『桜の唄』

pocket12 / ポケット12

『桜の唄』

 僕らの町には魔法使いがいて、ソイツはいつも気怠げに町を彷徨っている。


 僕が高校に進学した春、ソイツは桜の木陰で微睡んでいた。


「何をしてるの?」と僕が訊くと、ソイツは笑って言った。「桜の唄を聴いているのさ」

「桜の歌?」

「君も聴いてみるといい」


 僕はソイツの隣で耳を澄ませてみた。風の音以外は何も聴こえなかった。


「なら君はまだ子どもってことさ」

「大人なら聴こえるの?」

「大体はね」と魔法使いは微睡みながら言った。


 大学に進学したのを機に僕は町を出た。


 それから何年も帰らなかったけれど、姉が結婚するというので久しぶりに戻ってきた。


 街は何も変わらない。まるで魔法にかかったみたいだと思って、ふいにソイツのことを思い出した。


 魔法使いはあいかわらず桜の木陰で微睡んでいた。


「また桜の歌を聴いてるの?」

「ああ、君も聴いてみるといい」


 僕は魔法使いの隣で耳を澄ませてみた。


 でもやっぱり風の音以外は何も聴こえなかった。


「なら君はもう大人ってことさ」

「おかしいな、前は聴こえたら大人だって言ってたぜ?」

「そうだったかな」と魔法使いは微笑んだ。

「そうだよ」と僕は肩をすくめた。


「——なら大人も子どもも一緒ってことさ」


 桜の木陰で魔法使いは微睡み続けていた。



(了)

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