触るべからず

平宍仁蜂

第1話

 これは、私こと梅木うめき仁蜂にはちの家で、特定の話題について話したときに起こる出来事を綴ったエッセイだ。

 特定の話題とは、「侮蔑のための精神的ダメージと悪意由来の肉体的ダメージ」である。一言で説明するのが難しい話題だが、これは我が家という安全地帯で交わされる漫談であり、その結論によって現実を変えようなどという意志は全くないという前提は、明言しなければならない。

 舌と歯の準備運動、みたいな。


 高校三年生の頃、私は、家のリビングで、あるアニメ(タイトルは伏せる)を見ていた。テーブルには私と父母の三人が座り、いじめられっ子がいじめっ子に殺されるという展開が、パソコンの画面に映し出される。

 いじめっ子にどこまでの殺意があったのかは分からないが、いじめっ子が陽キャ、いじめられっ子が陰キャで、加害者が被害者に劣等感を覚えているような描写はない。根暗な人物を軽視し、玩具扱いしていたと捉えるのが妥当だろう。

 私は苦笑いして、

「実際はこんなの(=いじめっ子によるいじめられっ子の殺害)滅多にないよね」

 と零した。その苦笑いだけで、言葉の意味が伝わったのか、母は「ねえ〜」と頷く。

 私たちの考えるいじめっ子像はこうだ。

 自分より格下の人間を傷つける人間は、相手を傷つけたくて傷つけているのではなく、玩具として弄んでいるうちに傷つける。その上、自分がこれからも格上の存在でいられるよう、遊びによって自分の身を危険に晒さないよう、「殺人」は絶対に避けるのだ。盗みよりも暴力よりも、隠しようがない犯罪行為だから。

 この認識が私と母には共通していた。しかし、父はそうではないようで、

「酷いなあ。もう、こういうやつ(=いじめられっ子を殺すいじめっ子)どこにでもいるからな」

 と眉をひそめて言った。無論、私と母の会話に参加しようとして放った言葉であり、独り言ではない。

 二対一で、意見が大いに食い違った。

「どこにでもはいないでしょ。いじめが起きるたびに殺人犯が出てたら、おかしいじゃん」

 と、私。対する父は、「いじめっ子全員殺人犯説」には頷かないものの、

「(いじめっ子は)皆、そうなんだよ。殺してやろうって思っていじめてんの」

 と反論する。それに母が「あなた何にも分かってないわね」と呆れ、格下の人間を傷つけるいじめっ子の心理を説いた。「殺したがってる、殺したがってる」と一歩も引かない父。だんだん、私と母の二人に反論されているのが効いてきて、父は声を荒げ、母をなじった。

 その後の食卓で、母の無言のうちに示される怒りたるや。怒らせた自覚のない父の、無神経な言動までワンセット。


 また、今月だったか先月だったか、Twitterでキャンプ協会のどなたかが「ゴキブリとハイエナのハイブリッド」発言をしたのを、読者の皆様はご存知だろうか。

 キャンプが趣味の一部のおじさまたちが、女性ソロキャンパーに積極的に話しかけすぎて、嫌がられている件について、言及したツイートだ。

 父は現在六七歳であり、件のおじさまたちと近い年齢だ。同じおじさまとしてどう思うか知りたくて、

「嫌がってるのにしつこく話しかけちゃ駄目だよねー!」

 と話題を振ったところ、

「レ◯プされたらどうすんだ」「(おじさまたちは女性ソロキャンパーよりも力が強いから)話すの拒否したら殺されるかも……」と父は言う。

 あのー、実害云々じゃなくて、しつこすぎるコミュ障って嫌だよねって話なんだけど。おじさまたちが腕力にものを言わせたエピソードとか話してねーんだけど。


 と、こんな話題を振るたび、父は、人間が人の悪意によって殺されるケース、自殺するケースばかりを気にしていた。

 私と母の二人(兄も含めたら三人だが、あの野郎、馬鹿馬鹿しくなってすぐ自室に籠る)は、安心感(優越感?)を得るための攻撃と精神的ダメージに焦点を当て、父は、憎悪や嫉妬、強い防衛本能による攻撃と肉体的ダメージに焦点を当てる。

 双方、頭の中に浮かべるいじめっ子のイメージが違うのだ。

 どころか、父の頭の中では、安心感を得たり、退屈を紛らわしたりするためだけにいじめをする人間は、実在しないことになっている。


 父にとって、全てのいじめっ子はいじめられっ子を憎み、嫉妬しており、自分の身を脅かすかもしれないという不安から、攻撃している生き物なのだ。


 え、そんなしょぼいの? いじめっ子って。いじめられっ子から自分のプライドを死守しなきゃいけないくらい、クソ劣等生だったりブサイクだったりするの? そういう例も存在するだろうけど、それが全部じゃないよなー。そんでいじめられっ子が自殺したり殺されたりしなきゃ、いじめはないも同然なの? いじめって、死人ありきの言葉なのねえ。

 んなわけあるか。ふざけるな。色々反論の余地はあるけど、ふざけるな。そんな理屈、納得できねーよ。


 しかし、「実害がなくても心が傷つく」「殺さない程度に人をいじめるのを好む人間はいる」と説明しても、父は聞く耳を持たない。そもそも、自分の思い描くいじめっ子以外、実在しないことになっているのだから。

 そして、私と母と、たまに兄が粘り強く反論すると、父は声を荒げ、「(自分を)仲間外れにしている」と責めるのだ。


 説明が遅れたが、この行き違いからは、父と父以外が何を話したいのかで揉めていて、自分が話したくないことは断固拒否しているという事実も見えてくる。

 私と母も、父が思い描くいじめっ子像が実在することは、分かっている。

 しかし、私たちはこれまで、強烈な悪意ではなく、娯楽として他人を弄ぶタイプのいじめっ子を見てきたから、それを話したかったのだ。家族のうち、四人中二人がそうなのだから、我儘わがままを貫こうとしてしまう。

 けれど、毎回父は怒る……。


 こういうわけで、「侮蔑のための精神的ダメージと悪意由来の肉体的ダメージ」という話題は、我が家における紅斑こうはん(皮膚がただれる前兆みたいなもの)と化した。

 これまで語ってきたいじめっ子像も、私と母が共有する偏見に過ぎず、安全地帯でものを考えているだけだという注釈は、繰り返し書いておく。


 また、こういう雲を掴むような話で変な展開になったら、エッセイに書こうと思う。

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触るべからず 平宍仁蜂 @Umeki2hachi

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