夏はじめ

 夏。木々が青々とした葉をつけ切った頃。

 学生を狙った襲撃事件として有名になったあの初夏の事件は、しばらく経った今でも、話題の一つとして使用されていた。

 学生の中では襲撃の中での立ち回りを自慢する者や、あの合成獣キメラの仕組みを解明しようとする者など、様々な影響を残していた。

 そんな真夏のとある日。太陽が我らの肌を焦がそうとする中、私はセシリアと共に城下町のベンチに座り、氷菓アイスクリームによって体の熱を発散していた。

 どうしてこんなことになったのかというと、話は単純。セシリアが認識阻害のイヤリングの存在を知り、また、事件の際に命を顧みない行動をした罰として、セシリアとお願いを聞くことになっていたのだ。

 それが、セシリアと遊びに行くこと。それもルーシーやピスティスといった余人を交えない、二人っきりでの遊びの誘いであった。

 一度目は後ろめたさもあり、文句も言わず了承した。文学関連の店に行ったり、裁縫についての技術を教えてもらったり、互いに有意義な時間であった。

 二度目もまだよかった。部屋の小物や服を一緒に見に行って、貴族らしく、それでいてセシリアの好みの部屋に変えるのは、これからの彼女を思うと必要なことであった。

 だが三度目となればもう言い訳は聞かない。父から忠告を受けたというのに、私と彼女は完全に友人としての絆を結んでしまっていた。

 ずいぶん仲良くなってしまったものだとセシリアを眺めながらため息をつく。彼女はそんな私には目もくれず、食べ終わったカップを手に、また屋台の方へと駆けていく。戻ってきた彼女の手には、また別の、緑色をした氷菓アイスクリームが握られていた。

「あなた、それ何個目よ……」

「五個目です!いろんな味があるのですから、全部確かめないとですよ!」

 彼女はキウイ味だと言い、私にも氷菓アイスクリームを差し出してくれる。

「……そうね。ありがとう」

 お礼を言って、一口木製の匙を口に入れる。確かにこの氷菓アイスクリームは、屋台のものながら甘味より果物の味が感じられ、貴族(舌が肥えている者)から見ても美味だと言えるものであった。

 だとしても五回もお替りするのは淑女として少々更にはお腹周りに不安が感じられた。

 監視役として窘めるべきだろうかと悩んでいると、彼女は笑顔で氷菓アイスクリームに齧りつきながら言う。

「王都に来てから気づいたんですが、私、太りにくい体質みたいで。サミュエル様からはもっと肉を付けろと言われたんですよね」

「なんとも羨ましい話ね……」

 世の中の女性を全員敵に回すようなセリフに、私は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 私は手元に残っていた薄紫の氷菓アイスクリームを何とか食べきり、流石のセシリアも満足したのか、五個目を食べ終わった後に追加を頼むことはなかった。

 なにせ、食べ歩きは今日の目的ではない。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

「はい!こちらです。メグさん!」

 差し出された手を握り、セシリアの案内で城下町の南街道サウスストリートを歩く。王都の南は平民用の店が集まっており、こちらの方面には来たことがない私には見慣れないものが多く思えた。実際は、貴族が使っているものの劣化版だったりするのだが、それを工夫で使えるようにしているのには感心しかなかった。

 やがてたどり着いたのは、野外訓練の際にセシリアが利用したという、平民のための雑貨屋であった。

 その外観は、平民ながらみすぼらしくなく、下級貴族の持ち家だと言われても不思議ではないほどであった。

 事件の際に使用したこの店の、使い手のことがよく考えられた品々に惹かれた私は、打ちと取引のあるネドルモール商店ルーシーの実家とも相談したうえで、この商店をリコリスネーロ侯爵家の契約商人として契約できればと考えていた。貴族の後ろ盾を得て、この良い品をより遠く、より広くへ届けて欲しいと考えたのだ。

 だが今のところは店主が首を縦に振らず、取引は行われていない。

「メグさん。なにしてるんですか?」

 変わらず良い物を扱っている店主に感心と無念を浮かべていると、セシリアが袖を引っ張ってきた。

「ああ、ごめんなさい。でも惜しくって……」

「店主さんも貴族相手なんて勘弁だーって言ってたじゃないですか」

「それはそうなんだけど……」

「ほら。早く水着を見ましょうよ!」

 そう。今日の買い物の目的とは、水着だ。

 というのも、彼女をリコリスネーロ侯爵家が支援しているリゾートに、セシリアを招待することになったのだ。

 本来仲良くするべきではないセシリアを私の家のリゾートに招待するのには、ある事情があった。

 それは、セシリアの成績である。

 なにも頭が悪いという話ではない。むしろ物覚えについては、セシリアはスポンジのように知識を吸収し、学力テストの点数は平均を超えるようになった。だが礼儀作法や戦闘など身体を動かすことについて、全く才能がなかったのだ。月に一度開催される夜会で先生に目をつけられ、特別指導まで行われた。そのため、先生たちからは課題として、あらゆる貴族のパーティーへの参加し実戦経験を積めと命令されていた。

 その中に実家リコリスネーロ侯爵家の寄り子であるビルアメリア男爵家の名前があり、さらに男爵が、王都から西にある、ザパート湖の湖畔でリゾートを経営していたため、水遊びに興じようという話になったのだ。

 パーティーにはネドルモール男爵やディプロクファ子爵ルーシーやピスティスたちも呼ばれていたので、自然、彼女たちとも遊ぶ流れとなった。

 だが、これまでただの田舎娘であったセシリアが水着など持っているはずもなく、そこで今日の買い物に繋がる。

 季節のものが並べられた棚には、少量ではあるが平民らしい、装飾のない水着が並んでいた。さらには制作した服飾士の紹介までされていて、商人と職人の両方が得できるというのが節々から読み取れた。 

「やっぱり惜しいわね。どうにか説得できないかしら……」

「ここの店主さんは貴族嫌いで有名ですからね。でも、そこで無理やり従わせようとしないのは流石です!」

「前にも言ったけど、貴族を何だと思ってるのよ」

 貴族という名前から支配者という印象を持たれやすいが、当人からすると守護者という意識の方が強い。魔物や自然環境、他国や犯罪者から民を護るもの。それこそが貴族なのだ。

 もちろん、貴族に反旗を翻さんとする平民もいるが、店主はそういう訳でもなく、ただ貴族を嫌っているだけなのだ。もちろん、客として店を利用する許可は貰っている。

「あなたにはこれが似合うと思うわ。あまり装飾をつけすぎても、他の貴族連中からネチネチ言われるでしょうし」

 サラサラとした白い生地の水着を手に取って、セシリアの身体に重ね合わせる。サイズも問題ないなどと考えていると、セシリアは顔を赤らめると同時、何かを言いたげに指を突き合わせていた。

「……えっと、その。悪役令嬢としてはそれでいいのでしょうか……?」

 至極真っ当なその指摘に、私は不意を突かれ間抜けな顔を見せてしまう。

 湖畔は男爵の好意で一区画を貸し切りにしてくれるそうだが、だからと言って人の目を完璧に排除できるわけではない。それを考えると遊ぶのも少し危険なように思うが、彼女が遊ぶのを諦めない以上、せめて服装は考えなければならないだろう。

「盲点だったわ……。というか、よく覚えてたわね」

「ま、まぁ。指導の時とかまさしく悪役ですから……」

「指導?」

 頭に引っ掛かった単語を聞き返すと、セシリアは何でもないと手を振っていた。

 とにかくこの店では貴族らしい品は手に入らないだろうと考え、馬車に乗り、北街道ノースストリートに向かう。南とは逆に北側は、貴族用の高価なお店が並んでいる。この街の作りは、魔人まがびととの戦争の名残であるらしい。かの国がある北側では、貴族が守りを固めているのだと父から幾度も聞かされた。

 それからネドルモール商店ルーシーの実家から教えてもらった専門店に向かい、セシリアには不相応な装飾の多いものを選んでいく。

 途中で影から見守っていたユーティら従者たちにも手伝ってもらい、セシリアを着せ替え人形のように扱い、存分に買い物という行為を楽しんでいった。

 だが、そのどれもが彼女の印象に合わず、この子はどこまで行っても平民なのだと感じていた。

「こうなれば、オーダーメイドかしら」

「そんな!そこまでしてもらう訳には!」

 慌てるセシリアとは逆に、ただただ冷静に侯爵令嬢として答える。

「結局王族からの贈り物って形になるんだから、素直に甘えればいいじゃない」

「その感覚が理解できないんですよ!」

 聖女に関係する費用は、すべて作戦指揮を執っているカルフェン様によって賄われる。というか、あれだけ食べておいてお金はどうするつもりだったのか、少し彼女の金銭感覚が心配になった。

「オーダーメイドって時間がかかるのでは!パーティーに間に合いませんよ!」

「こういうのはね、ものなのよ」

 貴族にはそれが出来るのだと、セシリアのことを睨みつける。

 だがそれでもセシリアは折れず、学生らしいにぎやかなやり取りはまだ続く。

「体のラインが出過ぎではありませんか!」

「最近の流行りはこれよ。それに、平民のお店でもこれくらいだったでしょう」

「水に濡れるだけならそのお店のものでいいじゃないですか!」

「私が、可愛いあなたを見たいのよ」

 そこでやっとセシリアが黙り込む。そうして顔を真っ赤にしたセシリアは、小さくコクリと頷いた。

「ありがとう、セシリア。私のを聞いてくれて」

「……メグさんは、ずるいです」

 泣きそうな彼女へ二コリと笑みのみを返し、無理やりにだが了承を得る。そして服飾士との相談に入り、彼女に似合うものは何だろうかと、人形遊びのようなやり取りは、セシリアの瞳から光が失われるまで続いた。





 涙目になりながらクレープを齧るセシリアを横目に、私たちは机に広げられたイメージ図を覗き見る。

 そこに描かれていたのは、白を基調に差し色に青の入ったフリルデザインの水着であった。

 制服と同じ色合いではあるが、彼女の服装を考えた時、真っ先に思い付いたのがこれであった。さらにはフリルで可愛らしさも表現されていて、彼女の純真をよく表していると、その場にいた全員がしきりに頷いていた。

 当の本人はぐったりしているが、水着には笑顔を見せていた。

「思ったよりも露出が少ない……!それに、可愛いですね!」

「当たり前じゃない。ここは貴族御用達の工房よ?」

 貴族の周りで過ごすならば、それに近しい感性を持って然るべき。職人たちの間で暗黙の了解となっている、覚悟とも誓いとも取れる言葉だ。その誓いはこの工房の服飾士たちも間違いなく持っていた。

「では代金はリコリスネーロ侯爵家まで。一か月後にまた来ます」

「必ずや用意させていただきます」

 服飾士が礼をして、図面をもって慌ただしく奥へ引っ込んでいく。見送りをしないのは、貴族相手では少しまずい行いであったが、熱意ある職人はあのまま走らせてやるべきだろうと、言葉を飲み込む。

「じゃあセシリア、行きたいところとかあるかしら?」

 目的を達成した後は、友人とのショッピングを楽しむ。セシリアが食べ物に釣られていくのを窘めたり、逆に私が本屋の前から動かなくなったことにセシリアが頬を膨らませたりと、互いに笑って過ごしていた。 

 その最中、一つ無くしたものを思い出す。

「そうだ、短剣を探さないと」

「短剣って、この前折れた奴ですか?」

 この前の事件の際、悔やみつつも手放した私の短剣相棒は、未だ代わりを見つけられずにいた。何度か家の職人にも相談したのだが、しっくりくるものがなく、今も間に合わせのものを使かっている状況だった。

「セシリア、どこかいい武器屋を知らないかしら?」

 そう聞くと、セシリアは少しだけ迷うそぶりを見せた後に口を開いた。

「その、私も教わった場所なので自信はないのですが、一つだけ……」

「あら、どんな店なの?」

「なんでも鉱人かねびとの方がやっているお店だそうで、場所も不思議なんですけど……」

 それはなんとも珍しい。鉱人かねびとは西の山脈に住む低い身長と鉄混じりの黒い肌が特徴の山岳種族。凄まじい性能を誇る武具を作り出す繊細にして剛力な鍛冶の腕。金床の妖精ドワーフとも呼ばれる一生を鉱石と共に過ごす民。

 彼らはその人生の大半を山の中で過ごし、もし平地に出てきたとしても、貴族に召し上げられるか、一つの土地に留まらず旅を続けるかのどちらかであると、鉱人と交流を持つ家ピスティスから聞いていた。

 にもかかわらず、鉱人かねびと徒人ただびとの街に店を構えるというのはどんな事情があるのだろうか。

「いいわね。気になるわ。案内をお願いできる?」

「はい!」

 そうして案内されたのは貧民街スラムの中。それもかなり奥まった場所にその鍛冶場はあった。

「本当にこんな場所にお店があるの?あなたじゃないと信じられないのだけれど……」

「聞いたのはこの先なんですが……。私も不安になってきました」

「最悪、私とユーティで逃げ道を作るから、あなたも走りなさいね」

 道端に座り込む物乞い、浮浪児、ヤクザ者どもに視線を向けられながら貧民街スラムを進む。

 ふと、今にも崩れそうな家屋の中に、一つだけ場違いな、堅牢な建物が現れた。外観は砦のように荒く、しかし入口には鉱人かねびとの氏族を示すトーテムや丁寧に磨かれた看板からは、鍛冶屋としての誇りが見て取れた。

「こんにちは……。トールキンさん、いらっしゃいますか……?」

 セシリアがそろりと暖簾をくぐり奥に呼びかける。しかし中からの返答はなく、ただ、店の前に立っていても迷惑だろうと、店の中へ踏み入る。

 中は思ったよりも清潔感があり、壁や真ん中の棚に並んだ武具の数々も、埃一つ被らずに我らを迎えてくれた。

「でもこれ、全部……」

 鈍い輝きを放つその品々に、私は確認のため手を伸ばす。

「触んな!」

 刃に肌が触れる瞬間、カウンターの奥から言葉が飛んでくる。工房になっているらしいそこから、汗を拭いながら現れた彼は、セシリアから聞いていた通りの鉱人かねびとであった。

「ここに、嬢ちゃんらが買うようなもんはねえぞ」

 彼はそう言いながらこちらをギロリとにらみつけてくる。だがセシリアは怯えることなく一歩前に出て、彼に話しかけた。

「あの!あなたが、トールキンさん、ですか?」

 彼女がそう言うと、彼の目がカッと開かれ、その後に一つ息を吐いた。

「そん名前をどこで聞いた。……馴染みの奴らしか知らんはずなんじゃがな」

「あの、私の先輩が、きっと役に立つと……」

 セシリアがおずおずと手をあげながら言うと、長いひげを撫でつけながら彼が唸る。

「嬢ちゃんの先輩なあ……。嬢ちゃんら、学園の生徒か?」

「え?ええと、魔導学園なら、その通りですが……」

「じゃったら、奴か。鼻垂れ小僧め……」

 トールキンは一つ息を吐き、またギロリとこちらに目を向ける。

「そんで、嬢ちゃんらは何の用なんじゃ。茶器なんぞを探しに来たわけではあるまいに」

 彼のその言葉に、今度は私が彼の前に出て口を開いた。

「私の短剣を探しているのです。が、ここに並ぶものを見る限りでは、あなたに依頼したいとは思えません」

「ほう?何が気に入らん。学生が使うなら十分じゃろうに」

「これ、鋳造品ですよね。それかお弟子さんの作品か。どちらにせよ、平均の域を出ない出来かと。できればあなたのを見たいのですが」

 そう言うと、彼はニヤリと口を歪ませた。

「目がいいのう。ま、貧民街こんなところに店を構えとる以上、色々対策が必要なんじゃ。ちと待っちょれ」

 そう言い、彼は工房へ引っ込み、すぐに短剣を一振り手に持って現れ、それをカウンターの上に置いた。

「まずは試しじゃ。振ってみろ。合わんかったら次を出す」

 その短剣は表に並べられていた数打ち品とは比べ物にならないほど、鋭い輝きを放っていた。

 その輝きに見惚れながらその短剣を握りこむ。そして他の品を傷つけないように気を付けながら、何度か振り回し、その感覚を確かめていった。

 それを眺めていたトールキンも一つ頷いて、再び奥へ引っ込んでいくのが視界の端に見えた。

 それよりも、この振り心地だ。まるで剣と一体になったかのような感覚。久しぶりに感じる楽しい感覚に、額に汗が滲むまで舞い踊る。トールキンが何かを持って戻ってきても、その剣舞は続いた。

「よお、嬢ちゃんよ。そんな喜んでくれんのはこっちも嬉しいが、メインディッシュはまだだぜ」

 その言葉に、ようやく私の動きが止まる。息を整えながら彼の方へ向き直ると、彼の手には今私が持っているものと同じサイズの、しかし刀身が黒く染まった短剣があった。

「全長51セン。刀身は黒鋼で鍔は半球。握りは細いが、嬢ちゃんの手にはピッタリだろう。試作品だが、間違いなく傑作だぜ」

「これは……?」

 手渡された短剣には、よく見ると根元の辺りに三つの穴が開いており、追加で彼から、その穴にぴったりはまりそうな三色の宝石を手渡された。

「こいつは付与魔術を使う、ある種の魔剣だ。取り付けた宝石に応じて属性が付与される。まあ、俺の手製じゃから効果は小さいが」

 魔剣。それは読んで字の如く魔術/魔法の込められた武具のことで、込められた魔術によっては国宝にもなりうるものだ。しかしその分制作は難しく、一つの魔術を込めるにしても莫大な費用と試行回数が必要になる。

 にもかかわらず、個人が、それも複数の効果を持つ魔剣を作ったというのは、流石金床の妖精ドワーフだと感心するほかなかった。


 一通り眺めた後、実際に赤い宝石をはめ込んでみると、黒い刀身に少しだけ赤が混じる。それを確認したトールキンが木片を差し出してきた。その木片に軽く刀身をあてがうと、ジュウと小さな音を立てて小さな火が上がる。

 私の魂の色では出すことのできない炎に、私は久方ぶりに戦闘以外で気が高ぶるのを感じた。

「はめる宝石は紅玉ルビー、蒼玉≪サファイア≫、翠玉≪エメラルド≫にしろ。それ以外は試しとらん。あと、出来れば年代の古いものを使え。それを使ってやっとマシってもんじゃ」

 作品についてよく理解している事実に、なおさら疑問が残る。なぜ彼のような腕前の鍛冶師がこんな貧民街スラムに店を構えているのか。

「まずは、腕を疑ったことをお許しください。しかし、なぜこんなところで鍛冶屋をやっているのです?あなたほどの腕前であれば、どこかの貴族に仕えることもできるでしょうに」

「あーいや、俺は貴族どもにウケが悪いらしくてな。じゃあなんでまだここに居るんだって話になるんじゃが……。ま、色々あるってことで」

 彼の顔にはバツの悪そうな笑顔が浮かび、それでも後悔している様子はない。

「そうですか……。一応聞きたいのですが、今から私に仕える気はありますか?」

「今はねえ。この場所に満足してんだ」

「でしょうね。内装を見ればわかります」

 この店は貧民街スラムに建てられているが、誰かの下についている様子も、反発している様子もない。そんな面倒な立ち位置にいるのに離れないのは、特別な理由があってもおかしくない。

「まあ、機会があれば頼むさ」

 そう言った彼は家庭を持った男のような、ゴールにたどり着いた走者のような顔をしていた。

「ではお支払いを。こちらで足りるでしょうか?」

 そう言って差し出した小切手には100万ダラーの文字。隣でセシリアが飛び跳ねているが、トールキンに驚いた様子はない。

 きっと正確にこの剣の価値を把握しているのだろうが、彼はその紙を奪い去り、0を一つ消してから再度渡してくる。

「男らしく無料タダで持ってけって、言い切れたらいいんじゃがな。まあ、これで勘弁してくれや」

「いや、何を言っているんですか。魔剣なんてものがそんな値段なはずが」

「かっこつけて魔剣だなんだといったが、こりゃあ試作でしかねえ。自分の納得がいかねえもんに、大層な金は受け取れねえ」

「しかし……」

「ああ、黙らんかい!そもそも武器なんてのは使われなきゃ意味ないんじゃ!んで、これはあんたが使うもんなんじゃ!」

 トールキンはその短い腕をカウンターに叩きつけ、もう動かんという風に腕を組む。一度セシリアの顔を見ると無言で首を振られてしまう。聖女の目からは、きっと鋼のように硬い色をした彼の心が見えたのだろう。

 私は一つ息を吐いて、その小切手にサインを記す。

「ありがとうございます、トールキンさん。……これからたくさん客が来るかと思いますが、頑張ってくださいね」

「そりゃどういう意味だ?」

「この私の武器を打ったのです。あなたには、それに相応しい名誉を得ていただかねば」

 これはせめてもの抵抗だ。彼にも事情があるのだろうが、友人や従者たちに広めることぐらい許していただきたい。

 ニコニコと笑みを浮かべる私に、今度はトールキンがため息をつく。同時、短剣を渡すよう手を向けられたので、カウンターの上に置きなおした。

「鞘はおまけしとくぜ。送るか?いいとこのお嬢様なんだろ?」

「いえ、このまま持ち帰らせていただきます。この子と少しでも早く仲良くなりたいので」

 その言葉にトールキンは深く頷いた。そして、上質な皮の鞘に包まれたその短剣を受け取る。

「それで、この剣に銘はあるのですか?」

 そう言うと、彼は目を瞑り髭を撫で、少しの間黙り込む。ようやくといった時間が過ぎて、彼の口が重く開かれた。

「何度も言ったがこれは試作じゃから、銘なんぞ決めておらんだが……」

 開かれたトールキンの瞳は、炉の炎と同じあか色に輝いていた。

「カラド。名前に負けんよう、上手く使えや」

 恐らくは虹の剣と呼ばれる、伝説のつるぎからとった名前。虹の一部を切り取ったそのに違わず、きっと私の敵をすべて薙ぎ払ってくれるだろうと、その黒い刀身を額に当てる。

「これからよろしく、カラド」



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悪役令嬢マーガレットの迷走 九頭展 @kuten_period

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