第三十七話 町田政権下の日本外交(2)

 次に、欧州諸国との関係について見ていきたい。


 1923年のや、蒋介石しょうかいせきの北伐をめぐる対応などの諸問題で日本への不信感が高まっていたイギリスとは、満州事変以降急速に関係が改善している。


 の締結は、両国の軍事・経済的繋がりを強固なものにするだけでなく、日英関係に生じていた不信感の払拭にも成功していた。


 また、日中戦争において同じ戦場で共に肩を並べて戦い、名実共に戦友同士となったことは、日英同盟が有効だった日露戦争や第一次世界大戦中でも実現しなかったことであり、両国関係のさらなる親密化に寄与していた。


 経済面では、を通じ資源関連産業の協力が進んでおり、英企業から技術やノウハウを導入する形でなどの企業が成長しつつあり、日中戦争終結後からは日英共同で中華連邦領内に進出することが決まっていたりする。


 軍事面では、陸軍では英軍を通じたや、対戦車砲等の日本でのライセンス生産などが行われ、海軍では大和型戦艦用の五十一センチ砲の技術供与や電探開発での協力、のライセンス生産と技術協力などが行われている。


 また、空軍では英空軍による日本製航空機の試験的導入や、愛知航空機によるロールス・ロイルの液冷エンジンのライセンス生産、開発での連携なども行われている。


 フランスとは、それなりに関係を改善し友好的な関係の構築に成功している。


 日中戦争で共に戦い、中国大陸においてフランスに大きな権益を与えてくれたことは、フランス国民にそれなりの影響を与えており、有色人種に対するなど両国関係に良い影響を与えている。


 経済面では、経済成長を続ける日本への仏企業の進出が増加するなど、少しづつではあるが繋がりが強固になりつつある。


 軍事面では、フランスの日中戦争参戦の条件だった空母建造に関する技術提供や、対独戦時でのアジア太平洋地域の仏植民地警備への協力、日本製航空機の導入などが行われている。


 イタリアとは、満州王国当時承認での協力をキッカケに反共産主義・対独の視点で連携が進んでいた。


 1935年、イタリアがエチオピアへの侵攻を画策したことから発生したの時は、日露戦争の頃から親エチオピア感情の強い国内世論に配慮する形で外交交渉に乗り出し、国際連盟を舞台に粘り強い交渉を行った。


 結果的に、国際連盟によるエチオピアの独立保証、イタリアの要望通りの国境線変更、英仏による若干領土の割譲、日伊によるエチオピア近代化の指導事実上の委任統治などの妥結案をまとめ、1936年の締結によりエチオピア危機の収束に成功した。


 この危機を乗り越え、エチオピア近代化を共に成し遂げる大任を請け負った両国は、経済・軍事面での協力を強化していき、1937年にはが締結されている。


 経済面では、満州帝国領内の資源開発で培った技術を活かした伊植民地での資源開発や、自動車産業での技術交流などが行われている。


 軍事面では、空母建造での技術協力やイタリア軍兵装の輸入、日本製航空機の輸出などが行われ、対独戦への参戦を視野に入れていた日本政府の意向で、陸海空軍兵器のライセンス生産許可なども行われていた。


 町田政権は、国際連盟で共に常任理事国を務めている欧州三カ国と友好的な関係を構築し、後の第二次世界大戦、そして戦後世界に大きな影響を与えることになるとは知らず、反共産主義・反ナチスの点で関係強化を進めていた。

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2025年1月7日 09:00

戦争はただ冷酷に 信濃 @koukuusenkann

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