二冊目『すやすや とうみん』

「ねえ! ゆいゆいが添い寝とかしないの? しないのぉ⁉︎」


 雲を夢見る羊を読み聞かせられた次の日、また俺はリビングの中心に寝かされている。そして今、添い寝に期待して目を輝かせる女子生徒は由衣の友達、五十嵐咲耶いがらしさやさんだ。俺を寝かし付けよう企画に興味を示したのか、放課後そのまま由衣について来たらしい。


「するわけないじゃん、暑苦しい」


 由衣は心底嫌そうな顔で添い寝を否定した。なんつうか、俺を寝かす事が目的って考えたらそれは良い方法とは言えない。小さい頃は由衣と遊び疲れて添い寝してた記憶があるが、マジで暑苦しいし息苦しいしそんなに良いモンじゃないぞ。

 俺は布団を下地に絵に描いたようなオッサン寝で、女子二人でどう俺を寝かし付けてくれるんだと身構えると、由衣が学生鞄から薄くて大きい本を取り出した。


「康介、今日はこの『すやすや とうみん』にしてみるから」

「また絵本かよ……」

「だって昨日、読み聞かせで眠くなったんでしょ?」

「そういやそうだったな」

「はぁ?」

「い、いや。めっちゃ効果的なんで今日も頼む」


 由衣の冷めた声に思わず懇願しちまった。なんかこいつの発言っていつも圧あるし、レスバトル勝てる気しねぇし、彼氏とか尻に敷かれて苦労しそうだな——今、そんな男いるか知らんけど。今日も幼児退行せねばならん事に呆れている先で、五十嵐さんがめっちゃいい笑顔で由衣を見ていた。


「ねえ、ゆいゆい! この前、街で双子の子供見た時に良いなぁって言ってたよね?」

「そうだね、いたら楽しいだろうなぁって」

「真壁君! 双子って意図的には無理だからさぁ、当たりが来るまで何回もお願いされると思うよ!」

「え、当たり? 誰が何をお願いすんの?」


 主語が見当たらずマジで何が言いたいのか分からなかった俺の目の前で、意味を理解したと思われる由衣はびっくり顔で五十嵐さんの背中をバチンと叩いた。スマホガチャの話なのか、女子トークってやつなのかどっちだ。


「いったァ! 何すんのさ、ゆいゆいッ!」

「騒がしくしないって約束したよね?」

「むーッ! 分かったよぉ。真壁君、寝ないとヤバいもんね」

「はぁ……。来週丸々追試勉強する為にも、昨日今日と、明日からの土日でちゃんと寝れるようにしないといけないんだから」


 由衣の言う通り、まずはコンディションを整えないと話にならない。スマホゲーは現実逃避だから取り上げられても一向に構わねえが、日中眠いのが追試まで続くと流石にまずい。


「で、今日は本格的なおやすみ絵本って訳か」

「うん。ボランティア先の保育園一押しだよ」


 正直この公開幼児プレイは苦行だが、絵本作家を目指す俺としてはおやすみ絵本自体に興味ある。基本的に登場人物が寝るまでの過程を描いたり夜に関連した内容がメインだが、オノマトペやおやすみを繰り返すものや、長い物語であえて眠気を誘うもの、潜むお化けを絡めて睡眠習慣を根付かせたりと、寝かせる方向性も多種多様だ。


「んじゃ、早速頼むわ」

「わかった。咲耶さや、さっきメッセージに送ったBGM再生してくれる?」

「オッケー」


 五十嵐さんがスマホを操作して、睡眠導入用のヒーリングミュージックを再生してくれた。なるほど、昨日に引き続き眠気を誘う音楽+朗読って訳か。音楽は満月夜を背景に、蛍が浮かぶイメージが沸きそうなリラックス出来る感じでめちゃくちゃいい。


「はい、次はこの絵本を康介に見えるよう広げといて。私はスマホの電子書籍から読み上げるから」

「お安い御用じゃ〜」


 ちゃんと由衣のサポートに回る五十嵐さんに感心しながら、俺は絵本を眺める。これから読み聞かせてくれる『すやすや とうみん』は、冬眠動物にフォーカスしたシンプルなおやすみ絵本。過剰なくらいデカい絵に背景を排除した作風は、未満児の好奇心を刺激するのに適している。


「すやすや とうみん」


 由衣が題名を読み上げた。心地良い音楽、眠りに誘う冬眠動物の絵、作品世界に浸らせてくれる女子高生の声。ここまでしても、俺は眠れそうにないと確信するくらいには目と頭が落ち着きを失っちまってる。



もうすぐ さむいさむい 

ふゆが やってきますよ


くまさんは おちつく

あなぐらのなかで

あたたかい わらをしいて

からだを まるめました


ぐー ぐー すや すや

ぐー ぐー すや すや


めをとじた くまさんは

おいしい おさかなさんや

おいしい どんぐりを

おもいうかべました


はるになったら おなかいっぱいたべたいな


くまさんは そのひをゆめみて ねむります


ぐー ぐー すや すや

ぐー ぐー すや すや



おやすみなさい くまさん



 読み聞かせ二日目ともなると、自業自得な俺に真面目な奴が構う煩わしさ、実は全然安眠に繋がっていない嘘っぱちが布団に包まれて息苦しい。だから今日はさっさと目を閉じて、眠れてる事を実感させてやろう。



もうすぐ さむいさむい 

ふゆが やってきますよ


かめさんは じぶんの

こうらのなかに もぐります

じっとして からだをあたためます


ぐー ぐー すや すや

ぐー ぐー すや すや


めをとじた かめさんは

ぽかぽか おひさまと

さわやかな あおぞらを

おもいうかべました


はるになったら ひなたぼっこしたいな


かめさんは そのひをゆめみて ねむります


ぐー ぐー すや すや

ぐー ぐー すや すや



おやすみなさい かめさん



「ゆいゆい、真壁君寝たみたい」


 絵本はまだまだ途中だが、五十嵐さんの小声が聞こえた。俺は、ぐーぐー、すやすや、気持ちよさそうに寝ているフリをする。さあ起こしたら悪いだろ、さっさと帰りやがれ。


「本当に、寝たのかな?」


 疑い深い由衣の腰を上げる音がした。俺をジッと見てるのは分かってるぞ、この通り、ぐーぐー、すやすや、だ。睡眠演技の邪魔をするもんじゃねえ、早くこの場から去りやがれ。そう頭で言い訳していると、五十嵐さんのフフンと鼻で笑う声が耳に入ってきた。嫌な予感がする。


「このまま、一緒に寝ちゃえッ」


 ドンッと押した音がしたかと思えば、バランスを崩したっぽい由衣が俺の上半身に手を押し付けて乗っかってきたッッッ。ぐふぉうぇああと声が出る出る出るッッ、耐えろ耐えろ絶対に起きるなッッ。


「バカッ! 康介が起きたらどうするのッ!」


 いやいやいやいやッ、こんなん普通飛び起きるって。そもそも俺は文系寄りだから、上半身は丈夫に出来ていない。臓器全てに由衣の体重がかかって、ナマコのように出ちまいそうだ。男には耐え忍ばなければならぬ時があるとしたら、まさに今だ。こらえろ、自然な寝顔と寝息を貫き通せ。


「……」


 由衣の手が俺の胸板と腹筋に乗ったままだ。俺は全力で腹式と胸式を同時にやって寝息を装う。安心しろ、俺はこんなんじゃ起きないくらいバカだ。ずっと側にいるお前ならその手で分かるだろ。


「——良かった、寝てくれて」


 安心した声でギュッと握ったのが布団越しに伝わった。女子に服を掴まれたようで、ドキッとしちまったが眠る演技を崩す訳にはいかない。ぐーぐー、すやすや。ぐーぐー、すやそわ。ぐーぐー、そわそわ。


(もうッ、いい加減にしてよ咲耶さやッ)

(だってじれったくてさあ)

(はぁ……いつも言ってるけど、私と康介はね——)

(それに幼馴染でも進展あるって、期待したいんだもん)


 五十嵐さんの今の一言が耳に残った。ヒソヒソ声だけど切ない言い方というか、下唇を噛むような印象というか。なんか、俺と由衣に期待してるっていうより、そういうみたいな感じがする。色々あんのかな、五十嵐さんにも。


「とにかく、起こしちゃ悪いから帰ろ。あと、ファミレス行って話そ」

「やったぁ、山盛りポテトポテト〜」


 足音的に、女子二人はそのままリビングから引き上げていくようだ。昨日は人気の絵本から逃げて、今日は寝たふりをして、俺は由衣に不様を晒し続けてる。頭の中がモヤモヤして騒がしいし、目を閉じてもギラギラ眩しい気がする。


 ——今日も俺は、眠れそうにない。

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