第10話


 鉛色の空は、どこか鬱屈さを抱えたベルリンの冬を彷彿とさせる。背丈ほどある草むらを掻き分けて進んでいくと、姿は見えないが、低い呻き声に囲まれているのが分かる。

 


 1997年、東欧のとある村。



 不死の研究をしていた製薬会社から薬品が漏れ、近隣村の住人たちが全員死ぬという事故が起きた。


 しかし、彼らは生き返り、アンデッドと化していた!


 研究所に取り残された研究員たち……。2人は特殊部隊の隊員として、研究員たちの救援に向かうことになった。


 ……と、このシューティングゲームはそんなストーリー仕立てのようだ。


 咲良は陽子を援護しつつ、現れたアンデッドをどんどん倒していった。陽子も負けじと襲い掛かってくるアンデッドの頭に銃弾を打ち込みながら、ふと尋ねた。


「ねー、アンタ高校生でしょ?こんな時間にゲーセンにいるけど、部活は?」


「部活は去年辞めた……。」


「ふーん、何やってたの?」


「空手。去年、練習で肩を怪我して以来な……。まぁ、別にいいんだけど。見ての通り、そんなに恵まれた体格でもないし。」


「ふぅん……。」


「あんたこそ、こんな時間にゲーセンなんて……有給か?病院って休めないイメージだけど。」


「えっ?」


 咲良が最後の1人を撃破した。

  

 complete!

 Next Stage!

  

 『これから研究所に潜入して、研究員を救い出すわ!』


 陽子の灰色の瞳が、咲良の頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくり捉える。


「……どうして、あたしが、病院で働いてると?」


「アンタ、格好は派手なのに、爪は綺麗に切り揃えられていてマニキュアすら塗っていないからな。だからたぶん、医療従事者って思っただけだ。最初は看護師か?って思ったけど、その時計やバッグ、ブランド物だろ?詳しくないけど。その歳の看護師にしては分不相応な気がする。ってことは医者か?……には見えないけどな。」

 


―― 2人の隊員は建物内の研究所に入って、生存者を探し出そうとした。


 しかし、そこで見たのは、アンデッドと化した研究員たちだった!



 襲い掛かってくる無数のアンデッドたち!



「あー!やられた!」



 Game Over...



 陽子はがっくりと肩を落として、コントローラーをしまい、黒い髪を耳にかけた。


「……アンタの言う通り、あたしはこう見えて医者なの。」

 

「当たりかよ。」


「でも、たぶん、世界一悪い医者なの。」


「なんだそれ。人でも殺したことあるのか?」


「あっは、どうしてわかったの?」


「は……?」


 振り返った咲良の目に映ったのは、今までとは打って変わって、恐ろしいほどに表情が消えた陽子だった。笑顔を浮かべているようで、よく見ると赤く塗られた唇に薄ら笑いを滲ませているだけで、目の奥が全く笑っていない。何か、まったく別の人間のようにも見えていた、


「アンタ、賢いねぇ。だけど知ってる?余計なは、ときに命取りになるってこと。」


 陽子の長い髪が、はらりと咲良の頬をくすぐる。見下ろす三白眼は、どこか爬虫類的でもあったし、あるいは檻の中でどこか油断ならない怪しい輝きを宿している肉食獣のようでもあった。ひとたび隙を見せれば牙を剥き、喉元に噛み付く、そんな危うさ。

 だが、それでも、悪魔的な造形の美しさであることに変わりない。


「ねぇ、それよりアンタさぁ、綺麗な目の色してるね?ちょっと欲しくなるかも……」


「っ……」


 咲良の体がビクリと硬直した。陽子の細長い人差し指と親指が、咲良の瞳をすっと見開く。それは完全に、咲良の深い紫色の瞳を優しく抉ろうとする仕草だ。

 脳は、はっきりと危険信号を発している。それにも関わらず、全身に猛毒が回ったかのように、咲良は身動きが取れないでいた。


「……なんてね?冗談よ、冗談。」


 陽子がすっと指を離し、白い歯を見せて笑った。その表情からは、何か恐ろしいもののようなもう影は消えていた。


「……。」


「あー!咲良くんこんなとこにいた!もう、どこ行ってたの?!」


 花音が通路にいる人たちを避けながら走ってきた。ずいぶん咲良のことを探し回っていたようで、わずかに髪が乱れている。

 

「お前のほうだろ、急にいなくなったのは。」


「えー?」


「おほっ!ほうほう……これはなかなかの美少女ですなぁ……?!」


 花音を見た瞬間、陽子の目の色が変わった。イキイキした表情で、花音の全身を不躾なくらいまじまじと観察している。


「あんた、中身オッサンか……?」


「だ、だれ?このお姉さん……?」


「お前と同じ、よくわからんアニメのファンだとさ。」


「あー!?おナスちゃんだ!いいなぁ、いいなぁ!」


 花音は陽子の腕に抱かれたおナスのぬいぐるみを見て、テンションが上がった。その花音の通学バックにも、じゃらじゃらと「わくわく農園ズ」のキャラマスコットがつけられている。


「お前はこっちだろ。」


 咲良がトマトのぬいぐるみを花音の顔にぎゅっと押し付けた。


「トマトちゃんだ!咲良くんが取ってくれたの?ありがとう!」


「うるせーよ。」


「アンタたち、ついておいで。何か奢ってあげるよ。クレープでもアイスでも、なんでもいいよ。」 


「ほんとっ?行きます!行きます!」


「おい、花音……。」

 

 ノリノリな花音の一方、咲良は全く乗り気ではないようだった。




    第10話「メタルは宗教」



 夕方のフードコートでは、若い母親同士がベビーカーに子供を乗せて世間話に興じていたり、あるいはイヤホンをしながら1人で黙々と参考書を開いている男子学生もいた。さすがに平日だけあって、人はまばらだ。


「で?2人は付き合ってんの?」


 目の前でクレープを頬張る2人に陽子が投げかけた。


「は?別にそんなんじゃねぇよ……」


「そ、そう、ただの幼なじみ…。」


 2人はそれきり下を向いて黙りこくってしまった。その微妙な距離感を、陽子が片肘をついてニヤニヤしながら眺めている。


「年頃の男女が、付き合ってもないのに2人きりでいるかぁ〜?」


「アンタだってオッサンとデートしてただろっ。」


「あぁ、高橋のこと?高橋はあたしが子供の頃からお世話してくれる人よ。」


「はぁぁ、どおりで……。あのオッサン、苦労してそうな顔してたもんな……可哀想に。」


「は?それどーゆー意味よ?」


「でもお姉さん、すっごく綺麗!美人!何やってる人?背も高いし、もしかしてモデルさん?!」


「ふふん。こう見えて、こっちの界隈では結構有名な外科医なのよ。」


「え?お医者さん?!すごい…!」


 花音のきらきらした尊敬の眼差しに、陽子はご満悦のようだ。


「お姉さんなら、お兄ちゃんの病気も治せるかなぁ……?」


「やめとけよ、花音。」


「……アンタの兄貴、どっか悪いの?」


 贅沢にも2段に重ねられたアイスクリームを、片肘をつきながらスプーンで口に含んだ。


「うーん、私もよくわかんないんだ。今は元気なんだけど、将来は症状が出るかもしれないからって、子供の頃から定期的に病院に通ってるみたい。今日、来れなかったのも、実は診察の日だったんだって。」


「……。ふぅん……。って、え?兄貴とそんなに親密なことってある?異性のキョーダイなのに?」


「アンタにも兄貴が?」


「クソみたいに生意気な弟がね。あたしら双子だったの。」


「うわぁ……弟かよ。これまた可哀想だな……。」


「え、会いたい会いたい!お姉さんの弟とか、絶対かっこいいもん!」


「やめといたほうがいいよ。弟も医者なんだけど、お勉強しか取り柄がない情緒不安定クソ根暗野郎だから。子供の頃から勉強させられすぎて頭がおかしくなったのか、メタルだかロックだか、一日中下品でクソうるさい音楽ばかり聴いてるの。皮肉よね、医者でも自分の病気は治せないみたい。」


「いや、ロックを聴くのは別に病気じゃないだろ……。」


「だと思うじゃん?あたしらの爺さんの葬式の最中でもだったんだから。牧師もドン引き。咎められたら、メタルは宗教だ、宗教は自由だろうって。」


「…宗教……は、やべぇな……。」


 何かを察したのか、咲良は目を瞑って、それ以上は何も言えなくなったようだ。


「そーゆー特殊なビョーキ以外なら、あたしに治せないものはない。たぶんね。」


「ほんと?」


「でも、あたしの手術料は高いわよ?それこそ、アンタたちが一生掛かっても払えないくらい……ね。」


 陽子が唇の端を持ち上げて、怪しく微笑んだ。溶けかけたチョコレート味と抹茶味のアイスクリームが、左手のスプーンでどろどろとかき混ぜられている。


「まぁ、でも、もしアンタたちに困ったことがあったら、安くしてあげてもいいわよ?おナスちゃんのお礼。」


 そう言うと、陽子がテーブルに名刺をそっと置いた。おナスちゃんぬいぐるみの短い手を「ばいばーい」と振ると、陽子は2人を残して席を立った。

 名刺には、英語でDr.YOHKOと書かれているだけだったので、咲良と花音は顔を見合わせた。





 腕時計を見ると17時を過ぎていた。そろそろ高橋が夕飯の買い出しを終えて、戻ってくる頃だろう。クリーニングに出していたお気に入りの洋服を引き取った後、陽子は地下の駐車場に向かおうとしていた。

 やや古めかしい、誰もいないエレベーターに乗ると、扉が完全に閉まる直前に、靴先が押し込まれた。陽子がじろりと目線を上げると、入ってきたのは制帽を目深に被り、軍服のような格好にマントを羽織った、痩せ型の男だった。かつての帝国主義だった日本からやってきたような服装は、さぞ周囲から浮くだろうが、陽子にとってはさして興味が引かれるものではなく、静かにパネルの前に立っていた。


「……Dr.ヨーコか?」


 左斜め後ろから唐突に投げかけられた言葉に、陽子は振り返ることもしない。


「手術の直接の依頼は受けていない。仲介人を通して。それに、あたしの手術は高いわよ。引き受けるかどうかは、金次第。」


 咲良に指摘された飾り気のない爪を、色んな角度で観察している。


「……お前は本当に灯野陽子なのか?」


 その一言に、陽子の瞳の虹彩がわずかに動く。


「お前が灯野陽一の孫だとすると、お前はいったい、誰なんだ。お前は20年前、ベルリンで……」


 咽頭に砂を詰まらせたような、ザラついた声が響く。

 陽子が長い黒髪を靡かせて振りかえると、死体のように正気のない青白い肌に、ぎらついた鋭い目つきがアンバランスな男がいた。

 青白い男は、陽子の顔を視認すると僅かに目を細める。それはどこか、懐かしい友に再会したときの目にも似ていた。



「お前は、どうしてここに……」



「……あたしはね、地獄から蘇ったのよ。メフィストフェレスの手によってね。」



「そうか……。」




 男が瞼を閉じると共に、エレベーターが静かな音を立てて停止した。



「ならば死んでもらおう。」



 男はそう言って、マントの裾から日本刀の柄を覗かせた。

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Dr.メフィストフェレス @kasumibule

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