エピローグ

 成果は中途半端なものしか出ていない。

 当然、若当主はそのまま処分を進めようとしていた。しかし、紫乃の深夜の宣言が実行されたのだ。

 疑っていたわけじゃない。紫乃が大丈夫だと言うのだから、大丈夫な状況にするだろうと信じていた。だが、だからと言って、若当主が許諾するとは限らない。紫乃にも決定権はあるが、あくまでも紫乃にもあるだけだ。

 紫乃は最終的には、と言っていたが、実際のところ出資者が強いのが常だろう。何だかんだいっても、紫乃ができるのは意見するところまでだった。

 しかし、そこは箱入り娘の面目躍如というべきか。親馬鹿の、というべきか。とにかく、一ヶ月の謹慎を終えた俺の処遇は据え置きになった。

 そして、今までよりもずっと紫乃と過ごす時間が増えた日々を送っている。


「綺麗に咲いていますね」


 離れの花壇ではなく、庭園の花壇にまで出ていた。紫乃の散歩の時間までともにするようになるとは予想外だが、しっかり手繋ぎをするまでになっている。逆側の手は結月さんに繋がれているので、俺たちは妙な三人セットになっていた。


「晴れるといい具合だな」

「これほど壮観になるのですね」


 セットになっているからか。結月さんが会話に加わることも増えてきた。ごく自然だと言えるほどには、俺もそれに慣れてきている。


「向日葵は明かりにもなるのですよね?」

「それほど大きな明かりにはならないけどな」

「どんなふうになるか見てみたいです!」

「ダメだ。ここの向日葵は使わせないぞ。庭園として整えた花壇を崩壊させるのは許さん」

「蓮司は思ってるよりもずっと庭師として矜持がありますよね。完璧主義者です」

「せっかくできたものを壊すのは嫌いなだけだ」


 ふんと鼻を鳴らすと、紫乃がくつくつと喉を鳴らして笑った。自分が子どもじみた行動を取っていることをしみじみと実感させられる。だが、悪い気はしない。

 距離感を構築し直したつもりはなかった。それでも、あの夜を境に心境は変化し、結果として関係値にも影響が及んでいる。それが散歩にまで時間を割くことに繋がった。

 ……正確には、これは薬の効力を分析するための同行ではある。俺がどうにか作れた体力回復の効果は弱い。改良の余地しかないものだ。

 採集を含め、長期間の予定も継続することになった。この件に関しては、若当主も乗り気だ。紫乃の虚弱が治るのならば、という意志に変化があるはずもない。

 それを基準にして、薬師としての期待をかけられている。そのために、効力は弱いとはいえ、服用を促して体調を見るためにこうして時間を過ごすことが増えていた。

 紫乃は俺がこうしてそばにいることが嬉しいのか。一緒にいるという約束を守っているという判断なのか。随分楽しそうに笑顔でいる。元気で楽しいのならば、それに越したことはない。

 それにしたって、以前よりも威勢がよくなったようで苦笑いは隠せなかったが。


「わたしも蓮司の花壇は好きだから、壊そうなんて考えませんよ。でも、向日葵は見たいです」

「じゃあ、今度花屋で買ってこよう」

「わたしも行きたいです」

「結月さんにお願いするんだな。しばらくは、俺と将樹様で紫乃とお出かけするのは禁じられている」


 無罪放免とはなっていない。日常に戻ってはいたが、枷がついている。これはそのひとつだ。紫乃はむぅと膨れっ面になった。


「結月」

「三日間元気でいられたら、秋里さんと予定を合わせて向かいましょう。私も同行することになりますが」

「結月もいるなら安心」

「構いませんか?」

「もちろんですよ。結月さんがいないと出かけられませんから」

「一人での行動は制御されていませんよね?」

「紫乃が行きたがっているんですから、俺が一人で行ってもしょうがないでしょう」

「秋里さんはどんどん将樹様に似てきますね」


 結月さんからも言われるようになったらおしまいのような気がした。どっと気が塞ぐ。そして、噂をすれば影だ。


「紫乃! 元気にしているか?」


 そう大声で手を振りながらこちらへ歩いてくる将樹様はいくつも箱を抱えている。

 俺は疑問しか抱かなかったが、結月さんはあからさまに呆れた顔でため息を吐いた。それが契機になって、こちらも事情を察す。あれは恐らく、紫乃へのプレゼントなのだろう。

 あれと似ている? と改めて見せつけられるとがくっとくるものだ。紫乃だって、兄の状態には苦笑を浮かべている。俺は紫乃にあんな顔はさせていない、と張り合いが出てきたが、これが終わっているのかもしれない。


「お土産だ。部屋に届けておくから、後で確認しなさい」

「お兄様、ありがとう存じます」

「秋里さん、仲良くしていただいてるようで」

「……いえ、こちらこそ、紫乃にはよく相手をしていただいております」


 採集以来、俺と将樹様は顔を合わせていない。鋭い視線を浴びるのも久しぶりだ。間を置くと、強さが増しているような錯覚にすら陥る。錯覚ではないかもしれないが。


「いいことだが、危険もないところで手を繋ぐ必要はないだろ」


 紫乃と手を繋ぐことは日常になりつつあるし、もはや気に留めてもいなかった。むしろ、体力の消耗具合を把握することや、手綱を握ることに有用しているくらいだ。


「蓮司にはこうして助けてもらっているんです」

「紫乃だって、自分で動かないと」

「動いてますよ。支えてもらってるだけ! 薬液を飲んで体力作りをしているのですから」

「それはよく頑張っているな、紫乃」


 手のひらドリルにもほどがある。将樹様はそう言って紫乃の頭を撫で回していた。褒めているのだろうが、将樹様のほうが癒やされている気配がある。

 俺にもそうした感情がなきにしもあらずなところがあるから出てくる感想かもしれない。


「そうです。頑張っています。ですから、蓮司の行動は気にしなくて良いのですよ、お兄様」

「それとこれとは話が別だろ? どう思う? 結月」

「秋里さんはよく紫乃様を見てくださっていますから、ありがたいと存じます」


 将樹様はぐぬぬと歯噛みをしている。まったくもって分かりやすい。隠すつもりがないだけなのかもしれないが、それにしたって限度がある。しかし、将樹様はやり込められる気はないようだ。


「一時的だと伝えたからな! あまり調子に乗らないように」


 ……やり込められる気持ちはないようだが、幼児退行のような我が儘な言い方にはお手上げだった。


「お兄様こそ蓮司に強く当たってはいけません。困らせないで」

「将樹様に宣言した通りにやっているだけに過ぎませんよ」

「成果は認めてやるが、ベタベタするのを許したつもりは毛頭ない」

「していません」

「しているだろう」

「お兄様、しつこいですよ」


 花壇のそばで騒ぐ。今までの俺ならば、こんなことはしなかっただろう。

 まだ半年も経っていない。変われば変わるものだ。そして、俺は花学にも薬学にも詳しくなっている。人間関係の変化が目まぐるしい。それが自分の環境をよくしている。将樹様相手によくなっているのかは定かではないけれど。

 けれど、こうして賑やかな中に自分がいるとは思いもしていない変化だった。

 しつこさに辟易する気持ちを紫乃と共有しながら、言い合いの最中に忍び笑いを交わし合う。それがまた将樹様に目敏く見つかって大騒ぎになっていく。

 不安はまだ消え去ってはいない。成し遂げなければならない大事なことがある。実はこんなことをしている場合ではないのかもしれない。

 それでも今は、紫乃と約束を果たす長閑な日常を謳歌していた。

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庭師とお嬢の花学反応 めぐむ @megumu

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