存在し得ないエピローグ
存在し得ないエピローグ
「どうですか、先輩?」
少女は無垢な笑みをこちらに向けてきた。無人の教室。教卓に腰掛け、ひょいと足を組んでいる。
誰なのかと聞かれると困る。僕も初対面。今日、この時、初めて会った彼女は僕のことを先輩と呼んだ。
彼女はそう名乗った。嘘をつく意味などないから本名だろう。小柄な割に髪が長く、二つ結びにしているせいでヒナというよりウサギのようだ。
そんなかわいらしい後輩が僕を人気のない教室に呼び出した理由は何か。愛の告白? まぁ、あながち間違っていない。僕の手元にある分厚い紙の束。そこに書かれた、僕を主人公とした私小説をラブレターだといえる広い心があるのであれば、だが。
「どう、とは?」
「感想ですよ。六条先輩をストーキングしている自分の記録を読んだ感想はどうかって聞いているんです。よく書けているでしょ?」
「妄想も
「筆が乗ってしまいまして、つい小説風に。でも、妄想はひどいですね。この数か月、先輩のことをしっかり観察して記録したのに」
「それが本当だとしたら、それこそストーキングじゃないか」
「はは、先輩に言われたくありませんよ」
姫奈はおかしそうにお腹を抱えて笑ってから、ふーっと息を吐いた。
「あ、勘違いしないでくださいね。姫奈は先輩のことをどうこうしたいとかそういうんじゃないんです。言ってしまえば先輩と一緒ですよ。先輩のことが好きで好きで仕方ないんです。だから、こうやって先輩のことをストーカーしちゃってたんですけど、毎日記録をつけていたら、これを先輩に見てほしくなっちゃって。だって、そうじゃないですか。先輩のことをこれだけ愛しているんだってことを先輩に見てほしいですし、姫奈が愛していることを知った先輩がどんな反応するか見てみたいじゃないですか。その点、先輩はすごいですよね。六条先輩のために身を引くというか、黒子に徹するというか、姫奈、そこに関してはガチでわかんなくて。好きな人には好きなことをちゃんと知ってほしいっていうか。その点は立花先輩と近いのかなって。まぁ、乃木外みたいに妄想して両思いだとか思っちゃうのはやばいと思いますけど。あ、姫奈は先輩のこと好きですけど、先輩が六条先輩のことを好きなのは理解しているんで。いずれは姫奈のことを好きになってほしいと思ってますけど、それは今じゃなくてもいいかなって」
姫奈は一息に言うと、大きく息を吸った。何を言っているのかさっぱりわからないが、はっきり言って相当やばい女だ。
頭から否定するのもよくないと思い、僕はなるべく平静を装って、姫奈の話に合わせてやることにした。
「小説だとして、この最初の叙述トリックは何?」
「叙述トリックって何ですか?」
「どうして一章が六条飾視点のように書かれているのかってこと」
「あぁ、別にミスリードさせるつもりはありませんでしたけど、先輩が書くなら最初は六条飾のことをめいっぱいに書くかなと思いまして」
「そもそもどうして僕の一人称なの?」
「先輩がどう思っているのかを考えながら書くのが楽しくて。けっこう合っていると思うんですけど、どうですか?」
「……。二章の書き方なんだけどさ、これじゃ、僕がストーカーみたいじゃないか」
「え? ストーカーですよ、先輩は」
「はぁ。まるでこの小説が本当のことのように君は言うね。だけど僕には身に覚えがない。三章や四章にあったようなことは知らない」
「あはは。無理ですよ、先輩。姫奈は全部記録しているんです。先輩が六条先輩のことを記録していたように、姫奈も先輩のことをすべて記録しているんです。生き埋め事件と誘拐事件はめちゃくちゃおもしろかったです。姫奈、観察しながらドキドキしっぱなしでした」
「こんなひどい事件が仮にあったとして、それを見て楽しむなんて悪趣味だね」
「そういう性癖なんです。でも、これ、すっごいマイルドに書きましたよ。朝の教室で六条先輩がやっているエロい行為はほとんど書きませんでしたし、立花先輩はあの事件以来ショックでまだ登校できていませんし、乃木外に対してやった拷問はとても口に出せるものではなかったですしね」
「……それも妄想だけど、仮にそうだとして何でそんな微妙な改変をしたの?」
「小説風にしたのがいけなかったんですかね。少し救いのある終わり方にした方がいいかと思いまして」
「だとしても五章で立花を登場させる必要はなかったんじゃない。実際に、この事件とは関係なく立花は不登校なんだし」
「モブの名前を調べるのが面倒だったんです」
「正直だな。だいたいこのタイトルは何だよ。内容以前に、もっと他にあっただろ」
「あはは。これ、先輩が六条先輩と話した数少ない会話の中でいっちばんきもかったセリフだったんですよ。もう、ガチできもくて、ガチで好きなんです、姫奈。だから、もうタイトルにしちゃえって思って」
「はぁ、僕はこんなこと言った覚えはない」
「そうですか。まぁ、いいです。思ったよりも先輩がレスしてくれてうれしかったですし」
「小説の品評がしてほしいなら、文芸部に行った方がよかったと思うけどね」
僕はそう告げて教室のドアに向けて歩いた。これ以上、姫奈と話しても時間の無駄だと思ったからだ。そもそも話は済んだ。
姫奈も特に
「あ、そうそう。一つだけ先輩に聞きたかったことがあったんですよ」
僕がドアの前に立つと、姫奈は教卓からぴょんと飛び降りた。
「先輩は突っ込みませんでしたけど、この話には一つ大きな突っ込みどころがあると思うんですよ。どこだかわかりますか?」
「あり過ぎてわからないね」
「佐藤夫婦ですよ」
「……誰?」
「とぼけないでくださいよ。六条先輩をストーキングするために、彼女の家の近くにみつけた潜伏先です。たまたま空き家になっていた佐藤夫婦の家。それっぽく理由をつけていますが、そんな都合よく空き家がありますかね」
「君の頭の中にある設定の矛盾を語られてもね」
「ご近所さんは確かに夫婦関係が破綻して出て行ったと思っているみたいなんです。実際、佐藤家の旦那さんの方は不倫をしていたみたいですね。最低です。でも、旦那さんは愛人のところにはいませんでした。奥さんの方も実家に帰った形跡はありませんね」
姫奈は僕の背中に、とんと手を置いて、くすりと笑ってから尋ねた。
「ねぇ、先輩。佐藤夫婦は今どこにいるんですか?」
僕は振り向いて、姫奈の手をつかむ。すると、彼女は一瞬驚いたように身体を震わせたが、顔を紅潮させて、にまにまとした笑みをこちらに向けていた。
「佐藤夫婦なんて知らないし、君の妄想には付き合いきれない。ただ、もしも、もしも君のこの小説が事実に基づいているのだとしよう。僕は六条飾を愛していて、六条飾のストーカー行為の隠ぺいをしていて、彼女のストーカーを排除していた。これが事実だったとしよう。だとしたとき、君は大きな誤解をしている。佐藤夫婦なんて気にする前に、気にするべき大きな誤解がある」
「えー! 何ですか、それは!?」
こちらにキラキラとした瞳を向けてくる姫奈に対して、僕は一つ咳払いをしてから、きっぱりと告げた。
「僕はストーカーじゃない」
君は昨日シャンプーを変えた ~六条飾のストーカー行為について~ 最終章 @p_matsuge
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