田舎で初恋の鬼娘さんに癒される話
田舎の人
陽炎
「もう着くな……」
緩やかに揺れる電車内の座席で俺は静かに呟いた。
平日の昼間だからか、俺以外の乗客は見当たらない。
窓から見える緑一色の退屈な景色は、とても懐かしくて荒んだ心の隙間を埋めてくれるようだ。
「容量足りないな……」
田畑と山地に囲われた土地には電波も通っていない。
俺はスマホの電源を落として、硬い座椅子に体を預ける。
新卒で入社した会社の上司とのイザコザで俺は会社を自己都合で退職。
それによって負った傷を癒す為に父方の祖母が暮らしている田舎へ訪れたのだ。
「ふぅ……」
ボロいバッグの中に入っている冷たい麦茶を取り出し、渇いた喉を潤す。
窓際の席でこうしていると、昔にここを訪れた時の記憶がほんの少しだけ蘇ってくる。
高校1年生の夏休みの時に両親とここへ足を運んだ際の記憶である。
それの大部分は陽炎のように霞んでいて、全ては思い出せないが、とても楽しかったような気がする。
いや、きっと楽しかったのだろう。6年経った今でも、それははっきりと覚えているのだから。
「え〜次は〜、
どこかで聞いたような車掌さんのアナウンスが車内へ響く。
俺はゆっくりと背筋を伸ばした後、足元に置いていた荷物を膝の上に置く。
安谷の駅から畦道を30分ほど歩いた集落に祖母が暮らしている家があったはずだ。
熱中症に気を付けて向かうとしよう。
「まもなく〜、安谷〜、安谷〜」
アナウンスと共に、線路を突き進んでいた電車の動きが次第に緩やかになっていく。
キイィっというけたたましい高音と微動な振動の中で俺は立ち上がり、車掌席の傍にある出口へと向かう。
「ありがとうございます……」
「どうも〜、ありがとうございます〜」
電車賃を和やかな笑みを浮かべている車掌さんへ手渡し、出口を潜る。
「着いたぁ……」
年季の入った安谷駅の構内を歩きながら深い溜息を漏らす。
黒茶色の木壁とコンクリートの地面に覆われた小さな駅だ。
ここからはほとんど1本道だったはずだ。俺でも無事に辿り着けるはず。
照り付ける太陽と夏の風物詩である蝉の大合唱を身に浴びながら目的地を目指す。
微かに残っている記憶の中の情景と照らし合わせても何も変わっていない長閑な風景だ。
「ばあちゃん……元気かな……」
ふとそんなことを歩きながら呟く。
祖母は仕事の件で落ち込んでいた俺に手を差し伸べてくれた。
ここに来れたのも祖母が提案をしてくれたからだ。そのお返しにと老舗で人気の饅頭を買ってきたのだが、気に入ってくれるだろうか。
「あ、アレだったな……」
田畑に囲われていて、趣のある日本家屋が陽炎の中から姿を見せた。
額に滲む汗を手の甲で拭いながら、玄関先へ足を運ぶ。
「ただいま〜……」
酷い蒸し暑さだ。麦茶も道中で飲み切ってしまった。早く冷たい飲み物で喉を潤したい。
そんなことを思いながら、建て付けの悪い玄関の戸を開けて中に入る。
しかし、一向に祖母の現れる気配がしない。
「出掛けてるのか……」
よく見てみると祖母がいつも履いている靴が見当たらない。
仕方ない。冷たい飲み物でも飲みながら寛ぐとしよう。
「はいはーい……どなたでありんすかぁ……?」
「えっ……?」
玄関先に姿を見せたその人物に俺は硬直した。親戚や知り合いにも居ない知らない女性が当然のように出てきたからである。
「あれ……ここ……小山さんのお宅ですよね……?」
「えぇ……そうでありんす……
「どっ……どうして俺の名前を……!」
椿の刺繍が施された真っ黒な抜き襟の和服に身を包んだ黒髪の女性は妖しく微笑む。
「
「椿……」
その名前を聞いた瞬間、記憶に纏わり付いていた陽炎が一気に取り払われた。
あの夏休みに体験した出来事が鮮明に蘇る。
「椿……お姉ちゃん……?」
「ふふっ……大きゅうなりんしたねぇ……」
夏休みの時、孤立していた俺と一緒に遊んでくれていた椿のお姉ちゃんだ。その特徴的な話し方は未だに健在らしい。
「ど、どうして……ここに……」
「ずっとお待ちしておりんした……」
「それは……どういう……」
「さぁ……おいでくんなまし……」
椿のお姉ちゃんは優しく手を招いて俺を室内へ誘う。まさかまた、この人と会うことが出来るなんて思わなかった。
俺の初恋の人と。
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