小春日
昼休みを告げる鐘が鳴る。
燦燦と輝く陽光が、教室の窓から差し込んでいた。
「あれ、清水君。お弁当はどうしたの?」
「いやあ、今日は親がいなくて、弁当もないんですよ」
誰もいない空き教室。そこに入って来た二人は、窓辺の席に座る。
少年が前の座席の、椅子の向きを反転させ、一つの机に少年と少女が向かい合う。
「自分で作るのも面倒だし、だったら学食で何か買えば十分かなと」
「だからって、おにぎりと唐揚げだけじゃ、栄養バランスが悪いわ」
「大丈夫です。ほら、野菜ジュースも買いましたから」
「でも、量も足りてないでしょ。育ち盛りなんだから、いっぱい食べないと」
少女は机の上に風呂敷を広げ、包まれていた弁当箱を開ける。
白米、ミニハンバーグ、緑黄色のサラダといった、鮮やかな中身だった。
「そうだ、私のお弁当分けてあげる。ちょっとだけだけどね」
そう言うと、少女はおかずを、弁当箱の蓋の上に乗せていく。
「いいんですか!? 確か、高根さんのお弁当って、高根さん手作りでしたよね。つまりこれは、手作り料理のご馳走!?」
「えっ」
少女の箸が止まった。
「あの、手作りと言っても、今日はあまり手作り要素はないというか、その、冷凍食品多めだから味なんて一緒というか、清水君の期待しているものではないというか……」
「僕、思うんです。冷凍食品ひとつとっても、好きな子がレンチンしてくれるだけで三倍は美味しくなるんじゃないかって」
「何言ってるんですか清水君! ……や、やっぱり駄目です! 食べないでください! 美味しくないので! こんなの、家畜の餌も同然なので!」
「いいや食べます! 家畜の餌でもいいです! 家畜の餌を僕にください!」
少年は、指でハンバーグをつまむと、そのまま口に入れる。
「あ! 食べましたね! 家畜の餌を食べたってことは、清水君が牛とか豚とか、そういうことになるんですよ!」
「結構です! 僕は今日から、高根さんの豚ですから!」
「意味が分かりません!」
──食事終了。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
空の弁当箱は仕舞われ、机の上は少女のハンカチで綺麗に拭かれた。
食事が終わっても、昼休みはまだ続く。
「そういえば、今まで聞いてなかったんですけど」
「なぁに?」
「高根さんが僕を好きになった理由って、何なんですか?」
「好きじゃないですよ?」
「早いです、緊張するの早すぎです高根さん」
少女は水筒を呷ると、ふぅと息を吐く。
「清水君と一緒のクラスになったのは、今年が初めてですよね」
「はい」
「でも私、清水君のこと、一緒のクラスになる前から知ってたんです」
「そうなんですか?」
「去年の秋ごろ、文化祭が始まる前ぐらいのことだったかな……。私が生徒会の仕事で帰るのが遅くなって、すっかり日が暮れた時間に昇降口へ向かっていると、途中、ゴミ捨て場に誰かがいることに気付いて。あの大きなダストボックスの横で、男子生徒がうずくまってたんですよ」
「不審人物ですね。危険なので近づかない方がいいと思います」
「……あなたのことですからね、清水君」
「あれ」
「何をしてるんだろう、具合でも悪いのかなと確認しに行ったんですが、その子はどうやら、花壇を眺めてたみたいで。そっと後ろから様子を窺ってみると、なんと……」
「なんと?」
「植えられたコスモスに話しかけてたんです、その子」
「……………………」
「花子は今日も綺麗だねー、とかなんとか、ふふふ。おかしいですよね? 今思い出しても、笑いが、ふふふふふっ」
「ひ、酷いっ! 僕と花子の会話を盗み聞きしていたなんてっ!」
少女は笑いを抑えようと試みているが、それは叶わず、口から漏れ出す空気が震える。
「ごめんなさい、笑ってしまって。趣味は人それぞれですから、はい。お花に話しかける人がいてもいいと思います。ふふ」
「明らかに面白がって笑ってるじゃないですかぁ、もぉ~」
「でも、本当におかしいのは、そんなことで人を好きになってしまった、私の方かもですね」
「え?」
「あっ」
──休符。
「ちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがっ!! 違いますっ!! これはそのっ! つい口を滑らせたというかっ!」
「もう一回、もう一回お願いします! ちゃんと言えましたよね、今! やっぱり落ち着いて話せば、素直に言えるんですよ!」
「無理ですー! 絶対無理ぃー! 清水君なんてやっぱり、花壇の肥料がいいとこですー!」
そう言って、少女は空き教室を飛び出した。
「待ってください、高根さん!」
少年は躊躇いなく追いかけ始めると、屋上への階段を上る。
解放されている屋上の扉を開ければ、広がる青空の下に少女が一人、背を向けうずくまっていた。
「高根さん……」
「清水君……」
少女の背に少年が歩み寄るのを、少女は声を出して制止した。
「駄目、それ以上近づかないで。私ってば、本当に面倒くさいです」
「そんなこと……」
「分かってますよ、自分のことですから。本当はあなたに、私の気持ちをそのまま伝えたいんです。だから意を決して、あの日、校舎裏に呼び出しました。でも、駄目でした。私の悪いクセを止められなくて、罵倒したくもない人を罵倒して……。嫌ですよね、事あるごとにでたらめなことばかり言っちゃう女の子なんて」
「そんなこと、ありません」
「恥ずかしさのあまり、私はおかしくなっちゃうんです。これじゃいけないと思って、必死に耐えようとするんです。でも、清水君が隣にいると心臓が弾けそうになって、結局、全部台無しになっちゃうんです。清水君を傷付けてはいないか心配で心配で、毎日そればかり考えてて。私といて、清水君は本当に楽しんでいるんでしょうか。気を遣わせているのではないでしょうか。あなたに迷惑をかけるぐらいなら、私たち、やっぱりただの友達に──」
「そんなことないって、言ってる!」
少年は再び少女に歩を進め、同じようにしゃがむと、その小さな肩に手を乗せる。
「高根さんといて、僕が楽しんでるかどうか? 先日のデート、僕はすっごく楽しかったですけど! 一生分は楽しみましたけど! 今でも夢かと疑っていますけど!」
「っ……! 止めて、近づかないで、触らないで! ……私、また、本当のことを言えなくなる」
「それでいいんです。言えないなら、言わなくても」
「え……?」
「僕、分かりました。そのクセを含めて高根さんなんです。高根さんが容姿端麗で気立ての良い生徒会副会長だというのと同じように、そのクセも、高根さんを構成する上で外せない要素なんです。どれかが欠けても、それは今の高根さんじゃないんですよ。僕が好きなのは、そんなクセの強い、今の高根さんだ!」
「な──!」
「そのクセを嫌わないでください。とても個性的でいいじゃないですか。僕はいくら罵倒されようと、傷一つ付きませんよ」
「もう! 今すぐその口を閉じて、ここから飛び降りて! 嘘も慰めも要りません! あなたが私のことをどう思おうと、私は、その気持ちに応えられない……!」
「高根さん」
少年は少女の肩を抱いたまま、床の上に倒れ込む。
「触らないで。汚らわしくって、酷く臭いますわ……」
「クセを治すとか、そんなことを言い出した僕が馬鹿です。素敵な特徴を、治す必要なんてないのに」
「素敵じゃ、ありません……。おかしいんです。変なんです、あなたほどでないにしろ、私は」
「その通り、僕も花に話しかけてしまうような、変な男です。ですが、その変な男を、高根さんは好きになってくれた。なら、僕が変な高根さんを好きになることは、おかしいことですか?」
「う──」
少女は言葉に詰まる。自分が変であること、それは、この関係を終える理由にはならないと気付いた。
なぜなら、他と変わったものを好きになること、それ自体はおかしなものではないからだ。自分がそうであるように、少年もまた、変わったものを気に入ったのだと知り、少女は雲一つない空を見上げる。
「こんな私でいいの?」
「はい。それがいいんです」
震えた声に、そっと寄り添うように。
「大嫌い、です。清水君、本当に嫌い……」
「はい。僕も、高根さんのことが好きです」
少女が肺の奥から絞り出したような声に、少年は、真逆の言葉で返した。
「嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。一緒の教室で同じ授業を受けるとか、心底考えたくないです。人の形をしたゴミムシ。どうしてまだ生きてるんですか。早く死んで、今すぐ死んで。お願いだから、二度と、私の傍に近寄らないで……」
「はい。僕も、高根さんと同じクラスになれてよかった。お互い末永く、一緒にいられるといいですね」
「ふざけないで。あなたと一緒にいたいと思う人なんていない。恋とか愛とか、そんなもの、ありえない。あなたは一度も幸せになることなく死ぬの。一人きりで。寂しく。それがお似合いよ」
「はい。僕はもう、高根さんと出会えただけで幸せです。だから、約束します。今度は僕が、必ず、高根さんを幸せにしてみせるって──」
二人は抱き合ったままに、交わす言葉も失くし、ただ吹き抜ける風の音に耳を澄ました。
二人の間にある、熱を帯びた鼓動だけが、真実を告げている。
しばらくそうしていると、どこかで鐘が鳴った。
「あーーーっ!!」
「ぐえっ!」
少女は飛び起きて、覆いかぶさっていた少年を突き飛ばす。
「わ、ご、ごめんなさい! 大丈夫? 怪我してない? ……じゃなくて、昼休み終わっちゃったー! 空き教室にお弁当置いたままなのにー! 次の授業、何だっけ!?」
「さて、何でしたっけね。とにかく急ぎましょう、高根さん」
「ひー! 清水君とご飯なんて食べるんじゃなかったわ! 時間があっという間に無くなっちゃう!」
「あっははは。そうですね、昼休みが一瞬でした!」
二人は走り、扉を開け、階段を下っていく。
忙しない足音だけが徐々に遠ざかり、屋上には誰もいなくなる。
温かい陽気が、学校に、街に、満ちていた。
樹木についた蕾は待っている。その、開花の時を。
告白してきたあの子はあまりにも口下手 白ノ光 @ShironoHikari
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