貴方を愛している
あぁ、行ってしまった。
追おうと思えば今すぐに追うことも出来る。
しかし、それをしてしまうと今度こそ私はあの人から離れられなくなってしまう。
「行かんのか……?」
「
「アンタは自分の役目を果たした……アンタに追う権利はある……」
「いえ……いいんです……」
綾人さんの前に姿を見せたのは、満子さんに頼まれたからだ。
落ち込んでいる綾人さんを慰めて欲しいと頼まれたのである。
「綾人さんとの生活はとても楽しかった……出来ることならずっと味わっていたい……でも……」
「でも……?」
「綾人さんは……きっと私より先に死んでしまう……そのことを考えると……怖くて仕方がないんです……」
100年経てば必ず終わってしまう幸福と、その後に訪れるであろう永遠の孤独。
そんな地獄のような責苦に私が耐えられるはずもない。
「それに私は男を恨んで鬼になった存在です……初めから幸せになる権利なんてありません……」
侍という身分が存在していた時、私は父親の借金を返す為に江戸の遊郭へ売り払われた。まだ16歳の頃だったと思う。
終わりの来ない苦悶に満ちた日々。
私はそんな日々を過ごす内に心の中へ鬼を宿してしまったのだ。
「アンタはもう十分に苦しんだ……自分の罪に向き合って苦しみ抜いてきた……」
「私は……」
「だからお天道様は……アンタと綾人を巡り合わせたのかもしれん……」
私が鬼と化して数え切れないほどの年月が経った。
その頃の私には何の感情もなく、退屈な日々をただただ過ごしているだけだった。
「お姉ちゃん! 遊ぼう!」
「えぇ……遊びんしょう……」
いつもの場所で幼児だった綾人さんと遊んでいる時を除いては。
その時だけは私は自分が鬼であることを忘れ、感情を表に出すことが出来たのだ。
「椿さん……私の孫を……よろしくお願いします……」
「っ……!」
満子さんは深々と頭を下げた。
自分より下賎な存在であるこの私に。
気が付いたら駆けていた。
長閑な風景を横目にひたすら駆ける。
「綾人さん……!」
綾人さんを乗せた電車が微かに見えてくる。
一心不乱に髪を乱れさせ、それに追い縋る。
あの人こそ私の希望であり、未来だ。
私はあの人と一緒に居たい。
あの人が息絶えるその瞬間まで傍に居させて欲しい。
「主さあぁんっ!」
「お、お姉ちゃん……!?」
精一杯の力で張り上げた声に綾人さんは振り返ってくれた。
その顔は少しだけ赤らんでいて、とても愛おしい気持ちになる。
「わっちも……わっちも行きんすぅ……!!」
「う、うん……! 一緒に行こう……!」
綾人さんが身を乗り出して、こちらへ手を差し伸べてくれる。
私はもう迷わない。
優しい温もりを掴み取った私は電車内へと飛び移った。
車内で立ち尽くしている綾人さんの元へと歩み寄る。
「お姉ちゃん……どうして……?」
「主さんと一生を添い遂げる覚悟が出来んした……」
「じゃあ……これからも一緒に居てくれるんだね……」
「はい……そうでありんすよ……」
2人で身を寄せ合い、後ろへ流れていく緑一色の風景を目に焼き付ける。
「こんなだらしない俺を選んでくれてありがとう……」
「ふふっ……わっちが主さんを守りんす……だから安心しておくんなんし……」
「うんっ……」
綾人さんが薄っすらと浮かべている涙を指で優しく拭い取る。
これから先にどんな結末が待っていようとも、私はこの人と共に歩んでいきたい。
霞のように儚く美しい人生を傍で見守ってあげたい。
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