Lip & Lie
石衣くもん
第1話 嘘すら紡げない唇
「ほんと道永って、可愛い顔してるよね」
なんでもないように、椎名部長はそう言った。
到底、私なんかでは太刀打ちできない顔面偏差値の高得点保持者である、これぞ美人の代表だといって過言でない彼女から、そんなことを言われるとは思わず、口が「は?」の形を作って固定された。
せめて「は?」なんて、後輩としてあるまじき失礼千万な音は漏らさず我慢したので、部長のファンの人たちには許していただきたい。
「うん、可愛い。口が開いてても、勿論、閉じてても、とっても可愛いよ道永は」
「なんですか、それ。というか近いです、このままでは唇と唇が触れてしまうくらいに近いです部長」
ずずい、と顔を近づけられ、同性であるにも関わらず、その美しさに頬が熱くなった。さすが「演劇部の
ちなみに「スリーピングビューティー」というのはその美貌からだけではなく、講義中必ずと言っていいほど寝ているそうで、そこから付いたあだ名らしい。閑話休題。
物だらけの狭い倉庫の中は、扉についている小窓すら、何が入っているかもわからない、積み上げられた箱で塞がれ、外界からの視線を完全にシャットアウトしている。こんなに狭くて、誰の目にも触れない非日常な異空間へ私を連れて来たのは、一体なんの気まぐれなのか。
しかも、暇してるところを捕まったのではなく、部室で同回生の男の子と次の演劇の脚本について話しているところを
「部長命令です。倉庫を整理するので、道永沙織は私と来なさい」
と、連れ出された。しかも、一緒に喋っていた彼が
「部長、僕も手伝いますよ」
なんて申し出たのに、
「結構です。道永だけついてきなさい」
なんて素気無く断り、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいの私だけを倉庫へ引っ張り込んだのだった。
まあ、彼と話していた内容が、私が書いた脚本の自分の出番を、同回生のよしみで増やしてくれという、なんとも困った相談だったから別に良いのだけれど。いや、正直に言えば、私がこの人より優先したいことなんてあるはずがないのだ。
恥ずかしいから顧問にも内緒にしてもらうようにお願いしているが、私はこの椎名部長が主演の演劇を観て進学する大学を決めた。
元々お芝居を観るのと小説を書くことが好きで、
「自分もこんな風に演じたい」
という理由ではなく、
「この人に演じてほしい話がたくさんある」
という理由で演劇部に入部し、新人ながら脚本作りに加わらせてもらっている。まだ自分だけで書き上げることは少ないが、基本的なキャラクター設定や、世界観は採用してもらえることが多い。そしてそれがわりと好評というのが嬉しい限りだ。
椎名部長には一方的に、こっそり憧れているので、特別に親しいわけでもないのだが、こんな風に謎の絡まれ方をすることが、最近増えてきた。
「唇と唇が触れる……つまりはチューしちゃうってこと?」
「そうですね、マウストゥーマウスはキスか人命救助かどちらかだけですからね」
依然、顔面が近い部長に、いよいよ居た堪れなくなった。お行儀が悪いが、足で邪魔な段ボールを押しやって、少しだけでも後ずさり、こちらから距離を取ろうとした。しかし、敢えなく壁に阻まれ、部長との距離は、近いままだ。部長は、その美しいかんばせを悪戯っぽく歪めて笑った。
「……いいじゃん」
そう言って、何でもない風に口付けられた。
近づいてきた部長の顔を、避けることも、抵抗することもできなかった。そして一瞬触れて、すぐに離れたのだから、文句の一つや二つ、パッと言えそうなものなのに、何も言葉がでてこない。
なんだ、なんでだ。さっき「は?」の音が漏れないように喉にロックしたからか。
「な、にしてるんですか」
やっとの思いで絞り出し、口をついて出てきたのは、何の捻りもない疑問形。なんだか、そんな風に切羽詰まって、余裕のない自分が恥ずかしい。だって、部長はこんなにも余裕な顔で笑ってるのに。
「チューしたくなっちゃったから。しちゃった」
やだった? なんて
「そういう反応しちゃうんだ?」
勿論、不意打ちの先程とは違い、自分は抵抗を見せないといけない。でないと流されてしまう。
そう強い意志を持って、彼女を睨みつければ、相手の唇の歪みが酷くなる。
「ね、そういうのさ、結構燃えるタイプなんだけど」
「……なにがですか」
「どっちつかずな抵抗と期待の、曖昧な態度がさ」
わけのわからない焦燥感に駆られて、とにかくこの閉鎖空間から逃げ出さなくちゃと考えた瞬間。部長の手が顔の横を通って壁につき、自分が言葉だけでなく身体でも追い詰められていた事実を思い出さされた。
「どういう意味ですか、椎名部長。悪ふざけはもう、やめて」
「うそつき」
言葉で遮られ、もう一度唇を塞がれて、しかも今度はこの人、舌まで捩じ込もうとしてくる。
何なの、美人はなにやっても許されると思っているのか。というか意図がわからない、だから、怖い。なんで、どうして、もしかして、いや、でも。
ぐるぐると答えの出ない問答を脳内で繰り返して、ようやく離れた唇は、再び美しい笑みを作って、さらに自分を追い込むように言葉を紡ぐ。
「今のは、もうキスされるってわかってたのに、抵抗しなかったね? ご丁寧に目まで瞑ってくれて、かーわいいの。私とのチューは気に入ってくれた? それとも部長に失礼なことできないから我慢したって思い込もうとしてんの? どっちも違うよ、きっと」
道永、私のこと、すきでしょ?
核心を突く一言に、思わず膝の力が抜けて、足で押しやった段ボールの上に座ってしまった。こんな反応、肯定しているも同然だ。それなのに、彼女は許してくれなかった。
「ねえ、道永。こっち見て」
壁ドンでは飽きたらず、顎クイまで披露され、またそれが様になっている。さすが、演劇部部長だ。顎を軽くつかまれ、座り込んだまま上を向かされ、目を逸らすこともできない。上から覗きこまれるその、色素が薄い茶色い目に吸い込まれそう。
その目に本心を見透かされて、そして、それをだしにからかわれているのかと。それとも、この人も自分のことを、なんてご都合主義的解釈をするべきなのかと。
息の詰まった喉は、何も問えないまま、真意のわからない彼女の唾液が混ざった唾を飲み込んだ。
「ねえ、何とか言ってよ、道永」
私は、本当のことは勿論、嘘すら紡げない唇をひきつらせ、部長を見詰める。
それを、彼女はどう受け取ったのだろうか。部長の真意など、私なんぞに推し測れるものでもあるまいが、顎にあった手が頬に添えられたら、当然のように目を瞑った。
「ねえ、道永ってば」
答えて、なんて言う癖に、そのコンマ数秒後には三度目の口付けを贈られる。
「やめてください」
も
「やめないでください」
も、伝えられないのは、あなたの唇が塞いでる所為なのに。
次に塞がれた唇が自由になったら、私は部長に、どんな言葉を紡ぐべきなのだろうか。
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