鋼鉄とカッコウ

白神天稀

鋼鉄とカッコウ

 ジェットパックを装着した腐りかけた牛の背に腰掛け、真っ逆さまにした水筒の中身を流し込む。喉が乾ききるまで動いた後に飲むスッキリとした麦茶ほど格別なものはない。大麦の香りが鼻から抜けると旅の疲れまで溶けていく。太陽が照りつける炎天下の中、僕の足元だけが汗と零れた麦茶で濡れていた。


「ん、ん……ぷふっ。ふぅ」


 背中にがっちり括りつけて背負ったリュック型の装置。ピストンは全開、充電は六割、太陽光発電式のこの麦茶メーカはいつも僕に冷えた最高級の麦茶を提供してくれる愛機だ。重いのが玉に瑕だけど。


「ハー、生き返るぅ。キミもどうだい、アリス」


『それアタシに言う? ナビが必要ないなら別に良いけど』


「あはは、そいつは困るなぁ」


 アリスと僕が名付けたAIは装置内のスピーカからキンキンと喚いて嫌味を吐いていた。

 しばらくの間、アリスと小休憩を取っていると日陰の中から声をかけられた。


「よお、旅のモンか」


「こんにちは。この辺りにはヒトがいるんですね」


 目の前に立っている8階建てのビルの中から三十代ぐらいに見える男性がガラス越しに話しかける。玄関にある通話装置を使っているようだ。


「っていっても、住人は俺だけなんだがな。軍の配給食や国のインフラでなんとか生かされてるってだけだ」


「あー。この辺りは他に太陽を遮るものもないですからね。大変でしょう?」


「まーな。こうしてダラダラとしてる生活にも辟易してるとこだ」


 彼はロビーの椅子にどっかりと座り、電子煙草を口へ咥える。色付きの煙を吐き出すその姿はどこか寂しげだ。


「なんだか、暑くなってきたな」


「今世紀入ってからずっとですよね。今は太陽の軌道が近付いているらしいです」


『電気は通ってるみたいだけど、AI導入の警備ロボすらないのね。よくこんな辺鄙なとこ住めてるわ』


「こらアリス」


「俺もそう思うぜ。親がここを終の棲家にしたいっつってガキの俺を連れて来て以来、ここが俺の監獄だ」


 男性は苛立ち混じりに愚痴を零した。


「まったく、古代種系だった遺伝子を恨むよ」


 そう、彼はこのビルの外へは出られない。


「温暖化が急激に進んでから、俺ら古代種系人類は環境に適応出来なくなったらしくてな。AIに生活の全部任せてるうちに、人間だけがバタバタ死んでいって、街の管理もままならないまま文明は崩壊した」


「でもまだ都市の方では人間も残ってますよね」


「ああ、生物工学を取り入れた人間達は遺伝子編集技術で環境に対応したんだよな。動植物も同じように進化させて生活圏を守った」


『まあ勿論、私らAIも共存してるけどね』


 男性は少しの間沈黙すると、地平線まで続く荒野の遠くを眺めていた。


「旅は楽しいかい、お前さん」


「はい。こんなご時世ですので、一番涼しい場所を探しにいく旅ですので。麦茶がいっつも冷えてるところに住みたいんです」


「目的もあって、その道程も楽しんでる。良い旅だな、羨ましいねぇ」


 ありがとうございますと頭を下げると、男性は初めて屈託のない笑顔を浮かべていた。


「ところでお前さん、一体何て名前の鳥なんだ?」


 彼の投げて来た質問に僕は嬉々として答える。


「――僕はカッコウ。麦茶が好きなカッコウです」


 この名乗る瞬間が僕は好きだ。番号以外に固有の名を持たない保護動物の僕が、唯一のアイデンティティを伝えられる機会だから。


「カッコウかぁ。防熱羽にでもなってるのか?」


「耐熱細胞種です。元々は国立研究所の出身で」


「どうりで利発そうな口調とハイテクなメカだ」


「型落ち品ですけどね」


『ちょっとー、なんか文句!?』


「飛べなくなる上に随分うるさい機械だな。交換時じゃねえか?」


『あんたは黙っててよ部外者!』


 談笑してしばらく彼と語っていると、足元ではすっかり水溜まり大の汗が流れていた。アリスに時刻を確認させると、もう午前の九時近くだと言った。


「では、昼が近付いてきたのでそろそろ」


「そうか。無理せず生きなよ」


 男性に別れの言葉を告げて立ち上がると、僕はまた果ての無い一本道を歩き始めた。腐りかけだった牛もすっかり水分が無くなり、荒野の地面と大差ないほど皮膚はカラカラに干からびていた。

 水筒に再びメーカから麦茶を注いで蓋をする。


 アリスが流すラジオによると、明日の最高気温は50度を超えるらしい。

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鋼鉄とカッコウ 白神天稀 @Amaki666

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