第4話 横山翼
坂田つばさは、自分が大人しい性格で、あまり人と関わりたくないと思っていた。
それは人に遠慮するからだと思っていたが、それよりももっとベタに、
「億劫だから」
という理由が一番の根底にあったようだ。
人と関わることを最初から知らなかったことは、自分でも人生の半分は損をしていることだとは分かっている。しかし、一度関わることに背を向けてしまうと、今さらどうしていいのか分からない状態で、他人に聞くわけにもいかず、何をどうすればいいのか、そのことを自分で憂慮していたようだ。
坂田つばさにとって今までに誰かを好きになった経験もなければ、当然人から好かれたこともない。
――自分から好きになれないのに、他人が好きになってくれるはずもない――
という、当然の理論も分かっているつもりだ。
もっとも、そんな物わかりのいいことが、却ってまわりから見ると、
「お高く留まっている」
と思われるのだ。
他人が最初に納得しなければいけない本人の行動を、最初に自分で納得してしまって、せっかく相手が分かってくれようとするのを、自分から遮断してしまっていては、いつまで経っても他人と分かり合えるはずもない。当然、
「交わることのない平行線」
を描いても仕方のないことであろう。
「私のような人間って、他にはいないだろう」
というのが、坂田つばさの考えだった。
彼女は、自分が他の人とは違っていることを、物心ついた頃から自覚していた。それを自覚させたのが父親だった。
彼女の父親というのは、典型的な自己中心的な男で、自分の考えにそぐわない人間は、いくら親子や夫婦と言えども、容赦しないタイプだった。
暴力を振るうわけではないが、
「お前のような奴は、俺の子供じゃない」
と平気で罵るような人で、相手のことなどまったく考えていないような男だった。
「よくあんなので、ここまで生きてこられたわね」
と、陰口を叩かれていたが、誰もそれを指摘する人はいなかった。
誰もが至極当然の言葉だと思っていたからだ。
妻である母親はよくできた女性だったというか、父親の言いなりになっていた。
「あんな風にはなりたくない」
と、母親もまわりから言われていて、
「似たもの夫婦ってああいうことをいうのよ。そういう意味ではつばさちゃんは可哀そうよね」
と、つばさも幼女時代にはそうやってまわりから同情されていたが、それも小学生の低学年くらいまでだった。
「あの子のあの目、父親と同じ目だわ」
という人もいれば、
「あら、そう? 私には母親と同じ目に見えるわよ」
と、意見が割れていた。
だが、そのどちらも間違いではなかった。相手によって見方を変える。これが坂田つばさの特徴で、きっとあの両親のそばにいることで、そんな風になってしまったのだろう。それでもさすがにそれまで彼女に同情的だった目もなくなって、
「あの親にしてあの子ありだわ」
と、家族全体が嫌われるようになったのだ。
親の転勤の影響で、各地を転々としていたのは、つばさにとってはよかったのかも知れない。彼女と長く一緒にいると、友達ができないうえに、完全に孤立してしまうことになる。彼女も嫌だろうし、まわりも嫌だった。嫌になりかける前に転勤してどこか知らないところに行ってくれる方が、全体で好結果をもたらした。
転校先を転々とするうちに、次第につばさの棘は取れて行ったようだ。大人しい性格は治ることはなかったが、人に不快な思いをさせるほどのことはなくなった。以前ならそばにいるだけで不快になっていたまわりも、それほど気にしなくなっただけ、まだマシだったに違いない。
転校してきて最初に緒方先生を頼ったのは、緒方先生なら自分の気持ちを察してくれると思ったからだ。
本当は、棚橋つかさの視線を、そこまで意識していたわけではないが、棚橋つかさと先生の「怪しげな関係」に気付いてしまった坂田つばさには、好奇心が芽生えた。
それまでなるべく他人へ関心を持つということがなかった坂田つばさが最初に持った興味だった。
本当は好奇心旺盛な性格だったのかも知れない。一度タガが外れると、その興味は衰えを知ることはなかった。興味の矛先は緒方先生に向いたのだ。
「緒方先生に、棚橋つかさの視線が怖いことを告げると、どういう反応を取るだろう?」
という思いだったが、坂田つばさの期待していたほどの感情はそこには現れることはなかった。
それが、先生の技なのか、それとも本当に先生の眼中にはないことで、自分の考えすぎだったのかということは分からなかった。だが、先生に一度楔を打っておけば、棚橋つかさとの関係がギクシャクしてくるのではないかと考えたのだ。
実際に、少しギクシャクしているように思えた。どっちの方がギクシャクしているのかというと、棚橋つかさの方だった。
最初は、先生に近づくためについた嘘が、本当のことになって、自分に戻ってきた。棚橋つかさの視線が、本当に坂田つばさを捉えようとしたのであろう。
――しまった。ミイラ取りがミイラになった――
と感じたことだろう。
後悔しても、もう遅いのだが、これも坂田つばさの思いこみすぎたせいか、棚橋つばさの視線は、思ったよりも強いわけではなかった。
それでも、視線を浴びている時は気持ち悪いものだった。元々人と関わることができなかった坂田つかさは、自分が人に視線を送ることはあったが、他人から視線を浴びせられることなどなかったのだ。
――避けられることばかりだったのに――
と、気持ち悪いと思いながらも、初めての視線に痺れた感覚があったが、その複雑な感情が余計に相手の視線に恐怖心を煽られてしまったのだろう。
何事も考えすぎる傾向にあるのが、坂田つばさの本当の真髄なのかも知れない。
そのことを最初に気付いたのは、坂田つばさ本人だった。
それはもちろんのことなのだろうが、それはそれまで人と関わらないようにしてきた坂田つばさだから気付いたことであった。
もし、他の人のように当たり前に他人と接してきた人であれば、こんなに早く自分が考えすぎる性格であることに気付かないだろう。なぜなら他人と関わりたくないと思っている人は、決して関わることをしないだけに、考えていることはおのれのことばかりのはずである。
そのことは自覚していた。自覚はしていたが、すぐに表に出てこなかったのは、そのことを認めたくない自分がいたからに他ならない。
――もし認めることができていたら?
と考えてみたが、
――それはそれで、逆に自覚できないでいたのかも知れない――
と感じた。
これは一種の矛盾である。
坂田つばさも矛盾について考えることがあった。
「メビウスの輪」
を矛盾を考えた時に最初に思い浮かべるのは、自分だけではないと思っていたが、自信があったわけではない。
しかし、緒方先生と矛盾について話をした時、
「そうね、メビウスの輪のような異次元への発想に近いものがあるのかも知れないわね」
と先生が言ったことで、
――やっぱり先生とは共通点があるんだわ――
と思わせ、納得するのであった。
坂田つばさは、しばらくこのまま自分の視線は緒方先生ばかりを見て過ごすものだと思っていた。しかし、それを覆す人が現れた。それが自分と同じ名前の「横山翼」だった。
一度は大丈夫だと思っていた棚橋つかさの視線を再度感じた時、最初よりも気持ち悪く感じていた。ずっと浴びていた視線であれば、対処のしようもあるが、一度感じなくなってさらに感じるようになったのだから、一度対処しても、また復活するかも知れないと思い、それがまるで、トカゲのようなハンパではない執念を持った生命力を感じさせるものは、本当に恐ろしいと感じたのだ。
――どうしよう――
そう感じた時だった、目の前に横山翼が立っているように感じたのは……。
横山翼の視線は、普段感じることはあまりない人が多かった。どちらかというと目立たない性格。一言で言えばそうだった。
だが、それは彼が自ら閉じ籠っているからではない。本人がどう感じているかというよりも、目立たないのは、持って生まれた天性の資質によるものだろう。
「石ころ」
という言葉が一番よく似合っているかも知れない。
石ころとは、路傍の石とでも表現できるが、目の前にあっても、誰にも意識されない。河原のようにたくさんの石がある場合は、そのうちの一個に誰がいちいち気にするというのか。だが、そうでなくて、石ころというのは、舗装された道に一つあったとしても、誰も気にする人はいない。本来であれば、その場所にあるのは不自然だと思うようなことであっても、石ころに限っては、誰も疑問に感じることはない。
それは、まるで保護色のようではあるが、少し違う。そこに確かに存在はしているが、同色であれば、見えないはずなのに、何か気配を感じてしまうと、気になって仕方がない。そういう意味では保護色とは正反対のものだと言えるのではないだろうか。
目の前にあっても誰も気づかない。もしそれがただの石ころではなく、爆弾だったとすればどうだろう? 誰も気にしないのであれば、目の前に見えているにも関わらず、その意志を蹴っ飛ばしたとしても、別に何も感じない。
「何かが触れた」
という程度の感覚であろう。
もちろん、石だということは分かっている。見えているのだから、頭に入っているはずだ。だが、その頭に入ってくるだけで、そこから石に対して思考が働かない。爆弾だったら身体が吹っ飛んでしまうだろうから、死んでから、
「石だと思って蹴ったら、爆弾だった」
と感じるだろうか?
ひょっとすると、
「石を蹴った」
という意識は飛んでしまっていて、最初から爆弾だったということを分かっていて、蹴っ飛ばしたと思うかも知れない。
そして死んでから、
「どうして爆弾だと分かっていたのに、蹴っ飛ばしてしまったんだ」
と後悔するだろう。
考えてみれば、自分が何かをして失敗した時など、後から思い起すと、記憶が断片的なことが往々にしてあった。それは、石ころのように、意識が途中で飛んでいるからなのかも知れない。
「ひょっとすると。意識が飛んでいる間に、石ころが介在しているのかも?」
とも考えられた。
自分の中で納得できない出来事が今までにも何度かあったと思っている人も少なくないだろう。そんな時、石ころが介在していたと考えるのは、突飛すぎるだろうか?
――いや、やっぱり突飛すぎるよな――
と考えているのは、当の横山翼だった。
彼は自分がまわりから石ころのように思われているとは感じていなかった。確かにまわりに馴染めず、影が薄いのは分かっていたが、
「まさか、この俺が」
と思っていたのである。
なぜなら、彼こそまわりの誰よりも自分が石ころを意識していたということに気付いていたからだ。
石ころというものは、意識しないから石ころである。それを意識してしまうと、もはや石ころではなくなってしまう。そう思ってはいても、自分が石ころのように思われているという意識がない状態が続いている。これは、矛盾している発想であり、
「石ころパラドックス」
と、その後に石ころの矛盾について気が付いた横山翼が命名した発想であった。
このお話の登場人物のそのほとんどが、矛盾というものを意識しているという点で、共通していると言ってもいいだろう。
「矛盾という発想は、個性が生み出したものではないか」
と感じたのは、緒方先生だったが、もう一人、別の観点からそう感じていたのが、横山翼だった。
横山翼は自分が石ころのような存在だということに気付いた時、矛盾を感じた。他の人も同じ感覚なのかも知れないが、それを認めたくないという思いが自分の中で無意識に働くことで、石ころという発想を自らで抹殺しているのだった。
石ころのような存在である自分に気付いた横山翼は、同時に自分が律儀な性格であることに気付いた。
「律儀だ」
ということは自覚していたが、それが自分の特徴となるほど、まわりと違っていることに気付いていなかった。
元々、
「他の人と同じでは嫌だ」
と思っていたこともあって、それに気付いた時は逆に嬉しかった。
どうして他人と同じでは嫌だという発想になったのかというと、人の性格というのが、根本では皆同じだという発想から来ているものだった。個性として表に出てはいるが、根本は同じもの、それが人間だと思っていた。だから、
「人間なんてつまらない」
とまで思っていたのが少年時代だったのだが、どこかホッとした気持ちでいたのも事実で、なるべく目立たないような態度を取るようになったのも、そのホッとした気持ちが嵩じたものだったのかも知れない。
人間がつまらないとは思いながらも、自分もその人間、目立たなければそれが一番の特徴とまで思っていた。
だが、高校生になった頃から横山翼は、急にまわりの視線を気にするようになった。誰かの視線を浴びることなどなかったはずなのに、最近になって人の視線を怖く感じるようなのだ。
その視線が誰であるか、何とそれは中江つかさだった。
彼女は横山翼とはまったく正反対の性格で、いつも目立っていて、友達も多い。それは誰が見ても品行方正で、人当たりも素晴らしい。
「俺にないものをすべて持っている」
と、横山翼に感じさせた女性だった。
だが、彼女は表向きは棚橋つかさを意識していた。ただ、それは異常恋愛に近い感覚ではなく、単純に棚橋つかさを意識していただけだった。それも坂田つばさを意識する棚橋つかさをである。
横山翼は中江つかさを特別な存在だと思っていた。
「今までにあんな人に出会ったことなどなかった」
と思わせた。
あんな人というのは、自分とはここまで正反対な性格なのに、見ていてその性格から考えていることが分かるような気がしてくる相手だった。
実際に、分かっているわけではないのだが、本人は分かっている気になっている。こんな感覚は横山翼にとって、生まれて初めてのことだった。
中江つかさは、絵画もやれば、最近では小説を書き始めたようだった。横山翼が中江つかさの視線を感じたのは、小説を書き始めた頃のことだった。
中江つかさを見ていると、彼女の興味は自分や棚橋つかさだけではなく、緒方先生にも坂田つばさにも感じていることだった。
――俺に、大なり小なり、今関係している人物ばかりじゃないか――
と感じた横山翼は、中江つかさに自分のすべてを見透かされているようで怖かった。
いや、怖いというのは恐ろしいという意味だけではなく、ゾクゾクする感覚も含まれていて、ときめきに近いものであることは、最初から分かっていた。
だが、分かってはいるが、その正体を感じることはできない。感じることができないことで、余計に興奮度が増してきて、彼女の視線を心地よく感じられるほどになっていた。
――こんな気持ちになったの、初めてかも?
と思ったのは、別に中江つかさに対して恋愛感情が湧いたわけでもないのに、まるですでに恋人の関係になっているかのような感覚があった。
彼女には、恋人同士になったとしても、わだかまりのようなものはまったくないと思えた。
どちらからもわがままなどあり得るはずもなく、お互いに干渉し合わない関係を気持ちよく継続させていくことで、さらにお互いを向上させる何かが潜んでいるように思えたのだ。
だが、それは完全な妄想の世界であり、そこに淫らなものはまったくなかった。淫らな発想をすれば最後、二度とその妄想の世界に戻ってくることはできない。分かっているつもりだったが、ただ一つ、自分が中江つかさに従順になることで、その矛盾は解消されるように思えたのだ。
「矛盾の解消」
それこそが、従順な発想の原点であり、「矛盾と無限」のループの解消法ではないだろうか。
矛盾に対してのキーワードとして、横山翼には二重人格性というものがあった。それが、律儀な性格の自分と、相手によって従順になってしまう自分とのギャップが二重人格だと思っていた。
中江つかさに対して従順に感じるのは、本来の性格だと思っていた律儀な性格を覆すものであり、そんな矛盾をハッキリさせる相手である中江つかさが自分における、
「矛盾の解消」
に唾がるということも、おかしなものだ。
それこそが矛盾というものであり、無限ループを思わせるものだと考えてもいいのではないか。
この一連の話の中で登場してくる人物たちは、それぞれに共通性があるのだが、お互いにかぶっている部分があることに気付いていない。中心にいるのが緒方先生であるのは分かっているのだが、緒方先生の役割はあくまでもそれぞれの登場人物を結びつけるものだった。
しかし、考えてみれば、それぞれ「つかさ」であったり「つばさ」であったりと、同じ名前の人が登場しているというのは偶然であろうか?
しかも、どちらの名前も、男女にあっておかしくはない名前であり、お互いにその共通性を証明できるものではないだろうか。
皆それぞれに違う性格であるにも関わらず、お互いに何か引き合うものがある。それが共通性というべきなのか分からないが、点と点を線で結ぶと見えてくるものがあるように、一人の人間によって結びつけられたのだ。
その一人の人間というのが中江つかさだった。
彼女は趣味で小説を書いていたが、自分を含めた登場人物に注目し、一つの仮説を立てて、それを文章に起こした。それが小説となり、今静かなブームを呼んでいる。
プロでもない彼女はネットにこの話を上げて、読者も増えているようだ。
コメントに、
「共感します」
であったり、
「うん、あるある」
と、感情を書き出してくれた人もいた。
登場人物がそれぞれどうなるのか、それはこれからの続編によるのだろうが、小説としては、中途半端なところで終わっている。
「少し理屈っぽく書いてしまったからですかね」
と、中江つかさは思っているが、理屈っぽく書いてしまった理由には、緒方先生を中心に描いたからだと自分では思っている。
本当であれば、主人公は緒方先生なのであろうが、緒方先生を全編で登場させるには、主人公ではいけない気がした。
そういう意味ではこのお話に主人公は登場しない。その場その場で、つまりは章ごとに主人公は違っている。一種のオムニバス作品だとも言えるだろう。
しかし、オムニバスではこの話は成立しない。何しろ、登場人物が見ているのは一方向だけなので、見えている先には、次章があるのだ。オムニバスでは話が続かないというのはそういうことである。
それぞれにかぶっているところがあることから、
「何となく、尺取虫のようなお話ね」
と、緒方先生に話したことがあった。
この話の主人公の中で、この話について直接話をしたのは緒方先生だけだ。完成前に一度読んでもらったのだが、他の人には何も言っていない。だが、ウスウス皆気付いているようで、何も言わない。小説の内容から、誰もこの話について触れることを避けているのだろう。
緒方先生も尺取虫という言葉を聞いてニコニコ微笑んでいた。
「まさにその言葉通りかも知れないわね」
と言いたげだった。
この話の根底にあるのは、
「負のスパイラル」
である。
その中にレズビアンのような発想であったり、二重人格性であったり、矛盾と無限の関係であったりがちりばめられている。
作者である中江つかさは、全体をイメージしながら描いていたので、細部に関しては緒方先生の方が思い入れが激しかった中江つかさは、作者であると同時に、登場人物としても重要な部分を秘めている。
「中江さんは、小説家を目指すんですか?」
と緒方先生に言われて、
「いいえ、あくまでも小説は趣味です」
というと、
「もったいないわね」
という緒方先生の言葉に、
「そんなことはないわ。私にとってこれ以上の作品を描くことはできないの。だから、これからも小説を書き続けて行きたいと思うと、高みを目指さないことが一番いいと思うんですよ」
と中江つかさがいうと、
「そうね」
と言って、緒方先生はニッコリと笑った。
それはまるで中途半端な状態で終わった小説を完結させるかのような表情だった……。
( 完 )
「つかさ」と「つばさ」 森本 晃次 @kakku
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