第9話



都内、某百貨店。


 一階のフロア全体には、香水と化粧品の香料が混ざり合った匂いが漂っている。それには自然と女性を惹きつけてしまう何かがあるのだろうか。国内外のブランドがひしめき合った化粧品フロアには、多数の女性たちが訪れていた。


「ありがとうございましたー!」


 鮮やかなアイシャドウと口紅がばっちり決まった美容部員は、満面の笑みで陽子を送り出した。基礎化粧品やメイクアップ用品を、何十万円と買い込んだ陽子相手に出たのは、お世辞ではなく心からの「ありがとう」だっただろう。


「あー、やっぱお金はこう使うに限るわぁ。手術サイコー!」


「お嬢様……少し買いすぎでは?」


 荷物持ちの高橋は、すでに大量のブランド品の紙袋を両腕に抱えさせられている。どこのセレブ美女と付き人が来たのかと、通り過ぎる客も二人をジロジロと見ている。


「うっふふ、いーのいーの!手術が上手くできた自分へのご褒美!」


「容態は落ち着いていますが、まだ油断は禁物ですよ?陽一先生はいつも……」


「わーかってるって。常に最悪のことを想定し、念入りに準備しておく。さすれば、それより悪いことは起きない。でしょ?お爺さまの口癖!」


「そうです。陽一先生は手術の侵襲性の大小に関わらず、いつも緻密な準備をされていました。術後も、どんな些細な変化も見逃さないようにしていました。当時、私ども若手医師が言い聞かせられていたのは、『患者を自分の大切な家族のように思いなさい、そうすれば適当なことはできないはずだから』と……」


 高橋が熱心に語ってる間、陽子は「へぇー」「ふぅーん」「ほぉーん」などと適当な相槌をして、しまいには「あっ!あれもいい!」と、目についたコスメカウンターに飛んでいってしまった。


「あっ、お嬢様っ……?!まだ話の途中ですよ!」


 そう咎めるも遅かった。さっそく美容部員に勧められるがままに、口紅を手の甲に塗り比べている陽子に、高橋はため息をついた。

 まだまだ続きそうな陽子お嬢様のお買い物。だが、陽子を見つめる高橋の表情は、どこか自分の子供を見守るような表情だった。




第9話 「出荷して、わくわく農園ず~夏のお野菜ver~」




 心ゆくまで百貨店でショッピングを楽しんだ陽子が、次に向かったのはアミューズメントセンターだった。


「あっー!もうっ、何で取れないのよ?!何か不正してんじゃなぁい?!このゲーセン!」


 陽子はあからさまに店員に聞こえるような声量でそう言った。


「お、お嬢様、落ち着いて……。」


 ただでさえ、身なりのいい妙齢の女がクレーンゲームに興じる姿は人目を引いている。

 陽子の頑張りにびくともせずに、クレーンゲームの中で鎮座しているのは、点で書かれた目と真一文字の口の、なんとも無表情なナスのビッグサイズぬいぐるみだった。


「今度こそはぁ〜……」


 陽子が追加で500円玉を投入しようとしたときだった。


「くそ、どこ行ったんだよ、あいつ……」


 小さく文句を言いながら、隣のクレーンゲームの前に1人の男が立った。おそらく高校生だろう。詰襟の学ラン姿で、ウェーブがかった黒髪はワックスでセットされていて、今時の高校生といった感じだ。

 彼が立ったクレーンゲームの中には、同じく目が点で書かれたような赤いトマトのビッグサイズぬいぐるみが横たわっている。

 陽子が横目で彼の様子を伺っていると、その男子高校生は簡単に景品をゲットしてしまったのだ。


「嘘ぉ?!ううううー!トマトちゃんが!」


「なっ、なんだよ?アンタ……」


 高校生は陽子のうらめしそうな目つきにびくりと肩を震わせたが、すぐに状況を察したのか、


「……取ってやろうか?」


 と提案してきた。


「いいの?!」


「まぁ任せろよ。」


 陽子と交代した高校生は、慣れた手つきでクレーンを操作していく。……が、ぬいぐるみ本体と関係ない場所にアームを落下させた。


「はぁ?!全然ダメじゃん!どこ狙ってんのよ?」


「こっからだって。」


 アームが閉じる瞬間、ぬいぐるみについたタグの輪っか部分にアームが引っかかった。


「んっ?んんんんんん?」


 陽子が齧り付いて様子を伺う。

 ぬいぐるみは、そのままアームに引きずられるようにして獲得地点に落下した!


「あっは!やったぁ!すごいすごい!」


 陽子が嬉しそうに飛び跳ねた。高校生は約束通り、ナスのぬいぐるみを陽子に手渡した。


「……なぁ、こいつらって何のキャラなんだ?オレの連れもなぜかこのトマトを欲しがって。」


「知らないの?『出荷して、わくわく農園ず』!定年後のお爺さんが、農園を始めるんだけど、そこの野菜や果物たちが繰り広げる笑いあり涙ありのアニメ!これは夏のお野菜バージョンのおナスちゃんとトマトちゃんで、プライズ限定品のビッグサイズぬいぐるみなの!」


「いや、知らないな……。」


 高校生は、陽子が早口でまくしたてる熱量に若干、引いているようだ。


「ありがとうございます……!お嬢様はもう一時間もチャレンジされていて…!」


 陽子に代わり、高橋が何度も何度も頭を下げた。


「一時間も?一体、何回くらいやったんだよ。」


 陽子は「えーっと」と思い出すように指を開きながら数を数えた。


「21回くらい?」


 うわぁ……と顔を引き攣らせて呟いた。


このわけの分からんぬいぐるみに一万円近くは使ってるわけか……。


 そんな心の声が聞こえてきそうだった。

 彼がトマトのぬいぐるみ片手にそっと立ち去ろうとしたところを「ねぇ、アンタ」と陽子が呼び止めた。


「なんだよ。まだ何か取って欲しいのか?」


「アンタ、名前は?」


「……咲良。」


「そ。じゃあ咲良くん。ちょっと付き合いなさいよ。高橋じゃ相手にならなくて!」


 陽子はそう言って、背後のガンシューティングゲームを親指でさした。

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