せまりくる恋人たち(仮題)

あんぜ

第1話

四宮しのみやくんさあ、その格好にブーツってどうなの?」


 大学内のロビー兼喫茶店の深く腰掛けないと収まりの悪いゆったりとした椅子に余裕をもって腰掛け、足を組み、僕を見下すような言葉を掛ける彼女。ロビーにはいくつものスポーツサークルがそこかしこに陣取っている。


「えっ、そんなに……おかしいかな」


 対して僕は、深く座ると落ち着かないこの椅子の座面を半分ほど無駄にするように浅く腰掛け、前屈み気味に肘を膝の上に置いてブーツの紐を眺めていた。まあ確かに、僕は服にはあまり気を使わないしセンスも無いと思う。ただ、ブーツだけは好きだった。くるぶしを覆う安心感は慣れると普通の靴は履けない。


「おっかしいでしょ。大体いつもデニムに白いシャツだし。それしか持ってないの?」


 そういうわけではないが、あまり考えないと白か黒か青、それだけになる。その方が気楽なのだけれど、今の彼女には理解もしてもらえないらしい。


「そんなにおかしいかな……」


「おかしいと言うよりありえなくない? あたしらテニスサークルだよ?」


 そう、僕らは同じテニスサークルに入っていた。まあ確かに、コートに出るための着替えとシューズを常に持ち歩かなければならないけれど、それは他の服や靴でもそう変わらないだろう。ただまあ――僕は浮いていると思う。一緒に入った同じ学部のやつらも、最初こそ僕と大差なかったのに、今ではずっとラフな格好で寛いでいるし、何ならウエアのままのやつも居る。


「――あとさあ、それ暑くない? 足、臭くなんない?」


 僕の足は臭くないし、靴下は毎日変えているので革の匂いは籠っても、足の臭さはないはず。だいたい、彼女だって最初の頃は面白がって臭いを嗅いだり変なことをしてたからわかってるはずだ。


 彼女は同じ一年の嶋風 亜希しまかぜ あき。ちょっぴり狸顔っていうのか、可愛げがある。いや、あった。少し前までは。実は彼女とはサークルに入りたての頃、よく一緒に話をした。僕の部屋に遊びに来たこともあるので、もしかしたら僕に気があるんじゃないかと思ったこともある。


「裸足で履いたりしない限り、靴も足も臭くならないよ」


 彼女は何か言いたげだったが、しばらくすると僕から視線を離し、最近アッシュに染めた肩にかかるくらいの髪を耳に掛け――。


「な、なんなら、普通の靴、買いに行くの付き合ってあげてもいいけど?」


「は? 冗談。前に僕がブーツ好きって話、したよね」


 そう。彼女とはそんな話もしたし、家にブーツばかりあるのを――かっこいいね――と言ってくれたのに。


「なに? アキちゃんまた四宮くんのことイジってんの?」


 僕が荒げた声に気が付いて、先輩の黒岩くろいわさんが嶋風に声を掛ける。


「べっ、別にイジってなんかいません!」


 黒岩先輩は椅子を寄せてくると嶋風の傍に座り――。


「まあまあアキちゃん、それよりさ、みんなでプール行かない? 夏も過ぎたのに暑くてさ、コートとか立ってらんないからって話してたんだ」


 黒岩先輩は夏休みに入ってすぐの合宿の頃からやたらと嶋風と仲が良くなった気がする。正直、そんな嶋風にはイライラしていた。そういえば、嶋風が僕をイジりだしたのもその頃からかもしれない。


「いいですね! みんなで行くんですよね?」

「おう、明日か明後日で予定立てようって話」


 はぁ――僕は溜息を付いて席を立った。今日はサークルの練習の予定もなく、授業もまだ休みだからロビーに顔を出してみたものの、彼女を見ているとイライラしか募らなかった。


「じゃ、お先に。おつかれさまでした」


「えっ」

「四宮くん、帰んの? おつー」


 僕はロビーを後にした。友人と一緒だったから入ったサークルだが、未だに馴染めていなかった。最初の頃こそ嶋風といい感じだったから悪くないなとも思っていたけれど、最近の嶋風は僕に対する当たりが強い。見た目を揶揄われる事なんて挨拶のようなものだし、独学だったテニスはサークルでの練習でもダメ出しされる、とうとうブーツまで馬鹿にしてきた。



 ◆◆◆◆◆



「どしたの、アキ?」


 同じ大学で同じサークルの由子ゆうこ、通称ユコが心配そうに声を掛けてくる。あたしが大きなため息をついたから。


「黒岩先輩に誘われてきたけどさあ、みんな来るって言ってたよね?」


「みんな来てるでしょ?」


「(来てないじゃん……)」


「何か言った?」


 あたしが小さく独り言ちた声はユコには聞こえていなかった。


 連絡回してみんな来ると言っていたプールに四宮くんが来ていない。

 夏休み中の海やプールにも誘われたけど、女の子たちに誘われたプールならともかく、合宿後にサークルの先輩に誘われてついて行った海には、四宮くんどころか男三人、女三人というめちゃくちゃ少ない人数しか来ていなかった。


 思えばあの頃から四宮くんはあたしを避けるようになった。



 四宮くんは市内にある国立大の大学生。あたしはすぐ傍の女子大に通っている。入学してすぐの頃、ユコたちに誘われて近くの国立大のサークル勧誘を覗いてきた。女子大と違って規模が大きく、テニスサークルだけでいくつもあるのには驚いた。勧誘だけでお祭り騒ぎのようになっている。


 ユコたちとあちこちサークルを見て回っていたけれど、あたしはいつの間にかはぐれてしまっていた。まあ、子供じゃないからすぐにスマホで連絡を取って合流する予定だったのが、途中でしつこいサークル勧誘に捕まってしまった。


 筋肉質の男の人に急に肩を掴まれたため、しどろもどろになって断り切れないでいたあたしは掠れるような声で謝るように断り続けていた。当然、その男にはろくに声も届かず、あたしは足もまともに運べないでいた。


「うーわ、こっわ。女の子攫ってる。大学生こっわ」


 彼もまた小さな声で、ただしスマホをこちらに向けて男の人には聞こえるくらいの声で呟いていた。後から思えば、彼も精一杯勇気を振り絞っての行動だったのだろう。結局、彼は逃げ出し、その男は彼のスマホを奪い取ろうと彼を追いかけて行ってしまったため、あたしは逃げ出すことができた。


 その後、ユコたちと合流し、あちこちサークルを周って真面目そうなテニスサークルを見つけて入った。そこで連れていかれそうになった話をしたところ、タチの悪いテニスサークルだったみたいだった。


 翌日、サークルに顔を出してみるとあの彼が居た。四宮 真斗しのみや まなとと名乗った彼は、助けてくれたにもかかわらず――あたしのことを覚えていなかった。なんで? ってあとで聞いたんだけど、髪型が違うから見分けられなかったみたい。


 そんな彼とはよく話もしたし、彼のことが気になっていたから家にも遊びに行った。ブーツが好きと言っていた。彼の足は西洋人みたいに幅が狭いらしくて、輸入物の細身のブーツが難なく入るみたい。あとはゲーム? ボードゲームみたいなゲームを趣味にしていた。ユコに話すと――オタクってやつじゃない? ――そう言われた。



 四宮くんがあたしを避けるようになってあたしは困惑していた。

 ユコたちに相談すると、――オタク相手に飽きられたのならツンっていうか、ちょっとサディスティックなキャラの方が気を引けるんじゃない? ――そう言われた。


 あたしはちょっとキツいかなってくらいの話し方で彼に接してみたのだけど、キャラになり切れず、結局最初は照れたりしていた。ただ、四宮くんは――なにそれ――と久しぶりに笑ってくれた。最初の内はそれで彼の気を引けていた。でも、一週間、二週間と経つと、彼はまたあたしを避けるようになった。


 ユコたちにまた相談した。――Sっ気が足りないんじゃないの? ――そう言われた。


 あたしはもっとキツい話し方に変えてみた。彼も返事くらい返してくれるようになったけど、なんだか作り笑いのように見えて少しイライラした。そして馴れ馴れしく近寄ってくる黒岩先輩にもイライラした。先輩相手だから大人しくしていたけど、今日は我慢の限界だったため、強い言葉で拒否してしまった。



「いい気味ね」

「黒岩先輩かわいそー」

「でも、先輩とくっついちゃったりするとか考えなかったの?」

「ないない。アキは先輩は生理的に無理って言ってたし」

「吉井先輩や河合先輩も狙ってたのよ」

「なんであの子ばっかり」


 そんな会話がユコたちの間で交わされてたなんて思いもしなかった。



 ◆◆◆◆◆



「ほんと下手ね」


 嶋風は僕だけに聞こえるように、だけどいつもよりもストレートに言った。サークルの始まる時間より早い時間にコートへ来ていた。人がまだ大勢集まっていないため、数人でゲームを繰り返していた。


「そうかな。少しは上達したよ」


 僕は笑ってそう言った。けれど嶋風はお気に召さなかったようで、さっさとコートに行った。女子でこの時間に来ているのは彼女だけだった。僕は独学で学んだためか、大勢で練習するよりも一人でぶっ通しで練習する方が好きだったので、いつも早めの時間に来ていた。


 僕が負けたため、彼女は黒岩先輩に相手をしてもらっていた。先輩がバックのみのハンデ付きとは言え、彼女はかなり上手い。テニスを長くやってるのも大きいのだろうけど、彼女は背も高くて運動神経もいい。先輩が手加減したのかはわからないが、嶋風が勝った。そして次の吉井先輩にも河合先輩にも勝った彼女はコートから交代してくる。


「はぁ、四宮くんじゃ黒岩先輩の足元にも及ばないわよね……」


 彼女が先輩と比べてくることなんて初めてだった。かっと顔が熱くなった僕は、ベンチから立ち上がると彼女を見下ろした。


「な、なに……」


 戸惑う彼女だったが、僕がその場を立ち去ると、――フン――そういう声が聞こえた気がした。僕は着替えもせずに荷物を持つとコートを後にした。



 ◆◆◆◆◆



「ほんと下手ね」


 せっかく早めの時間に来たのに彼とほとんど話せてない。せめて一緒にゲームできればと思い、彼と黒岩先輩のゲームを見ながら心の中で応援していたのに、比べるまでもなく圧勝されてしまう。


「そうかな。少しは上達したよ」


 彼は作り笑いでそう言った。――うん、上達した。でも、練習前のでは負けるとすぐ交代。彼が勝てる相手は居ないし、あたしが勝っても彼まで回ることはまずない。結局、三連勝したあたしは交代して戻ってくる。


「はぁ、四宮くんじゃ黒岩先輩の足元にも及ばないわよね……」


 思わず口から洩れてしまった。ユコたちの提案もあったけれど、最近の四宮くんの煮え切らない態度と、先輩たちと四宮くんの実力差が見えてしまって、だった。


 四宮くんが急に立ち上がる。顔をしかめ、あたしを見下ろすようにしてじっとしているが何も言わない。

 結局、彼は去って行ってしまった。


「フン」


 せめて何か言いなさいよ。


 ただ、その日を最後に四宮くんは忽然と姿を消した。



 ◇◇◇◇◇



 数日後、あたしは知ることになる。

 彼の部屋に残された奇妙な模様と彼のパソコンに残された『異世界への逃げ方』というサイトの存在を。


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