5月17日(土) 後日談

 翌日、私は父に呼び出され、リコリスネーロの館を訪れていた。

 整理した資料を送ったはずなのに、自分の口から報告せねばならないのは、父としての我が儘なのか、組織としての決まりなのか。

 ともかく、何故か久しぶりに感じるユーティを傍につけて、父とのティータイムにのぞんでいた。

「それで、私の忠告を聞かず、調査と生存ではなく戦いを優先したことについて、何か言い訳はあるかな?」

 私はすぐに答えを返すことが出来なかった。

「……護衛として、殿下への危険排除を優先しました」

「うん。殿下でさえ地上への脱出を優先したそうだけど?」

「それは婚約者として間違いでは?」

「彼が言うには、メグのことを信じていたと。殿下は頭が悪いけど、だからと言って何もできないわけじゃないよ」

 私は反論を思いつくことが出来ない。何度も言われてきた心配の言葉とはベクトルの違う諫めの言葉に、私は反応できなかった。

 それを見て、私の代わりにユーティが答えを返す。

「御当主様。お嬢様は非常に複雑な立場でここまで来られたのです。それを言うにはあまりにも酷かと」

「将来のことも考えて成長してもらいたかったんだがね。まあ、婚約破棄もあるからまだいいんだが」

 ずず、と紅茶を啜る音だけが部屋に響く。父がカップを置くと、打って変わって明るく笑いかけて来た。

「ところで訓練自体はどうだったんだい?楽しかった?」

「え?ええ、まあ……」

「いや、野外訓練は、学生時代の思い出の一つだからね。フォルセティの奴も今じゃあ考えられないくらいにははしゃいでいたんだぞ?」

「陛下もですか?……ええ、まあ。楽しかったですよ」

 父の突然の申し出に驚きながら、私は事件の日を思い返し始めた。


 事件の夜、中断してしまった野外訓練の振り替えとして、十分な警戒の上で改めて訓練が行われた。

 と言ってもこの状況で生徒を自由にさせるわけがなく、野営能力の確認という名目で行われる、慰安のためのただのキャンプだ。

 場所も荒れた森から見晴らしのいい湖のほとりに変更され、先生も生徒も関係なく騒いでいるので、それはもう大変な大騒ぎとなった。

 もちろん火を起こしたり料理を作ったりをするのは生徒だったが、酒を持ち込む先生も居たりしていて、もはや学校行事という体裁は存在していなかった。

 そんな中でも私は悪役令嬢をやめる訳にはいかず、ルーシーもピスティスは別クラス。訓練という名目上、ユーティも連れていなかったので、誰かに見張ってもらいながらこっそり楽しむということもできない。

 なので務めて表情を維持しながら、楽しんでいますよ、というポーズを取って夜番の時間までをなんとか凌ぎきるしかなかった。

 生徒を励ますためのキャンプとはいえ、これは訓練であるため、夜番の真似事をすることとなっていた。二人一組で、交代でペアの寝床を護る。

 私のペアはセシリアであるため、ここでなら気を抜くことができる。セシリアを天幕に放り込み、自分で淹れたコーヒーを楽しんでいると、眠ったはずのセシリアが私の焚き木に当たりに来た。

「どうしたの?眠らないと後がつらいわよ」

「その……昼間はシャロット様とお話しできなかったな、と思って」

 全く本当に。彼女のこういうところが憎めないのだ。人の心にするりと入りこむ、人たらしの才能が。

 これで演技の素振りがあれば、こちらもそうなのだと思って対応できるのだが、本心からとなればそうもいかない。

 もちろんそれに妬みを見せる子もいるが、そんな子とも仲良くしようとしたり、私たちの裏工作もあってか、最近そんな子は見なくなっている。その分私の敵が増えているが、それは喜ぶべきことだろう。

 気恥ずかしさを隠すためにも野営用のカップに口を付ける。コーヒーを飲んで目が覚めたのか、一つ聞きたいことを思い出した。

「セシリア、少し聞きたいことがあるのだけど……。答えにくいなら答えなくていいわ」

 揺れる炎を見つめながら、勇気を出して一歩踏み込む。

「どうして地揺れが起こった時、あんなにも取り乱していたの?はっきり言って、そこまでするような関係ではないでしょう。あれだとまるで……」

 ずっと疑問には思っていたのだ。喜ばしいことではあるが、まるで肉親が倒れたような反応されてしまうと、こちらとしては不審感が浮かんでしまう。

 コーヒーを啜りながら焚き木の弾ける音を聞き、ゆっくりとセシリアの言葉を待つ。

 ただ彼女にとっては改めて聞かれるようなことでもなかったのか、キョトンというような顔をしてから私の隣に座り込んで口を開く。

「聖女って、どんな存在か知ってますか?」

 質問返しの意図が分からず、少しの間黙り込んでしまう。

 それをこの国の人間に聞くのは愚問ではないだろうか。

 救世の英雄、神の使いなど、町ゆく人に聞いても色々な答えが返ってくるはず。色々と頭に浮かぶものはあるが、どれが彼女の求めているものかわからない。

 どうしようかと悩んでいると、答える前にセシリアが呟く。

「私は聖女って、生贄を聞こえの良い言葉に言い換えたものだと思ってます。国のため、世界のために、自分を殺して奉仕する。実際、神父様から求められたのはそういうものでしたし」

 苦笑と共に放たれたその言葉に、思わず唸り声が漏れた。確かに私が思い浮かべたものも、当事者からすればそう感じてもおかしくない。

 だからと言って何も言えない。なぜならば私たちこそ、このような子を生贄にしようとしている張本人なのだから。

 暗く沈んだ思考に溺れ、だがそこから救い出してくれたのも、セシリアの言葉であった。

「でも、私もそれでいいと思ってます。お母さんから皆には優しくしなさいって教わりましたから!あ、もちろんその中で、自分の幸せもあればいいんですけど」

 今度は明るい笑顔を浮かべ、彼女はその壁をすでに乗り越えているのだと理解できた。

 なるほど、こんなにもいい子に育ったのはご両親の教育の賜物か。是非ともあってみたいものだ。

 それを口にしようとして、だがそれより早くセシリアは顔を曇らせる。

「なんて、そう教わっては来たんですけど。私は生まれながらので、小さなころから人とは違うものが見えて、私を利用しようという人も居たりして、そんな人にも優しくしないといけないのかと母に怒りをぶつけることもあって。

 聖女の能力も、原因が分かっていなければ単なる忌み子。虐げられるそういうことになったことのない自分は、彼女にかけられる言葉をもっていなかった。

「でも母はそんな私とちゃんと向き合ってくれて、私を守ってくれたんです。村の人たちも納得させて、皆に協力してもらえるようにして。怖い人たちが襲ってきたりもしたのに……」

 そんな彼女を理解してここまで育て上げた母君には、本当に頭が上がらない。彼女が生きていなければ、こうして出会うこともなかったのだから。

「お母さんからは、全く悪意を感じなかったんです。お父さんからはたまに感じることあったんですけど、その度にお母さんが𠮟りつけて。逆にお父さんと一緒にいたずらすることもあったりして」

 クスクスと笑いながら炎を見つめる彼女からは、両親からの愛を感じることが出来た。また話の中の彼女の母は、とんでもない女傑であるのだと感じられる。

「それで、質問の答えなんですけど。マーガレット様からは、そんな母と似た雰囲気を感じたんです。悪意を感じない、優しい人。だから、もう二度と別れたくないって」

 その答えに、一つの納得を得る。彼女みたいな村民からすると、村から出るのも一大事。さらにはそんな大事な人と長い期間会えないとなると、拠り所が欲しくなるのも理解できる。

 と、納得しかけて、彼女の言葉に引っ掛かりを覚えた。

「セシリア。二度と、というのはどういうこと?……まさか、あなたのお母様は……?」

 変わらぬ笑みで吐かれた言葉は予想通りのものだった。

「亡くなりました。数年前、村を襲った盗賊から私を守って……」

「ごめんなさい、いやなことを聞いてしまって」

「大丈夫です!もう乗り越えてますよ。だからここにいるんですから」

 私にはそれが、空元気なのかはわからない。だから私も彼女を見習って、私の心に従おう。

 そう考えて、私はセシリアを抱き寄せる。

「ずっと言っているように、私とあなたは”悪役令嬢”と”聖女”よ。でもたまになら、本当にたまになら、母のように思ってくれて構わないわ」

 そう言うとセシリアは静かに泣き出してしまった。擦らないように彼女の手を握り、ハンカチで涙を拭う。

「なら、娘としてお願いです。あまり、あぶないことは、しないでくださいね……?」

 約束できるかわからない言葉に私はせめてと苦笑いを返す。だが、この子を泣かせたくはないという気持ちはもちろんあった。

 やっぱりもっと強くならないと。誰も泣くことのないように。誰も怨嗟に飲まれないように。

 寒空の下で、セシリアが泣き止むのを待つ。この様子だとしばらく寝床には帰らないだろうと見て、その間に火に鍋をかけ、新しくお茶の準備をしておく。

 結局私たちは、セシリアが寝落ちするまで会話を楽しむこととなった。その分私が夜番を続け、また、先生の採点も辛いものとなったのは記憶に新しい。

 この件でセシリアとずいぶん仲良くなり、同年代の母というどう扱えばいいのか分からない存在にまでなってしまった。

 ちゃんと勇者の伴侶として立ってくれるのかという不安とそうなればいいという真逆の気持ちが私の胸中には渦巻いていた。



「という形でして……」

「なるほど。まあ、学生として楽しんだなら、父から言うことは何もないよ」

 父が茶菓子を手のひらで弄びながら微笑む。そして菓子を口に放り込み、眼光鋭くこちらを見た。

「だが黒華(こっか)としてはもう少し距離を考えて欲しい。彼女とは別れる運命にあるんだから」

 その父の言葉には猛反しかなく、だが決して後悔はなかった。

「分かりました……」

 表面上は繕ったその言葉に、父はちらりと視線を向けて、何も言わずにカップを手に取る。きっと父には見透かされているのだろう。だが、私はこの関係を切るつもりは全くなかった。

「じゃあ、これからも頑張ってね」

 一つ茶菓子を齧ってから紅茶を飲み干し、カップを置く。それを終わりの合図として私は部屋を後にした。


「歪なのは、何も殿下だけじゃないんだよ……」

 扉の閉まった後、ブランデンはその向こうの娘を見つめ、呟く。

 その後ろではユーティが悲しそうな顔で佇んていた。

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