デート

 駅前の噴水の前に、私服の少年が立っている。

 時刻は朝方。しかし、同様に誰かを待つ者、その誰かと無事出会えた者が、既に何組かいた。

 一日の始まりを告げる朝の日差しと街の喧騒の中、少年はじっと待つ。

 「あれ、清水君。もう来てたの!?」

 少女がやって来た。

 可憐な私服姿に、少年は顔をほころばせる。

 「おはようございます高根さん。女の子との約束は三十分前行動って、知りませんか?」

 「おはよう。そんなの知らないわ。三十分前は流石に早すぎない?」

 「そういう高根さんこそ、まだ約束の二十分前ですよ」

 「男の子との約束に、万が一にも遅れたくないし……」

 「僕は高根さんが支度に時間が掛かることも考慮した上での、二時間はこの場で待てるだけの用意をしてきたんですが」

 「それはやりすぎよ」

 「でも、困りましたね。二人とも約束の時間より前に来たもんで、映画が始まるまでまだあります。適当に話でもしますか」

 少年と少女は噴水の縁に座った。

 流れる水と、飛んでくる飛沫に、二人は気持ちよさを感じる。

 「話って何かしら。天気の話をすればいいの?」

 「男女二人が休日の朝から集まって、するのが天気の話なんですか? 逆に面白いですねそれ」

 「ぎゃ、逆って何よぉ」

 「高根さん、もしかして、こういうのは初めてですか?」

 「こういうの、って……」

 「男女交際」

 「………………そんなわけ、ないですよ」

 少女は俯いた。赤い顔を見られたくなかったらしい。

 「本当ですか? こっち見て言ってください」

 「本当です。本当なんです。ちょっと太陽が眩しくて、顔が上げられないんだけど」

 少女は変わらず、顔をそむけたままだ。

 「経験あるんですね、高根さん。まあ、高根さんほどのハイスペック美少女なら、交際を望む男子生徒は事欠きませんでしょう。ちなみに、今まで何人ぐらいと交際したことが?」

 「え、ええ、ええっと……」

 静寂。

 「……三十五人、かな」

 「三十五人!? クラス二つ分近い数の男子生徒と交際したんですか、すごいですね……」

 「そうなります、ね。うん。……多かったねこれは」

 「付き合えた男子生徒が高根さんを振るはずがないので、高根さんが三十五回交際相手を振った、ということですよね。まいったな、僕も振られないように、頑張ってエスコートしないと」

 「精々努力してくださいね。つまらない時間があったら、すぐ帰りますから、私!」

 「無理してない? 高根さん。つい数字を盛ってしまい、後に退けなくなった感じだ」

 「何の話ですか!!」

 「ところで、本当のところは? 口で言えないなら、せめて指を立てて教えてくれないですか? ……両手で数えらえれるよね」

 「どど、どうしてそんなこと聞きたがるんですかっ! 失礼ですよ!」

 「ごめん、単なる興味。嫌だったらいいです、僕の中で高根さんは経験豊富ってことにしておきますから」

 「ううう~っ!」

 あまり言いたくもないが、言わないと嘘が真実にされてしまう。

 少女はもどかしい声を出した。

 「立てる指なんか、ありませんっ!」

 「え?」

 少女は立ち上がり、ずかずかと歩き出す。

 「ああ、待ってよ高根さん。それって、僕が一人目──」

 「もういいでしょう。満足しましたか? それとも、期待外れ? どっちにしても、早く映画館に行きましょう」

 「怒らないで。ごめんって」

 少年は、背を向けて歩く少女に追いつき、その左手を掴んだ。

 「僕が高根さんの一人目なら、とても嬉しいです。それが知りたかった」

 「清水君……」

 互いの目と目が合う。

 少年の笑顔に、少女は胸が締め付けられるような苦しみと、溢れる喜びを覚える。

 「だ、駄目です。手は離してください。私、汗かいちゃうので!」

 「別にいいですよ、気にしませんから」

 「私が気にするんです! 手、握られると、ずっと緊張してしまいますし!」

 「分かりましたよ。ちぇ、せっかくドサクサに恋人繋ぎできるチャンスだと思ったのに」

 「清水君?」

 二人は歩く。手は繋がず、されど隣り合って。

 映画館の前まで来たとき、少女が呟いた。

 「……あ。映画館って、隣同士に座るんですよね」

 「もちろん。チケットは取ってあります」

 「ああ、あ……。また緊張してきました。清水君とこれから二時間近く、ずっと隣に座るなんて……」

 「さっきも隣り合って座ってましたけど、そんなに緊張します?」

 「しますよ。だって、密室みたいなところで、隣り合わせですよ? 呼吸の音が煩くって清水君に聞こえたらどうしましょう……」

 「心配し過ぎです。普段授業を受けている教室も、密室みたいなところで長時間座ってますけどね。隣ではなく、高根さんが後ろの席ですけど」

 「意識するとしてないとでは、大違いです! とにかく入りましょう。さっと入って、さっと観て、さっと出て行けばきっと大丈夫ですから」

 「映画館に来た意味が求められますね……」


 ──二時間後。


 二人は映画館を出て、喫茶店のテラス席に座っている。

 白い一歩脚のテーブルの上に、二人分のお茶とケーキが用意されていた。

 「思ってたより良かったですね。ストーリーは正統派な恋愛物ですが、ヒロインの設定とかが凝っていて、引き込まれました」

 「……はい」

 「あのヒロイン、高根さんに少し似てませんか? 責任感や正義感が強いところとか」

 「……はい」

 「高根さん? まだ緊張してるんですか?」

 「……はい」

 少年の問いかけに、少女は上の空だ。

 「清水君」

 「はい」

 「聞いてなかったんですけど、私」

 「何をですか?」

 「映画の内容が、恋愛物だったなんて」

 「あれ、もしかして駄目でした? とりあえず嫌いな人はいないジャンルかと思ってました」

 「駄目じゃないです! ああいう雰囲気、全然耐えられないわけじゃないんですけど私! 戸惑ったりとか自分に重ねちゃったりとか全然しないんですけど! 素敵な王子様と素敵な結婚とか夢見ちゃう年頃でもないんですけど! 幸せな仲睦まじい姿に羨ましさを感じたりしてるわけじゃないんですけど……」

 「なるほど。物語の中の主人公とヒロインに自分を重ね、彼らの幸福な様子に羨ましく思ってしまい、自分もああいう恋がしたいと思いつつもそんな機会がなく、結果として恋愛物の甘々とした空気に抵抗感を覚えているわけですね」

 「そこ、纏めない! 分析しない!」

 「でも、もう羨む必要もないじゃないですか。高根さん、恋人ができたんですから」

 「……はぁー? 私たちはただの友達ですけどぉー?」

 「自分から告白しておいて、まだ恥ずかしくて認められないんですね……」

 「ごめんなさい、私がこんな性格だから、交際とかそういうのが難しくて……。清水君には、面倒な私に付き合わせてしまって申し訳ないです。一緒にいてもつまらないですよね……」

 「まさか。そんなことあるわけないじゃないですか」

 「え?」

 「僕が高根さんのことを好きじゃなかったら、付き合いませんし、休日に映画も見に行きませんよ」

 「清水君……」

 「高根さん、僕のケーキもどうぞ、食べてください。映画にこういうシーンがありましたよね」

 少年は自分の皿の上のケーキを、フォークで割って、欠片を目の前の少女へ差し出した。

 「こ、これはそのっ……どういう……」

 「だから、あーんですよ。ほら」

 「そそそ、そんなこと、私……」

 もじもじと視線を泳がせる少女だったが、動じず、フォークを退かさない少年を前に、抵抗を止めた。

 「あーん……んぐ」

 フォークの先端に乗ったケーキを口に含み、閉じる。

 フォークは優しく、そっと引き抜かれた。

 「もぐもぐ……」

 少女がケーキを咀嚼して飲み込むと、少年は訊ねる。

 「味はどうですか? 映画の通りやってみましたけど、これ、やる方も恥ずかしいですね。でも、主人公たちと同じ気持ちになれた気がします。僕は満足です」

 「……吐きたくなるほど不味いです。二度とやらないでください」

 「そんな、酷いいいぃぃ! そこまで言わなくてもおおおおぉぉ!」

 「ご、ごめんなさいっ! 本当に、本当にその、つい……!」

 少女の頭を下げた謝罪に対し、大げさなリアクションをした少年は、何も無かったかのようにミルクティーを啜っていた。

 「分かってますよ高根さん。高根さんも満足してくれたから、そういう風に言っちゃったんですよね。慣れましたから平気です。むしろクセになってきました」

 「え、罵られた方が嬉しいんですか……?」

 「誤解です!! 素直な気持ちをぶつけられた方が嬉しいです!」

 「それが一番難しいですね」

 「ゆっくりやっていきましょう」

 二人は休憩を終えると、空になったカップと皿をその場に残し、会計を済ませ店を出た。

 時刻は昼過ぎ、家に帰るにはまだ早い。

 「これから何するのかな、清水君」

 「高根さんが落ち着きやすい場所がいいですよね。近くに自然公園があるので、そこで食後の散歩でもしませんか。森林浴、みたいな」

 「それはいいですね。私も小さい頃は、家族と出掛けたなぁ」

 「じゃあ」

 少年は、左手を少女に差し出す。

 「……その手は何ですか。私に何をしろって言うんですか」

 「素直な気持ちを言うと、手を繋ぎたいです」

 「だ、だから、手は駄目ですとお伝えしました……けど」

 「慣れないことも、やらなきゃずっと慣れないままですよ。手を繋ぐのが普通になれば、緊張もしませんって」

 「うう……」

 「映画みたいな恋がしたいなら、映画みたいに生きましょう。僕が主人公だったとしたら、ヒロインの高根さんの手を取らないとですね」

 躊躇う少女の手を、少年が半ば無理矢理に掴んで、手を重ね合わせる。

 「あっ──」

 「ここには僕と高根さんの二人しかいないんです。親も、先生も、クラスメイトも誰もいません。……通行人はいますけど。緊張して失敗することを恐れる必要なんて、ないじゃないですか。高根さんがやりたいこと、全部やりましょう」

 「で、でも……その……」

 先を歩き出す少年の言葉に、少女は恥ずかしがりながらも、頷いた。

 「……はいっ」

 少女は少年の手を握り返し、はにかむ。

 二人は自分たちの舞台を見つけ、ようやく、幕を上げる。

 一日だけの、しかし、忘れられぬ一幕を。

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