お昼寝とたまご焼き
snowdrop
初夏の昼休み
昼休みになると、わたしはお弁当を持って教室を飛び出す。
行き先は、学校内の中庭。
白やピンクの花をつける、大木ハナミズキの下のベンチが、わたしの特等席。
一人きりになれる唯一の場所だ。
でも、先客がいた。
木の根本で、もたれかかるように眠る子がいる。
同じ学校の制服を着た、長い黒髪の女の子。
彼女の髪からは花のような香りが漂う。
くるりとした長いまつ毛が、眠り込んだ目を隠している。
横顔は穏やかで、小さな寝息が聞こえる。
どうしたらこんなにも無邪気に眠れるのだろう。
でも、どこかでみたような気がする。
クラスメイトではないし、隣のクラスの子でもない。
そんなことより、いくら木漏れ日の中とはいえ、日焼けするかもしれない。
きれいな顔が台無しになってしまう。
スクールバッグから取り出した日傘を開くと、彼女に日差しがかからないようにしてあげた。
予鈴が鳴る五分前くらいになると、彼女のスマホアプリのタイマーが鳴り出した。
どうやら、昼寝から目覚める時間がきたらしい。
起き出す前に、さりげなく日傘をたたんでおく。
両腕を突き上げながら目を覚ました彼女は、大きなあくびを一つして、校舎へと入っていく。
まるで猫みたい。
以来、彼女の側でお昼を食べるのが、わたしの日課になった。
新緑芽吹く、初夏の月曜日の昼休み。
中庭のベンチへ向かうと、いつもは寝ているはずの彼女が起きていた。
「スマホの調子が悪くて修理に出してるの。三日くらいで戻ってくるから。それまで、予鈴の五分前になったら起こして」
言い終えると、彼女は木の根元にもたれかかるように眠りはじめた。
初めて聞いた彼女の声は、控えめで、落ち着いたものだった。
二人きりの中庭でゆるりと響いた声は、小鳥のさえずりに似て心地よかった。
内容は一方的だったけれど、話の中で浮かび上がった彼女の微笑みはとても暖かく、初めての会話とは思えないくらい安心し、なぜか胸が弾んでしまったのを覚えている。
目覚まし時計のかわりをすればいいのかしらん。
彼女に日傘をさしてから、わたしはお弁当を食べはじめた。
自分のスマホを見て、予鈴五分前を確かめる。
彼女を起こそうと近づく。
透き通るような薄紅色の頬とぽってりとした唇。
無防備な寝相は、わたしの体を熱くする。
でも、引くわけにはいかなかった。
「あ、あの、先輩」
小さな声をかけてみた。
変化がないので肩をそっと揺すってみる。
すると、寝返りを打たれてしまった。
「起きてください」
もう一度、今度は少し大胆に彼女の肩を揺すったとき、彼女が薄目を開け、わたしの方を向いて「ん?」と声を上げた。
目を開けた彼女は両腕を突き上げ、
「名前は?」
と聞いてくる。
突然のことに戸惑っていると、
「名無しさん?」
小さく首を傾げて微笑んできた。
「いえ、タカナシヒバリです」
「ヒバリさん、かわいい名前ね。一年生?」
「はい。一年一組です」
そうなんだ、と立ち上がった彼女はスカートについた葉っぱをはらった。
「わたしはオオトリツバサ、三年二組。よろしくね」
人差し指と中指を口元に近づけては投げ飛ばす仕草をすると、校舎へ向かっていく。
見慣れない人だと思っていたけれど先輩だったんだ、と見送りながら、わたしも校舎へと歩き出した。
翌日の昼休み。
教室を抜け出して中庭へと急いだ。
いつものベンチまで来ると、大木の根本に先輩の姿を見つける。
すでに寝息を立てていた。
なぜか先輩は、トランプカードを四枚、手にしている。
スペードの4、ハートの6、クラブの4、ダイヤの9。
ワンペアだ。
一人でポーカーをして遊んでいたのだろうか。
それにしても、どうしてこんなところで寝ているのかしらん。
予鈴五分前になって眠り込む先輩の肩に触れようとしたとき、わたしは不安と期待で胸が高鳴った。
聞こえる木の葉の音とともに、ゆっくりと肩に手を乗せる。
瞬間、わたしの心臓が跳ねた。
しかし、先輩はただそこで眠っているだけ。
肩を揺すり、
「オオトリ先輩、起きてください」
彼女の名をそっと呼んだ。
目を開けると、ちょっとぼんやりした先輩の瞳がきらりと輝き、ふうっと大きくあくびをして微笑みを向けてくる。
「わかった?」
先輩は、トランプカードを突き出してきた。
「ワンペアですね」
「そーじゃないって」
がくっと落とした首を左右に大きく振っている。
「
何事もなかったような顔をする先輩は、カードをブレザーのポケットに入れながら、
「好きなおかずは?」
と聞いてくる。
唐突で面食らうも、
「たまご焼きです」
素直に答えた。
「ヒバリは、たまご焼きが好きなんだ」
微笑みながら立ち上がった先輩は、スカートについた草をはらった。
「ちなみに、わたしの好きなおかずはハンバーグ」
親指を立てた右手を突き出すと、先輩は校舎へと向かう。
先輩の背中を見送りながら、昼寝をしている理由を聞きそびれたことに気がついた。
つぎの日の昼休み。
今日は、トランプカードは手にしていなかった。
どうしてこんなところでお昼寝をしているのか、今日こそ教えてもらおう。
ひょっとしたら、わたしと同じ理由かもしれない。
スマホで予鈴五分前になったのを確認する。
先輩を起こすのにもすっかり慣れてきた。
「オオトリ先輩、起きてください」
わたしは、肩をゆるやかに揺すった。
目をゆっくりと開けた先輩は両腕を突き上げ、
「好きな映画は?」
と聞いてくる。
どうして先輩は、起き抜きに聞いてくるのだろう。
起きる度に質問しないと目が覚めないのかしらん。
「そうですね」
これまで見てきた映画作品を思い出してみる。
「ハッピーエンドに終わる映画、ですかね」
「後味が良いものね」
「はい。見てよかったって思わないと、終わった気がしないので」
「そっか、ヒバリはハッピーエンドが好きなんだ」
鼻で笑いながら立ち上がった先輩は、スカートについていた枯れ葉を手で取った。
「ちなみに、わたしはなんでも好きかな。アニメでもホラーでも。一緒に見てくれる人が楽しんでくれたらね」
それじゃお先、と手を振りながら、先輩は校舎へと歩き出す。
「あ、あの」
今日こそ教えてもらおうと声を出す。
そのとき昇降口に立つ人影が、「ツバサ」と呼ぶ声がした。
「オオトリ先輩は、どうしてここに来てるんですか」
答えるかわりに先輩は、小さく微笑みだけをわたしに残して、先に昇降口へと歩いていった。
先輩は、わたしとは違うんだ。
先輩の姿が見えなくなるのを、黙って見送ってしまった。
教室に入ろうとしたときだ。
「タカナシさんって、昼休みになると必ず、教室出ていくよね」
クラスメイトの冷たい話し声が耳に届く。
「なんか、感じ悪いよね」
「だよねー」
笑い声に混ざった言葉から逃げるように、急いで自分の席へむかった。
わたしが通っている都市部郊外にある女子高は、幼小中高一貫校で、エスカレーター式になっている。
幼等部、初等部、中等部、高等部と内部進学するたびに親睦を深めていった内部生とは違い、わたしは高校受験をして入ってきた外部生。
本当は彼女達と仲良くなりたいのに、なかなか輪の中へ入っていけない。
おまけに、人見知りとあがり症。
おしゃべりしたいと思えば思うほど、なにを話せばいいのか言葉がみつからなくなってしまい、口を閉じてしまう。
そんな自分が情けない。
よくないとわかっているのに、入学から一カ月経っても未だに、昼食をいっしょに食べてくれる友達さえいなかった。
オオトリ先輩のスマホは、修理が終わって今日には戻ってくるはず。
これで先輩を起こす必要もなくなる。
あの場所は、先輩が一人になるための場所だった。
きっとわたしは、先輩の邪魔をしていたのだ。
明日から、どこで食べたらいいのだろう。
これ以上、教室の外で食べていたら、完全にクラスのみんなから嫌われて、居場所さえなくなるかもしれない。
笑顔で無視されるほど、痛烈な暴力はないのだから。
翌日の昼休み。
にぎやかな教室の中、わたしは自分の席で、スクールバッグからお弁当を取り出した。
だけど、一緒に食べてくれる子はいない。
お弁当のフタを開けて食べようとしたとき、教室が静かになった。
おもわず入口に目を向けると、オオトリ先輩が立っていた。
彼女の存在が教室を満たし、まるで時間が止めたかのようだった。
先輩は優雅に教室を歩き、直接わたしの席までやってくる。
「ヒバリ、どうして来ないの」
腰に手を当てて立つ彼女は、愛想なく声をかけてきた。
彼女の声は低く落ち着いていて、わたしを小さく震動させる。
突然のことに戸惑いながらも、先輩の瞳がわたしの視線を捉え、逃さないことに胸が熱くなっていく。
「お、ハンバーグがある。おいしそう」
先輩がわたしのお弁当をみつめている。
その表情はどこか得意げで、中庭で二人きりで話すときのものだった。
「先輩が、どうして」
と言いかけたとき、
「とにかく、いつもの場所に行くよっ」
お弁当にフタをする先輩の迫力に負けて、わたしはスクールバッグに仕舞い戻す。
先輩に手を引かれるままに、わたしは教室をあとにした。
中庭の、いつもの木の下のベンチに座ると、
「今日は、ヒバリのために用意してきたものがあるの」
先輩は自分のスクールバッグから大きな包みを取り出した。
わたしのために?
なんだろう。
期待と気恥ずかしさを覚えながら、先輩の手元をみる。
包みを解き、中から取り出されたのは小さなランチバッグ。
さらにフタを開けると、中には厚焼き玉子のサンドイッチが入っていた。
しかも、ぎっしりと。
おもわず、
「すごい」
覗き込んでしまった。
「ヒバリが好きだって言ってたからね」
「でも、どうして」
「目覚まし時計のかわりに起こしてくれてたでしょ」
たしかにそうですけど、とつぶやいて気づく。
「ひょっとして、先輩が作ってくれたんですか?」
「早く起きてね」
当然だよ、と言わんばかりに先輩は胸を張っている。
「さあ、遠慮なく召し上がれ」
「オオトリ先輩、ありがとうございます。すごく、うれしいです」
えへへ、と先輩は照れた顔を見せる。
「では、一つ」
わたしは手にとって口へと運んだ。
「ちょっとひんやりしてて、ほんのり甘くておいしいです」
「食中毒対策も完璧なのだよ」
ふふん、と自慢げに鼻で笑っている。
「でも、お礼をされるほどのことをした覚えはないですけど」
「いやいや。寝過ごさず、授業に遅れず、困らずに済んだのだから大助かりだよ」
「でも、こんなにいただくほどでは」
「だったら、ハンバーグをちょうだい。それで、おあいこってことで」
なにが、おあいこなのかわからない。
でも、先輩の言葉には妙な説得力を感じてしまう。
わたしは、自分のお弁当を取り出し、フタを開けた。
「どうぞ」
「食べさせて」
先輩は、あーんと口を開ける。
「ど、どうしてですか」
「箸もフォークも持ってきてないから」
「たしかに、サンドイッチには必要ないですよね」
納得してしまったわたしは、ハンバーグを半分に切り分け、先輩の口へと運び入れた。
「んー、うまい。ヒバリの愛情をかんじる」
「冷凍食品だと思いますけど」
「食べさせてくれたでしょ」
「た、たしかに」
返す言葉が見つからず、妙に暑さを覚えてくる。
嬉しそうに食べる先輩を前にしていると、高校に来てはじめて一緒にお昼を食べていることに気がついた。
「どうしたの、ヒバリ。急に泣き出して」
先輩が、わたしの顔を覗き込んでくる。
いわれて、思わず目をこする。
鼻をすすって、
「なんでもないです」
と答えてみるも、先輩はわたしを見つめるのをやめない。
観念したわたしは、小さく息を吐く。
「先輩は、教室に来たからわかっていると思いますけど」
前置きをして、また息を吐く。
「わたし、友達がいないんです」
乱れる心とともに声が震える。
言葉にした瞬間、自分の心の中に溝が空いていく気がした。
胸の奥に隠れていた孤独と無力感があらわとなり、恐怖と悲しみのまざった感情に飲み込まれそうで、思わず両手で自分を抱きしめた。
目の前にいる先輩の表情が歪んでみえる。
こんなことを話しても仕方がない。
わかっているのだけれど、ため息のあとに言葉が漏れ出ていく。
「受験して入学したんですけど、誰かといっしょにお昼を食べたのは、先輩がはじめてです」
「ヒバリと初めてを過ごせたなんて、光栄だね」
「わたしといっしょにいても、先輩にいいことなんてないですよ」
「そうかな」
先輩の右手が、わたしの顔に触れる。
「そうは思わない。本人が気にしていないのだから、ヒバリは心配しなくていいよ」
親指で涙を拭われる。
「そもそも、ヒバリに友達がいないなんて、それこそ間違っている。わたしじゃダメ?」
ためらわずに首を横に振った。
「だったら、もう泣くのはやめなさい。これ以上、ヒバリの悲しい顔をみていると、わたしも泣いてしまうから」
そのあと、先輩とお弁当を交換した。
厚焼き玉子サンドは、これまで食べてきたどのたまご焼きよりもふわふわで、甘くしっとりとして、おいしかった。
「ところで、先輩」
予鈴の五分前になった。
わたしは、気になっていたことを、思い切って聞いてみた。
「どうしていつも、ここで昼寝をしているんですか」
「こうみえても、いろいろ忙しいんだよ。だからお願いして、昼休みくらいは寝かせてもらってるの」
スクールバッグにランチバッグを入れた先輩は、小さく笑いながら立ち上がった。
大学受験を控えている三年生は忙しいらしい。
でも、お願いってなんのことだろう。
「昇降口で先輩を呼んでいた人にお願いしてるんです?」
「んー、まあね。みんな、わたしよりも優秀だから」
「そうなんですね」
わかったような、わからないような。
わたしは、もっと先輩について知りたくなった。
「そうそう。今度の休みに、二人で映画に行こう」
「映画ですか?」
お弁当を片付け終えたわたしは、思わず聞き返す。
「大丈夫だって。ヒバリの好きな、ハッピーエンドの作品だから。くわしいことは明日、話そうね」
そう言い残して先輩は、一人でさっさと校舎へ向かっていった。
本当に猫みたい。
先輩の背中をながら、わたしも校舎へと歩き出した。
「タカナシさんとオオトリ先輩って、どういう関係?」
教室に戻ると、わたしの周りは驚きと囁きで騒がしかった。
目立つことに慣れていないわたしは、何事かと戸惑ってしまう。
どういう関係と言われても。
そもそも、どうしてみんな、先輩のことが気になるのだろう。
いきなり教室に入ってきたからかな。
「どうって、友達になりました」
少し照れながら答えると、
「知らないの?」
さらに聞かれる。
なんのことだろう。
先輩について、他に知っていることを思い出してみる。
「あ、ハンバーグが好きですね」
「そうじゃないっ」
周りの子達が、口を揃えて一斉に声をあげた。
「あの人は、内部生からも人気のある、外部生から生徒会長になったオオトリ先輩だよ」
「生徒会長?」
そういえば、入学式のとき。
壇上に立って挨拶した人に似ている、と今更ながらに思い出した。
先輩の言っていた「いろいろ忙しい」とは、生徒会の仕事のことなんだ。だとすると、昇降口で先輩を呼んでいたのは、おなじ生徒会メンバーの人かもしれない。
彼女にお願いして、昼休みに中庭でお昼寝していたんだと想像すると、わたしは思わず笑みがこぼれた。
お昼寝とたまご焼き snowdrop @kasumin
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