第九話

 九


 水寺はとぼとぼと重い足取りで、最寄り駅に向かっていた。

 脇谷や早希には自分がどう映っただろうかと考えながら。

 きっと、最愛の娘に都合よく利用された憐れな父親、そう見えたに違いないと思った。

 自分はそんな役割でも構わない。そう思っていた、さっきまでは。

 すっかりおびえきって「もう復讐なんてしません」と泣きべそをかいていたカレン。

 その姿を見送った後で、ふいに水寺の心の中で劇的な変化が起こったのだ。

 お父さんだよね?と呼びかけられ有頂天になっていた気持ちが、急速に冷めていくのを感じた。

 詳しい事情を知る時間はなかったものの、麗奈がなにか良からぬことを企んでいるのは明らかだったが、ただただ娘のためと思って無我夢中で二つの指示を実行した。

 そのことに強烈な罪悪感を覚えてきたのである。

 なんの非もない一人のファンにケンカを吹っかけてケガをさせてしまった。

 暴力の影をちらつかせながら、社会経験の少ない一人の女性を威嚇し、トラウマになるかもしれないほどの脅威を与えてしまった。

 そして、そうするように仕向けた白峰麗奈というアイドル。

 どんな事情があろうが、純粋で無垢なアイドルにはありえない所業だった。

 さらに、彼女の企みに呼応するような絶妙なタイミングで、お父親さんだよね?と呼びかけられたこと。

 彼女に忠実に動いてくれる人間が急きょ必要になったタイミングで、たまたま俺が父親であることに気づいた? 

 冷静になってみれば、そんな偶然を信じるわけにはいかなかった。

 以前から俺が父親であると気づきながら、知らんふりをしていたに違いない。

 俺は麗奈にとって、単なる金づるに過ぎなかったのだ。

 自分はそんな酷薄な娘に操られて、汚れ仕事に手を染めてしまったのだ。

 そう思うと無性に腹立たしくなった。

 麗奈に憎しみを感じた。

 だから、一度は捨てようと思っていたメモを手に、会場へ戻ったのだ。

 メモを脇谷に渡し、麗奈の罪を告発するために。

 愛する娘が自分あてに書いた文字が愛おしくて捨てられなかったというのは、まったくのでたらめだった。

 もっとも、自分が告発するまでもなく、早希の推理によって麗奈の悪行は白日の下にさらされていたのだが。

 とはいえ、あのメモはダメ押しの役目を果たしてくれた。

 早希といえば、その推理がカレン暴行事件の黒幕が麗奈であることをも暴き出したのだが、その事実にはただただ愕然とするしかなかった。

 今や水寺は、麗奈に対する一切の興味を失っていた。

 アイドルとしても、娘としても。

 水寺の味気ない人生に彩りを添えるかのように、麗奈によって与えられた心の安らぎや魂の昂揚のことは忘れ去り、今や残ったのは、幻滅と絶望だけであった。

 これまでに麗奈のために費やしてきた時間、彼女に会うために犠牲にしてきたたくさんのことに思いを馳せると、ただただ虚しさが込み上げてくるのだった。

 

 その後、水寺良夫が「エターナル・イノセント」の握手会に現れることはなかった。

(了)

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汚れなき手 鮎崎浪人 @ayusaki_namihito

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