夢幻泡影

蓮司

夢幻泡影

ガタンゴトン――――――。




ここは、海の上?


海が輝いたとある夏の日。

僕たちを乗せた列車は颯爽と走っていた。

透き通った水色の上を青色の列車が煌めく太陽を揺らしながら走る。

水には色とりどりのちっちゃな可愛らしい花が列車の波に揺られてくるりくるりと回りながら浮かんでいる。

鏡のような水面から見える線路は焦げ色でちょっぴり錆っぽい。

上には絵の具を零したような雲一つない真っ青な空があった。


電車の中はエアコンが効いていて涼しくて、でも太陽の体温が窓から透けてぽかぽか暖かい。

列車の揺れに身を任せた僕の恋人は、僕の隣で薄い瞼を静かに閉じて眠っている。

僕たちは海ではしゃぎすぎたみたいで、夏めく彼女のセーラー服も夜が似合う黒髪も濡れたままだ。

風邪。。。は、彼女なら大丈夫か。

僕の胸は濡れたままの彼女を見てズキっと痛んだ。



僕たちは今日のデートを最後に別れることになっている。

深い理由はない、はず。

ただ僕が彼女に飽きられただけ。それだけ。

そうだよね、彼女には僕なんかよりもっとお似合いの人がいるはずだ。

そう、こんな僕なんかより……。


――――「ねえ、さいごのデート、海でもいいかな。」

「いいよ。来週の日曜日だよね。」

「うん。……折角だし制服で行こっかな。」

「じゃあ僕も制服だね。」

「うん。」


会話に空いた微妙な間。

僕の話術では埋めることができなかった。

彼女の嫌いなところ、そんなものは特になかった。

強いて言えば…写真を撮りすぎなところ。

僕は自分の顔に自信なんてないから、カメラのレンズを見て綺麗に笑えはしない。

そんな僕を見て含羞む君を複雑な想いで見ることしか出来ない瞬間が、自分が、少し嫌だった。



時が経ち、とうとう日曜日を迎えた僕らは約束通り海へ来た。

反射で光る貝殻を悪戯に散りばめた浜辺で足跡を作る彼女は先程から何も喋っていない。

最後だから何か思うことがあるのか、それとも何も考えていないのか。

僕は、これが最後だなんて信じられない。そんなことばかり考えていた。

仲が悪くなった訳では無い。

ただ、なんとなく。一緒にいてもいなくても同じだから。恋人じゃなくなっても問題がないから。

そんな有耶無耶な思いで僕たちは別れることになった。

大きな喧嘩でもしていたらスッキリ別れたんだと思うけど、彼女はそんなに短気じゃないし僕だって彼女に文句が言えるほど自信のある人生を送っていない。ぶつかる物がなければ火花なんて散らないのだ。


「んねっ!海入ろ!」

「え!?」

僕がぐるぐると考え込んでいたら、彼女が突然僕の手を取って走り出した。

「え!?僕ら制服だよ!?」

「…………。」

「明日制服の替えないでしょ!?って、ここ崖…」

「どうだっていいじゃん!私だけ見ててよ!」

そう叫んだ彼女に強引に手を取られながら僕は海に飛び込んだ。


―――ドボン。。。


夏の海は意外と冷たくて手足の温度を攫って揺れる。

酸素に別れを告げて飛び込んだ僕らはもうしばらく息ができない。

海では肺なんて使い物にならなくなる。

そんな肺が求めてる酸素は飛び込んだ時に海月のような泡になる。

ぷかぷかとそれに包まれながら笑う彼女に、僕は手を伸ばす。

嗚呼、彼女が遠くへいってしまう。

そう思うと途端に寂しくなった。

幼少期からずっと一緒に生きてきた彼女。長所も短所も全部好きで、どうしようもないのに。

待って。置いてかないで。僕はまだ君のこと…。

そんな僕の気も知らず彼女はどんどん沈んでいく。

何故か困ったような笑いを浮かべた彼女。

……そうだ!僕、泳げない!!!


ジタバタと水で重い手足を動かして、それでも離すまいと彼女の手を握って。

彼女はそんな僕を笑いながら見ていた。

あ。きっと今の僕、すごくダサい。


ザパッと海から出た。

久しぶりの酸素。口いっぱいに放り込む。

きっと彼女も苦しかっただろう。少しだけ彼女にお裾分け。

あれ?これってもしかしてキス?

そんな煩悩を掻き消すように意識が飛んだ。



―――そういえば、どこ行くんだろ。この列車。

気がついたら乗っていたこの列車の行き先は、多分彼女しか分からない。

その彼女は今隣で目を閉じて眠っている。

どうしよう、ここどこだろ。


しばらくすると光る水面に浮かんだ駅が一つだけポツンと現れた。

そして電車が久方ぶりに止まった。

ここ、目的地かな。

それなら早く彼女を起こさなきゃ。

……愛しい彼女はまだ少し濡れていた。


――「……起きて、お願い。」



パチッと目を開ける彼女。

まるで今まで起きていたような動きに僕は少しびっくりした。

彼女はスクッと立って僕の手を引っ張った。あ、やっぱりここが目的地なんだ。

起こして良かった。ホッとしながらぐいぐい引っ張る彼女に眠気でふわふわした頭でぼーっと着いて行く。


2人で身を投げた海の中で、あの一瞬で、いろいろ考えたけどやっぱり僕はまだ彼女のことが好きなんだな。

…僕、まだ君のこと好きだよって、あとで言ってみようかな。

きっと苦笑いで流されると思うけど。彼女は僕のこともう好きじゃないかもしれないけど。

僕は性懲りもなくまた君に恋をしたよ、と言いたい。…いや今度こそ言おう。自分の気持ちに嘘をついたらだめ。そう言ったのは彼女だ。今更、迷惑かもしれないけど、やっぱり僕は彼女が好きなんだ!


そして一緒に電車を出ようとした時、彼女は僕の方をふわっと振り返った。

今だ。今しかない。駅に着いて、そして別れてしまったらもう会えなくなるかもしれない。

だから、ちゃんと、僕は君の彼氏じゃなくなったとしてもずっと好きだって言おう。あわよくば、もう一度君と…!

意を決した僕は大きく酸素を肺に入れて口を開いた。


……でも、彼女は列車のドアのあたりで僕を外に突き飛ばした。


「…………え。」

「ごめんなさい。やっぱり貴方とは一緒に生きていけないから…。」

「え、ちょっと待って。ねぇ、聞いて!僕は君のこと―」

「勝手なことしてごめんなさい。…さよなら。」


――パタンとドアが閉まる。


俯く僕は何も言えなかった。


冷たい顔で僕を見下ろしているであろう彼女の顔を見ることが出来なかった。

だって、これ以上、傷つきたくなかったんだ。

こんな時でさえ自分の気持ちを優先してしまう自分が心底嫌いだ。

もしかしたら別れを惜しんで涙を流してくれていたかもしれないのに。

そうだ、彼女は簡単に僕のことを嫌いになるような人間じゃない。

人を傷つけるような人じゃない。

向日葵を背に抱いたような優しいところが好きだったのに。

彼女に引け目を感じて最初に距離を取ったのは僕だ。

あんなに写真を撮ってかっこいいよと褒めてくれたのに、あんなに真っ直ぐな笑顔をくれたのに、ちゃんと特別に、大切にされていたのに、全部信じられなくて彼女を遠ざけたんだ。

彼女はそれに気づいていて、密かに傷ついていたに違いない。

あぁ、辛い思いをさせてしまった。優しい彼女は独りで想いを抱えて泣いていたんだろう。

それで、限界がきて、僕を捨てた。当然だ。

どれだけ好きを伝えても信じてもらえなかったんだから。

彼女にとっては正当防衛に近い別れだったんだ。

これ以上僕と一緒にいて傷つくくらいなら別れて正解だと思う。

だって、全部、自分に自信が無い僕のせいなんだから。。。


目の前が涙で濁って歪んだ。

行き場の失った言葉が喉の奥で丸まっている。

悲しくて、、苦しくて。もうあの笑顔を見ることができないと思うと、辛かった。

好きだったんだな。ほんとうに。

喉奥がキュッと締まって熱い。

もっと早く自分の気持ちを口にしていたら、もっとちゃんと彼女の気持ちを考えていたら、もっと彼女を信じてあげられたなら、もっと、もっと。。。

…………なんで。。。

後悔だけが頭を埋めて零れた想いは涙となって頭から出ていく。

彼女を乗せた列車はもう見えなくなって、現実だけが僕に追いついた。


―――彼女は僕を置いていってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢幻泡影 蓮司 @lactic_acid_bacteria

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ