天才ピッチャーを抱きしめたい【女子野球】
しんしん
天才ピッチャーを抱きしめたい
私は野球が好きだったりする。女子では珍しいと言われるけど、好きなものは好きなのだ。
小学生の時は男の子達と一緒に白球を追いかけ、中学生になってからは女子チームでプレーした。
ポジションはキャッチャー。
このポジションの大事さについて、野球を知らない友達に説明するのはかなり難しい。
「投げたボールを捕る人なんだね」「ずっと座ってて可哀そう。代わってもらえないの?」「一人だけ剣道やってるみたい。せっかくの顔が見えないね」
そんな風に言われてしまう。
だから私はこんな感じで説明をする。「ピッチャーとキャッチャーは夫婦に例えられるくらい、チームでは大事なポジションなんだよ」と。
「じゃあ、
これもお決まりの質問だ。
「夫でもあるし、妻でもあるかな」
別にはぐらかしているわけではない。私もどちらか分からないからだ。
一般的にはキャッチャーは妻で例えられる。一歩引き、夫であるピッチャーを立てる必要があるからだとか。
この時代に古臭い考えだなと思ったりする。正直どっちでもいいのが本音だ。
ただ、私は、そんな役割をもったキャッチャーというポジションがたまらなく好きだった。
****
高校の入学式が終わると、さっそく硬式野球部での初練習となった。
私が入学した
「
新入部員としての挨拶を終えホッと胸を撫でおろした。春休み前から度々練習には参加していたとはいえ、改めてみんなの前で自己紹介をするのは恥ずかしい。
まあ、みんな次の子に注目しているので、本当はそこまで気にしなくても大丈夫なのだけれども。
「
元気のいい声がグラウンドに響き渡る。先輩や同級生たちがざわついた。
『
隣にいるからこそよく分かる。
170㎝の長身と長い手足。いわゆるピッチャー体型なんて言われる理想的な体つきだ。細身に見えるが、よく見れば筋肉もしっかりついている。同世代の他の子と比べても大きめな胸の膨らみは、発達した胸筋のようにも見えた。
私の身長は150㎝後半なのでちょっと羨ましい。しかし、それだけではない。
男性的な威圧感がある一方で、目はクリクリと丸く、邪魔にならないよう切り揃えられたショートカットがなんとも可愛かった。
陽陰さんはその恵まれた体格を武器に、中学時代は男子に混じりピッチャーとして全国大会で大活躍をした。男子ではないので高校野球の花形である甲子園には出られないが、高校でも男子に混じってプロ野球を目指すのではないかという噂もあった。
けど、陽陰さんは女子野球を選んだ。
理由は分からないけど、そんな有名人と一緒にプレーができるというのは本当に嬉しいことだった。
一年生全員の挨拶が終わった。総勢九名。
「事前に連絡したように、今日は歓迎試合を行う」
渡辺監督が言った。渡辺監督は見た目冴えない中年男性だが、実は20代の頃はプロ野球で活躍した選手だったりする。AITUBU(動画配信サイト)でも見たが、たしかにその頃は輝いて見えた。
「コホン……みんな集まってー」
私は一年生を集めた。渡辺監督から、この試合の監督代理を任されていたからだ。
キャッチャーには、チームを引っ張り全体を広く見渡せる能力が要求される。監督は私の能力を見ようとしているのだろう。
事前に各選手の情報はもらっており、打つ順番や守る位置は決めてあった。私の打順は二番で攻撃のつなぎ役、守備位置はもちろんキャッチャーだ。
「陽陰さん、四番でピッチャーお願いね」
「まかせて!」
もちろん陽陰さんがこのチームの中心だ。
準備運動を終え、肩を温めるためにキャッチボールをする。その後に試合だった。
「市麗さん、よろしくね」
「こちらこそ」
ピッチャーとキャッチャーは『バッテリー』と呼ばれ、ペアで練習をしていくことになる。今後も多くの時間を陽陰さんと過ごすことになるはずだ。
キャッチボールというのは、お互いにボールを投げあう練習だけれども、その人の性格がよく分かる。
陽陰さんの投げるボールは、強くて、早くて、そして凄く繊細だった。120㎞中盤のスピードがでる真っすぐと、ブレーキが強いチェンジアップ、小さく横に滑るカッターと、大きく縦に曲がるカーブ。
特に真っすぐは女子の平均速度を大きく上回っており、打つのはかなり難しい。それに加え、変化球もすべて超一級品だ。
パァン、パァンという気持ちが良い、グローブの皮を叩く乾いた音がグラウンドに響き渡る。ボールを受けているだけなのにドキドキしてくる。興奮が止まらない。
構えた所に、ボールが寸分の狂いもなく飛び込んでくる。
これから私が陽陰さんの投げるボールを決め、打者を打ち取るために彼女を『リード』していくことになる。
圧倒的な能力を肌で感じ、陽陰さんの足を引っ張ってしまうのでないかと少し怖くもあった。
「凄いね……。こんなに凄い球を初めての捕ったよ」
「市麗さんが良い音させてくれるから。すごく投げやすかった!」
もっと天狗になってもいいのにと思った。その天真爛漫な笑顔は、私の中に生まれた不安を吹き飛ばしてくれる。
「レウでいいよ。私も『メメちょい』って呼ぶから」
「レウ……ちゃん! メメちょいって面白いあだ名だね。嬉しい!」
「あだ名つけるの得意なんだ」
実はただの照れ隠しだったりする。みんなが呼ぶようなあだ名は恥ずかしく言えないから、少し変わったあだ名で誤魔化している。気にいってもらえて良かった。
「レウちゃん! 先輩達やっつけちゃおうね!」
「いいね。がんばろう」
そして―――その日の歓迎試合で―――メメちょいは七イニングを全てゼロに抑える完ぺきな
先輩たちはメメちょいのボールを最後まで打つことが出来なかった。その圧倒的な力を見せつけたのだ。
それは、聖修練高校に新たなエースが誕生した瞬間だった。
*******
ピッチャーをリードするというのはとても難しい。
野球は九人対九人の戦いであるけれど、実際はピッチャーとバッターの一対一の勝負だ。キャッチャーはそのピッチャーが投げたボールを止めるための壁であり、バッターの様子を伝え、次に投げるボールを決める情報提供者だったりする。
そして、その壁と情報の提供方法は、ピッチャーにとって気持ちが良いものでなくてはならない。嫌われたらおしまいだ。
メメちょいの快進撃は続いた。歓迎試合の後に行われた練習試合でも好投を続けた。
「今すっごい調子いいんだ」
「分かるよ。ボールの回転がかわいいし、変化球もすごくキレキレ」
「かわいいなんて表現初めて聞いたよ!」
「私の造語だもん」
私は、上方向に綺麗に回転している真っすぐのボールのことをそういう風に伝えている。
なんでかと言われても、かわいいからかわいいのである。
「レウちゃんもレギュラー狙えそうだし、二人で全国大会目指せると良いね」
「まだまだ。油断したらすぐ控えだよ」
「冷静だねえ。頼りになる! この前の試合で打った
私の出番は増え始めていた。打つ方でなんとか結果を出しているが、『メメちょいに気に入られているキャッチャー』という部分で評価が高いことも否定ができず、その評価に多少の悔しさもあった。
「ありがと。さて練習始めるよ。前の試合の反省からだね」
私はメメちょいに背を向け、定位置に向かった。硬式のボールは石ころと同じくらい硬い。しっかりとプロテクターを装着する。
18.44m。
これがメメちょいと私の距離だ。この距離で、私達は試合の7回―――守備の時間で言うなら1時間程度―――会話をし続けるのだ。
「そうだ。サインは1がストレート、2がチェンジアップ、3がカッター、4がカーブね。想定は右バッター」
「おっけー」
サインは指の本数で伝える簡単な方法だ。座った状態で、太ももの間―――なんと言っていいか―――直球に言えば股の前から出す。
座り方も―――股を開くような―――ヤンキー座りと言われるような、あまり上品な座り方ではない。はじめは本当に恥ずかしかったことを覚えてる。
私から見て左側に打者が立つイメージだ。打者の体に近い『内角』、遠い『外角』を順番に、球種を変えながら要求する。そして、打者の胸から膝辺りと、ホームベースを目印としたストライクゾーンの四隅を要求していく。
メメちょいの球は、歓迎試合の時よりも躍動感に溢れ、とても嬉しそうで、そして―――相変わらず繊細だった。
****
このまま夏の大会まで順調にいくと思っていた。
メメちょいに異変が起きたのは、男子中学生チームとの練習試合からだ。
相手チームの有名中学生が、メメちょいから120mを超える特大のホームランを打ったのだ。
「すごいね」
と、メメちょいは笑って言った。
「あんな女子いないからね」
私もそう言葉を返した。
その子は中学生ながら180cmを超える身長と、ゴリラのような体格をしていた。メメちょいの速い真っすぐも、それは女子の中での話。男子中学生の中では並の球だ。打たれてもしょうがなかった。
気にしないと言っていたメメちょいだったが、その後、ボールのコントロールに苦心し始めた。点は取られなかったが、大事をとって交代となった。
そして、次の練習試合。
変化球がことごとく手前でワンバウンドをした。ストライクがなかなか入らないのだ。フォアボールも多く、何度もランナーを出し塁が埋まった。
その試合、失点は少なかったものの、メメちょいの調子が落ちていることは明らかだった。
特に自慢の真っすぐに勢いがないのだ。怖がっているようにも感じた。練習では分からない、試合になると悪化するのだ。
嫌な予感がした。
地区大会が1カ月前に迫った練習試合。地区内のライバルであり名門チームである秋華学院との試合で、その予感が現実となってしまった。
試合開始後の一回の表。秋華学院の攻撃だった。
一番バッターがヒット。続く二番が、ストライクが入らずフォアボール。三番がヒットで続き、一番がホームに帰った。あっと言う間に先制点を取られてしまった。
試行錯誤でリードをするが、そもそも構えところにボールが来ない。「落ち着いていこう」私はメメちょいに何度も声をかけた。
そして、四番バッターの大下さんが右打席に入った。
「噂ほどじゃないねー」
そんな声が聞こえた。
大下さんは全日本にも選ばれている選手だ。メメちょいと同じくらいの身長だけれど、かなり筋肉質で、お尻も桁違いに大きい。どのくらい練習したらこんな身体になるのだろう。
これが、女の子ながら90m先のフェンス超えのホームランを打てる身体なのかと思った。
その圧倒的な威圧感に、私は内角に構えることができなかった。ホームランのイメージが頭をよぎる。考えれば考えるほど、怖くてたまらなかった。
今のメメちょいのボールでは抑えられないと思った。
私は、外角の低めにカーブを要求した。一番ホームランが出にくいコースにカーブ。タイミングを外して打ちミスを誘う。
メメちょいも大きく頷いた。
だけどーーー。
投げたカーブは私が構えた逆、内角の高めに来てしまった。明らかなコントロールミスだった。
パキンッッッ!!!
大きな金属音が初夏の青空に消えていく。
フェンス超えの、文句なしのホームランだった。
メメちょいはマウンド上でガックリと肩を落とした。私は、どう声をかけていいか分からなかった。
一周してホームに帰ってきた大下さんは、
「逃げちゃダメだな」
と言った。私のリードのことかもしれないと思い胸が傷んだ。
そしてメメちょいは、一つのアウトも取れずに、ここで交代となった。
*******
翌日、私は渡辺監督に呼び出された。当然メメちょいのことだった。
「陽陰の調子はどうだ?」
「悪くはないです。今日の練習でもまずまずの球が来ています。昨日の件も気にしていないと言ってます」
本調子ではないが練習内容は悪くなかった。ただ、試合になるとどうなるか分からなかった。
「わかった。ただ、調子が落ちたままで改善が見られないようなら、今後、試合での起用方法も変わってくる」
「わかりました……」
それは、メメちょいがエースではなくなることを意味していた。それだけは嫌だった。私は、彼女と夏の大会を戦いたかった。
バッテリーは夫婦みたいなものだ。困難は二人で乗り越えないといけない。
私は、どうしたらメメちょいの役に立てるか必死に考えた。
そして、
「私と陽陰さんを、三日間別メニューで練習をさせてください」
と渡辺監督に伝えた。一つの案が浮かんだからだ。
※※※
「という訳でメメちょいのお家に泊まることになりました」
「まさかの押しかけ女房なんて……別にいいけど……」
メメちょいは私の話を聞いて驚いたようだった。
私は、もっとメメちょいの『心と身体』を知らないといけないと思ったし、私のこともメメちょいに深く知ってもらわないといけないと思った。
そのためには、練習だけでなく寝食をともにし、一日中一緒に過ごす必要があると考えた。
『メメちょいと同棲しよう作戦』なんて名前をつけてたりする。
「それじゃあ、ここにお布団置いておくから使ってね」
「ありがとうございます」
私は、メメちょいのママにお礼を言った。この作戦にはメメちょいのママの協力が不可欠だった。許可していただき本当にありがとうございます。
「綺麗で優しいママだね」
「そうでもないよ。口うるさいし」
そうは言うものの、二人の仲は良さそうに見えた。
「それじゃあキャッチボールでもする?」
少し遊んでからとも思ったけど、メメちょいは早々にジャージに着替始めていた。子供のように浮かれている。
「ねえ、どっちのグラブがかわいいかな? 使いやすいのはこっちなんだけどねー」
と、着替え途中にも関わらず、キャッチボールで使うグラブの相談をしてきた。
「……せめて下履いてからにしよ」
自宅のせいもありリラックスに振り切れている。下着姿のままキャッチボールを始めそうな勢いだった。
※※※※
メメちょいの家は都内から少し離れた郊外地域にある。少し大きな庭付きの一戸建て。羨ましいくらい素敵な家だ。
「これがパパが作ってくれたマウンド。ここでたまに
土が盛られて少し高くなっており、18.44m離れた場所にはホームベースと防球ネットが張られていた。
「ちょっとした練習場だね。お金取れるよ」
私の家とは大違いだ。庭付きだけでも羨ましいのに。
「試合で頑張ると物が増えていくんだよね」
「それはうちもそうだった。主にゲームだけど」
「そうなの!? なんでゲームなの!?」
「私がお願いしてる。この試合勝ったら買ってとか」
メメちょいがボールを投げて来た。私はそれを受けて投げ返す。キャッチボールは、いつも他愛のない会話をしながら始まる。
「あまりゲームはしないけど、『プロ
『プロ
「私も甲子園編好き。決勝戦前に選手みんな死んじゃったけど、一人生き返ってライバル校倒す主人公は推せた」
「わかるー。あ、そろそろ大丈夫だよ」
投げる準備ができたようだ。持ってきた防具を付け、
短い間隔でボールが投げ込まれる。やはり調子は良くも悪くもない。
「どうかな?」
メメちょいは不安そうに聞いてきた。
「普通かな。ちょっと調子が落ちてるとは思うけど」
「やっぱりそうだよねえ。うーん」
私は少し迷ったが、率直に伝えることにした。
「試合になるともっと悪くなるけどね」
「そんなに変わる感覚はないだけどな。もう少し投げさせて」
「いいよ」
それから三十球程度投げ続けた。大きな変化はない。メメちょいはやっぱり納得いってないようで、ボールを何度も握り返したり、首を傾げたりと落ち着かない様子だった。
「少し休もうか」
このまま投げ続けても変わらないだろうと思った。
「そうしよっか。アイス買ってあるんだ! 最近できたあのお店の!」
「すごい!!」
私は小躍りしそうな程嬉しかった。まさかあの店のアイスを手に入れているとは。ありがとう……。
****
庭の椅子に腰かけアイスを頬張る。夏も近づき暑くなった今の季節にピッタリだった。甘いけどサッパリしていて美味しい。
「ふふふ、レウちゃん本当に美味しそうに食べるね」
「美味しいからね。ほんとありがとう」
「どういたしまして……。今日の―――わたしを心配して監督に掛け合ってくれたんでしょ? こちらこそありがとうございます」
メメちょいは、恥ずかしくなるくらい私をしっかりと見ながら言った。
「そんな……。バッテリーは一心同体。夫婦だからね」
あまり気が利いた返しができない自分が恥ずかしくもある。
「そ、そういえばさ、なんで女子野球を選んだの?男子に混じってプロを目指すって聞いたことがあったけど」
実は聞きづらかったことだ。
「わたしが一番上手いって思いたかったから……かな?」
意外な答えに私は驚いた。
「中学生の最後の大会でさ、投げても投げても打たれるようになっちゃてさ。ああ、もう男子の中じゃあダメだなあって……。あはは、わたし性格悪いからさ。女の子だけだったら無双できちゃうかなって。でも、そんなことなかったけどね」
メメちょいは寂しそうに言った。
「たしかに性格悪いね。私と同じくらい悪い」
私は冗談っぽく言った。メメちょいは笑ってくれた。
なんで男子にホームランを打たれた後から調子を崩し始めたのか、少し分かったような気がした。彼女はまだ男子と戦っているのだ。男子を打ち取る球を投げたいと思うあまりバランスを崩してしまったのだ。
「レウちゃんは夫婦って言ったけどさ、普通まず恋人からだよね。結婚した覚えないし」
と冗談ぽく言ってきたので「何を~」と軽く抱きつき、二人でじゃれあった。
――――――アイデアが一つ浮かんだ。
「私とさ、新しい球種を作ってみない? プロに行けるくらい凄いやつ」
「面白そうだね!」
メメちょいの目がキラキラと輝きを取り戻していくのがはっきりと分かった。
*******
三日間メメちょいの家にお世話になった。
短い期間とはいえ、私はメメちょいのことが少しわかったような気がした。
好きな食べ物、嫌いな食べ物。趣味に恋愛観。
朝に弱くて、意外とテンションが低くて捻くれてるとこもある。明るく素直なだけでない彼女の一面を知ることが出来た。
これが切っ掛けになったのかは分からないが、メメちょいの調子が上向き始めた。
私も負けじと試合で結果を残し続けた。そして、なんととレギュラーの座を掴んだのだ。
二人そろって夏の大会の試合に出ることが出来る。それだけで本当に嬉しかった。
トーナメントの抽選が終わり、わたし達の聖修練高校は、勝ち進めば準々決勝で秋華学院とぶつかることが決まった。
****
私はメメちょいは順調に活躍をし、トーナメントを勝ち進んでいった。
メメちょいと私の調子は今までにないくらい良かった。
そしていよいよ、大下さん率いる秋華学院との試合となった。
先発ピッチャーはもちろんメメちょい。私は6番キャッチャーでスタメンだった。練習試合の借りを返すため、気合いは今まで以上だった。
試合は0対0、5回まで一進一退の攻防が続いた。
6回裏、私はなんとしても1点を取るためボールに食らいつき塁に出た。そして、続く先輩がヒットを放ち、私はホームに帰ってきた。
待望の先制点だった。
いよいよ最終回である7回を抑えれば私達の勝ちだった。
ここまで好投を続けてきたメメちょいが、疲れからか、わずかにコントロールが効かなくなってきた。
ツーアウト2、3塁ヒット一本出れば逆転されてしまう状況まで追い込まれてしまった。
そして―――バッターは四番の大下さん。まさに最悪の展開だった。
今日の大下さんには打たれてはいないものの、たまたま守備の正面だっただけで、完璧に抑えているとは言いにくい内容だった。
練習試合の時とは違う。鋭い目つきでメメちょいを睨みつけていた。ここで負けたら大下さんの夏は終わるのだ。
だからこそ、今まで感じたことがない威圧感と恐怖を感じた。
けど、メメちょいの目からも光は消えていない。もちろん私も負けていられない。メメちょいを信じてリードをするだけだ。
外角に構え、ストレートのサインを出す。
「ストライク!!」という審判の声が響く。かわいい回転のボールが迷いなく飛び込んできた。大下さんは全く反応をしない。変化球を狙っているように見えた。それなら―――、外角から少し外れてボールになる場所にカーブのサインを出した。
その変化球の打ち気を利用して大下さんのミスを誘う。サイン通りにボールが来た。
パキッというバットの先端にボールが当たる音がした。狙い通りだった。
『打ち取った!!』しかし、その喜びは一瞬で消える。右方向に、力なくフラフラと、舞い上がった打球が守備の間に向かって飛んでいく。このままだとヒットになってしまう。
「ファースト!!」
私は必死に守備に指示を出した。取って欲しいという願いと共に。だが―――ポトリとボールが落ちた。
と同時に「ファウル!」という審判の大声が響く。わずかに線の外だった。ヒットではなかった。
すでにホームに戻ってきていた二人の走者が悔しそうに戻っていく。大下さんも悔しそうだ。
私は―――大きく息を吐き―――メメちょいの顔を見た。表情一つ変えてないない。監督も、仲間も、この姿を見たらとても頼りになるように見えるだろう。この状況でも動じていないように見える。
メメちょいは右手を上げ私に合図を送ってきた。きっと、もの凄くドキドキしているのだ。試合でなければその場に寝転んで「よかったー!」なんて叫んだかもしれない。
メメちょいと一緒に生活して分かったことだ。
彼女は喜怒哀楽をハッキリと出す。元々素直で明るい性格ではあるが、自宅にいる時は怒りや哀しみがより強くでる。意外とマイナス思考だし、自信を持っていない。
メメちょいのボールから感じた繊細さは、私に対する彼女なりの気遣いだ。取りやすくて、綺麗で、『かわいい』と褒められるためのボールだ。
私だけではないかもしれない。私以外のキャッチャーにも同じように投げていたのかもしれない。それでも―――メメちょいに気を遣われていることに変わりはなかった。
私はメメちょいの特別になりたい。そう思って練習をしてきた。
けれども、メメちょいが『まず彼女からだね』と言った時、私は気付いたのだ。
二人の関係を『夫婦みたいもの』と言っていた自分の恥ずかしさに。私はメメちょいの何を知っていたのだろうか。
私はすぐに座らず、被っていたマスクを取り「ナイスボール」と伝えた。言葉よりも、少し落ち着く時間を取るためだった。
そして―――大きく両手を広げて見せた。
メメちょいが笑顔になったのがハッキリと分かった。サインは伝わった。
これは、二人で考えた新しいボールを投げろというサインだった。
座り内角へ構えた。
メメちょいが高く足を上げ、投げる動作に入った。
―――新しいボール―――それは――――私を気にせず思いっきり『真っすぐ』を投げる。それだけのことだった。
ただ、メメちょいの本当の『真っすぐ』は―――全然かわいくなくて――――回転がとてもいびつで―――そして―――。
「ストライクスリー! バッターアウト!! ゲームセット!!」
―――不規則に曲がって落ちるのだ。
大下さんのバットが空を切り、私はグラブから零れ落ちそうになるボールを必死に掴んだ。
私は被っていたマスクを投げ捨て、大きく手を広げて待ち構えているメメちょいのもとに一目散に走り、勢いのまま抱きついた。
その後にやって来たチームメイト達にもみくちゃにされながらも、決して離れることなく、二人で勝利を分かち合った。
これで私とメメちょい関係が『夫婦』になったなんて思わない。もしかしたら、まだ友達くらいかもしれない。いや、せめて友達以上恋人未満にはなってると思いたい。
でも―――これからもずっと―――ずっとずっと―――どんなことがあったとしても―――私はメメちょいのキャッチャーでありたいと思ったのだ。
天才ピッチャーを抱きしめたい【女子野球】 しんしん @sinkou
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