2 新種

 日本では早いうちからジーン・クリーニングでの医学的施術が認められとったけど、ゲノミック・タトゥーに関しては忌避感を抱くひとが多く広まっとらんかった。海外ではエルフ耳や尻尾つきなんて遺伝整形まで流行って、もはや新たな人種を形成するまでになった。遺伝子組み換え人種のコミュニティゆうんか、NPO団体みたいなんも発足して、自らニュースピーシーズを名乗る新世代の子供たちもいた。

 日本は案外狭量な価値観があって、大和魂ゆうんかわからんけど、純和人血統主義みたいなんが流行した。教科書もしれっと改変される向きがあって、和人のルーツであるところの、大陸系渡来人との交雑やとか、南洋系人種との交流がぼかされるようになった。

 ちぃちゃんは遺伝子組み換えの特集を見かける度に、決まって例の口癖をゆった。

「こんなんして、目立って、なんかのときに槍玉にあげられたらかなわんで」

「なんかって、なに?」

「例えばスリとかで、耳の長いヤツを犯人の特徴やゆわれたとするやん。そんでエルフ耳遺伝持つ子が疑われる。ぜんぜん関係ないんに、やっぱ耳長は~ゆうて偏見受けたりすんねんで。だってわかりやすいやん? 敵意を向けやすいランドマークになると思うんよな。こんなん新しい差別生むだけやで」

「悲観的すぎひん? いっそのことみんなが遺伝整形したらええんちゃうん? そんなら耳とか尻尾とか鱗なんかの差、のうなんで。だって、みんなちゃうんやもん」

「それ、現実的やないやん」

 ちぃちゃんは存外リアリストなんや。流行ってるゆうたかて、遺伝整形にはそれなりの金がかかる。そない手術なんかやってられへん、ゆう層が人間のうちで大多数。現状は富裕層のお遊びか、金溜めてやるマイホーム建築みたいなもん。一般層でも弄る箇所を減らせば、私立の高校大学に入れることを考えるのと同じ感覚で手が届かんこともないけど。払った額にみあうかは、ひとそれぞれ。けど、目新しさ以上の価値があるゆう意見は多い。

「それに怖ない? うち、心と身体って繋がってると思う。心も臓器、身体の一部。 せやし、あないカラダいじくってしもうたら、もうニンゲンやなくなる気ぃすんねん。顔面整形かて、自分キレイに変えれる、自信がつくゆうけど、そんで誰かもわからん顔になるわけやろ? ジブンどこいったんやって。内も外もめちゃくちゃに弄れる時代になってさ。大事やん? 素のありモンとっとくのも」

 ちぃちゃんの意見もわからんくない。

 でも、弄ったひとの気持ちはもっとわかる。

 瑕をもって生まれたひとの痛みは自分のことのように。

 ちぃちゃんは特別かわいないけど、特別変わった傷やわるいとこもない。自分でフツウゆうぐらいやし、確かにフツウといえる外面しとる。はじめて会ったひとは、ウチの顔なかなか覚えられんのや、と冗談交じりに自嘲しとったぐらい。やからこそ、フツウが贅沢の味することもわからんらしい。

 別に責めたりはせんけど、そうゆうときは決まって、鱗の傷跡がじくじく痛んだ。

 そんなこんなでも私らはうまくやっとった。なんとなく日常を、潜在的な問題をはっきりさせんと、ぼんやりさせたままでやっていけとった。臭いもんに蓋とはまた違って、あえて触れようとせん。その時々でええように態度や意見を右左して、極力ぶつかり合わんようにしてきた。

 私らが曖昧に目をつぶってられんようになったのは、ひとつの切っ掛けがあったから。それは隕石が降ってきたぐらいのインパクトがあって、世間をめちゃくちゃに破壊するアルマゲドンやった。

 遺伝子組み換え児の雑種系モデル、ユヒ・カレンのデビュー。

 複合遺伝ノイズの、いわゆる変形障害をもって生まれた彼女が、ゲノミック・タトゥーに風当たりの強い日本でモデルとして登壇。最初に掲載されたのはとあるマニア向けの亜人系ファッション雑誌の読者モデルとして。カレンは読モデビューと同時にSNSも開設。急激に注目を浴びるようになった。

 横長の瞳、発達した副乳、ヤギの尻尾、蛇の鱗。

 両親が相当やらかしたと一目でわかる混ざり具合。初登場時は合成・加工か特殊メイクかゆわれるぐらいの変形ぶりやった。どっからどうみてもニンゲンやない。髪の色がちゃうとか、鱗があるとか、そんなレベルやない。でもカレンは、カメラに向かって堂々と自分の姿を曝け出した。

 もちろん、怖いとか、キモいとかゆうコメントもあった。でも、そんなんは多様性重視の社会では批判される。善意のみなさまによって袋叩きにされた。でも、根強い反感もあって、雑誌もカレンのSNSもめっちゃ燃え上がった。けど、カレンはそんなん織り込み済みやゆって、このタイミングで写真集を出した。世間の注目を一身に集める、この炎上の機会に。強かな子やと思った。ほんまに同い年なんかと思うぐらい。

 出されたんは、とんでもないことにセミヌードの写真集。

 カレンはジブンの魅力で世間を黙らせた。

 ほんまに恐ろしい子。ジブンがやばさのある女やと自覚しとったんやろな。こんなんクリーチャーやんと思ってたけど、そこには紛れもない美しさがあって、奇怪さがスパイスみたいになってもうて、ズブズブ沼に引き込んでいく魅力があった。私だけやない、誰もが感じたんやないかと思う。もう、ただ可愛いだけのニンゲンじゃ敵わへんって。

 海外では流行りなこと、日本の価値観は時代遅れになりつつあること、海外でカレンが紹介され世界的にも人気になったこと。色んなことが重なって、国内では一気にゲノミック・タトゥーの議論が行われるようになった。カレンは新しいニンゲンのシンボルとして祀り上げられて、遺伝子組み換え雑種への偏見は一気に翻った。

 ほんの一ヶ月ぐらいで、私らを取り巻く社会の意見が百八十度ひっくり返った。たったひとりの、17の女の子に。私もちぃちゃんも信じられん気持ちやった。

「でも、この子、ただのニンゲンやっても、めっちゃかわいいで」

 写真集をみたちぃちゃんがゆった。

 カレンは変形部分を除いても百年に一度ゆわれるぐらい、顔もスタイルもめっちゃよかった。もちろんスタイルは努力しとるやろうけど、骨格の細っこさなんかは遺伝子がよくないとどうにもならん。顎のライン、骨盤、肩幅。腰回りの細さに反して胸のデカさ。動物的雑種部分はもちろんのこと、ニンゲン部分も改良されたことは、あとになってわかったこと。カレンは遺伝整形において、ほんまもんの意味で、百年に一度の成功例やったということ。


 ユヒ・カレンという名の隕石がもたらした功罪。のちに彼女のデビューを振り返ったとき、よくこうしたタイトルがつけられる。遺伝整形、多様性受容の裏側で、色んなわだかまりや摩擦があちこちで起こったことから目を背けるわけにはいかん。なんせ、その歪みの余波こそが、私らの直面したカレンの与えた衝撃やったから。

 カレンは偏見を緩和して、遺伝整形への道を開いた。けれども、ほとんどの遺伝子組み換え児は、カレンほど完璧でも美しくもない。人間が美男美女ばかりでないように、歪でキショク悪い見た目の雑種はむしろ大多数。おまけに、私みたいにどっか一部だけ、不完全な突然変異をもよおすモンは少なくない。

 そして、これが一番大きな問題の中心。日本国内でも、また世界的にみても、遺伝整形の影響がないフツウの人間の方が圧倒的大多数だということ。ゲノミック・タトゥーも、それで生まれた雑種も、大きな目でみればマイノリティでしかなかった。

 少数派の子を特別視する風潮が、狭苦しい学校の環境において波風をたてないわけがない。とはいえ、差別をしてはいけません、偏見をなくしましょうという善意道徳のお題目をバックに掲げたマイノリティ様にむかって、真っ向切って対立することなんかできへん。不満に思うこと、苛立つこと、気に入らんことがあっても、人間側は呑み込まなあかん。水面下で、不平不満は蓄積していっとった。

「ゆうてもさ、こんな騒ぎ一時のことやん? まだ目新しゅうて、それでみんなとげとげしとるだけでさ。新しいテクノロジーが出てきたときと同じやんか。AIは人間の仕事奪うとか、滅ぼすとかゆわれとったけど、自然と馴染んで受け入れられていったやん? おることが当たり前になってしもたら、ぶつかることものうなるやろ」

 雑種であることを隠してフツウの人間として振舞っていた私は、大人っぽい意見を口にする。単に対立に挟まれることを恐れただけの言葉。理性で感情は説得できないし、感情で理性を口説き落とすことは不可能だ。案の定、ちぃちゃんは渋い顔をした。

「そうかもしれんけど、今うちらが感じるキモチはなくならへん」

 なにごとにもきっかけは必要やと思う。カレンはまさしくきっかけやった。

 新しいこと、変わったことを当たり前にしていくには、ときに痛みも必要なんやと思う。血を流した教訓がなければ、だれも変わろうとせんし、どうにかしようともならん。変化の波が打ち寄せてきたとき、私らが無関係でおれるほど、遠い場所におったわけじゃないことは不幸でしかなかった。流した血とか、痛かったこととか、結局私は死ぬまで忘れられんのやと思う。

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