三冊目『目覚まし時計は、寝坊助さん』《表紙》

『——発達した雨雲は日中をかけてゆっくり西に進んでおり、激しい雷雨に注意が必要です。また、河川の増水や氾濫にも——』


 土曜日の午前中。スマホを止められて娯楽が制限された俺はソファーに座って、クソ眠い中ニュース番組を見ていた。生活リズムを戻す為にも起きてないといけないが、両親が仕事に出て家に一人という状況も相まって退屈の極み。


「今日も、読み聞かせに来るって言ってたな」


 リビングの窓から見える、お隣さんの由衣ん家を見た。今日はずっと天気が悪い予報で、部屋の明かりがよく見える。俺ん家には午後に来るって話で、今は自分なりの休日を満喫してるって感じだろうな。


「はぁ————……」


 デカいため息が出た。眠いってのもあるし、ここ数日絵本に向き合ってないモヤモヤが俺の中で渦巻いてる。これで絵本作家になりたいとかほざいてる訳だからな、真壁康介ってのはダメな奴だよ。


「……」


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


 自己肯定感が抜けた俺の耳に、リビングにある時計の秒針音が入っていく。不思議と時間が気になって、テレビ、スマホ、時計をループするように何時何分何秒か確認する沼から抜け出せなくなっていた。


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「俺は——何してんだ?」


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


 時間は進んでいくのに、俺自身は動きもしない。そう理解すると、秒針の音がスローに思えてくる。気持ちわりい、置いていかれるようで。起きないと、止まる。目覚めないと、止まる。俺の中の何かが。止まる。


チ……ッ  チ……ッ  チ……ッ  チ……ッ


「ねぼすけな、時計……?」


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


 時計と俺が結びついて、頭に浮かんだ言葉を口にした瞬間、止まりかけた時間と呼吸が元に戻ってハッと息をした。今のはアイデアだ、絵本を書こうとする時に出てくる。


「……ッ!」


 気が付くと俺はソファーから起き上がって、リビングにある使えそうなチラシや、学校のプリントに手を伸ばしてかき集めていた。そして、ボールペンを握って文章を書き連ねる。それに相応しい絵を描き添える。


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「チクタク チクタク 目覚めざまし時計どけい寝坊助ねぼすけさん——」


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「チクタク チクタク……おはよう、おやすみ——」


 俺は秒針に合わせてイメージを口にしながら、紙の裏に物語を書いていた。こういう系統は何作品かもう既にあるんだろうし、むしろタイトルだだ被りかもしれねえが、今目の前にあるのは俺の——俺だけの絵本作品。そうだ、真壁康介まかべ・こーすけは絵本作家になりたい奴だった。幼稚園の先生よりも子供から人気者の男になってやるって——由衣に宣言しただろ。


「出来たぞッ!」


 絵本らしい短い物語だから、あっという間に完成した。チラシとプリントの裏で作り上げられた作品世界、今はまだ紙の中に収まっていて作者以外の誰の目にも触れていない。読ませたい、誰かに——。


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「……由衣の奴、来るの午後からだったか」


 時計にそう教えられて、俺は絵本の紙束を持って一旦ソファーに戻る。由衣が来てから、駄作が出来たんだよなーって押し付けてみるか。絵本を読み聞かせるとかいう妙な提案に付き合ってやってんだ、俺の勝手も許されていいよな。


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「……遅え」


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


チッ チッ チッ チッ チッ チッ


「だぁああ、なんなんだよ!」


 秒針の音が急かしてきて落ち着いていられん。たまらず俺は、チラ裏絵本を片手に家を出た。よくよく考えたら由衣ん家は隣だろ、それなのに待ってる必要ねぇだろうが。


「うぅわ、天気悪ッ」


 外に出るとパラパラ小雨が降っていて、もはや墨だろってレベルに暗い雷雲がゴロロと唸りながら空を覆っていた。いつ荒れてもおかしくねぇが、これくらいなら外を出歩ける。俺は雨に濡れないように腹とズボンの間に紙を押し込んで、目の前にある由衣ん家に向かって走った。


 頭に雨を食らいながら、玄関について家を見回す。やっぱ部屋の電気は付いてるし、出かけてはないな——俺はインターホンを押した。ピンポンと音がして暫く待ってみたが、由衣が出てくる気配がしない。


「はぁ? いるはずだろ、なんで出ねぇ⁉︎」


 インターホンを連打しながら玄関を見回すがやっぱ家にいるのもあるのか、いつもの所にスペアキーも無い。次第に天気が悪化していき、雨の勢いが増してザァアアと身体に打ち付ける。俺は由衣に電話かメッセージを送ろうと、ポケットからスマホ出した。


「あぁッ、クソ……スマホ止められてんだった!」


 ここに来て、連絡手段が断たれている現実が俺を阻む。何度インターホンを押しても、一向に由衣は姿を見せてくれない。寝てるのか、朝風呂なのか、何にせよこれ以上悪天候に晒されるのもキツい。後になれば向こうから来てくれるんだ、急ぐ必要ねえんじゃねえの。


「……何で俺、こんな事してんだ」


 開かない扉に片手を付けて、顔を下に向けた。俺の背中は土砂降りで濡れて、雷鳴がピシャンと鼓膜をブチ抜いてくる。それなのに引き返さず意地を張るのは——今なら、絵本から目を背ける自分と物語から耳を塞ぐ自分を、変えられそうな気がするからだ。


「ねむ…………」


 そして強烈な眠気が襲ってきた。こんな状況でも、人間って本能に従うのか————やばい、頭が何度もガクンガクンする、ぶっ倒れるかもしれない。意識が飛んだり戻ったりを繰り返していると、ドアに貼り付く片手が少し動いて、目が覚める。


「ドア重……ッって、康介⁉︎」

「あ……由衣、か?」

「何しに、ひゃああッ!」


 俺らの間にドガァンと雷鳴が轟く。由衣は音と光に驚き、扉の裏に隠れて怯えている。そうだった、お前って昔から雷が苦手だったな。


「出るの、遅えんだよ……」

「当然でしょッ、こんな天気に出るわけ、ひゃあああ!」


 また雷が邪魔をして耐えられなくなった由衣が玄関を完全に閉めようとした瞬間、俺の手が隙間に入り込んでそれを阻止した。勢いあるのに雑に突っ込んだから、ドアに思いっきり指を挟んだ。


「……ッてェ!」

「康介ごめッ 手が!」

「んな事、いい……、ほらよ!」


 俺はまだ濡れてないシャツをめくって、内側にあるチラ裏絵本をドアの隙間から押し付けた。いきなり紙の束渡されるわ、激しい雷雨が迫ってくるわで、由衣が困惑するのも無理はねえ。


「何なのこれ⁉︎」

「駄作だ……、今日は、これを俺に読み聞かせろ」

「はぁ⁉︎ 意味わかんなッ、急に来てなんなの!」

「……に、……ん、……だよ」

「とにかく雷と雨が嫌だから後でにしてッ!」

「由衣に、読んで貰いてぇんだよ!」


 俺は腹の底から本心を叫んだ。丁度、雷がそれを掻き消すように近くに落ちたから、聞こえなかったかもしれない。でも、あれ程雷が苦手な由衣がその瞬間だけは怯えず、俺を真っ直ぐに見ていた。その照れ顔を拝めたのは、随分久しぶりな気がする。やっぱお前、かわいい所あるよな。


「分かったから……入るなら、入ってよ」

「お邪魔します」


 やっと俺は由衣に招き入れられた。ずぶ濡れで、くしゃくしゃなチラ裏絵本を手に持った寝坊助ねぼすけな俺。夢にすら描かれなかった『表紙』がまずは完成した、あとは——。

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