第36話 船上にて綴る詩

 もう、横濱埠頭は輪郭しか見えない。取敢えずボーイを呼んで、一旦客室に荷物を置いた。餞別で貰った物の中に花瓶が有ったので、其れに水を入れてきてもらい白椿の花束を活けて置いた。改めて見ると綺麗な花である。

 先程、牧野巡査に云われた通り、俺は白椿を無意識に凝視していた。そして思い返す――あの隠れ庵の、ぐるりを囲んでいた白い花は矢張り白椿であったと……。


 之は推測だが、白は椿の根に『人魚の肝』の秘薬を塗り込んだのではないか?

 自力で脱け出せない囲いの中――生活に必要な物が揃っているとはいえ、あの隠れ庵に一人で死ぬ迄過ごすなんて、どれだけの孤独なのだろう。寿命は何時訪れるか解らない、其れこそ狂いだしそうな精神状態であろう。

 白は、如何にかして寂しさを紛らわせようとして――せめて、好きな花を何時でも観られる様にとの思いで、人魚の肝の秘薬を椿の木に与えた。結果、椿の木は突然変異を起こし、一年中花を咲かせる様になった。

 其の突然変異体の原木から幾つも幾つも接ぎ木を行い、やがてぐるりを囲む迄に増やし続けていった。大好きな白椿が何時も観られる様に、一年中咲き誇る様に、自分の代わりに花に狂ってもらっていたのではないか……。

 しかし、其の突然変異した白椿も全て爆散し、埋まってしまったか。『人魚』の遺物の手掛かりは潰えてしまったな。


 荷物の整理も一段落したので、俺は再びデッキに出た。藤田から貰った一升徳利を下げて。焼酎は暫く呑めなくなるだろうから、チビチビやれと云われたけれど、何だか無性に呑みたい気分だったのである。

 蓋を兼用している猪口に並々と焼酎を注いで、一気に呑み干す。強い酒精が喉に心地よい。暫くコイツが呑めなくなるのは矢張り、残念な事だな……。 

 ――白と渡邉信之助、酒は嗜んだのかな?

 もし呑めるのであれば、一献傾けて腹を割った話でもしてみたかったな………。

 あの隠れ庵を訪れたのが俺と藤田では無く、俺とエルとアンリだったなら――結末は違ったものとなっていただろう。


 ぼやいた処で詮無き事だな――過ぎた時間はどうにもならない……。


 二杯目の焼酎を呑み干して又、考える。

 確証は取れなかったが、白は間違い無く長命の存在であった。人造人間の俺達よりも、更に長い時を生きていた――若い容姿の侭で老いる事も無く……。

 俺にはエルやアンリといった同様の存在が身近に居たけど、白は少なくとも百年近くを――そう、俺達が生きてきた時と同じ時間を、たった一人で過ごしていたのだ。

 ――あの、外界から隔離された隠れ庵で……。

 想像を絶する孤独の中で、突如現れた渡邉信之助の存在は彼女にとって、大きな救いと為っただろう。彼が居なくなった時には大いに嘆き悲しんだ事だろう。

 だから、再び戻って来た時には喜んだ。そして、もう二度と離れぬ様にと考えた……。


 例え俺達が隠れ庵を訪れなくとも、白と渡邉信之助は近々の内に心中をしていたのではないか? そうだとしたら、あんな笑顔で――あんなにアッサリと心中出来たのも納得出来る。

 長く生き過ぎる事への不満、不安、悲しさ、寂しさ、切なさ、虚しさ……耐え難い孤独の中で突如知った安らぎ、楽しみ、微笑み、愛おしさ……其れ等、忘れかけていた満足感を胸に抱いた侭、永過ぎる生命に終止符を打ちたかったのではないだろうか。

 渡邉信之助も精神疾患が有るとは云え、ある程度の思考能力は持っていた。元々、先の戊辰戦争で死んでいてもおかしくなかった身である。白からの申し出に、自らの意思で従っていたのではないか………。


 三杯、四杯、五杯目を飲み干す。流石に之以上は勿体無いので、一旦止めよう。 

 急に冷え込んできたな――冬の海風は身体に堪える、俺は船室に戻ってベッドに身体を横たえた。

 花瓶の白椿は活き活きとしている。枯れ落ちるのは未だ先だろう。

 『八百比丘尼』伝説――いや、俺の携わった『オリエントの不死尼僧』伝説は、随分と切ない結末に為ってしまったな。

 貴女の最期は好いた男と添い遂げ、絶える事を選んだが――会話の端々には、孤独に耐え抜く不老長寿者の矜持の様な言葉も覗えた。其れ等の言葉は恐らく、渡邉信之助と出逢う前の思考なのであろう。


 人造人間である俺も、未だ未だ之から永い時間を生きねばならない。俺は既に百二十歳を超えているが、貴女に比べれば若造なのだろう。

 だが、そんな若造でも――最近、長く生きる事の意味が良く解らなくなる時が有る。俺は未だ、エルやアンリの様な達観した考えには至っていない。

 俺は半身を起こして、上着から手帳を取り出した。隠し庵での白との遣り取りを思い出しながら、印象に残った言葉や台詞を適当に走書きして羅列する。


 そして、言葉を繋ぎ合わせて詩を書いた。

 白は渡邉信之助と出逢った時に、こんな言葉を伝えたのではないのかと想像しながら、一人で悠久の時を過ごさねばならぬ侘しさを語ったのではないのかと、推察しながら……。

『オリエントの不死尼僧』と同じく、之からも悠久の時を過ごしていく自分の身に重ね合わせて――之からも生きていく為の指針の一助になればとの思いを込めて……。



 自分らしくは無いと思いつつ――誰に見せる訳では無いと知りつつも……。

 稚拙な言葉を綴ってみた……。

 下手糞な詩を書いてみた……。






 妾が此の世に生まれ出でて、幾星霜。


 幾つもの時代が御座いました。

 幾つもの争いが御座いました。


 永らく続いた今の治世にも、終の時が参りましたか。


 又、争いが起こったので御座いますね。

 又、大勢が亡くなったので御座いますね。

 そして、多くの骸の上に新たな時代が参ったので御座いますか。


 でも、妾には如何でも良い事。

 そう、妾には拘わりの無い事。


 時代が如何様に替わろうとも――俗世が如何様に移ろおうとも――妾は此処で、此の侭で御座いますから。


 又、次の時代が参ろうとも……。

 更に次の時代が参ろうとも……。






                     了




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人造人間 ~オリエントの不死尼僧~ 綾杉模様 @ayasugimoyou

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