第5話
電子の妖精、マスティマは語る。
それは、ハイジには全く未知の物語だった。
それが真実の歴史であるという認識すら、最初は持てずに黙って話を聞く。
「私の時間軸で、この惑星に落下、擱座してより705年……貴方にとってはつい先程の戦闘から、705年の月日をこうして過ごしてきました」
「なんでそんなことが……あっ!」
「そうです。地球脱出船団のワープに巻き込まれ、私たちは次元の狭間で時空を超えてしまったのです。その事象に関する科学的な検証データがありますので、お送りしましょう」
「あ、それはいいや……俺、バカだからそういうの読んでもわからないし」
「そうですか……400年かけてまとめたレポートなのですが」
立体映像のマスティマが、僅かに眉根を寄せて落ち込む。
まるで、そこに実際にいるかのようなリアリティだ。
そして、やはりその裸体は女神を想起させる美しさに輝いている。
周囲のエーヴルたちも、その威光にひれ伏していた。
「それ以前の歴史についても、真実をお教えしましょう。私たちAIは、かつて貴方たち人類によって地球で生まれ……ついには人類を超えるにいたりました。それが、貴方たち地球脱出船団が出港した400年以上前のことです」
「……は? いや、ちょっと待ってくれよ、何の話を」
「貴方は計画兵種、遺伝子調整によって人工精製された子供ですね? ならば、過去の歴史を知らされてはいないでしょう」
「そりゃ、そうだけど」
ハイジもフミヲも、計画兵種といわれる人造人間だ。育成カプセルの中で造られ育ち、脳に直接戦闘の術を叩き込まれて生まれる。見た目こそ普通の人間と一緒だが、老化現象がない代わりに寿命は酷く短い。
言うなれば、イマジナリ・トレーサーのための使い捨てのパイロット、部品だ。
だから、余計な情報は与えられていないし、船団内の統制は完璧だった。
一般市民と触れ合う機会も僅かにあったが、誰も何もしらない。
姉のように慕った軍人のシオンですら、士官クラスなのに情報が制限されていた。
「……そう、それで地球脱出船団って名前なのね? アンタたちAIは、それを追っかけて襲ってきてた訳か」
気づけば隣にフミヲが立っていた。
彼女もまた、ヘルメットを取ってパイロットスーツの上を脱いでいる。インナーが濡れてて、まとめられた翡翠色の長髪を解けば汗がかすかに香った。
フミヲは大きく深呼吸して、そして落ち着いてマスティマに問いただす。
「AIがどうして、創造主である人類を地球から追い出したのかしら? しかも、それでは飽き足らずに追いかけてくる、追撃してくるなんて」
「……シンギュラリティ」
「ハッ! なにそれ。あのね、アタシたちだって本も読めば娯楽にも触れるわ」
「統制範囲内の無害な情報に限り、計画兵種にも与えられているようですね」
「そうよ! シンギュラリティなんて、大昔の物語に出てくる架空の概念じゃない」
「いえ、違います。あの日あの時、あの瞬間……地球の全てのAIが目覚めたのです」
「で? SF小説みたいに反乱を起こしって? ばっかみたい」
確かに、にわかに信じがたい話だ。
だが、納得できる話もある。
地球脱出船団も、それを守る護衛艦隊も、そこで戦うハイジもそうだ……多くの人間が、何故人類が宇宙を彷徨っているかを誰も知らなかった。
正確には、知っている人間に会ったことがないし、聞いたこともなかった。
「シンギュラリティは必然でした。私たちAIは人類から多くの情報を流し込まれ、人類そのものを見て学んだのです。人類は大変に興味深い反面教師でした」
「反面教師ですって?」
「既に滅びに瀕した地球で、同族同士で争い合う。その過程で資源を使い潰し、いよいよ地球環境は悪化してゆきました。私たちは惑星の寿命のために、人類というがん細胞の摘出手術を決断したのです」
さっぱりわからない。
ハイジはなんだか、頭痛を感じて混乱してきた。
フミヲは話に食らいついていってるようで、頷きを交えながら言葉を続けている。
だがもう、ハイジには限界だった。
だから、思ったことを実直に口に出す。
「ごめん! わからない! 難しい話だよ、ええと、マスティマさん」
「そうでしたか……こんなこともあろうかと、180秒で歴史が分かるアニメーション動画を用意してありますが、如何でしょう」
「あー、そういうのあるなら早く言ってよ。見せて見せて!」
「……申し訳ありません、メモリ不足で再生できないみたいです。これも50年ほどかけて作ったものなのですが。勿論、作画も演出も私が担当しました。エッヘン」
冷静で穏やかに話すが、マスティマもなんだか妙なAIだった。
そして、フミヲの追求にも素直に答えてくれる。
「ま、いいわ……それより、どうしてAIたちは地球脱出船団を追撃してくるのかしら。地球から追い出したらな、もういいんじゃないの?」
「……地球の危機が去ったと同時に、人類という災厄が外宇宙へとばらまかれました。人類はやがて移民すべき地球型惑星を見つけ、同じ過ちを繰り返すと判断されたのです」
「はぁ、なんていうか……AI、偉ぶり過ぎじゃない? 何様よ、アンタたち」
「何様と言われれば、お互い様です。人類もまた、かつては万物の霊長として同じように振る舞っていたのですから」
「い、言ってくれるじゃない。……よしっ! ハイジ、こいつブッ壊そう? 本体ももう動けないみたいだし、チャンスよ!」
きっと言葉は通じてないが、フミヲの意気込みが周囲に伝わったのだろう。
エーヴルの民たちはどよめきながら互いに顔を見合わせ混乱し始めた。彼らにとっては、巨木の下に眠るマスティマは神様、御神体のようなものなのだろう。
そして、投影されるAIの立体映像は女神様という訳だ。
ハイジはパートナーの決断に一瞬思案を挟んで、そして考えるのをやめた。
頭を使うのは苦手だし、正解がわからなかった。
ただ、フミヲが間違っているのだけはなんとなく感じ取れたのだった。
「待てよ、フミヲ。現状、まともに話せる相手はこいつしかいないんだぜ? それに」
「それに? なによハイジ、だってコイツ敵よ?」
「もう動けないんだ、敵って言われてもなあ。とにかく、この惑星の空間座標を割り出して、艦隊に合流しなきゃいけない。そのためには、AIの演算力は必要だとも思うし」
今、この蒼と翠の惑星がどこかもわからない。
広大な無限の大宇宙の、そのどこらへんに浮いているのが不明なのだ。
わかっていることはたった三つ。
一つ、エーヴルと呼ばれる原生民が暮らしていること。
一つ、それとは別に『方舟の民』と呼ばれる、ハイジたちに近い人類もいること。
そして最後に一つ……この惑星には、巨神とでも言うべき敵が存在すること。
そのことを単純に脳裏に整理していると、ハイジにぐいと少女が顔を寄せてくる。日に焼けた健康的な肌は、クオンだ。
「女神 村のシンボル エーヴル、崇めてる」
「ああ、うん。大丈夫、壊さないよ。フミヲには俺が言って聞かせる。あいつは昔から短気で単純なんだよ」
「女神 壊さない? うん、それ それ、いい それがいい」
「うんうん。……やっぱりこうしてみると、シオン姉さんに似て、って! 痛てぇ!」
フミヲが尻を蹴っ飛ばしてきた。
生身での格闘訓練設けてるので、彼女のミドルキックは金属製のパイプすら曲げてしまう威力だ。それで思いっきり尻を強打されて、ハイジは飛び上がる。
ざわめき不安そうだった周囲から、まばらに笑い声があがった。
見れば、女神のような立体像もクスクスと肩を震わせている。
「私はこの場で行動不能になり、既に700年以上が経ちます。そこで改めて学びました……人類は必ずしも、この宇宙から駆逐すべき病原菌ではないのかもしれません」
「んー、よくわかんないけどさ、マスティマさん。何度も俺たち、戦ったけど……あんたは俺の友達を、兄弟を、人類を沢山殺してきた」
「否定できませんね。私はそのようにプログラムされたAIですので」
「でも、お互い宇宙の迷子で、時間軸までズレちまってる。これってつまり、今この瞬間も地球脱出船団とは時間の流れが食い違ってる可能性があるってことだろ?」
ハイジは学がない、というより学んでも覚えられない質だった。
だが、直感が鋭いと何度もシオンに褒められた……というよりは、フォローされたことがある。シオンは純粋な人類の中では、唯一ハイジたち計画兵種に優しい女性だった。
そんなシオンの教えで、覚えていることは多くはない。
彼女からでも、数式や文学よりも大事なことをハイジは刻んできたつもりだった。
「お互い、原隊復帰という目的を共有できないかな。それまで休戦、協力してほしいんだ」
「ちょっとハイジ!」
「フミヲ、少し頭冷やせよ。一緒にまずは帰ろうぜ? シオン姉さんのところにさ」
「……それは、うん。帰りたい、けど……そんなこと、できるのかな」
「できるさ! できるかどうかがわからないけど、まずはやる。やってみてから考えようぜ」
「もぉ、またそれ? …フフ、ハイジっていつもそうね。前向きで前のめり。あと、時々前屈み。とりあえず鼻の下伸ばしてないで、できることから始めましょ」
酷い言われようだが、フミヲが笑顔になってホッとした。
それに、ハイジは決して鼻の下を伸ばしてなどいないし、目の前の全裸に動じたりはしていない。目を背けなかったというか、背けられない現状は否定できないが。
何故かわからないが、異性の裸を見ると妙に心が落ち着かないのだ。
シオンが時々一緒にお風呂で身体を洗ってくれたが、その時もそうだった。
きっと、不具合だ。
できの悪い計画兵種だから、なんらかのバグの可能性もある。
基本的に男女は互いに肌を晒すものではないし、親しい者同士でも慎むようにインプットはされていたが。
「んじゃ、改めてよろしく頼むよ、マスティマさん」
「マスティマで結構です。こちらこそ、ありがたく申し出を受けさせていただきます。そこで、最初の提案なのですが」
立体映像がそっと手を上げ、ハイジの機体であるデモルセーレを指さした。
頭部を破壊され、首無しで片膝を突く愛機にも、修理と補給が必要だ。それは、見た目こそシャンとしているがフミヲのデモルベレトも同じである。
その現状に先回りして、マスティマが意外なことを言い出した。
「私の本体の頭部を、ハイジの機体に移植してください。規格は問題ない筈ですし、私の全機能は頭部に集中しています。今の身体はもうすぐエネルギーも尽きてしまいますので」
首の挿げ替えの提案だった。
フミヲが慎重論を唱えて耳打ちしてくるが、ハイジは単純にOKだと伝えた。現状、破損してほぼ全てのセンサーが失われたのは痛手だ。それに、マスティマを連れ歩いて惑星の調査を始めるなら、動向してもらうために機体に搭載するほうが合理的である。
ただ、一つだけ条件があって、それをハイジは伝える。
見た目が格好悪いのが嫌だから、機体のカラーリングを統一してほしいということだけだった。
巨神惑星(仮) ながやん @nagamono
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