頭(kink)がおかしくなっちゃうよ!

 ここは家のリビングだ。夕陽が窓から漏れる見慣れた間取りの中心に布団を敷いて、俺が横になっているまではいい。視線の先にある天井に、何故『ベッドメリー』が吊るされている?


 ゆっくり回転していくウサギやパンダの人形からは、聞き覚えのあるオルゴール音が鳴っているが——あ。思い出したぞ、これRock-A-Bye Babyじゃん。


「由衣ちゃん! これも必要かしら⁉︎」


 早上がりの母さんが両手に赤ちゃん用のガラガラを持って、ソファーにいる結衣に詰め寄っていく。なあ、二人して俺に何させたいんだよ。


「ガラガラはあやすものなんで、今回はいらないと思います」

「そう〜……、残念」

「とにかく康介には、寝不足を解消してもらわないと。この状態じゃ勉強も板に付かないし」

「いやさ、色々協力してくれるのはありがてぇんだけど、なんだよこれは。俺のkink性癖を捻じ曲げる儀式か?」


 俺が寝転びながら不満を漏らすと、母さんが呆れた顔で覗き込んだ。まるで道端にある痰を見るような目をしてるもんだから、見下げられての直視がキツすぎる。


「ゲームで進学危うくなるとか何やってんの、追試抜けるまでコーちゃんの携帯回線は使えないからね!」

「えぇッ、ネット出来ないってマジぃ⁉︎」

「康介の生活リズム崩す元を断つのは当然でしょ」

「ていうか、こんなんで寝れる訳ねぇだろ!」


 一家団欒の居間の中心とか、普通に考えて落ち着いて眠れないだろうが。だが自業自得な俺の訴えが女性陣に届く訳が無く、母さんは肩にトートバッグを掛けて出かけようとしていた。


「じゃあ由衣ちゃん、悪いけど任せるわね。わたしは、買い物行ってくるから」

「分かりました、任されたからには絶対寝かします」

「本当、頼りになるわ〜。コーちゃん、何か欲しいものある?」

「医者を頼む。どう見ても今の俺は看取られる図にしかみえないからな、今夜が峠だぞ」

「はいはい、いつものサツマイモ餡たい焼きね」


 華麗にスルーされたが、一番好きな味のたい焼きはありがてえ。そのまま母さんは出かけて行ったが、由衣はソファーに座ってずっとスマホを操作している。——その足の組み方だと、俺が顔上げたらスカートの中が見えるんだが、いいのか?


「康介」

「なんだよ。俺は全然眠くないぞ」

「今身体起こしたらぱたくから」

「自覚あんなら、座り方に気をつけろや」


 はいはいと後頭部に腕を回す俺。今、二人きりって奴だが、由衣とのやり取りはいつもこんな感じだ。過ごしてきた時間が長いとお互いの事を知り過ぎて、男女間のときめきって奴はまず起きない。それが心地良くもあり、虚しくもあるが。

 ——そんな事より、俺ばっか赤ちゃんプレイみたいな辱めを受けるのは納得いかねえ。由衣にもはじをかいてもらうぞ。


「ところでさ、『雲を夢見る羊』って何で注目されたんだっけ」

「ん? 作者のSNS投稿が発端じゃなかったっけ」

「それがバズって、流れるように創作絵本が認知されたんだよな。どんな言葉でトレンドを生み出したのか、調べてみてくれよ」


 よし、由衣に罠を仕掛けたぞ。あの様子だと絵本の事は知ってても、話題に至る迄の詳細は知らないだろう。そうだその調子で、指を動かせ。検索をかけろ。


「それくらい自分で調べなよ」

「だって俺、スマホ止められてっし」


 俺の目は誤魔化せないぞ。その言い方をするのはたった今、検索結果を見たからだろ。その口から言わせてやるぞ、『羊の毛刈りってよくよく考えたらストリップショーじゃね⁉︎ 超エッッッッ』っていう多感な男子中学生から出たワードをな。これが切り抜かれて拡散されんだから、ネットってやべえ所だよ。


「あー気になって寝れそうにねぇよ〜」

「そんな事どうでもよくない?」

「オンギャアア! 教えてママァ!」


 赤子の様にわがままを撒き散らすと、由衣が急に立ち上がってこっちに寄ってきた。足音に圧がある、もしかしたら仕返しに踏み潰されるのか————と、思いきや寝転がってる俺の右側にゆっくり腰を下ろして正座した。


「あのさ、来週の追試までに勉強の時間も必要なんだよ? もう少し危機感もってよ」


 真面目な由衣の見下げ顔に思わず目を逸らした。例のワードを言わせられなかったが、内面的に少々じらわせただろうし、これくらいにしといてやるか。いくら幼馴染でもセクハラはよくないぞ。


「んな事言っても、狂った生活リズムはそう簡単に戻らねえよ」

「だからこうして寝かし付けようとしてるんじゃん」

「形から入って寝れるなら苦労しないだろ!」

「まあモノは試しって奴だから。じゃあ、読んでいい?」


 由衣はスマホの画面を見せてきた。今表示されているのは『えほんパーク』という、投稿型絵本サイト。読み聞かせ機能もある電子書籍に特化した、今の時代ならではのツールだな。雲を夢見る羊もサイトの中心客層である親子世代にはそこそこの人気作になってる。


「なんで、不服そうな顔してるの?」

「別に。気に食わねえだけだ」


 屈辱。その二文字以外が浮かばない。赤ちゃん羞恥プレイもそうだし、絵本作家としてのプライドを間接的に傷付けられた作品ってのもあるし、よりにもよって読み手が由衣ってのがもう——。


「わがまま言わないで、じゃあ始めるね?」

「へいへい、お願いしまーす」


 絵本だけはそういうものを持ち込まない。由衣がそう言ったように、俺も個人的な感情を絵本世界に押し付けるつもりはない。中身を読む事はプライドが邪魔をしてしまったが、『雲を夢見る羊』のあらすじはちゃんと理解している。


 羊飼いの少年スコッチと、チェビオットと言う名の羊が主人公の物語。一人と一匹は旅の道中で空に浮かぶ雲について語り合い、夢を抱くという絵本らしいシンプルな内容。由衣の声が吹き込まれた話題の絵本は、夢から遠ざかる俺を寝かし付けてくれるのだろうか。

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