第2話 その唇に嘘を吐かせたくない

 今年の新入生の中に、私が主演だった演劇で入部どころか、大学入学を決めた子がいると、顧問に言われた。


「いやあ、部長冥利につきますねえ」

「そこは女優冥利だろ、いやまあなんでもいいか」


 そんな話題を向こうからわざわざ振ってきたので、当然、それがどの子なのか教えてもらえると思っていたのに、顧問は


「いや、本当は自分がこんなこと言ってたって、言わないでほしいって言われたんだけど、お前喜ぶかなと思って。誰か言わなきゃいいかなって」


なんて、その子との約束を半分だけ破ったわけだ。本当に人として軽蔑するわ、嬉しかったけど。


 そんなちゃらんぽらんな顧問の言うことだったから、話半分くらいのつもりで記憶していて、新入部員全員を確認した部会でも、一体どの子が自分の熱烈なファンなのかはわからなかった。


 うちの演劇部はそこそこ本格的なサークルで、新入部員も二十名くらいはいるので、顔を合わす程度でなかなか仲良くはなれない。特に、演じるのか、裏方をやるのか、脚本を書くのかで接する時間は大きく異なるのだ。自分は部長だから、演じる以外の子とも多少は接するけれど。


「実は俺、部長に憧れて演劇部に入部したんです!」

「照れるけど嬉しいよ、ありがとう」


 目を輝かせてそう言ってくれた子もいたけど、その子はサークル紹介の映像を見て入部を決めたそうなので、顧問が話していた子とは違うのだろう。

 まあ、本人が隠したがっているわけだし、無理に暴く必要もない。

 そう思って、普段通りに過ごすことにした。



***


「最近、部長の演技、ますます神がかってますよね!」


 例の私に憧れているらしい子だけでなく、裏方の同回生や、演劇を観に来てくれたOBにもそう言われた。


「いつも通り全力を尽くしてるだけだよ」


なんて謙遜はするが、正直、自分でもここ最近は納得のいく演技ができていると自負していた。その理由にようやく気が付いた。私の演技が上達したというより、私が演じやすい役が当てられているのだ。


 当然、どんな役でも演じるという気持ちはあれど、得手不得手は気持ちでどうにかできるものではない。最近上がってくる脚本は、主演でも端役でも、私が得意とする役どころが割り当てられているのだ。


「道永沙織」


 彼女の名前が、脚本に載るようになってからだ。原作者になってるものはまだ少ないが、原案、演出など一回生ながら脚本に名前が載ることが多い彼女のことは、あまり印象に残っていなかった。だから、ただの偶然かもしれないと思いながら、彼女のことを無意識のうちに気にしていた。


 道永沙織は、生真面目な性格におとなしそうな見た目で、およそ舞台で演じたい、なんて思うようなタイプではなさそうな子だった。脚本作成の現場に立ち会いたいと見学した時も、別に私を気にする様子はなく、自分の案を押し通すために揉めるようなこともない。演じたいという気持ちがないのなら、演じさせたいという演出や脚本にこだわるタイプなのかと思ったが、我を通す様子はない。


 ただ、案は積極的に出すタイプで、却下されても代案を提案し、それが採用されることが多かった。


「道永さんはなんで文芸部じゃなくてうちに入ったの?」

「……椎名部長」


 脚本の話し合いが終わってから、彼女に声をかけたら少しだけ驚いた顔をしてから、すぐに澄ました表情に戻り


「お疲れ様です」


と言われた。


「うん、お疲れ様。たまには脚本作成するところ見たいと思ってきたんだけど、道永さん、なんか、小説書いてそうだなと思って。なんか演劇部がいい理由があったのか聞いてみたくなってさ」


 彼女にペースを崩された気になって、スラスラと言い訳がましい言葉を並べて入部理由を尋ねた。


「……演劇が好きなので」

「書くのが? それとも観るのが? 演じるのもやってみたい?」

「矢継ぎ早ですね」


 訝しげに見詰められて、思わず言葉に詰まる。彼女が「私の演技で入学を決めた」子なのかどうか知りたいが、それを知っていることを悟られてはいけない。

 ああくそ、あのプライバシー守らない顧問のせいで。

 

「演じてみたくなったらいつでも言ってね!」

「はあ」


 そそくさと逃げるようにその場を後にした。聞き出すためには作戦を変えるしかない。というか憧れの先輩を前にしたとは思えない塩対応だったような。

 やっぱり彼女ではないのかもしれない。でも、彼女のような気がする。いや、彼女であってほしい。


 そんな願望の元、部室や部会で道永沙織がいる時は積極的に絡みに行くことにした。


「さーおりん」

「え、なんですかその幼女のあだ名みたいなの」

「いや?」

「……道永と呼んでください」


 彼女は露骨に嫌な顔をしながら「嫌」とは言わない。それが可愛くて、当初の目的を忘れつつあったある日。


 部室を扉の小窓から覗けば彼女がいて、ラッキーと思いながら入ろうとしたら、もう一人男子部員がいることに気が付いた。なんだか、二人の距離が近い気がする。

 様子を伺うため入室せず、そっと扉を開け声が聞こえるようにした。


「な、道永。頼むよ」

「そんなこと言われても。私、原案なだけで出番増やすなんて権限ないよ」


 どうやら、次の脚本の原案者であった道永に、出番を増やしてほしいと談判しているようだった。掛け合うなら、新入生の道永ではなく脚本リーダーか、演技リーダーの私にだろう。呆れているのは私だけでなく道永もそうで、食い下がる彼に面倒くさそうにしながらあしらっているようだった。

 助け船を出してやるべきかと思った時だった。


「だったら御礼にデートしてやるからさ」

「は?」


 道永と同じタイミングで同じ音が漏れてしまった。

 彼はそんな道永に怯むことなく続ける。


「道永も、よーく見れば可愛い顔してるじゃん。俺、一回くらいならデートしてもいいよ」

「はあ、ありがと。でもいい」

「遠慮すんなって。楽しませる自信あるからさ」


 そりゃあ、演劇部で演技をする、いわゆる俳優をやろうってな人間はそれなりに顔が整っていることは多い。彼はいわゆるイケメンの部類に入るだろう。

 色仕掛け、というのは有効な手で、今は効かなくても回数を重ねれば道永は靡くかもしれない。断られたことはなかったことになっているのか彼は、興味なさそうな道永との距離をさらに縮めようとした。

 それが、心底ムカついた。


「部長命令です。倉庫を整理するので、道永沙織は私と来なさい」


 バンと、わざと音をさせて扉を開け、道永をまっすぐ見ながらそう言った。

 二人ともびっくりした顔をしていたが、道永はいつも通り澄ました顔に戻り、彼は笑顔で私に近づいてきて言った。


「部長、僕も手伝いますよ」

「結構です。道永だけついてきなさい」


 我ながら、冷たい声をだそうと思ったらとことん冷え切った声色になり、彼は今度こそ怯んだ。澄まし顔には戻ったものの、呆然と立っている道永の手を引いて物置部屋と化している倉庫に押し込めば、もう止まらなかった。


「ほんと道永って、可愛い顔してるよね」


 彼と同じ手口で迫れば、道永はぽかんと口を開けた。先ほどの面倒くさそうな反応とは違ったので、少しだけ溜飲を下げる。

 私だって、「演劇部の眠りスリーピングビューティー」なんてふざけたあだ名がついているのだ、色仕掛けは有効だろう。


「うん、可愛い。口が開いてても、勿論、閉じてても、とっても可愛いよ道永は」

「なんですか、それ。というか近いです、このままでは唇と唇が触れてしまうくらいに近いです部長」


 明らかに動揺した声を出す道永に、気を良くしてどんどん近づけば、さらに慌てふためく。可愛い。

 さっきは彼にどれだけ近づかれても気にしてなかったのに、私だとそんなに顔を真っ赤にするの?


「唇と唇が触れる……つまりはチューしちゃうってこと?」

「そうですね、マウストゥーマウスはキスか人命救助かどちらかだけですからね」


 ごちゃごちゃと早口でそう言う道永は、きっと意識している。チラチラと私の顔を見たり、下を向いたりと忙しい。

 もう一押しな気がする。


「……いいじゃん」


 本気で抵抗されたら、やめるつもりだった。それなのに、おとなしく固まっている道永。


「な、にしてるんですか」

「チューしたくなっちゃったから。しちゃった。やだった?」


 一瞬触れるだけの口づけだったが、突き飛ばされたり、罵倒を浴びせられたりする覚悟はしていた。

 道永は、どちらもせず、その場で固まったまま、無意識なのかゆっくりと自分の唇を指で触り、我に返ったように潤んだ目で睨んできた。


「そういう反応しちゃうんだ?」


 顔は真っ赤にしたまま、逃げることもしない。こちらの次の行動を伺うように、待っている。


「ね、そういうのさ、結構燃えるタイプなんだけど」

「……なにがですか」

「どっちつかずな抵抗と期待の、曖昧な態度がさ」


 やっと口を開いたと思ったら、まだ、こちらの言動を待っている彼女は捕食される前の小動物みたいだ。私に委ねているのだ、無意識のうちに。


 駄目だよ、道永。隠しているのはそっちなんだから。

 私に言わそうとするなんて、許さない。


「どういう意味ですか、椎名部長。悪ふざけはもう、やめて」

「うそつき」


 私のこと好きなんでしょう?

 私目当てで大学入学して、入部したんでしょう?

 こうやってもう一回キスしても、抵抗しないで目瞑っちゃうくらい喜んでるんでしょう?


 私は、道永に嘘を吐かせたくないんだよ。

 いや、本当のことを言ってほしいんだよ。


 塞いだ唇を離した時、道永はなんて言うだろう。

 

「好きじゃない、何とも思ってない」


なんて、嘘を吐くなら、本当のことを言うまで、何度だって塞いであげるよ。

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