三冊目『目覚まし時計は、寝坊助さん』

 由衣ん家に上がり込んだ俺はずぶ濡れのシャツをなんとかする為に、ハンガーとドライヤーを借りて乾かす事に専念していた。リビングのカーテンは閉め切って稲光は遮断できてるが、建物が震えるレベルのゴロゴロピシャンは相変わらずだ。

 こりゃあビビってすぐに玄関来れねえかと自己解釈した瞬間、晒してる上半身の肩に後ろから何かをかけれた。振り向くと由衣の気遣う顔が、目に留まる。


「寒いでしょ? 私の膝掛け貸してあげる」

「おう、ありがとう……?」

「……。さっきは、ごめんね」

「ん? ああ、手の事は気にすんな。無理に突っ込んだのは俺だし」


 冷湿布を巻いた右手を、平気そうに由衣に見せてやった。正直言って痛過ぎて痩せ我慢せざるを得ないが色々な意味で目が覚めたし、どうって事ないな。

 手の状態を見た由衣はとりあえず安心したのか、リビングのソファーに腰掛けた。ハァと胸を撫で下ろすと、さっき俺が渡したチラ裏絵本を軽く眺め始めた。


「どうしたの、これ」

「まぁ……久々に、絵本のアイデアが固まったっつうか。なんつうか」


 勢いで来ちまったから、上手く状況説明が出来ない。由衣は紙を一枚一枚めくって、じっくりと目で物語を追っている。表情から仕草までウキウキしてんのが見て取れるが、こいつ昔から俺が作った絵本渡すと、途端に精神年齢が幼くなるような感じするんだよな。


「うん、康介らしいおはなしだね」

「そうか?」

「目覚まし時計は、寝坊助ねぼすけさん……かぁ。康介ってほんと、魅力的な作品名思い付くからすごいよ」

「それは、どうも……」

「ふふ、流石康介だね。挿絵も可愛く描けてる」

「は…………、はい」


 あれ——なんか、居心地良いのはいつも通りなんだが、名前付きで肯定される度に全身がソワソワに掻き立てられるんだが。一回ドライヤーを止めて、殆ど出入りしなくなった樋口家の湿った空気を吸った。膝掛けから女の子の良い匂いがする。来客を想定してない由衣の部屋着が無防備に見えてくる。

 そんな馬鹿な、俺達は幼馴染なんだが。なんとかマーク効果って仮説はどこいった。待て、今の俺はシャツ着てないんだぞ。招き入れられて二人っきりだぞ。条件揃っててやばいって。止まらない可能性がある。


 俺たちに限ってそんな筈はないと、俺はドカドカとソファーに座る由衣に詰め寄って大の字で見下げた。急に目の前に立たれて、何も言わずにいるからちょいちょい動揺し始めてるのが伝わる。


「え。なに……どうしたの?」


 由衣はチラ裏絵本をギュッと胸元に寄せて、身を縮める。明らかにいつもと違う雰囲気で少しびっくりさせてると分かった瞬間、すんげえ罪悪感に苛まれたが、ソワソワが全然抜けない。大事そうに持ってくれてる紙きれの物語を読ませたい相手の瞳を見て、負傷した右手をガチィイと握り、痛みでこの場を支配する。


「てなわけで、読み聞かせてくれるよなぁあ?」

「へッ? あ……うん、いいけど……」


 俺の中で絵本作家の意思が、何かに勝利した。今はそれでいいが、一人になったらなんとかしないと、おさまらないやつだ。現状、頭ん中で由衣がアレの候補に上がってんのが信じられない。


「い、一回だけだからな……」

「読む回数の話?」

「なんでもないんで、朗読初めて貰っていいッスかねえぇッ⁉︎」


 眠たい頭で考え過ぎて、とんでもない一言が滑り出ていた。今の俺は完全におかしくなってる。頼むから早くまっさらな児童図書の世界に引き摺り込んで欲しい。目ん玉が飛び出す程の眼力を込めて急かした、絵本作家の真壁康介が敗北する前に読み聞かせてくれ。


「うん、よし……イメージ固まった。じゃあ、ここに座って、くれる?」

「分かったぁッ!」


 右隣に座るよう由衣に指示されたので、俺はドカッと座った。痛みが何よりも優先される感覚なのマジでありがたい。そのまま目線を、すぐ近くにある自分の駄作に集中させる。こうでもしないと、誰も読んじゃくれねえという現実は、心を冷静にさせてくれるぜ。


「はじめるね?」

「お願い致しますうぅッ!」


目覚めざまし時計どけいは、寝坊助ねぼすけさん」


 題名を読み上げただけで、スゥと俺の中に渦巻くあれやこれが消え去っていった。由衣はチラ裏絵本がよく見えるように紙を寄せてくれている。それでお互いの肩が吸い付くが、全然意識しない。今はただ、物語を聞きたい好奇心だけが俺らを繋いでくれている。



チクタク チクタク


ここは古い時計屋さん

お店にいるおじいさんは こわれて止まっても

なおしてくれる 時計のお医者さんです


チクタク チクタク


その時計屋さんに ちょっと古い

目覚まし時計が 時を刻んでいます


大きなベルが 二つある時計ですが

お店で静かに並んでいるので

しばらく鳴らしていないようです


チクタク チクタク


そんなある日 時計屋さんに

男の子とお母さんが

目覚まし時計を買いに来ました


このお店は古いので

目覚まし時計は 一つしかありません


チクタク チクタク


男の子はベルのある目覚まし時計を

見つけるとお母さんにお願いしました


「これがいい」


目覚まし時計はこうして

男の子に買われました


チクタク チクタク


ですが 目覚まし時計は

選ばれてうれしくありませんでした

なぜなら もう人を起こしたくないのです


チクタク チクタク


目覚まし時計は 朝のきらわれ者です

起こしてと たのんでいるのに

みんな みんな いやな顔をします


まくらを投げつけられたり

手で強くたたかれたり

うるさいとおこられたり


目覚まし時計は たくさん たくさん

いやな目にあってきました


チクタク チクタク


その夜 男の子は

目覚まし時計にお願いしました


「ボクは朝が苦手なんだ 明日起こしてね」


そう言って すやすやねむりますが

目覚まし時計は また人から

きらわれるのを こわがります


チクタク チクタク


朝がやってきて 起こす時間になりますが

目覚まし時計のベルは 鳴りません


しばらくして 男の子が起きました

そこで 目覚まし時計のベルが鳴ります


ジリリリリリリリリ


ですが今は 男の子が起きたい

時間ではありません

男の子は学校に遅刻ちこくしてしまいました


チクタク チクタク


お母さんは 買った目覚まし時計を

時計屋さんに持っていきました


こわれてるんじゃないかしら」


おじいさんは目覚まし時計を確認します

ですが どこもこわれていません


「この時計は 問題ないさ」


チクタク チクタク


家に帰ったお母さんは

目覚まし時計を男の子にわたします


「また鳴らないと 困っちゃうわ」


すると 男の子は目覚まし時計を見て

とっても優しい顔をしました


「この時計 ボクより寝坊助ねぼすけさんなんだね」


男の子は 自分より朝が苦手な

目覚まし時計が おもしろいようです


目覚まし時計は いやな顔をしない

男の子にびっくりします


ジリリリリリリリリ


ベルが鳴って お母さんはおどろきますが

男の子は同じくらい 大きく笑いました


チクタク チクタク


その夜 男の子は

目覚まし時計に言いました


「ボクが先に 起こしてあげるから おやすみ」


そして男の子は すやすやねむります

目覚まし時計は 起こさなかったのに

優しくしてくれる 人がいる事を

はじめて 知ったのです


チクタク チクタク


朝が やってきました

目覚まし時計は ベルを鳴らします


ジリリ「おはよう」リリリリ


男の子は ベルと一緒いっしょに起きました

今日はどちらも 寝坊助ねぼすけではありません


「あしたも よろしくね」


目覚まし時計と男の子は

これから毎日 そうお願いしていくのです



おしまい


 ——物語を締め括る四文字と同時に、俺は目を覚ます。どこからが朗読で、どこまでが作者の中にあるイメージか、正直分からない。だが、どっちにしろ由衣の声で語られているのは、確かだろう。

 何度か瞬きをして、視界を正すと左肩に由衣が頭を預けていた——いつの間にか、可愛い顔してすやすや寝てやがる。でも、あのチラ裏絵本は決して手放さず、二人の膝の間に置いてくれてんのが嬉しい。


「これからも、頼む」


 俺はそう言って、由衣を起こしちゃ悪いと目を閉じた。あんなに眠れなかったのに、今はすぐにでも爆睡できそうだ。


 目が覚めたら、こいつ由衣が並んでくれている。そうである限り——俺は、夢心地でいられるのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染が俺を、寝かし付けてくれるらしい 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ