第17話 始まりの蒼穹

 温かな日差しが瞼の奥から感じられ、意識が覚醒していく。目を開ければ全天の蒼穹が際限なく広がり、荷車の軋む音が煩いほどに耳朶を刺激する。まるで際限のない目覚まし時計のように。


 晴れ晴れとした天気に何度目かの既視感を得ながら彼は起き上がる。穏やかで漠然とした心情で横を見やれば、御者台にノルンが確認できた。


 彼女の片手には手綱、もう片方には白い二枚貝が乗っている。

 ホタテより一回りデカく、ハマグリのような太さのある貝からは白い煙がお香のように吹き出している。それを、カスタネットの要領でノルンが手綱ごと叩くと、煙が線を引いて薄れていく。


 寝ぼけているのかと、ケイは気にも留めずに目を擦り欠伸した。


「のるーん、喉乾いたー」


 寝起きの声で言ってみると、水の塊が空から降ってきた。

 ばっしゃーん、なんて音を立てた水飛沫で眠気が吹っ飛び、水も滴るいい男感を出しながら、ケイは荷台から遠くの景色を眺める。


 荘重に聳える山々の稜線が明確に地と空の境界を示し、その麓に広がるこの緑の海は茫漠として実に壮観である。そんなまるで一幅の絵画の様な景色を彼は既に知っていた。


「あれ、村は?」


 ケイには村で倒れてからの記憶がない。しかしながら、状況から鑑みるに、知らぬうちに帰路についているということは解った。村人もルウも亡くなって、最後に残ったのは悲惨な現場だけ。

 荼毘に付した彼らのことはケイにとっても無念なことで、何もできなかった自分に嫌気がさす。そんな思いで昨日は終わり、次の日を迎えているのだ。


 村人よ安らかに、とケイは黙祷を捧げて瞑った目を開く。


 生きているからこそ迎えられる未来は生者の特権か、ケイは眼前に広がる世界を見る。そして、悪くないものだなと今を感謝した。


 ケイの呟きにノルンは平然と答える。


「村のことは仕方のないことです。冒険者稼業をやっていたらしょっちゅうありますよ。オーガ討伐で訪れた村が既に壊滅していたなんてこともありました。だから、貴方が気に病む必要はありません。やれるべきことはやったんですから」


 優しさ溢れる言葉を掛けられ、ケイは張り詰めていた胸を撫で下ろす。

 しかし、荷車を見るにあの少女だけが村に独り残ったのだろうかと彼は再度胸を痛める。


「あの子は……」


「本人の意志で残ったんです。子どもというほど幼くもないですから、無理やり連れて行くなんてことはできませんよ」


 この世界では何歳で大人になるのだろうか。そもそも、大人の定義とは。

 そんな益体のない思考へと脱線していく彼は最終的に天を仰いだ。

 キラならなんとかできるだろうかと沈思していた折、ふと、エルがいないことに気づく。

 昨日みたいに散歩でも行ったのか。だが、日が暮れる前には帰ってくるだろう。なんて猫みたいな扱いを脳内でしていると。


「町に戻ったらギルドに報告しにいきますよ。もうすぐ着く筈ですから」


「冒険者ギルドかー。コトリちゃんのことは……お嬢ならなんとかしてくれるか」


 町にいるだろう例の受付嬢に期待するケイ。どうにかなりますようにと祈るように。


「その、お嬢って受付嬢のことですか?」


 ノルンが妙な呼称に食いつく。


「なんか、受付嬢ってお嬢様みたいだろ? 気品あるっていうか、艶めかしいわけじゃないけど、女性として強かな麗人いっていうか、だから、お嬢」


 貴婦人の卵を連想させる彼女は若くも嫣然と大人の色香を漂わせ、きっと引く手数多の男性がいることだ。特筆すべきはあのスタイル。ボンキュッボンのナイスボディは何を食べればそうなるのだろうか。加えて、冒険者としてもかなりの腕前だと聞く。そんな彼女を勝手に命名するとは、コイツなかなかの度胸とセンスがあるなとノルンは笑う。


「ははっ、いいですね! 私も仲間に入れてください」


「おいおい、既に仲間だろ? 相棒」


「おい、濡れた手で肩組んでくるな」


 気づけば仏頂面をしたエルが荷台の端に腰かけていた。それに吃驚し気息を乱すケイ。

 来た時のように荷台に飛び乗ったのだろうか。荷車よりも早く走って息を切らさないなんて本当に人間かと疑うが、それを彼は声にはしない。これこそが良好な人間関係を築く術なのだ、と巧者ぶってワケの分からないことをケイは是としたから。


 エルは片手に鞘付きのロングソードを携えている。それも、黒を基調としつつ、太陽からの光をこれでもかというほどに鋭く反射される黄金の装飾が為された豪華かつ豪壮な剣。どれほどの値がつくのか想像に難い芸術の成す一品なのだが。


 そんな高貴さを――


「あー! マテリア・オブスクラ‼」


 ケイは知っていた。

 彼が女神と敬愛する魔法使いキラが見せた黒剣だと。


「知っているのか?」


 紫鮮色の鋭い双眸がケイを貫く。嘘偽りを吐いた刹那、ライアーだと見事看破し、彼はたちまち地獄の獄卒のように糾弾する。と、そんな逼迫した状況を視線だけで為す彼は事実だけを求める。背けばきっと後がないと暗に告げるように。そんな殺害予告めいた視線にケイはたじろぐ。

 彼には越権行為などという言葉は存在しない。なぜなら、ありとあらゆるものにおいて特権者になり得る気迫があるからだ。そんな確固たる視線に晒され、質問に答えなければいけないことにケイは失意の念を禁じ得ない。


「ああ……キラ様に貰ったんだよ」


 声を恐怖によって震わせないように、慎重かつ簡潔に事実だけを述べる。

 尋問されているような雰囲気はケイの勘違いなのだが、彼にとっては命がけである。そんな内心を知らないエルは深い意味もなく訊く。


「茂みの中に落ちていたぞ?」


「探してたんだけど、見つからなくて」


 探している最中、スライムに追われて断念したのだが、まさか彼が見つけるとは思わなかったと、ケイは嘆息を堪え滂沱と噴き出る脂汗を垂らす。ズボンを擦っても手汗はとどまることを知らない。


「その夜空みたいな剱が美しいよね。キラキラと星が散りばめられているような――」


 剣は鞘から抜かれていない。つまり、ケイが剱の様相を言い当てれば戯言でないことの証明になるのだ。そんな一手を打ち、彼は安堵する。大丈夫だ、助かったと。


 エルは剣の柄を向けてくる。

 それを一気に抜くと物々しい黒い剱が現れた――のだが、全くといっていいほど輝いていない。

 星が散りばめられているようなキラキラしたエフェクトはかかっていない。漆黒に染まった刀身は陽の光すらも吸収し過ぎるほどの闇を醸す。


 ――やっべ。


 終わった、完全に終わった、そんな尻窄みでケイが絶望していると。


「剣は魂の欠片が宿る、大切にするんだぞ」


 なんて言葉をかけて磊落さを見せたエルは惜しげに鞘を渡す。

 ケイは剣を元鞘に納め、ベルトを剣帯に見立てて腰に差す。

 そして、気づく。


 ――ああ、そうかエルは威圧しているんじゃない。ただ、目つきが非常に悪いだけだ!


 という真実へとたどり着き、ケイはあほらしくなって不貞寝する。

 だが、日差しが眩しいため、起きて剣を振ることにした。


 剣の振り方を学んでおけば、いざという時に役に立つかもしれないからだ。

 手に持つとずっしりとした重さが肩に伝わり、そのまま一振り。


 ――キランッ、と星が瞬いた。


「あー、今光った! 見たか? もう一回やるぞ」


 ケイがはしゃいで剣を振り、文字通りキラキラと星を散らす。


「魔力に反応するみたいだな、いい剣だ」


 エルはそれを興味深そうに凝視する。


 そんな平和な光景を見たノルンは微笑んだ。パーティーも悪くないものだなと。





 温かな日差しと爽やかな向こう風に吹かれながら、ケイは益体もなく蒼穹を見つめていた。剣は思ったより重く、両腕がパンパンになったからだ。


 そんな折、遠巻きながら見えた豆粒が次第に大きくなっていることに気づく。

 空から少女でも降ってきたのか、なんてケイの詮無い妄想にエルが現実を打ち付ける。


「ノルン、あれは飛竜か?」


 荷車をとめたノルンは日差しを煩わしげに空をしげしげと見つめて、突然なにかが符号したかのように叫ぶ。


「ワイバーンですよ! 超高額な討伐報酬がかけられている飛竜です! 絶対に逃がさないでください‼」


 ――おい、カネかよ。


 ケイが脳内で突っ込むと同時に、飛竜の姿がくっきりと現れる。その巨体の殆どが翼でできているかの如き体躯。身体は滑らかな線であるが、強固な鱗は爬虫類のように刺々しい。色は緑という鮮やかさで、ケイには少しだけ玩具のようにも思えた。


 空に龍が飛んでいるという光景を見ても、彼は現実味がなくてポカンとする。ファンタジーでありがちだが、実際に見ると大したものでもないのではと。

 そんな落ち着きも、やがて最悪な未来予測によって現実のものとなって押し寄せてくる。


 唐突に、飛竜は急降下する。


 上空に放たれた矢が自重によって落ちてくるように、一直線かつ高速な槍となって落下する。獲物を見据えた双眸は殺気を込めてこちらに迫っている。


 徐々に巨大になっていくのは、遠近法による距離感のバグ。


「おいおいおいおい、マジでヤバいんじゃねぇえかぁあ⁉」


 緑の鱗で覆われた飛竜は巨大な翼をたたみ、速度を増して落ちてくる。

 ぐわっ、と開かれた顎はまるで槍先めいた鋭利さを誇る牙が整然と並び、その巨大な身体に押し潰されれば人間などひとたまりもないという重量感を内包する。


 空高く位置していたときはもっと小さいものだと勘違いしていたのだ。それこそ手乗りドラゴンのようなチープさだと。

 そんな愚かな考えは百八十度反転、死という現実の形容に瞠目し、恐怖する。


 ことによると絶体絶命なのでは、とケイが思考した刹那。


「身体は高値で売れます。できるだけ傷つけな――」


 ――――――斬。


 隣から斬撃が飛び、中空に位置する飛竜の頭蓋のみを真っ二つに斬り裂いた。

 即死だと素人目からでも解るほどの裂傷。

 体躯は筋肉が弛緩されたように翼を解放して減速する。


 だが、その落ちる先は――


「うわっ⁉」


 ドゴォオオオン――と荷車に激突した。


 生皮のぬくもりから直接生と死を感じつつ、ケイは慌てて這い出す。

 そして、当たり所が悪ければ最悪こちらも死んでいたぞとブーイング。


「次はオマエに任せる」


「いえ、お見事なお手前でございました」


 手のひらを扇風機の如く回転させるケイなのであった。

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