秘密と月光

 新しい朝が来た。希望の朝だ。

 この言葉が似合う日が来るとは想像もしていなかった。


「正社員だよな……やっぱり……」

「主さん……お茶でありんす……」

「あぁ……ありがとう……」


 縁側でお姉ちゃんが淹れてくれた麦茶を片手に求人票を睨み付ける。

 お姉ちゃんはそんな俺の隣で和かな笑みを浮かべている。


「頑張っておくんなんし……」

「うん……頑張るよ……」


 お姉ちゃんとの生活の為にも俺は気張らなくてはならない。

 早く条件の良さそうな所を見つけて履歴書を送らなければ。


「お、ここにしてみるか……!」


 スマホの画面に映るとある求人に俺は釘付けになった。

 この条件ならきっと大丈夫だ。そんな自信を糧に俺は居間へと向かう。


「どうなりんしたか……?」

「良さそうな所を見つけたから履歴書を書こうと思ってね……」

「じゃあ……わっちは見守ってやすね……」


 バッグからボールペンと履歴書の束を取り出して机の上に置く。

 冷たい麦茶で熱気を冷まし、頭を冷静にさせた状態で履歴書の作成に取り組む。


「頑張っておくんなんし……主さん……」

「うん……ありがとう……」


 お姉ちゃんからの温かい応援が俺の活力を更に向上させる。

 だが、それとは反比例して履歴書に対する筆の進みはあまり芳しくない。


「うぅん……」

「大丈夫でありんすか……?」

「まぁ……大丈夫……かな……」

「麦茶注ぎんすね……」

「ありがとう……」


 麦茶を片手に畳張りの居間で紙と睨めっこ。

 まるで夏休みの宿題をしているようだ。


 外から聞こえていた蝉の合唱が蛙の長閑な鳴き声に変わった頃、ようやく俺の手からボールペンが離れてくれた。


「出来たぁ……!」

「お疲れ様でありんした……」


 我ながら完璧な出来だ。

 背筋を伸ばして深い溜息を吐く俺の肩にお姉ちゃんの綺麗な手が添えられる。


「手伝ってくれてありがとう……お姉ちゃん……」

「いえいえ……」

「俺は風呂入ってくるよ……」

「あ、その前に……ようござりんすか……?」

「うん……? いいけど……」

「では……こちらへ……」


 神妙な雰囲気を纏っているお姉ちゃんは俺を縁側へ座らせた。

 さっきまで窓から見えていたはずの月は濃い暗雲に飲まれている。


「どうしたの……?」

「実は……わっち……」

「うん……」

なんでありんす……」

「う、うん……?」


 俺にはお姉ちゃんが何を言っているのか一瞬だけ理解出来なかった。

 俺は低く唸りながら、お姉ちゃんへ慎重に問い掛ける。


「お、鬼……?」

「そうでありんす……」

「じゃあ……その姿は……?」

「これは仮の姿でありんす……」

「仮の姿……」


 呆然とする俺を置いて縁側から裏庭へ降りるお姉ちゃん。

 月を覆い隠していた暗雲が徐々に消え去っていく。


「本当のわっちを……受け入れてくれんすか……?」

「当たり前だろ……!」


 鬼だろうが人間だろうが関係ない。

 お姉ちゃんはお姉ちゃんだ。


「何でも受け入れるよ……!」

「主さん……」


 安堵の表情を浮かべるお姉ちゃんを青白い光が照らしていく。

 その神々しい光によってお姉ちゃんの真の姿が暴かれた。


「お姉ちゃん……!」

「ど、どうでありんすか……?」


 俺の目の前に居るのはいつもと変わらないお姉ちゃんだ。

 だが、明らかに一部だけ違う箇所がある。


 その箇所とはお姉ちゃんの額に生えている

 それは黒い真珠のように妖しい光沢を放っており、美しい曲線美を描いている。


「凄く綺麗だよ……!」

「そ、そうでありんすかぁ……?」

「うん……!」

「恥ずかしゅうござりんすぅ……」


 お姉ちゃんは頬を赤く染めながら、だらしのない可愛らしい笑みを浮かべている。

 鬼がこんなに可愛らしい存在だとは思いもしなかった。

 

「お姉ちゃん……」

「ん〜……?」

「その……見せてくれて……ありがとう……」

「ふふっ……お礼を言うのはわっちのほうでありんす……」


 俺は月夜の光が降り注ぐ裏庭でお姉ちゃんを優しく抱き締めた。

 今日はお姉ちゃんとの絆がより深まった良い1日だった。

 

 


 


 

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