第三十三話 日中戦争(14)第二次下関条約 上
1939年6月14日、
日本全権代表は、内閣総理大臣
また、この五カ国の他に中華連邦外交局長の
中華民国側は、まず日中戦争の一刻も早い休戦を実現するように要望し、具体的な講和条約締結を少しでも遅らせようと試みた。
しかし、圧倒的優位を保ったまま講和会議に臨んでいる四カ国は、無条件の休戦など認めないと中華民国の要望を一蹴、休戦の条件として前線から現在の中華民国領内に非武装地帯の設定・
流石の中華民国もこのような屈辱的な休戦など受け入れられないと休戦要望を撤回、改めて講和交渉に望むこととなった。
6月16日の第二回会談で、中華民国の講和案が各国代表に提示された。中華民国が示した講和案の概要は、以下の通りである。
『中華民国は、満州王国を承認する。
中華民国は、容共抗日満政策を放棄する。
中華民国は、中華連邦を中華民国特別自治州として認め、両国政府は合流する。
満中国境地帯に非武装地帯を設ける。
中華民国は、日満英仏四カ国に対して所要な賠償をする。
中華民国は、上海市内において発生した偶発的事件の責任を取り、各国への賠償として上海租界の拡大を容認し、上海地域を自治区として独立させる。
四カ国は、中華民国領内で行われた非道な爆撃に対する中国国民への適切な賠償を行う。
四カ国は、講和条約締結後速やかに軍隊を領内から撤退させる。
中華民国は、本戦争における戦争犯罪人を国際法に基づき適切に処理する。』
この講和案は、英国の仲介で行われた和平交渉時の和平案を踏まえて作成されたもので、継戦派の意見を多く取り入れたものとなっている。
当然、この講和案が受け入れられる状況ではないと中華民国側も認識しており、自分たちの講話案と四カ国側の講和案を擦り合わせる形で可能な限り損失を減らそうという魂胆だった。
一方の四カ国側も、戦勝国としての余裕があったからなのか、自分たちの講和案と擦り合わせる形で講和内容を決定することを自ら提案、国ごとに講和案を提示した。
まず、四カ国の中で共通していた要求は以下の通りである。
『中華民国は、満州王国・中華連邦を承認する。
中華民国は、容共抗日満政策を放棄する。
中華民国は、反国際連盟的政策及び国際連盟加盟国並びに国民に対する不当な迫害、非難をすぐさま停止・放棄し謝罪する。
中華民国は、日満英仏四カ国に対して所要な賠償をする。
中華民国は、本戦争における戦争犯罪人を速やかに国際連盟もしくは四カ国に引き渡す。
中華民国は、四カ国に対する関税を大幅に引き下げる。
中華民国は、国内における国際連盟加盟国民の権利を無条件で尊重する。
中華民国は、上海及び周辺地域・海南島を国際自由経済区とし、国際連盟に帰属することを認める。』
四カ国は、この要求の容認が講和の為の最低条件であると中華民国側に伝え、要求内容の譲歩や撤回などは絶対にあり得ないと強調した。王寵恵は、この発言は冗談などではないとすぐさま確信、政府との調整が必要だがこの要求を受け入れると返答した。
次に、一番少ない条件を提示したフランスの要求は以下の通りである。
『中華民国は、広州市をフランスに割譲し広州市の領有権を永久に放棄する。
中華民国は、漢口市をフランスに割譲し漢口市の領有権を永久に放棄する。
中華民国は、国内におけるフランス企業の経済活動を無条件で尊重する。
中華民国は、フランス人が加害者・被害者である国内での犯罪行為に対する司法権を放棄し、フランスに司法権を認める。』
フランスは、他の三カ国と比べると日中戦争による損害が少ない国家であり、その要求も一部領土の割譲と経済活動の自由、そして治外法権の全面承認のみと他の国と比べれば多少マシな要求となっていた。
そのフランスと共同で日中戦争に参加したイギリスの要求は、以下の通りである。
『中華民国は、深圳市・珠海市・仏山市を含む香港周辺地域をイギリスに割譲し、そのすべての領有権を永久に放棄する。
中華民国は、チベットの独立を正式に承認しその宗主権並びに領有権を永久に放棄する。
中華民国は、東トルキスタン地域の領有権を永久に放棄し、四カ国及び国際連盟にその後の判断を委譲する。
中華民国は、チベット・東トルキスタンとの間に五キロ以上の非武装地帯を設定し、イギリス軍による警備を認める。
中華民国は、イギリスとの貿易に対する輸入品制限及び関税設定を絶対に行わず、イギリス企業の経済活動を無条件で尊重する。
中華民国は、イギリス人が加害者・被害者である国内での犯罪行為に対する司法権を放棄し、イギリスに司法権を認める。
中華民国は、国内での少数民族の権利を尊重し絶対に差別的行為を行わない。』
誰がどう見てもいかにも英国らしいという内容が詰まった、すばらしい講話案となっている。英国全盛期に近い南京条約と同じ雰囲気のする帝国主義的内容が詰まっている上、少数民族の権利やチベットなどの民族問題にも関与するなど、時代を経た分さらに狡猾になっていたりする。
参戦時期が遅い英仏と比べ、日中戦争に最初から参戦していた満州王国の講話案は、以下の通りである。
『中華民国は、満州族固有の領土である北京を含む河北省・山東省を満州王国に返還し、その領有権を永久に放棄する。
中華民国は、内蒙古地域がモンゴル人の領土であることを認識し、その領有権を永久に放棄する。
中華民国は、満州王国が内蒙古地域をモンゴル人民共和国の民主化まで保証占領することを容認する。
中華民国は、保障占領地域を含めた満州王国との国境に五キロ以上の非武装地帯を設け、満州王国軍による警備を認める。
中華民国は、満州王国に移住を希望する満州人の移動を無条件で承認する。
中華民国は、清王朝の宝物を含めた重要な文化遺産を傷つけた責任を取り、文化遺産の規模・価値に応じて適切な賠償を行う。
中華民国は、満州王国との貿易の際、輸出品を通常の十分の一の値段で売却し、輸入品を通常の十倍の値段で購入する。
中華民国は、満州王国人が国内で活動する際の武装と自己防衛時の武力の無制限使用を容認する。
中華民国は、滅亡した中国共産党と協力し八達嶺事件の責任転嫁を試みたことを謝罪する。
中華民国は、中国共産党と協力した国家として共産党員の起こした犯罪の責任を取り、適切な賠償を行う。』
満州王国は、初戦から日本に次ぐ活躍をしていただけあり、四カ国の中で一番多くの領土を要求していた。また、貿易面では信じられないほどの不平等な条件を突きつけ、多くの戦争犯罪の責任を取らせることで多くの金を搾り取ろうとしていた。
一部では、英国から帝国主義国としての外交について学んだのではないかと囁かれるほどに辛辣な内容であり、国際社会では満州王国が国家として成長した証拠ではないかと度々言われるようになるという副産物を産んでいる。
さて、最後に日中戦争の1番の当事者である日本の講和案は以下の通りである。
『中華民国は、日本を意図的に戦争に巻き込み不必要な犠牲を敷いたことを謝罪し、日本の今年度国家予算と同額を日本円または現物にて賠償する。
中華民国は、満州事変や八達嶺事件を巡る国際連盟決議が正当なものであることを認め、日本及び日本国民に対して行われた不当な全ての行為を謝罪する。
中華民国は、現在の前線から速やかに撤退し、雲南・広西・湖南・湖北・陜西・山西省以東を中華連邦の領土として割譲し、その領有権を永久に放棄する。
中華民国は、浙江財閥を始めとする有力財閥を解体し人員を除く全てを日満企業に無償で譲渡する。
中華民国は、海空軍を解体し軍事費を永久に国家予算の0.1%以下に抑制する。
中華民国は、日本国内の資本を官民問わず日本銀行に譲渡する。
中華民国は、日本に対し輸出のみ行い、通常の二十分の一以下の価格で取引を行う。
中華民国は、国内で活動する日本人が日本軍部隊を帯同することを容認し、自己防衛時の無条件武器使用を永久に認める。
中華民国は、自国が多民族で構成される中小規模国家であり、中華連邦が国際連盟に加盟することのできる唯一の漢民族国家であることを認める。』
中華民国を二度と立ち直れないようにしようという意志のこもった、ベルサイユ条約並に辛辣な講和案となっている。あまりにも日本の利益が多いこの内容だが、初期段階では中華民国領内は日本軍の訓練場であることを認めると言った内容も含まれており、「少しは条件を緩和し、早期講和を実現すべし」という昭和天皇の言葉によって何とかここまでに抑え込めることができたというのが実際のところである。
各国の講和案が提示される中、中華民国はできる限り条件を軽減しようと試み、四カ国側は中華民国が潰れない程度妥協しながら、多くの利益を獲得しようと画策、講和会議は荒れながらも少しづつ進んで行くのだった。
戦争はただ冷酷に 信濃 @koukuusenkann
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