一冊目『雲を夢見る羊』

くも夢見ゆめみひつじ


 由衣が題名を読み上げた。ひらがなが浮かんできそうなゆっくりとした優しい声色だ、そんな事を思っていると手に持ってたスマホを渡された。


「ん、絵も見たいでしょ? 私さっき内容頭にいれたから」

「どうも」


 母さんがいる時にソファーでスマホをじっくり見てたのは、こうやって朗読する為か。絵本は短い文章とはいえ、流石の記憶力。こいつなら、難しいとされる保育士の試験も大丈夫だろ。


 俺は由衣のスマホを手に取って画面を見る。これが電子書籍版の『雲を夢見る羊』か。空の青と平原の緑のコントラストに、スコッチとチェビオットの小さな絵。等身大の幼さがある色使いは、世界の広さと主人公の存在感を出してくる。着想はくだらないエロワードからってのは知っていたが、それでも絵本としてはいい表紙だ。



スコッチすこっちは ひつじの おせわをする

ひつじかい です


きょうも たくさんの ひつじをつれて

せかいを だいぼうけん


ひつじの チェビオットちぇびおっと

スコッチすこっちと いちばんの なかよし

ふわふわ まっしろな けがわが じまんです


きもちいい はれのひ

そうげんで やすんでいる スコッチすこっち

チェビオットちぇびおっとは ききました


「ねえ あのまっしろいのは なあに。」



 ——スマホにある絵を眺めながら、由衣の声に耳を傾ける。相変わらずこいつの朗読は聞き取りやすくて、絵本世界に引き込む魅力的な声質してやがる。

 元々は140字以内の文章を投稿するSNSからきた作品ってのもあって、『雲を夢見る羊』はチェビオットが質問して、それにスコッチが答えるという一話完結型の物語だ。



「あれは ひつじぐも だよ。」


ちいさくて ふわふわ ひつじのむれみたい

チェビオットちぇびおっとは そうおもって

くもを むちゅうで みています

スコッチすこっちは そらを ゆびさしました


「ひつじぐもは あめとかみなりがふる めじるしなんだよ。」


チェビオットちぇびおっとは ふしぎそうです 

まっしろい きれいな くもなのに 

どうして てんきが わるくなるのでしょう



 何故という問いかけを文章に持ち込むのは、中学生が作る詩にありがちなもんで、当時の俺もそうだった。今視界にある、上を向くスコッチとチェビオットの絵。これが特にネットでよく見かける、汎用性が高いコラ画像ってやつだ。

 何かしらの投稿にこの絵を付けてリプライするのがお約束の使い方。ねえ あれは なあに 飲食店の 塩をなめた 愉快犯だよ 的な解説を加える。絵本のような絵柄に生々しい会話はウケもいいし、ミームになりやすい。



「ひつじぐもの ちかくに まっくろな あまぐもが あとでやってくる だから てんきがわるくなるんだよ。」


スコッチすこっちは そうおしえます

てんきがわかる そらのひつじに

チェビオットちぇびおっとは あこがれました


「ぼくも くもに なりたいなあ。」

「どうしてだい? チェビオットちぇびおっと。」

「ぼくの けがわも まけないくらい おおきくて めじるしに なるから!」


チェビオットちぇびおっとはじまんの けがわを そんなふうに やくだてたいのです

スコッチすこっちは やさしくわらいました


「なれるよ チェビオットちぇびおっとなら。」



 これで物語は一区切りか。ある程度予想を固めた俺は由衣の朗読を無視して、指で絵本ページをスワイプしてめくる。やっぱり、あとは何度も雲と夢の話をするだけの内容だった。絵と物語を合わせて見ると、チェビオットの毛が短くなってる場面が何度か目を引く。毛刈りを文章であえて触れない辺り、大人にしか分からない考察要素にもなってて面白いな。

 あとはイメージしやすくする為に羊の形を成している『雲』も様々な品種に重ね合わせられていて、これなら十種雲形じゅっしゅうんけいだけでなく、羊の種類にも詳しくなれるだろう。


「——ちょっと、聞いてるの康介?」

「聞いてるって」


 朗読に集中していないのが由衣にバレたが、平然と返す。まさに俺は絵本に興味が無くて、落ち着いてられない子供そのもの。こうなるのも仕方ない、本人が読みたいモンじゃなくて親が選んだものを押し付けて読み聞かせたって意味がない。

 色々考えて意識が逸れてる間に、読み聞かせは終了していた。『おしまい』って言葉すら聞き逃してる辺り、俺は途中から物語に耳を塞いでいたんだな。


「どう? 素敵な絵本だよね」

「ああ、こりゃ評価もされるよな」

「この絵本さ、『見失おうとしない限り、夢は何度も形を成す』というものが本質なんだなって、私は思うの」


 ちゃんと読んだ奴から出た、真っ当な感想。流し見じゃ絶対に辿り着かない、だからこの絵本はネットミームだけにとどまってないんだ。

 改めてこの絵本にちゃんと目を通そうと思ったが、俺は身体を起こして布団を見つめる。全く眠たくない脳味噌の中にあるのは、由衣の朗読から逃げたいという考え。だから、一刻も早く眠りに付きたかった。


「どうしたの、康介?」

「眠くなってきたから、部屋行く」


 俺は由衣にスマホを押し付け、頭を掻きながら立ち上がった。布団をたたむ横で感じる視線には、切り離せない気遣いと優しさが存在している。マジで将来、良い保育士になれるだろう。


「眠れそう?」

「ああ、良い夢が見れそうだぜ」


 ——今日も俺は、眠れそうにない。

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