第16話 星に願いを

 村長宅にはノルンが借りた荷車がある。

 それで脱出できるだろうとケイは考えていたのだが、


「逃げるなんてひでーじゃんかぁ!」


 想像以上にケモノの足が速かった。

 ケイは咄嗟に空き家に入り、コトリをベッドの下に隠して窓から離脱する。

 そこは奇しくもコトリの悪夢が始まった場所。


 ルウは敵の思考を推測するが、室内に隠れ潜んだのか離脱したのか測りかねた。一瞬の迷いは命取りに繋がるのだと敵が教えてくれたのだから、二度の醜態は晒すまい。

 そんな思いで彼は真っ暗な家屋へと入る。


 途端、鋭利な歯の隙間から青白い炎が溢れ出し、一気に辺りを赤い炎で燃やし尽くす。

 空き家に入った獲物を炙り出し、逃げたのならそれを追えばよいのだ。きっと出てくる、その瞬間こそが自身の勝利の瞬間だと。


 バチバチと建材が燃え弾け、崩れ果てていく。


 そこに、パリンと玻璃が砕ける音が外から薄っすらと聞こえた。

 優れた聴覚を持つ彼は、そこかと呟き壁を破壊する。一番の近道とは障害を無視した直線だから。


 外を見渡せば、敵の姿は見えない。

 それはつまり、まだ中にいること――――


 足元には食器の欠片が散乱している。


 がりん、と音を立てて鉄の斧が壊れる。

 柄である木ではなく、刃がつく鉄の部分が砕けたのだ。それは硬いものに打ち付けた証左。


 ケイは屋根から飛び降りながら斧を振るったのだが、結果は酷いものだった。

 しかし、それと引き換えに確信を得た。

 なにかしらの能力を使っている、という希薄なものでしかないのだが、ケイは最優先事項を敵の能力を暴くことに変更する。


 至近距離からケモノの大振り、回避は不可能であり、爪での直撃イコール即死。

 それを斧だったもので防ぎ、残る衝撃によって吹き飛ばされるケイ。


 頭部から染み出た血液がどろりと頬を伝い、不純物が排出されたように思考がクリアになる。錯覚かもしれないが、記憶が蘇るような感覚。


 へし折られた残骸を投げ捨て構える。

 先程は確かに蹴りが効いたのだ。攻撃無効なんて能力があれば元から使う筈である。

 徒手空拳ならダメージが入るのか、確かめねばなるまい。


 そんなケイの様子を見て、ルウは不出来にも真似る。彼が使う格闘技を賞賛し、自らのモノへと昇華させるために。それは、成長の糧になるのだと確信して。

 敵からモノを学ぶことは彼にとって初めてのことだった。人間など脆弱な下等生物であって、もとより持つものが違う。しかし、強い奴もいる。剣士の冒険者しかり、獣人の冒険者しかり、対面の彼も。


 あの二人は今頃西の森で蜃気楼に囚われていることだ。森事態を空間支配するアレは正真正銘の化け物。この辺りに人が住めるのはアレの存在が大きく、強力な魔物でも敬遠するレベルだ。賢い奴ならその周囲は安全地帯と知っているため滞在できる。それか馬鹿な魔獣だけ。


 だが、そんな掌握空間から逃れる方法は一つある。それは、生贄を捧げることだ。

 人間は醜い争いが好きだから、生贄という条件に気づけば仲間同士で戦うだろう。よって、あの二人はそう簡単には戻ってはこまい。どちらかが死ねば帰還方法が潰えるのだから。

 そんな思考だからこそルウの敵はケイ独りであって、故に敗北する要素など皆無だと思っている。


 森にいた男の魂が生贄として認められた瞬間から、ルウはこの村の最強になったのだから。


 しかし、興味があった。眼前の敵がどのような手段で戦闘を繰り広げるのか、どうして戦えるのか。

 それはかつてない熱烈とした意志。精神力というのだろう、きっと先程はそれに負かされたのだ。その秘密を、発端を、源を。ルウは知りたいと心から望んだ。


「ケイ、もう敗北を認めたらどうだーい? まだ勝てると思っているのかぁー? なんで、どうして、最後は俺に喰われて終いなのにっ!」


「そうだな、それでいいが、その前に聞いておきたい。ルウ、なぜあのとき俺を助けた?」


 それは、ケイがかねてから疑問に思っていたことだ。

 デッドグリズリーに襲われたとき、ケイは死んだものと思っていた。目覚めたとき、ノルンがデッドグリズリーを討伐したと言ったことで、てっきり彼女が助けてくれたのだと思った。


 しかし、それか思い違いだと今思い出したのだ。どろどろと頭から血が溢れると共に、あの瞬間が想起される。

 なぜ忘れていたのか、死を悟ったとき、ケイは確かにルウを見ていたのに。


 ――暗い闇の先、彼はにやりと笑った。


 あの時を想起させ、ケイは問うた。


「あー特に意味はねーよ。しいて言うなら面白そうだからかなぁ。仲間に見捨てられて可哀想な奴だーってぇ?」


「生憎、そんな記憶はない」


 それは心外なため否定しておく。冒険者として未熟であることは確かだが、パーティーとして初のクエストなのだから、過去の勝手は不問にしてほしいと。

 そして、見捨てられたという認識に対し落胆する。やはり相手はヒトならざるモノなのだと。


「これで終わりにしてやるよっ!」


 ルウはケイを強敵だと認めた。人間は脆弱だが、彼は侮れない。だからこそ油断などなく敵の動作を観察する。

 怒りに任せて躍りかかるような真似などもはやあり得ない。


 ケイは焦りを感じる。敵がただのケモノだったならどんなに良かったか。

 燃え盛る家屋から少女が這い出てくる。幸い燃えているのは上部だけだ。家屋は穴だらけなため、煙で窒息する心配もなさそうだ。

 少女だけでも逃げきれるのならば、今ここで全力を尽くすべきだと腹を決める。


 一秒、一秒と流れていく時間が際限なく間延びするような感覚。


 それは極限の集中によって成す驚異的な無我の境地――ゾーンである。

 ゾーンとはスポーツ界隈で用いられる精神状態のことだ。また、心理学においてはフローという概念で研究されている。

 緊張と安らぎを適度に介在させ、高い集中力を維持できることで知られている。


 ――彼は今、それに至った。

 つまり、ケイは決着をつけようとしているのだ。


 それに呼応して、ルウも本気で対敵する。

 これほどまでの緊張と高揚感は初めてだと、終わることを惜しみつつ。

 速さのために最適化された逆関節は張り詰めたバネの如く引き絞り、開放。


 肉眼でさえ霞んで捉えられるかという超高速。


 だが――――。

 刹那的疾駆は唐突に急制動する。


「いつから……」


 なんて声にもならない呟きがルウから漏れる。

 瞠目し動揺せざるを得ない。それは、彼にとって最悪の状況だった。


 ケイはその変化はブラフではないと、振り向く。


 そこには、


「エル!」


 豪壮で気韻高い剣を腰に差した紫鮮色の瞳をした青年――エルが鎮座していた。


「――おまえ、なんで生きてんだよ!」


 疑問より怒りが先行する。

 だって、そんなことはあってはならないのだ。

 完璧な計画だった、西の森にいる化け物がコイツを捕食する筈だったのに。それで厄介な奴は難なく謀殺できた筈なのに。


「あの二枚貝は生贄を欲するんだろ?」


 彼の一言でルウは息を呑む。

 アレの仕組みを看破して此処にいるのか。それはつまり、女冒険者を贄として捧げたということを意味する。


 失態だと、ルウは後悔に打ちひしがれる。一人なら外へ出られなかったのに、と。

 しかし、やはりというべきか。彼も自分と同じなのだと確信した。


「ひひひっ、やはりお前も俺と同類だ……。この村で二人も会えるなんてなぁあああ!」


 コトリとエルは目的のためなら殺人を嗜好できる希少種だ。人は目的のためなら殺人を犯すが、その行為自体を嬉々として実行する者は非常に稀有な存在だ。それこそ正真正銘の生まれながらの殺人鬼。正気の沙汰ではない、それは真性の狂気なのだから。


 自分と同じ奴なんてこの世界には一人もいないと思っていたのに。ルウにとって、それだけは幸いだった。人間ですらこんなヤツがいる、それも正常なのだと自己理解できたから。


「エル、まさか!」


 彼らの話は埒外の出来事だが、ノルンがいないという状況で不穏さを悟ったケイは叫ぶ。


「心外だな、オマエまで。生贄は生きていれば何でもいいんだ。ノルンは俺を生贄にし、俺は姿を見せた二枚貝を生贄にして蜃気楼から逃れたんだ」


「――――――」


 ルウは絶句していた。

 アレより強いなんて度が過ぎている。

 彼は一体何者なのか。


 ――いや、そうではない。そんなことほんとうにありえるのか?


 疑問は深淵の奥深くまで尽きることなく彼を襲う。


「……ありえない」


 同時に恐怖していた。

 自分自身の愚かさに。


 あの時、彼を霧に閉じ込めた時、尻尾を巻いて逃げるべきだったのだ。

 否、もっと、その前か。彼が村長宅で自身の存在を認知した瞬間から。


 悠然と、エルは剣の柄に片手を据えて歩く。

 ゆっくりと、緩慢な動作に思えるのはルウの意識が現実と乖離しているからか。


 そんな中、眼前の彼がどのような手法で自分を殺すのか、そんな未来に僅かながら昂揚した。


 ふっと、彼は消えた。


 ――――――途端、ルウの意識は途絶えた。


 ケイは敵の瞬間的な動作に対応できるように警戒していた。

 視界にはエルの姿もあった。

 見ていた筈なのに、何が起こったのか全く分からなかった。

 エルはルウの正面にいた筈なのに、まるで瞬間移動したかの如く彼の背後にいたのだ。


 そして、カチン、と剣が鞘に収まる音だけが静かなる夜に響いた。

 キーンと高い金属音が残響を引いて空気を微かに震わせ薄れていく。


 斬られたことを遅まきながら気づいたのか、ケモノの肉体は袈裟に崩れ落ちる。

 液体が地に弾ける不快な音は血の匂いと共に辺りを悲惨の色に塗り替える。

 物々しい肉塊は生気を感じない躯へと豹変した。一瞬で、彼の命は尽きたのだ。

 それを為したのは、一振りの剱。


「終わったんですね」


 不意に既知の声が上からかけられ、ケイは振り向く。


「ノルン、遅かったじゃないか!」


 彼女は眉をひそめて怪訝そうに口端を尖らせる。フグみたいに頬を膨らませて。


「こっちはこっちで大変だったのです!」


 と、へんな語尾で不貞腐れる。

 大変だったのはお互い様かと、ケイは全身の力を抜き、骨抜きになって大の字に倒れる。


 燃え盛る家屋の屋根は崩れ落ち、ギシギシと音を立てながら高さを失っていく。

 あの家にも誰かが住んでいたのだろう。


 そんな思いも夜と共に薄れていくのか。そんな寂寥感に瞼を閉じる。そして、コトリは無事に逃げられたのか、建物は完全に炎に包まれ瓦礫と化した。


 橙色の光に照らされながら、長い長い一日だったと、感慨に耽りながら、ケイの意識は――完全に途絶えた。



       ◇



 見上げれば、満天の星空が私を淡く照らしていた。

 興奮冷めやらぬ心境でその星々を見上げれば、不意にも涙が零れ落ちてくる。

 悲しいのか、嬉しいのか、怒っているのか、私はワケも分からずに泣いていた。

 声を出して泣くなんて久しぶりだ。両親が死んだときでも怒りが先行したというのに、今は感極まって自制などできそうにない。


 やっと終わったのだ。あの時始まった最悪が彼らによって幕が引いた。

 これからどうするべきか、生き残ったのは私だけだ。行くあてなどあるわけがない。


 しかし、私の全てを以て叶えたい夢は確かに決まった。


 風の如く軽やかに、林の如く静やかに、火の如く鮮烈に、そして、不動なる力の極致。


 ――強く、何者にも否定させない絶対なる力が欲しい。そのためならば、私は人生を賭けよう。どんな苦難だってこなして、どんな障害だって切り開いてみせる。


 赤髪の彼のように、芯に強い人に。

 美しい剣を振るう彼のように、最強に。


 なんとしてでも叶えたい。

 やはり私は心底強い人が好きみたいだ。

 こんなにも心がときめいてしまうのだから。


 彼の振るった技を、私は理想として生きていこう。

 いつの日にか、認めてもらえるように。


 そう、星に願いを……彼にとどくように。

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