第4話:【無機質にしか見えない現実】
歩く。駅を視認する。改札を通る。電車に乗る。降りる。歩く。学校の建物に入り、靴を履き替える。歩く。
私、「安良木
「ごめんな安良木、休日に呼び出して」
職員室のキャスター付きの椅子に座る担任は、座ったまま書類を指さした。もしこれが小説だとしたら担任の細かな表情も描写するところだろう。でも、ここは現実だ。だから私は、音量の大きな声を耳に入れ、差し出された書類を受け取るだけ。
「この書類の署名が抜けていてな、自筆じゃないとだめだから書いてくれ」
「はい。すみませんでした」
書類を見直す。私の名前の他に、下の方にも署名欄があった。受け取って、ペンの蓋を上から押して、その空欄に安良木一華と書く。
「最近どうだ? 誰かと遊んだりとかはするんか?」
顔を上げる。誰かと遊ぶどころか、外出すら全くしない。ここには「
「はい、友達ふたりと遊びに行きました」
担任は大きく二回頷く。
「そうかそうか。それは良かった。安良木はいつも独りのイメージがあるからなぁ」
「書けました。帰ってもいいですか」
両手で書類を差し出す。返答がないので、私は担任をじっと見つめた。こうすると、相手の方から目を逸らす。
「……あー、安良木。あのな、何か困ったことがあったら」
「ないです。ありがとうございます。それでは失礼します」
踵を返し、数歩歩き、扉を開け、職員室を出る。廊下を歩く。
もしかしたら、私の方から避けているのかもしれない。いや、「かもしれない」で片づけてはいけない。私の方から避けている。担任も、同級生も。
なぜ避けるようになったか。思い出したくもない。もしこれが小説だったら、回想シーンに浸るところだ。だけど私は、それが「イタイ」ことだと知っている。イタイから何がいけないのか。分からない。湧き上がってくる不快感に蓋をして、見ないふりをする。だけど、その代わりに湧き上がってくる感情だけは素直に受け取る。
小説を書きたい。ニコリさんとサンマちゃんに逢いたい。無機質ではなく、もっと有機的で面白い冒険の旅にイチカを連れていけば、それで全てが良くなるはずだ。でもーー
「確か私は……」
確か私は、あの小説を書くのを辞めようとしていた。無題で途中の小説を。電話が鳴るまでは。一時間経った今は、その気持ちは消えてしまっている。本当にボツにしてしまったあと、私に次の小説が書けるだろうか。ニコリさんとサンマちゃん……それからイチカ。あの子たち無しで、無機質な現実をーー?
「安良木!!」
振り向いた。担任が立っていた。
「なあ、やっぱりお前、絶対困ってるだろう」
こちらに数歩近づいてくる。身体が硬直するのを自分でも感じる。この人は、私の空間に入ってこようとしている。
「あのな、先生が無理だったら別の人でもいい。素直に話せ。このままだとお前、見えるものがどんどん狭くなって、何も出来なくなるぞ」
担任の「カタベ先生」は、そこまでまくしたててから息をつく。顔を直視する。皺の3本入った、褐色肌の顔。先生は顔を逸らさなかった。
「そうなった奴は、自分以外が見えなくなって屋上から飛び降りる。ええか、他に言うことは何もない。お前はとにかく、もっと周りを見てくれ」
「……っ」
私が離れる前に担任は数歩下がる。私から離れる。呼び止めて済まなかったな、と笑顔を作った。私は軽く礼をして、勢いのままに歩き出した。
廊下を曲がって、靴箱の前で私は足を止めた。息が荒くなっている。心臓に手を当て、呼吸を取り戻す。久しぶりだ。蓋の中に収まりきらずに開きかけてしまうのは。目を閉じて、ゆっくり呼吸を繰り返す。
見えるものがどんどん狭くなって、何も出来なくなる。妙にその言葉が引っかかった。視界を広げる。視界を、広げる。
恐る恐る目を開けた。
陽の光が照らす、ずらりと並んだ靴箱。
靴箱から靴を取りだして履く。靴箱は木目。触るとざらざらした感触。校外に出ると、妙に強く光る地面がある。ライトでは再現しようも無い。そのまま顔を上げると、水色に薄い白を加えたような空……
“そして、無機質にしか見えない現実”
私が呟く前に、声が頭に響いた。
“突っ立ってる暇があったら、早く帰って小説書いたら?”
その二言だけで声は止んだ。確かに私は、校門の前で立ち尽くしていた。返す言葉も思いつかない。
そう、だね。そうだ。考えている暇はない。何かに立ち止まっている暇はない。たとえ書けなかろうと小説を止めてはいけない。早く帰って机に座って、ペンを持たないとダメだ。イチカが目を覚まして、朝食を食べて、外に出るシーンを書かないと。
勘違いしてはいけない。私が小説に書いているのは
私は無機質で何もない現実を歩く。家に帰って無機質でないセカイを創り出すために「太陽が燦々と照らす道」を歩き出す。
無題の途中 甘衣君彩@小説家志望 @amaikimidori
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