Carisoprodol
Ⅰ.
永遠に剥離していくセロファンの夜。地上から天界へと齎す配慮。思考の縁を踊るバレリーナ。思考のすみずみまで自由に泳ぐバレリーナ。重なっては剥がれ落ち続けていく優れたダンス。液状になって溶け出すセロファンの光沢。陳腐なブラウザ。先鋭化した思考を揺れ動くアダプターに接続する。波形状に映し出される感情の機微にマウスのカーソルを合わせる。100万回分のクリック。似て非なる音型にひたすら耳を傾ける作業。
風は突然吹き込んでくる。いくつかの階層を縫って、あらゆる信号を正確に送受信する。花がためらわず歌うように、コピーアンドペーストされていく波形の突端を掴む。それをあるときは圧縮し、あるときは拡張し、あるときは規律正しく、あるときはほとんど気まぐれのように変形させる。
かつて魔術と呼ばれたもの。歴史の一つ一つがカードを切っていく。単調に繰り返されるゲーム。ペアが出来ていくごとに消滅する契機。矛盾し合う対立たちは、ただ一つの同じ他のものへと向かい走っている。酒を酌み交わしながらカードゲームに興じるオリュンポスの神々。意識を運ぶレーテー。その場限りのルール。些細なレートで賭けられる人間の命。一度だけ光る永遠。そのありかを示すために生み出された生き物。
すべてに等しく体をひらくかわりに、最も神に近いとされる売春婦の名前。子供のカラスも、吹いては消える風も、隠された愛も、すべては神の思いなしの表象に過ぎない。神がついたほんの一瞬の溜息があなたであり、神の瞳に滲んだ一滴の涙がわたしであり、神が苦痛に歪めた皺の一筋があなたであり、神の喉に絡んだ痰がわたしである。まったく同じことだが、神の思いなしを、誰に伝えるでも無くあらわし、現に存在しているありかたこそが実存である。つまり実存的行為に原因や根拠といったものは無いということだが、しかし神の思いなしである以上、正しく、あるいは善く実現されなければならない。神の使いといえば聞こえはいいが、単にそれだけの存在である。他の生物は神を直接に感得する。人間は自分自身みずからを媒介にして神と繋がる。神の記した文字が一人の人間であり、一つの歴史であり、一つのあくびであるものに過ぎない。意味も無く紡がれていく表象が人間なのである。
それぞれに与えられた生命という規定された単位は、より長かったか短かったかというに過ぎない。内容は量である。そういう意味で、すべての人類は質的に平等である。またその意味で、解釈を求めるという態度は完全なる誤りとはいえない。無意味であるという意識は依然として目の前に存在するものの、何かしらに於いても解釈を求めるのは、神の思いなしを辿ろうとするのならば当然であるからだ。そのように無意識的に行われた意識のはたらきを、わたしたちは様々な方角から吟味を加えたり、取り外したりする。その結果として導き出されるのが、たったひとつのあくびであったとしても。というより、それは必ずあくびであるとしかいいようが無いものなのだ。
夏というこの一瞬の短いまばたき。あたたかいうちに目覚める精神。灼熱の太陽に照らし出される一縷の意識。アダムが智慧の実を摘んだ行為は罪とされるが、それゆえに人間は人間となった。他の生き物は現に存在するまま、即自的な実在として神と接続されているが、人間は自分自身の存在とその思考を媒介にすることによってしか、神と接続されることを許されない。つまり人間がほかでも無いこの人間であるという意識が、人間の贖うべき罪であり、受けるべき罰である。
神の思いなしを表象する存在に解釈を与えることは、よって神の思いなしに及ぼうとするいとなみに他ならない。他の生き物が自身のうちでただそれだけで了解している現象を、人間は「これがあくびである」と表象し、解釈することで「これはあくびであるものである」と言明することが出来る。したがってそれは、人間は理性的な存在であるという消息である。神の思いなしを表象する意識であるからこそ、理性はすべてに及んでいると言明することが出来る。
理性は目の前に存在する意識であり、意識しようと欲する無意識である。ここに無意識と意識の区別の曖昧さが生まれる。そもそも両者は同じ理性に属しており、そのうちに区別を有するものでは無い。区別だと見間違えるのは、文字の有無であるに過ぎないものである。人間が永遠に満たされることが無いのは、たんなるあくびであるからであり、一個の消えゆく契機だからだ。しかしあくびが何度か続き、まぶたが重たくなれば、やがて神は眠りに就く。人間はそれをひたすら待ち続けるしか無い。理性的な存在であるという意識を抱えながら。人間を、他に於いてこの点で特別だと評価するか、劣る存在であると嘲笑するかは、あくびを眠りの兆候と読み取るか、たんに退屈しているという現象と捉えるかという違いに過ぎない。
Ⅱ.
意識の底にベンゾジアゼピンが澱となり沈殿している。私は一つの遊牧民族である。進むべき方向に手綱を締め、白馬の尻を叩き、同時に白馬となって草原を駆け抜ける。弓矢より鋭く、大脳新皮質を飛び交う信号より速く。
一つの現象する類として知覚される自然。思索の旅には眼鏡だけあればいい。
一つの染みとしての存在。体系として現象を捉えている存在。
認識するものすべてが結びつき合う。感覚と知覚が不断に流れ出す。地下を流れる川を思う。溢れ出す花々の香りが顔を撫でていく。正しい名曲を待ち侘びている。懐かしい予感に屋根が輝いている。まるでそれが夏の宿命でもあるかというように。生命の夏。盛夏の夜明け。くたびれた壁。足元から熱を感じる。熱が脚を伝い太ももの辺りで戯れ、弾けては消えてゆく。そのときあらわれた微笑みを夏という。南西の空に浮かぶ白い月。薄れゆく魂が私に呼び掛ける。それはあるときは花の香りとして、あるときは小鳥の囀りとして、あるときは蝉の鳴き声として、ひたすら呼び掛けてくる。私はただその声に耳を傾ける。私だけはその声に耳を傾け続ける。子供のようにはしゃぐ屋根の輝き。体内に押し留められた熱のゆくえ。すべてがひとつの響きを形づくる。この世に無機物など存在しないことを知る。呼吸するガードレール、震える道路標識、舌足らずな声で歌う煉瓦塀。すべてがたった一つのものを照らし出している。微に入り細に入ることは、やはり全体を見通すのと等しいのである。
醜さ 水川純 @mizukawajun
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