

 ちぃちゃんの手には、先の細いペンチが握られていて、その鉄の指先には今しがた私から引き抜いた鱗が挟み込まれていて。血が――。

「ねぇ、あんまひどいことせんとってよ」

 ちぃちゃんはその鱗を、ポケットから取り出したジャムの空き瓶に入れた。空き瓶の底にはたくさんの、何十枚もの鱗が、身体から引き抜かれてきたにじいろの鱗が溜まっていた。

「ウチ、ずっとみてきたよ。有美がフツウになろうと努力してきたこと。ね、今までずっと友達やったやんか。わかっとるよ。だから、努力することやめんでや。フツウにしてくれんと、怖くてよう付き合えんやんか」

 私が隠して捨ててきたはずの鱗やった。だれにもばれんように、抜いたあと側溝に捨てたり、地面に埋めたりしてきたはずの。ちぃちゃんは真新しい鱗を、そのコレクションに加え入れた。

「よかった、これでいつも通り。フツウやね」

 身体の形と心が繋がっているんなら、目に見える人間のカタチは、人間のそのものが、痛みのカタチをしているんやと思った。

 ちぃちゃんは笑ってくれた。

 私はまた鱗を引っぺがした。

 よかった、これで仲直りや。

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不安系遺伝子たち 志村麦穂 @baku-shimura

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