第三十四話 日中戦争(15)第二次下関条約 中
1939年6月25日、講和会議の第四回会談が行われた。
会談の冒頭、中華民国代表の
この要求に対し、四カ国側はこの程度の内容であれば問題ないと修正を快諾、四カ国共通の要求については早々と決着がついた。問題となったのは、当然のことながら各国ごとの要求についてである。
王は、四カ国の中で一番要求の少ないフランスと最初に交渉を行った。王は、フランスに対する沿岸二都市割譲を受け入れる代わりに、司法権放棄の撤回と企業経済活動の無条件尊重から最大限尊重への変更を要求した。
フランス代表のシャルル=アルセーヌ・アンリーは、企業経済活動についての変更であれば受け入れるとの意向を示したものの、「数々の戦争犯罪を黙認した中華民国の司法体制をフランス国民は非常に疑問視している」として司法権放棄の撤回には応じなかった。
王は、経済方面でさらに譲歩しても構わないと司法権放棄の撤回を求め続けたが、色良い返事が返ってくることはなく、不本意ではあるが司法権放棄を受け入れることとなった。
また、王がアンリーとの交渉を終えるのと同時に、イギリス代表のロバート・クレイギーは、フランスに司法権放棄を認めたのなら我々にも認めるべきだと要求した。
王自身は、あのイギリスに司法権を委ねることなどできないと考えていたが、フランスに認めてしまった以上どうにも反論できず、イギリスに対しても司法権放棄を認めることとなった。
その流れで、中華民国とイギリスの交渉が開始された。王は、香港周辺の領土割譲やチベット・東トルキスタン地域の領有権放棄に応じる代わりに、麻薬を始めとする物品に対する輸入制限や少数民族権利の無尽蔵な尊重から可能な限りでの尊重への変更、非武装地帯設置の撤回を要求した。
中華民国側からすれば、アヘン貿易という中英関係において最大級のトラウマが残っている以上、英国からの輸入品を無条件で受け入れることなどできないし、正当な犯罪者の逮捕を少数民族弾圧と非難されかねない「絶対」などという文言は削除しなければならなかった。
また、非武装地帯の設置とイギリス軍による警備などという矛盾した講和内容を受け入れてしまうと、「正当なイギリス軍による警備を妨害するなど条約違反」などと過度な内政干渉が行われる可能性もあり、断固として撤回させる必要があった。
だが、イギリス側も譲る気など全くなかった。彼らからすれば、少し無理をするだけで軍事的勝利も可能な状況で譲歩するなど、欧州で再び戦争が起きたりしない限りありえない選択肢であった。
また、アヘンや民族問題が中華民国にとって混乱の元となることも理解しており、中華民国が二度と立ち上がれないように様々な混乱の火種を作っておきたい英国としては、撤回などは受け入れ難いごとであった。
激しい論争の末、企業経済活動と少数民族の権利については最大限尊重するという文言に変更され、英国からの輸出品は国際連盟による監査を必ず受け入れることとなった。また、非武装地帯については双方が譲歩し、非武装地帯を国境から一キロの地域にまで縮小した上で、国際連盟下部組織として新たに編成される国際連盟平和維持軍に警備を認めることとなった。
この第四回会談は、仏英との交渉を終えたところで時間切れとなってしまい、日満との交渉は6月28日の第五回会談にて行われた。
王は、比較的条件がマシな満州王国と交渉を開始した。王は、領土に関する要求の全面的受け入れや八達嶺事件に関する謝罪、貿易価格に関する要求の受け入れなどの代わりに、共産党・文化遺産損傷に関する賠償の撤回及び減額や国内における武器無制限使用の撤回、中英講和案妥結案と同様の非武装地帯設置に関する譲歩などを要求した。
満州王国代表の
満州王国側は、中華民国に妥協などする必要がないという意識がとても強く、賠償金や自国民の安全に関わる項目では一切妥協しない方針をすでに固めていた。また、相次ぐ戦勝に舞い上がってしまった多くの国民が、中華民国から多くのものを手に入れることを望んでおり、日本の日比谷焼き討ち事件のような事態を防ぐためにも要求を飲ませなければならなかった。
両者の交渉は、当然のことながら激しいものとなり、双方の譲歩や妥協、代替案の提案など様々な経緯を辿りなんとか講和内容をまとめることに成功した。
中華民国は、中国共産党に関する賠償を減額させることに成功し、文化遺産については歴代王朝の遺産を清王朝の後継者である満州王国に移管することで賠償とすると決定された。また、国内における武器無制限使用容認については、司法権において仏英並みに妥協する上、常識的な規模の武器携帯と正当防衛の場合における最大限の武力行使の容認という形で双方が譲歩することとなった。
最後に行われたのが、日本との交渉である。王は、日本に対する公式な謝罪や貿易面での価格優遇、一部財閥解体と人員を除く資産の譲渡などに応じる代わりに、賠償金の減額や軍縮規模の縮小、現在の前線を中華連邦との国境にするなどの譲歩を要求した。
日本側共同代表の町田忠治首相は、武器無制限使用の項目を満州王国との講話内容と同様の内容に修正し、軍縮規模に関する修正には応じる考えを示したが、領土や賠償では絶対に妥協しないという姿勢を示した。
両国とも激しい論争を繰り広げたが、連日の会談や交渉で誰もが疲弊しており、どこかで落とし前をつけなければいけないのは明確な事実だった。結局、重慶にて交渉の様子を見守っていた蒋より、「領土は将来的に奪還できる可能性がある。譲歩しても構わない」との連絡が届いたことにより、日中間の講話内容もようやくまとまることとなった。
最終的な講和内容では、中華民国が自国財閥や在日資産に関する項目で譲歩する代わりに、賠償金の減額や陸軍軍縮の規模縮小などで日本を譲歩させることに成功した。
四カ国と中華民国の交渉は、時間や国民の煽りを受けた四カ国側の譲歩により成功し、東アジア情勢を落ち着かせる講和条約の締結がいよいよ始まろうとしていた。
戦争はただ冷酷に 信濃 @koukuusenkann
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