第3話 委任統治国 

 チャーリア国が正式に国家を建国してから半年ほどしたある日、急に上空から戦闘機が迫ってきていた。時間は早朝で、まったくの奇襲だった。

 チャーリア国というのは、国土は一つの国の首都くらいの広さしかなく、中心部は軍事基地と政府の建物。そしてそのまわりを市民が生活している場所だった。

 まだ領空自体、確定していなかったチャーリア国の防空レーダーが、複数の戦闘機群を捉えたが、まだ軍部には誰もいなかったこともあって、奇襲は見事に成功した。

 奇襲に飛んできた戦闘機は、いうまでもなくアレキサンダー国の国籍機で、軍事施設の一部を爆撃して、すぐに去っていった。彼らにはあからさまに軍事施設を破壊しつくす意図はなかったようだった。

 寝耳に水だったシュルツとチャールズは、ビックリして官邸に入ったが、被害の思っていたよりの少なさに安堵していた。

 実際には、奇襲があるかも知れないという思いもあってか、表に出ていた兵器はほとんどなく、軍事施設の裏にある山に横穴や濠を作って、兵器を隠していた。

 もちろん、チャーリア国は好戦的な国ではない。ただ、攻められれば抵抗できるくらいの軍事力は持っているつもりだった。奇襲をまったく予期していなかったと世間一般には公表したが、それは彼特有の、

「人たらし」

 の一環だった。

 先制攻撃の前には当然あるべき宣戦布告もなかった。そもそも宣戦布告を受けるほど、アレキサンダー国との関係があったというわけではない。これは完全に相手国からのだまし討ちであり、正当な理由などない戦闘行為だった。

 それでもアレキサンダー国は声明を出した。

「チャーリア国は、我が国から軍事力を奪って、自分たちの軍隊にした。これは我が国の軍隊の裏切り行為であり、報復に値するものだ」

 というものだった。

 確かに、チャーリア国の軍というのは、アレキサンダー国にいた元アクアフリーズ国軍のメンバーだった。武器や弾薬までもが自分の国から秘密裏に持ち出されて、アレキサンダー国とすれば、完全に面目を潰された格好になったのだろう。

 シュルツはそれを、

「しめしめ」

 と考えていた。

 元を正せばアレキサンダー国は、自国のクーデター軍も参加している。

「そういう意味では最初に自国の軍を裏切らせたのはアレキサンダー国だ」

 と言いたいところである。

 だが、シュルツはじっとそれを国際社会には提訴しなかった。クーデターが起こって、自国の崩壊に至るまでにした国に対して、自分なりの報復方法が頭に描かれていたからだろう。

 シュルツは、アレキサンダー国の奇襲攻撃を今度こそ国際社会に提訴した。

 その頃には国際社会の間で、国際平和団体という意味のWPCという団体が成立していた。

 この団体は主に、先の大戦で勝利した側の国によって作られたもので、団体を形成しているそれぞれの国が承認しないことは、国家としての犯罪として考えていた。

 その団体にシュルツは提訴することで、アレキサンダー国は、

「何の因果もないはずのチャーリア国に対して、宣戦布告もせずに奇襲した」

 として非難を受けた。

 チャーリア国の狭さを考えれば、領土的野心とは程遠いほどのものに違いないはずなのに、ただ、自軍の裏切りに対しての報復に、独立国として国際社会が認めた国を攻撃するというのは、明らかな暴挙に違いなかった。それでもアレキサンダー国は自国の正当性を訴えていたが、

「攻撃と言っても、完全に機能が停止してしまうような攻撃を加えておりません。我々がこうむった被害を正当に返しただけです」

 と答えたが、国際社会の方では、

「何か、チャーリア国が、アレキサンダー国の軍部を内部から動かしたというような決定的な証拠はあるのかい?」

 と言われて、そんな証拠など存在しないアレキサンダー国は戸惑いを見せた。

「ハッキリとした証拠はありませんが、我が国から出た軍隊が、そのままチャーリア国の軍隊として存在しています。それが私には許せないんです」

 と訴えたが、

「軍が亡命することは、相手国が受け入れてしまうと、その時点で相手国の軍隊になってしまうことはご存じですよね?」

「ええ、知っています」

「だとすると、アレキサンダー国を離れてチャーリア国に入った軍隊を自己所有のような言い方は違うんじゃないですか?」

 と言われて、それ以上の返答に困ってしまった。

 確かに、軍がクーデターを起こしたり、外国に逃れるなどした場合は、受入国があった場合、その国が受け入れてしまうと、その国家の軍となる。そうしないと、今回のような報復が起こってしまうことを考えての国際社会の憲法ともいうべき、いわゆる憲章と呼ばれるものだった。

 この憲章はそのまま国際法として機能した。もっとも国際法というのは慣習にしかすぎず、戦時国際法などは、その時々で解釈が流動していた。しかし、ここに世界共通の団体ができたのだから、憲章という国家間で共通の法律を守るのは当たり前のようになっていた。

 国際平和団体に所属していない国に対しても、この憲章は効果があったのは、それまでの社会から見て、進歩というべきではないだろうか。

 国際平和団体の憲章の中には、

「自国の勝手な解釈で戦争を起こしてはいけない」

 という大前提があり、さらに、

「宣戦布告を行わず戦争状態に持ち込めば、百日以内に停戦に持ち込むめどが立たない場合は、WPCが調停に入り、国家間裁判によって裁定され、賠償問題などはすべてWPCの裁量によるものとする」

 という協約もあった。

 この憲章は国際法として全世界の国に一斉に公開された。アレキサンダー国はもちろん、アルガン国でも、チャーリア国でも認識されていた。ただ、戦闘状態に持ち込んだとしても、百日以内に戦闘行為をやめてしまえば、WPCの介入はない。

 攻撃された国が攻撃した国に賠償を求めて、それが受け入れられない場合は、WPCの裁量が入ってくるが、そうでなければ、何もないのだ。

「短い間であれば、それは戦争ではなく、国家間紛争というだけのことだ」

 ということにされてしまう。

 だが、アレキサンダー国はそれが狙いだった。

 最初に先制攻撃で一撃を加えておいて、その存在を脅しとして牽制したにすぎない。

 攻撃された国としては、いきなり攻撃を受け、さっさと去って行った相手国に対し、どう考えるだろう?

 報復の報復を考えるのだろうが、いきなりの先制攻撃にさすがに口出ししないはずのWPCが警告を与えたのだから、チャーリア国に対しても面目が立ったというものだ。

 アレキサンダー国の奇襲攻撃で被害を受けたと思っているのは、攻撃した当の本人であるアレキサンダー国だけであって、それが、彼らの油断を生んだと言ってもいいかも知れない。

 何しろ国家の狭さ、国家としての体裁は最低限と言っていいほどのものでしかない。世界から見れば、今は珍しくなってしまった、

「私の国」

 ということになるのであろうか。

 この一方的な攻撃は、まだ序章にすぎなかったのだが、チャーリア国に入った元々のアクアフリーズ王国の精鋭部隊といえども、彼らは完全な一枚岩ではなかった。

 クーデターの芽がその時からあったのではないかと思わせる様子が軍部の中であったのだが、それを知っている人はいなかった。だが、チャーリア国にて軍隊の体裁が整っていくうちに、その結束が固まって行ったのは事実のようで、戦闘部隊は本当の意味での精鋭部隊になっていった。

 それがシュルツの狙いでもあった。

 元々アクアフリーズ国にいた頃、自分が軍部の一番上にいたのだから、その空気が存在していたのは感じていた。そして実際にクーデターが発生した時には、

――いよいよ来たか――

 とシュルツは考え、命からがら亡命できたのだが、実際には不穏な雰囲気を感じていたことがシュルツの中で亡命を成功させることには、それほど難しくはないと思っていたようだ。

 しかも、三個師団を率いているのは、一番信頼を置いているマーシャルル司令官である。彼はシュルツの考えに浸透しているというよりも、信仰していると言ってもいいくらいに同じ意見の元、相手は自分の上司でありながら、まるで同志のような気持ちになっていることを誇りに感じていた。

 そういう意味ではまったく違った思想を持ったアレキサンダー国に取り込まれたのは、彼としては不本意だっただろう。

 しかし、

――シュルツがこのままで終わるはずがない――

 という思いを持っていたこともあって、ここから先、自分がこのままアレキサンダー国で終わるはずがないという思いもあった。

 そんな折、秘密ルートを使って、シュルツから連絡があった。

 と言っても、このルートはアクアフリーズ国の時代から存在していたルートであり、アレキサンダー国としては、決して諜報だとは疑わないようになっていた。

 そういう意味で、三個師団の国外への脱出は、さほど難しいものではなかった。アレキサンダー国としても、いきなり自軍の中から脱走部隊が出たということを世界に公表するつもりはなかった。

 もちろん、これだけの部隊が移動するのだから、まったく知られないというのもおかしなもので、どこからか漏れた情報が、悪いことに国際平和団体にまで届いてしまった。

「こうなったら、先制攻撃を加え、自分たちの正当性を証明するしかない」

 として、今回の攻撃に繋がったようだ。

 先制攻撃で相手の出鼻をくじく以外には、方法はないと思った。いくら狭い国土で軍は小規模なものだとはいえ、相手はシュルツだということが分かっていたので、どんな罠が控えているか分かったものではなかった。

 攻撃をするくせにネガティブにしか考えられないのは、シュルツという人間を敵に回して考えてみるとおのずと入り込む落とし穴のようなものだった。

「あいつが何も考えずに行動に起こすわけもない」

 アレキサンダー国の内部には、シュルツに関わっていた人がたくさんいる。その人たちが口を揃えて、

「シュルツ長官は、味方にすればこれほど頼もしい人はいないが、ひとたび敵に回してしまうと、これほど恐ろしいものはない」

 と言っていたのを思い出した。

 アレキサンダー国の首脳のほとんどの人は、その話を聞いて、ゾッとしたに違いない。

「とんでもない相手を敵に回してしまったのか?」

 と考えたのも事実で、

「だが、アクアフリーズ国を併合するのは最初からの計画だったので、これも作戦上仕方のないことだ」

 という意見もあった。

 アクアフリーズ国は、アレキサンダー国にない地下資源はもちろんのこと、国土としても領有することが自国の平和には欠かせないと思っていたのだ。

 つまりはアクアフリーズ国の運命は、隣国でクーデターが発生した時点で決まったようなものだった。

 たった一日の一方的な攻撃を戦争として位置付けるのかという話もあったが、これが第一次戦争として、両国の間に発生した最初の戦争となったのだった。

 アレキサンダー国は、アルガン共和国を後ろ盾に持っているチャーリア国に対して宣戦することを最初は躊躇っていた。相手には百戦錬磨と言ってもいいシュルツがいる。実践経験はさほどあるとは言えないが、何しろ国家の頭脳として軍や政府の統制など、絶対君主の国であったアクアフリーズ王国で、国王を支えるたった一人の全権を託された側近だったのだから、迂闊に戦いを宣することは無謀と言ってもいいだろう。

 しかも、後ろには軍事大国として君臨しているアルガン共和国が存在している。

 アルガン帝国は、アクアフリーズ王国に対しての侵略とは比較にならないほど、国家体制はしっかりとしていた。

 実際にアルガン国は戦争を行っても無敗を誇っていた。ただ、彼らから戦争を仕掛けることはなく、そのほとんどは他国からの侵略であった。最初は本当に領土的野心からの侵略だったが、アルガン国の強さを思い知った他の国は、アルガン国をただ侵略するために戦いを仕掛けることはなくなった。

 アルガン国への戦いは、あくまでも牽制の意味であり、他国への侵略の際に、介入してこないように一度警告をしておくという意味での仕掛けだった。

 確かにアルガン国は軍事大国でいったん戦闘になれば負け知らずだったが、国家の方針としては、完全な平和主義の国であった。

 したがって同盟を結んだり条約の締結には、軍事的な文章は存在しない。あくまでも平和的な意味での締結であり、経済提携が中心だった。

 だが、彼らには世界有数の軍隊があった。彼らは、

「自分たちの権益や尊厳は、自分たちで守る」

 というポリシーを持っている。

 だから、そういう意味では永世中立国と似ている。

 だが、自分たちを永世中立だと宣言しているわけではない。

「どこが違うんだ?」

 と言われると一口で説明できるわけではないが、少なくともアルガン国への侵略や攻撃は、国際社会の秩序を乱すものとして国際的に非難されても仕方のないことである。

 アルガン国は、アクアフリーズ王国とは多数の条約を結んでいた。そのアクアフリーズ国が事実上消滅して、元首だった男によるチャーリア国が建国された。しかも、チャーリア国の建国に深くかかわっているのもアルガン国だということもあり、一番の友好国ということになる。

「我々は、チャーリア国をアクアフリーズ国の後継国として条約を締結する用意がある」

 と早々にアルガン国の首脳は宣言していた。

 そんなアルガン国も元はチャールズ国王の先祖には、大いにお世話になったものであった。

 アルガン国の建国は、アクアフリーズ国よりも後のことで、国家の成立は曖昧なうちに行われた。

 元々このあたりは、昔から体制や宗教、文化風俗に至るまで、ちょうど入り組んでいる地域になっていたので、

「このあたりの統一は難しく、国家を建国するなど、難しいだろう」

 と言われていた。

 国を建国しても、国土や国民は中途半端で、主義主張の違う他民族の国家となり、分裂の危機を絶えず孕んでいた。

 実際にアルガン国ができるまでは、小さな国ができては消え、流動的な国家を象徴していた。

 しかも、最初にできた国家がいつの間にか分裂を繰り返し、元は一国だったにも関わらず、十個以上の小国が成立していて、それぞれに群雄の存在する、

「群雄割拠」

 の時代を迎えていた。

 それぞれの国にいる将軍は、皆他の国なら、十分な国家元首として君臨できる逸材であったにもかかわらず、この地域に生まれたがために、結局自分の手で国家を統一することができず、志半ばで死んでいった人ばかりであった。

 だが、そんな中にも国家を統一できるだけの男は生まれてくるもので、彼の絶対的なカリスマ性はその地域だけのみならず、割拠していた他の地域にも彼への崇拝者は存在し、いつの間にか彼を神のごとき存在になっていたのだ。

 彼は絶対君主制を唱えていた。

「絶対的な力がなければ、この時代を、そして地域を統一することなどできっこないのだ」

 というのが、彼の持論であり、彼は根っからの英雄であった。

 だが、彼が神であり英雄であると言われるゆえんは、彼のカリスマ性によるものだけではなかった。

 彼には緻密な計算ができるだけの頭のよさがあった。頭の回転の素早さは、それこそ神かかっていると言っても過言ではないだろう。

 緻密な計算だけではなく、彼には人たらし的なところもあった。

 普段は魔王のように、まわりの人をピリピリさせていたが、ひとたび彼の信頼を得られれば、その人はそれまでとはまったく違ったオーラをまわりにまき散らすことができた。このオーラは、

「人々を束ねる」

 という意味で絶対的な力があり、神のような存在のカリスマを中心に、まわりにも同じようなカリスマを持った男たちが現れる。彼らが割拠しているところを治めるようになると、群雄割拠だった地域は自然と統一されていき、一つの大きな連邦国が存在するようになる。

 割拠と呼ばれていた部分は「州」や「県」、「省」ではなく、「国家」なのだ。

 そんな体制が数百年と続いた。

 そのうちに、世界は帝国主義を迎える。後進国と言われる未開の地域をこぞって侵略していき、そこに自分たちの植民地を建設していくのだ。

 そこには、植民地を経営することでの経済的な利益と、植民地を支配するという国家としての面目の両方を得ることができる。強大国や列強がその甘い蜜に飛びつくのは当たり前のことであり、

「植民地獲得競争時代」

 と呼ばれる時代を迎えるようになった。

 もちろん、アルガン国の前身国家も、その甘い蜜を見て見ぬふりをするはずはなかった。結構早い段階から植民地獲得競争に名乗りを挙げ、着実に植民地を獲得していく。植民地経営のノウハウもしっかりしていて、植民地からの不満が上がってくることもなかった。

 植民地には植民地の事情があり、その事情にアルガン国の前身国の体制はうまく噛み合っていた。

 植民地と言っても、完全に国家として見下しているわけではなく、条約上は不平等ではあったが、そこに不満が起こることのないよう、植民地の人間たちを差別することはなかった。

 他の列強は、明らかに彼らを下等民族としてのレッテルを貼ることで、彼らにトラウマを植え付けた。

 植民地民族と先進国民族との精神的な開きは、その矛盾を感じさせないほどに開きがあった。

「我々は差別を受けても仕方がないんだ」

 と思っていたのだが、それも仕方のないことだ。

 元々未開の地を支配していた連中も、自国民を同じ人間として考えていないところがほとんどだった。

 完全な身分制度を敷いているところが多く、支配階級と支配される階級とでは差別がハッキリとしていたのだ。婚姻はもちろんのこと、職業の自由もなければ、住む場所も国家に決められていた。いわゆる、

「国民は国家の奴隷」

 と目されていたのだった。

 そんなところに列強が未開地として彼らを上から侵略してくる。元々差別を受けていた連中は、最初こそ見たこともない人種が侵略にやってきたので、恐怖を感じていたが、彼らが攻撃してくるのは自分たちにではなく、国家に対してだった。国家が攻められると、国家は奴隷である国民を盾にして、自分たちは後ろに隠れている。最前線に放り出された国民は、

「どうせ俺たちはこういう運命なんだ」

 と諦めていたようだが、実際には彼らに対しての攻撃は本気のものではなかった。

「君たちに恨みもなければ、殺したくもない。悪いことは言わないから、我々の邪魔をしないでくれ」

 というような内容のビラを配られて、さらにビラの下には、

「君たちにも人権はあるんだ。奴隷ではないんだ」

 と書かれている。

 奴隷としての扱いしかされたことのなかった連中に、すぐにその言葉を理解するのは無理だったが、次第に自分たちを攻撃するわけではない侵略国の軍隊に宥和的な気持ちになってくるのも無理もないこと。次第に彼らの意識改革も進んできた。

 自分たちの存在に疑問を感じてきた国民を説得し、それに成功すると侵略は半分成功したようなものだった。それが植民地経営の基本となっていたのだから、今の時代から考える植民地支配とはかなりの感覚に違いがあることだろう。

 植民地支配を平和的に実現できた国は、それほど多くはなかった。アルガン国の前身を始めとして、半分以下の国しか成功していない。その他の国のほとんどは、いわゆる武力による侵攻で、強引に相手を植民地にしてしまうというやり方だった。

 だが、この方がオーソドックスであり、支配階級の意味をそのまま受け継いだということで、国民にとっては、

「自分たちを支配する相手が変わっただけだ」

 という思いしか残らない。

 したがって、

「どうせ我々には奴隷としての生き方しかないんだ」

 という思いを継続させ、いや、増幅させたと言ってもいいかも知れないそんな状況を、時代は、

「植民地獲得競争時代」

 という名前を与えたのだ。

 植民地時代が終わりを告げて、かつての植民地が独立を争うようになって、世界は宗主国と植民地の間での独立戦争であったり、独立しても、その主義主張の違いから、国家が分裂し、内戦に突入した国がほとんどだった。

 アルガン国も、元々は群雄割拠が存在した戦国時代のあった国、そこで各国に存在した英雄によって、均衡が保たれていたが、それは皮肉な均衡であって、その間、どれほどの人が死んでいったのかを考えると、均衡は平和がもたらしたものではないことは明らかだった。

「そもそも、国家というものが存在している以上、どんなに頑張っても平和などというものは風前の灯ではないだろうか?」

 と言われるようになってきた。

 それは歴史が証明しているということで、これ以上の鉄板な考えはない。

「人は死ぬこと以外に自由はないんだ」

 と言われた奴隷時代、奴隷ではない人たちも、心の中には同じような感覚を抱いていたのではないだろうか。

 アルガン国は、植民地時代の終結を世界が迎えた時、自分たちも植民地としてきた国に対して、解放令を発した。

「君たちは、自由な国家を形成すればいいんだ」

 という主旨の宣言をしたのだが、

 肝心の植民地国は、

「我々を見放さないでください」

 と言ってきた。

「見放しているわけではない。世界の流れに乗っ取って、自由な国家を建設してほしいと言っているんです」

 というと、

「私たちにはそれだけの力はありません」

 と言い返してきた。

 アルガン国も、それくらいのことは分かっている。最初から切り離すようなことはせず、統治権を持ったまま、独立国としての体裁を学んだ国から、自由にすればいいと思っていたのだ。

 その主旨の内容の宣言もしたはずだったが、そこまで分かるほど、植民地国と先進国との差は激しかったのだ。

 さすがにそのことを思い知らされたアルガン国の首脳は、

「分かりました。委任統治ということで、あなたたちが独立できるだけの体制が出来上がるまで、我々が統治権を行使します」

 というと、

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 と言ってきた。

 したがって、今でも統治権を有している相手国もあった。チャーリア国の建国は、そんな事情のアルガン国の元で行われたのだ。

 アルガン国の承認の上で出来上がったチャーリア国は、同盟国としてアルガン国の委任統治国が多数存在した。

「じゃあ、これからの統治権は、このままチャーリア国に移行したいと思いますがいかがですか?」

 と、アルガン国から、チャーリア国、そして委任統治権のある同盟国に対しての提案に、ほとんどの国は従った。

「チャーリア国の上には、アルガン国が控えてくれているので、我々としても悪い話ではない」

 と感じたからで、これがチャーリア国にとっての衛星国として存在意義を持つことで、彼らはチャーリア国にも忠誠を誓うと国として君臨していった。

 その委任統治国はジョイコット国という。彼らには純粋な民族という印象を持っていたが、シュルツには完全に信用できないところがあった。

 シュルツの父親はアクアフリーズ王国に忠誠を誓った人として、官僚の中では英雄視されているが、シュルツのおじさんに当たる人はそうではなかった。国家の要職についている父親と違って、おじさんは養殖にもつけず、就職してもどこでも使い物にならず、すぐクビになっていた。

「弟は飽きっぽくて、すぐになんでも辞めてしまう」

 と父親が言っていたように、口では大きなことを平気でいうが、実際には行動が伴っていない人としてまわりから見られていた。

 そんな人を誰が信用するというのか。まわりからは嘘つきのレッテルを貼られて、誰からも信用されず、同じ人間として見られていなかったようだ。

 そのうちにおじさんは、父親が国家の要職にいることをいいことに、それを公然と口にして就職はできたのだが、すぐに化けの皮が剥がれてしまい、結局人から信用されないのは変わりなかった。

 いや、なまじ兄のことを自分の手柄のごとく宣伝したことで、余計にまわりから、卑屈な男として見られてしまい、さらに信用を無くす結果になってしまった。

 そんなおじさんが失踪してしまったのは、シュルツがまだ十歳にもなっていなかった頃だった。

 シュルツはおじさんが好きだった。よく遊んでくれたし、おじさんの話が面白かったからだ。もしおじさんがいなければ、いくら父親が政府の要職についていたとしても、自分も父親と同じ道を進もうとは思わなかったかも知れない。シュルツが父親と同じ道を目指した理由にはいくつかあるが、おじさんから話してもらった話が面白かったことも大きな影響を持った、

 おじさんの話は世界のさまざまな様子を教えてくれた。その国の歴史を面白おかしく話してくれたり、その国に伝わる伝説なども楽しく話してくれた。

――いろいろな国に行ってみたいな――

 というのが、シュルツ少年の夢になった。

 だが、アクアフリーズ国は、国民が自由に海外に出ることを制限していた。鎖国をしていた時期もあったが、その一番の多くな理由は、当時世界各国にあった「王国」が、革命によって政変を余儀なくされたり、立憲君主の国に生まれ変わったりと、国対の維持が難しくなったからだった。

 そのことはシュルツも十歳満たない頃から分かっていたので、

「どうしておじさんは、そんなにいろいろな国にいけるんだい?」

 と聞いた時、

「おじさんは自由なんだよ。国家なんかに左右されずに、自由に生きているんだ。こんなにいろいろな経験をしている人がこの国にいると想うかい?」

 と言われて、

「いや、いないと思うよ」

 とシュルツ少年は即答だった。

 まわりを見ていて、海外のことを知っている人などどこにもいないように思えた。学校の先生でも、父親の側近の人間でも、彼らが海外を知っているとは思えない。偉い人たちには違いないのだろうが、それはこの国の中にだけであって、広い世界では到底通用するものではないだろう。

 そう思うと、自分の国がちっぽけなものに思えて仕方がなかった。

――こんな国にいても面白くもない――

 と思って、毎日が楽しくないと思っていた。

 だが、この感情はこの国にいると、誰もが避けては通れないものだったようで、遅かれ早かれ、この疑問を感じても仕方のないことだった。

 ほとんどの人は二十歳前後に感じるものだ。学生時代までは自分たちの今の生活に何ら疑問を感じることもなく、完全に教育という言葉の後ろで働いている国家の力になずがまなにされているという状況だった。

 だが、シュルツは十歳に満たない時点でそのことを疑問に感じた。しかし、十歳にも満たない自分に何もすることはできない。分かりきっていることなので、諦めではないが次第に自分の立場を理解するようになってくる。それは二十歳前に同じ感覚になった人と同じなのだが、若すぎるがゆえに、シュルツはその時点から考え方が「大人」になっていたのだ。

 父親を見ていると、

「仕方がないからやっている」

 という諦めの境地からではないことが分かってきた。

――お父さんのどこからそんな感覚が生まれるんだろう?

 父親の態度を見ていると、いやいややっているという雰囲気でもない。やる気が漲っているというわけではないが、そこまで考えてくると、

「自分にできることを精一杯にやっているということに満足しているんだ」

 と感じた。

 シュルツ少年は、そんな父親を見ていて疑問を感じた。

 自分ができることだけを一生懸命にやっているのであれば、さらにその先への欲が出てくるはずなのに、そこで満足してしまう気持ちが分からなかった。

 自分だったら、できないならできないなりに、どうすればできるようになるかを絶えず考えているに違いないと思った。絶えず考えているのだから、少なくとも今の自分と同じような目で見ていれば、容易にその気持ちをくみ取ることができると思っていた。

 それなのに、父親を見ていても、絶えず高みを目指しているという様子が見受けられなかった。完全に目の前のことをこなすことだけで満足していたのだ。

――お父さんは、ここに飽和状態を感じているんだろうか?

 飽和状態というのは、考えるだけ考えて、もうそれ以上考えられないと思える場面をいうのだろう。

 しかし、父親に感じる飽和状態は違う。これ以上考えらないわけではなく、本当に満足していると思えるところだったからだ。

――こんなところで満足するなんて――

 子供から見れば、失望したと言ってもいいくらいだった。

 ずっと尊敬していたはずなのに、尊敬に値しない父親を見つけたようで、自分の中で一番最初に父親に対する矛盾を感じたのはその時だった。

 それ以降、父親に対して何度か矛盾を感じるようになった。

 そのことが、

「いくら親子であっても、考え方がまったく同じというわけではないんだ――

 という当たり前のことに気付かせた。

 こんなことは他の人なら、もっと小さな頃に気付きそうなものなのに、どうしてこんな常識とも言えるようなことにシュルツは感じなかったのだろうか?

 そう思った時、

――いつの間にか洗脳されていたのではないか?

 と感じた最初だった。

 父親を見ていると、そのまわりにいる人も同じ考えで固まっているようにしか見えない。

――それでいいんだ――

 とずっと思ってきたが、そう思えば思うほど、おじさんの話が面白かったことを思い出す。

――おじさんの話って本当なんだろうか?

 尊敬している父や、まわりの人を見ている限り、おじさんの話には信憑性を感じられない。

「そんな話、信じるんじゃない」

 と、無言でまわりから言われているようだ。

 だが、そう思えば思うほど、信じちゃいけないという言葉のどこに信憑性を感じられるというのだろうか。

「いいか、お前はこのまま私を見ながら。この国を支えられるような男になるんだぞ」

 と父親から言われていた。

 だが、父親に矛盾を感じるようになって、

――お父さんの様子から、この国を支えているという意識が見えてこないのはどうしてなんだろう?

 と思うようになると、この国には、自分の知らない何かの魔力が潜んでいるようにも思えてきたのだ。

 相変わらず、この国にいる以上、他の国の情報は入ってこない。学校の授業で、世界のことも勉強するが、あくまでも世界史という観点からで、現在の政治体制などは、この国のことしか教えてくれない。

 教えてくれる現代のことといえば、あくまでも地理的なことであって、どの地方では何が取れるであったり、どんな地形なのかということと、我が国に友好的な国については教えてはくれるが、それ以外の国は、どんな人種が住んでいるのかすら教えてはくれない。

 学校を優秀な成績で卒業し、実際に国の要職に入ることができたシュルツは、国王つきの秘書的な立場になった。

 その時になって初めて父が今の自分と同じポストにあり、同じ目でまわりを見ていたのかということが分かった。

 自分も同じ立場になったシュルツは、やっとその時、父の気持ちが分かった気がした。

 そして同時におじさんの気持ちも分かってきた。

――あの時のおじさんの話は、半分は本当だったんだけど、半分はウソだったんだな――

 と感じた。

 おじさんは知っていることは隠さず話さなければいけないと感じているタイプなのだろうが相手が政府要職についている兄の子供ということで、おじさんなりのジレンマを感じていたのだろう。

 シュルツはそのジレンマの正体をハッキリとは知らない。だが、誰よりも一番分かっているということは間違いないと思っている。なぜならシュルツの中にもジレンマや矛盾が存在していて、その元凶となっているのが、この時のおじさんに感じた矛盾やジレンマだったからである。

 アクラフリーズ国には、他の国からの諜報部員が潜入していることは危惧されたことであった。諜報部員とはいわゆるスパイのことであり、国家機密にしていることを、いとも簡単に盗み出し、自国に持ち帰って、外交のカードに使ったり、戦争になった際に、自分たちが有利に立ち振る舞えるようなその国の最高国家機密なども含まれている。

 アクアフリーズ国にもスパイは頻繁にやってきていた。特に隣国のグレートバリア国からは頻繁だった。

 ただ、スパイ行為は自分たちアクアフリーズ国もやっていて、要するに相手の諜報に関してはお互い様というべきであった。

 だが、これは実際に戦争になった時には、大切なことだった。

 どんなに兵器が優秀であったり、部隊が精鋭であったとしても、その情報が相手に漏れてしまっていれば、その時点で負けは確定したようなものだと言ってもいいだろう。

 アクアフリーズ王国が崩壊してしまった今となっても、シュルツとチャールズが生きている限り、彼らに対してのスパイは収まることはない。特にチャーリア国の建国は、アレキサンダー国にとっては寝耳に水だったに違いない。

「叩き潰したつもりだったのに」

 と思っていることだろう。

 前々から計画し、クーデターを起こした時から始まった一連の革命は、今まだ半ばなのに違いない。

 最初に革命を起こしたのは彼らだったが、革命の余波は至るところに浸透していて、その一環としてチャーリア国も生まれたと考えていいだろう。しかし、チャーリア国の建国まで革命側が予知していたかというと、そこまでは考えていなかったように思えた。

 アレキサンダー国もチャーリア国も、この革命から生まれた国家だが、その建国に至るまでの過程はまったく違う。

 チャーリア国には母国が存在し、母国は革命軍の傀儡とされてしまってはいたが、国王であるチャールズにとっては、かけがえのない先祖代々の母国なのだ。

――チャールズ様は、ご先祖様に申し訳ないとお考えなんだろうな――

 とシュルツはチャールズの心境を思い図り、その胸中を哀れに感じていた。

 ただ今は、チャールズ国の国家元首として君臨しなければならず、委任統治国としてのジョイコット国も存在する。

 彼らは完全な未開の土地であり、今まで国家という体制の中で、トップに君臨してきた自分たちにはまったく縁のなかった地域である。

――チャールズ様は、映像すら見たことはないんだろうな――

 国王として君臨している人間は、下等民族と思しき民族を見ることはない。

 当然、身分の違う国であり、彼らと一生関わることなく生きている自分たちが見る必要などまったくないからだ。

 底辺を地平線に平行にじたばたしなから生きている連中と、下から見上げられる立場で、同じく地平線に平行である皇室にとっては、

「交わることのない平行線」

 がずっと続いていくだけのことだった。

 そのどちらも矛盾を抱えているはずなのに、矛盾を意識することもなく、矛盾を意識することができないから、陥ってしまったジレンマの正体が何であるのかということを、一生分からずに過ごしていくのだ。

 シュルツは、そのことをおじさんから幼い頃に教えられた。だから今そのことを感じているチャールズとは、考え方という面で天と地の違いがあるように思っている。

――チャールズ様と今の自分が感じている矛盾というのは、本当に同じものなんだろうか?

 とシュルツは感じ、その基本になっているのは、

――元々、皆が感じると言われるジレンマというものも、本当に皆同じものなんだろうか?

 と感じた。

 そもそもこれが同じだという前提でない限り、先を考えることはできないに違いないと思うからだ。

 委任統治というのは、WPCが発足してから考えられた考え方で、ジョイコット国のように未開で、とても自分たちだけでの独立などありえない国を、WPCの公認により委任性での統治権を保有するというもの。

 国によっては、統治している国が多いため、いくら連盟によって指名されたからと言って、統治を請け負わなければいけないことに不満な国もある。

 確かに委任に際しては国際的な立場の保障であったり、貿易間での優遇がかなり受けられるという利点もあるが、最初からそれに代わるものを持っている国からすれば、委任統治などというものは、

「ありがた迷惑」

 以外の何者でもなかった。

 だが、ほとんどの国は委任統治権を得ることで、国際的な地位が不動のものになることを喜びとしていた、特に建国間もないチャーリア国には降って湧いたような話であり、光栄以外の何者でもなかった。

 チャーリア国を全面的にバックアップしているアルガン国の後押しの強さ、そしてチャーリア国のシュルツ首相の国際的な信用が大きかったのだろうが、逆の意味としては、ジョイコット国というのが世界の中でのお荷物で、統治を任される国は貧乏くじのように思われていたこともあって、その大任が自国に来なかったことで、列強はホッと胸を撫で下ろしたことだろう。そういう意味でこの決定に不満をいう国が存在するわけもなく、委任権は全会一致で承認された。

 ただ、アレキサンダー国が黙って承認したとは思えなかったが、自分たちも建国間もなく、しかも革命政権による建国なので、自分たちの国に対しての国際社会の反応も微妙なものであった。

 そんな状態で他の国を批判するということは国際的な孤立を招きかねないという意味で、自殺行為に匹敵する。それを思うと、黙って従うしかしょうがなかったのだ。

 悲喜こもごもの考えがある中で、委任統治権を得たチャーリア国だったが、さすがにジョイコックという国に入ったシュルツは閉口しないわけにはいかなかった。

 未開とは聞いていたが、首都に入ってみたものの、そこは中心部からスラム街の様相を呈していて、とても独立国家になれるだけの体裁を整えているわけではなかった。

「こんなところを、チャールズ様に見せるわけにはいかない」

 と言いながら市内を視察していたが、そのうちに国家首脳が車でやってきた。

「これはこれはチャーリア国のシュルツ様ですね。こんなところをお見せしてしまって、恥ずかしい限りです」

 と言って恐縮していた。

 彼らは、絶えず頭を下げていた。

――そこまで卑屈にならなくても――

 と、いくら劣等国とはいえ、国家首脳なのだから、ここまで卑屈になってしまえば、国民感情も分かろうというものだ。

 国民を見ていると、誰もこちらを見ようとは思っていない。わざと目を逸らしているわけではなく、意識していないのだ。見えているのは間違いないのだろうが、そこに誰がいたとしても、気にしていない。

――ひょっとすると、このまま殺されても誰も無視したままなのかも知れないな――

 と感じたほどだ。

 シュルツが知っている人間としての最低限の感情すら彼らにはない。それを見てしまうと、なるほど国家首脳がこれほど萎縮している理由も分からないわけではない。

――この人たちは我々を恐れているんだ――

 まったく違った人種が、攻めてきたような感覚なのだろう。

――我々が他国から侵略を受けた感覚よりもさらにひどい。まるで宇宙から侵略された感覚になっているのではないだろうか?

 同じ人間をまったく別の生物のように感じている感覚が、国家首脳にすらあるということにシュルツは大いにショックを覚えた。

――これは一筋縄ではいかないな――

 と感じたのだ。

 そう思うと、百年以上前に先祖が植民地獲得競争に明け暮れた時代も致し方のないことのように思えてきた。未開の人種を自分たちで洗脳し、利益だけを貪り、現地民を奴隷にしてしまえば、これ以上の経営はないというものだ。列強を侵略するよりもよほど被害は少なく、得られる利益は莫大である。しかも、労働力も同時に手に入れることができるのだ。意識改革するまでもなく、ただ恐怖の中で操ればいいだけだからだ。

 しかし、今の時代はそんな植民地時代の反省から、人種差別や国家に対しての劣等感を持ってはいけないことになっている。

 認められたのはあくまでも委任統治権であり、植民地のように自分たちの好きなように染めることができないのだ。

 まずは、意識改革が必須になってくる。彼らにとっての国家というものの考え方、それ以前に自分たちが我々と同じ人間であるということを教え込まなければいけない。

 考えてみれば、いまだにこんな未開の国が存在するということは、それだけ植民地時代に彼らに対して意識改革は行われなかったという証拠であり、あくまでも植民地経営とは、相手国の国民を奴隷として、自分たちの利益になるものを得るだけにとどまっていた証拠である。

 ただ、それも当然のことで、下手に意識改革をして人間というもののあり方を教えてしまうと自分の今の立場に疑問を持つ連中が生まれ、それが革命分子となり、クーデターの火種になりかねないからだ。

 これは帝国主義時代の前にあった封建的な時代から受け継がれているものだ。

 封建社会というのは、主と従の間でそれぞれに無言の契約が成立している。主は従者に対して土地を与えて、その生命の危機を守ることにあった。また従者は声明を守ってもらう見返りに、主に対して忠誠を誓う。もっとも声明を守るというのは、その時代では土地を確保できるということで、このケースバイケースが土地単位から国家の単位に拡大したものが封建制度というべきであろう。まだ植民地のような奴隷制度に比べればマシな方だと言えるのではないだろうか。

 ジョイコット国の場合は、どうやら植民地になるまでは、世界のどの国もその存在を知らなかったようだ。植民地時代を築くきっかけになった列強による大航海時代に初めて見つかった国である。

 この国は本当の未開の国で、まだ人を食べるという風習もあったくらいだ。だから彼らの国にはモラルというものは存在しない。いくつかの部落で形成されたところであったが、それぞれに秩序は違っていた。

 これもモラルと一緒で、秩序と言えるものなのかどうか分からない。国家などという形のものはなかった。我々の遠い先祖、つまり数千年前の状態が、現在まで引き継がれてきたというべきで、当然言葉などもなく、文字すら存在していなかった。

 それを植民地時代に、文字と言葉は教えられ、しかも宗主国以外の国家は認めないとまで言われていたようだ。

 そんな国の宗主国であった国は、さきの大戦で配線国となった。だから委任統治の権利すらなくなってしまったのだ。

 ほとんどの国は、当然貧乏くじだと思ったことだろう。どこの国に依頼しても、拒否の体制だった。

 WPCというのは連盟としては国家よりも上の立場にあった。そうでなければ、当然連盟としての経営をやっていけるはずもなく、国家間の紛争を纏めたり、命令が紛争に対して強制力のあるものでなければ連盟の意味をなさないからだ。

 だが、国家には法人格のようなものが存在し、人と同じように権利と義務が存在する。紛争が起こって強制力があることで、国家には義務が生じることになるが、逆に依頼や命令に対して、拒否権がないのは権利と義務のバランスという意味では不公平である。そういう意味で、紛争などのような緊急性や他国に影響を及ぼすような重大事には拒否権は認められないが、それ以外の依頼に近い命令であれば、各国家は今日比肩を発動することができる。

 他の国が委任統治権について拒否権を行使することは最初から分かっていたことだ、連盟としてはこの問題は大きな問題として考えていた。

 今のままのジョイコット国は、別に大きな紛争の火種になることはなかったが、連盟の調べで、ジョイコット国の地下には、かなりの天然資源が眠っていることが分かった。

 今はそのことを公表していない。

 公表すれば、手のひらを返したように委任統治を言ってくる国が殺到するだろう。しかしそれはジョイコット国にとって決していいことだとは言えない。下手をすると地下資源を巡って紛争が起こらないとも限らず、どこかの国が委任統治と決まれば、まず間違いなく敵対している国が侵略の刃を向けてくることも明らかだった。

 対戦が終わってから数十年が経ち、すでに過去のことになりつつあった世界情勢だが、一歩間違えれば一触即発を秘めているのは、対戦が終わってからずっとのことだった。

「それだけ世界は安定していないんだ」

 とほとんどの国の首脳は分かっていた。

 だから自分たちから戦端と開くことをしない。下手に攻め込んで二国間の戦争が他国に飛び火して、予想もしない展開になることが恐ろしかったのだ。

 そのわりには革命やクーデターは結構起こる。一つの国で少しでも一党独裁の傾向が見えてくると、

「出る杭は打たれる」

 という意味で、クーデターの対象となってしまう。

「そういえば、大戦が終わってから、世界地図はまったく違うものになったな」

 と言っていた連盟の首脳がいたが、まさにその通りだった。

 それまでの植民地国家の間で独立機運が高まり、元々の宗主国との間に独立戦争が持ち上がったりした。

 さらに、世界はいくつかの体制に分かれてしまって、それぞれどこかに所属しなければ、国家として成り立たない状態にもなってきた。貿易においても完全に劣等扱いされてしまうと、すぐさま経済が行き詰ってしまい、どこかの国に頼るしか国家存続ができなくなる。そうなるのであれば、最初からどこかの体制に所属しておく方が無難なのは、誰が考えても明らかなことだった。

 ジョイコット国の運命は、その時には決定していなかった。

 まだまだ国家としての体制も整っていない国のことなど、世界再編の混乱の中で誰が考えよう。自国のことで精いっぱい、時代に乗り遅れれば、国家の消滅が現実味を帯びてくるからだった。

 そんな中、シュルツはジョイコット国のことを気にはしていた。今回初めて足を踏み入れてショックを受けはしたが、まったく想像していなかったわけではない。いくら自国のことだけで精いっぱいだったとはいえ、彼らの国を気にするところがまったくないというのは、それだけ存在すら意識されていない国だったのだ。

「まるで道端に落ちている石のようじゃないか」

 と言えた。

 道端の石は、そこにあっても当然のことであり、だから誰にもその存在を意識されることはない。

 なかったとしても、別に困ることもない。あればあったで別に何かが変わるわけではない。そんな存在がジョイコット国だったのだ。

 それでも地図には乗っていた。国家としての名前も存在している。

「ただ、未開の地というだけのこと」

 と思ってシュルツはジョイコット国に足を踏み入れたが、それまでに自分が感じたことのないショックを感じることになろうなど、思いもしなかった。

 シュルツは、それまでにいろいろな経験をしていた。

 まわりから見れば、両極端で、

「あいつは波乱万丈の人生を歩んでいる」

 という人もいれば、

「いやいや、我々一般庶民とは違って、雲の上を歩いているような人生を歩んでいるんだよ」

 という人もいる。

 シュルツ本人は、そのどちらも間違いであり、正解だと思っている。

 確かに波乱万丈だと言える人生だった。それは下々の連中には分からないことを自分が経験しているという意味での考えだが、実際に下々の人の人生を調べてみると自分とは比べものにならないほど、人との間でいろいろな人生があった。

 つまりは、シュルツには人との関わりがほとんどなかったのだ。

 国家首脳の人とはそれなりに関わりはあったし、チャールズとは同じように育ってきたような感覚だった。だが、下々の連中との確執もなければ、感情を通わせたこともない。それを思うと、両極端な意見は、そのどちらも間違っているようであり、正解だと言えるのではないかと思っている。

 シュルツにとってジョイコット国は、

「まるで自分のようだ」

 と思えるところがあった。

 頂点と底辺という意味での違いはあるが、どちらも庶民とは一線を画して存在してきた二人である。

 そういう意味で、シュルツほどジョイコット国の委任統治にふさわしい男はいないと言えるのではないだろうか。

 ただ、それはジョイコット国の立場から考えてのことで、シュルツにとって果たして利益になることであろうか?

「百害あって一利なし」

 というのであれば、さすがにシュルツも拒否権を発したであろう。

 いくら自分たちの国が新興国であり、国際社会に認めてもらうことが急務だとはいえ、それに似合う条件には程遠いジョイコット国の内情は、いかんともしがたいものではないだろうか。

「だけど、利用することはできる」

 植民地時代とは違うのだから、利用という考えを委任統治に持ち込んではいけないのだろうが、それくらいのハンデがなければ、ジョイコット国に関わる理由がなくなってしまう。少なくともチャールズに納得させる必要があるので、ここでの利用という言葉は、その欺瞞だと言ってもいいだろう。

 チャーリア国とアレキサンダー国との間で戦端が開かれたのは、チャールズ国建国から二年目のことだった。この頃の戦争は、今までのような新鋭の兵器による大量殺戮の時代ではなくなっていた。時代は百年以上前にさかのぼったかのように、航空機は偵察用であり、戦車も装甲車程度の役割になっていた。

 これは、核戦争の恐怖を回避させるもので、今から五十年ほど前に起こった核戦争の危機に直面した事態が、今頃になって教訓となって現れたのだ。

 核戦争は人類滅亡を意味している。片方が一発発射すれば、その報復が行われ、次第に収拾がつかなくなるのは必至で、最後にはこの地球上から生命が存在することを許さないほどに放射能汚染が行われ、最後に何が残るのか、想像しただけでもおぞましいものだった。

 つまり核戦争は、

「開けてはいけないパンドラの匣」

 なのだ。

 そんなことは核兵器を開発された時に分かっていたはずではないか。しかし、核軍拡は行われ、

「持っていれば、それだけで平和が守れる」

 と謳われてきた。

 しかし、一触即発の核戦争の危機を人類が経験した時、その考えが初めて間違いだったことに気付く。人類とは何とも愚かな動物ではないか。

 動物なら本能で気付きそうなものだが、それほどに人間には自分たちが動物だという意識がないのだろう。

 もちろん、核兵器を開発した科学者には、核がパンドラの匣だということは重々分かっていたことだろう。しかし、それを批判できるだけの状態ではない。自分たちは国家から強制されて研究を続けているだけであって、彼らの言葉は一律に、

「これで平和になるんだ」

 というものだった。

 その言葉には、説得力があった。少なくとも一般市民や政治家にはそう思うだけの根拠もあったことだろう。だが、その根拠とは、自分たちの正当性が根底にあることから立ち上がった根拠であり、自分勝手な根拠でしかないことを誰も気付かない。

 ただ、その根拠は人に押し付けられたものでもなく、人を押し付けるものでもない。誰もが信じて疑わない発想こそ、説得力となり、誰も反対意見のないことが、真実として君臨させていたのだろう。

――本当に誰も疑いを抱かなかったのだろうか?

 科学者は考えていた。

 その中での科学者の一致した考えをして、

「開発を命じた国家元首には、この根拠であったり信憑性を一番疑っていたのかも知れない」

 というものだった。

 なぜなら、最初に考えた人間は、最初に考えたその時、誰からも何も言われるはずもないからだ。なぜなら自分が一番最初であり、他人が知るところではないからだった。

 国家元首は、

「戦争を終わらせるためのカンフル剤になれば」

 と期待していた。

 このまま泥沼の戦争を継続していては、自軍の兵士が無駄に死んでいくことになると考えたからで、しかも相手は、死をも恐れぬゲリラ戦を繰り返している連中なので、どこにどのように潜んでいるか分からない。その場に潜んでいるだけで恐怖が最高潮になってしまい、気も狂わんばかりの状況に追い込まれた兵士は、その進軍の中で、人道を逸した行動に出ることも少なくない。

「明日には死んでいるかも知れない」

 という恐怖が、モラルや道徳などというものを欠落させる。

 進軍する中で村と見れば、略奪、強姦、強盗、殺戮と、ありとあらゆる悪行を行ってもなんとも思わなくなってしまっていた。これが人間を最大のハイの状態に持っていくということであり、そもそも軍隊というのが何のために存在しているのかということを分からなくさせるほどであった。

 そんな悪行を政府も黙認している。

 下手に規制してしまうと、軍の士気は完全に下がってしまい、そもそもの軍としての機能は果たせなくなってしまう。

「軍隊は、国を守るためにあるんだ」

 とは、国家首脳の考えであろうが、そこには国と国民を結びつけるという考えが本当にあるのかどうか疑問だった。

 戦争というのは、平時には考えられない精神状態を生み出し、そもそもの戦争に突入した大義すら忘れ去られてしまうのが、戦争というものだろう。そう思うと、

「一度戦争を始めてしまうと、終わらせるのが困難だというのも理解できる」

 というものだった。

 戦争は始めるよりも終わらせる方が難しいというのは、政府首脳にも分かっている。

 完全に相手よりも自軍の方が強く、少々の時間さえあれば、相手を完膚なきまでやっつけることができるのであれば、終わらせることを考える必要もないだろう。

 だが、それでも辞め時というものがあるというものだ。

 戦争を行くところまで行ってしまうと、そこに待っているのは廃墟と一つの国家の滅亡である。そこまでやってしまうと、国際社会からの批判は免れないだろう。完全に弱い者いじめにしか見えないので、いくら大義名分があったとしても、見方によっては侵略にしか見えないからだ。

 相手が弱ければ弱いほど、何とか滅亡を逃れようと、いろいろな工作をするだろう。その一つとしては、自分たちが攻め込まれているということを宣伝することであり、彼らが暴挙を行った様子を撮影し、それをプロパガンダ映像として編集して世界にばらまけば、正義がどちらにあるか、国際社会も考えることだろう。

 なまじ圧倒的な強さを誇っている国ほど、そのことに気付かないものだ。

「相手を完膚なきまでにやっつけて、そのうえで講和に持ち込めば、すべての要求は満たされるだろう」

 という単純な考えしかないのだ。

 かつての帝国主義時代の戦争であれば、そんなこともあったかも知れない。

 しかし、人類は世界大戦を教訓に、戦争をするにも秩序とモラルを守ることを優先していた。

 戦争に大義が必要なのは当たり前のことだが、それを国際社会が認めなければ、それは侵略でしかないのだ。

 そんな社会状況の中で、世界は三大強国がそれぞれの体制を世界に展開していた。

 途中までは二国間だったのだが、信仰国家が宗教団体を背景にもう一つの大きな組織を国家ぐるみで作ったのだ。

 体制が二つの時よりも三つになってしまったことで、三つ巴の様相を呈してきて、三すくみを形成した。どこかが強くなるとバランスが崩れて、どこかの体制を崩そうとしても、もう一つの勢力から自分たちが攻め込まれる。完全に三つの体制は三すくみを形成していた。

 この状態で核戦争を考えた時、体制が二つの時よりも、もっと切実な問題になっていた。それは三すくみの状態を崩すには、絶対的な兵器の使用しかありえない。だが、自分たちが使うと、もう一つの国が報復でこちらに打ってくるだろう。そうなると、最初に打たれた方は、目標をこちらに向けているわけではないので、発射はもう一つの体制の方になるだろう。完全に三角形の打ち合いで、世界の滅亡を意味していた。

 これは体制が二つの時よりも切実な問題だった。

「不測の事態が起こるとすれば、それだけ体制がたくさんあることが条件だ」

 と言われていたが、まさしくその通りだ。

「そのためにWPCが発足したのに、実際にはその力が及んでいない」

 と、それぞれの体制の宗主国は思っていた。

 国際会議に出ても、議題はあっても、その結論が出ることはない。それぞれの体制が相手を認めようとしないからだ。

「ここで認めてしまっては、負けを意味する」

 そして自分たちの体制の消滅が、そのまま核戦争を引き起こすと、真剣に三つの体制の宗主国は考えていた。

 そのため、

「戦争を起こす時は、最新鋭の兵器を使用することを禁じる」

 と言われてきた。

 そのうちに戦争は百年前の、大量殺戮兵器が生まれる前に戻ってしまった。

 陸軍は歩兵や騎兵が中心で、自動車も装甲車やバイクが中心だった。

 さすがに百年前とまったく同じとは言わない。兵器を使用することはあるが、相手を大量に殺戮することは許されないだけだった。要するに、

「宝の持ち腐れ」

 なのだ。

 戦争は塹壕戦が主だった。

 つまりは持久戦ということを意味していて、大量虐殺はないが、兵士にはそれだけ長期間の緊張と恐怖が植え込まれていくことになった。

 そんな状態で民間人への殺戮や強姦、略奪がなくなってしまうと兵の士気は地に落ちることだろう。上層部も完全に禁止することはできず、ある程度放任状態になっていた。

「こんな世界をかつての世界大戦を戦った人は想像もしなかっただろうに」

 と一部の兵は思っていた。

 せっかく世界大戦を戦っていたのは、

「この戦争が終われば、世界は恒久平和が訪れる」

 と思っていた人もいるだろう。

 ただ、戦争という異常な状態で、そんなことを考えていた人がどれだけいるか疑問だ。しかし、この精神が軍の士気や軍紀を強固なものとして、最悪の虐殺を防いだという意見もあった。

 しかし、大戦が終わると、それまでくすんでいた火が、燃えあがった。つまりは戦争というのは一つが終わっても、燻っていたものが燻りだされただけで、ドミノ現象のように半永久的に続いていくものなのだろう。

 塹壕戦を戦うことで、兵士はそれまでのストレスが次第に精神を空白にしていった。

「やつらは戦うマシーンとなってしまったのだ」

 と科学者に評されたが、まさしくその通りだ。

 アレキサンダー国もチャーリア国も、お互いに相手を侵攻しようとは思わず、国境付近で睨みあっているだけだった。

「いつかは戦端が開かれてしまう」

 と両国の軍幹部はそう思っていて、政府に総動員を求めたが、

「今はその時ではない」

 として、どちらも相手にしなかった。

 アレキサンダー国は、額面上のことであり、一種の油断だったのだが、チャーリア国の方は、相手を刺激しないことを前提に、できるだけ外交でことにあたろうと思っていたようだ。

 外相同士の話し合いも何度も持たれたが、ほとんどいつも平行線でしかなかった。

 シュルツが自ら出向くこともあったが、アレキサンダー国はチャーリア国を完全に下等な国家として見ていて、戦争の勃発に委任統治国であるジョイコット国が戦争に関わっているという意識を相手に感じさせないようにしていた。

 だが、ジョイコット国の存在がお互いの国を一触即発にしていることはシュルツには分かっていた。チャールズにもそのことは話していたが、

「だったら、ジョイコット国を手放せばいいじゃないか」

 と言われたが、

「あの国は、今の状態では利用価値はほとんどありませんが、いずれ我が国にとって重要な役割を果たす国になると私は思っています。今は火種になりかねない存在だけど、手放すことは許されません」

 というと、

「そんなものなのかな?」

 とチャールズは納得がいかないようだったが、

「そうです。あの国は我が国にとってんp切り札になります。それをアレキサンダー国が分かっているかどうかは分かりませんが、少なくとも相手国もジョイコット国の存在を気にしているにはそれなりの理由があると思われます」

「どんな理由なんだい?」

「それは今のところ分かりませんが、相手も一触即発を覚悟の上でジョイコット国を意識させているんだから、重要だということです」

「アレキサンダー国は我が国と戦争をしたいんじゃないのか?」

「その考えもあるでしょうが、総合的に考えて、まだ時期尚早だと思われます。時期がずれ込めばずれ込むほど、アレキサンダー国には不利な状況になるということを分かっていると思いますからね」

「どうして?」

「そうじゃないと、こんなに挑発してきませんよ。相手は戦争をしたがっているんです。しかも、自分たちから仕掛けたのではその時点で負けだと思っているんでしょうね。こちらから仕掛けるように誘導しているのは分かっています。今はその挑発に乗ってはいけません。時期がくれば、こちらも十分な準備をして事に当たるということが必要です。そういう意味で、今はお互いに一触即発という不測の事態を招かないようにしないといけないんですよ」

「もし、不測の事態から戦争に突入したら、どっちが不利なのかな?」

「それは明らかにアレキサンダー国です。不測の事態であれば、こっちにも大義名分ができますからね」

「ということは、今はこちらには大義はないと?」

「ええ、ありません。だから挑発に乗るわけにはいかないんです」

 シュルツは、戦端が開かれるのを待っているのか、それとも不測の事態を待っているのか、今はその時期ではないと強調するだけだった。

 そんな状態を相手はどう思っているのだろう? 痺れを切らしているのか、それとも、こちらの出方を見切ろうとしているのか、こちらが手の内を表さないのと同様に、相手もこちらからは何を考えているのか分からなかった。

 戦端が開かれたのは、本当に些細なことだった。

 しかも、それは誤認が招いたことであり、近くに野営していた陣地から照射を受けたと勘違いした下士官が、上官の命令を待つまでもなく、反撃したのだ。

 その行為は明らかに軍紀に反したものだったが、実際に戦闘になってしまうと、戦端が開かれたきっかけなど関係なかった。一部での紛争には違いなかったが、その情報はすぐにシュルツとチャールズの元にもたらされ、シュルツは最前線に急ぎやってきた。

 ここが今までの戦争とは違うところだった。

 政府首脳は本部にいて、事実関係の確認は軍部の報告に任されていたのが今までの慣例だったが、シュルツは自らが現地に出向くことを選んだ。元々軍首脳だったシュルツなので、最前線にやってきての確認が大切だと思っていた。

 だが、今までにも政府首脳が軍部出身というのはよくあることだった。それでも軍と政府は別物という発想から、政府が軍の方針に介入することはなるべく避けられた。

 これまでは軍部の独断専行を招きかねない状況にならないように、軍部は政府決定にだけしか行動できないという法律が一般的だった。それを軍紀として意思統一され、違反すれば軍法会議が開かれ、処罰が課せられるのは必至だったからである。

 国家にとって軍部は、基本的に自国民を守るのが理念だと思われていた。しかし、ほとんどの国の軍部は、国民の生命や財産、さらには権利を守るというよりも、国対を優先して、国の権益が第一で、個人はその次に置かれていた。そのため、一般市民の間で軍部というとあまり人気のないところであり、国家総動員でもなければ、軍に志願することはなかっただろう。

 いまどき徴兵制の国はあまりない。細かい内紛が続いている国は存在しているが、国家ぐるみで、どこかと国家間戦争を行う時代ではないからだった。平和ではありながら、何かあった時に国を守る軍隊に国民に入隊義務を課すのは国家としては難しかったのだ。

 逆に志願兵で固められた軍隊は、少数精鋭というべきか、軍紀をしっかり守って、団結新も固かった。ただ、平和が続いていたこともあって、なかなか有事に迅速な行動を取れるかどうかが懸念されていたが、チャーリア国の軍隊は一糸乱れぬ軍律を持って敵に対した。

 そんなこともあって、相手も迂闊に攻めてくることはできなかった。敵の軍は圧倒的にチャーリア国に比べて人数も多く、兵器も充実していた。

 しかし、この軍勢の違いによって優劣がもたらされるのは、もっと大規模な戦闘の時であろう。小規模な衝突くらいであれば、数の有利は通用しない。

 戦況は一進一退で、どちらが有利というわけではなかった。こう着状態に入ってしまうと、その後には長期戦も辞さないという考えが、両軍に蔓延し、あとは政府の外交によっての解決を待つ状態と言ってもいいだろう。

 シュルツは最前線に入って戦況を分析したが、

「なるほど、このままではこちらが明らかに不利だな」

 と言って、少し考え込んだ。

「申し訳ございません。私がもう少し気を付けていれば」

 と、司令官は完全に恐縮している。

「いや、いいんだ。君が恐縮する必要はない。むしろ君も戦端の原因になった兵士も、そんなに恐縮する必要はない。相手の照射による報復という内容をそのまま貫いていただきたい。政府としても、その線で交渉に向かいたいと思う」

 とシュルツは言った。

 シュルツは前線を確認し、こう着状態に入ってはいるので、すぐに戦闘が再開されることはないと思い、そのまま踵を返して政府に戻った。

 すぐに閣議が開かれて、

「このまま、我が国の体制としては、照射を受けたということを全面に押し出した外交を行う。もちろん、そのために交渉が長引くかも知れないが、それも仕方のないこと。我が国はまだ建国して間がない。体制が変わっただけのアレキサンダー国とは違うのだ」

 とシュルツは言った。


「お言葉ですが、体制が変わっただけでも大きなことだと思いますが」

 と、陸軍大臣が口を挟んだ。

「確かにそうだが、それは内部的なことでの意見であり、外から見れば、首脳が変わったわけではない。相手が同じ人間だということは、前の体制であっても、自分の意見に変わりはないはず、だから今の体制で彼らはやっと自分の考えを正直に表に出すことができるようになったことで、有頂天になっていることだろう。外交交渉的にはそこが付け目なんだ。外務大臣はそのあたりを考慮に入れて、交渉していただきたい」

「はい、分かりました」

 と、外務大臣は納得Sいたようだ。

「我々軍部はどういたしましょう?」

 と陸軍大臣は、よほど自分の隊が誤認したという事実に萎縮してしまっているようだ。

「前にも最前線で訓示をしたと思うが、あくまでも相手が照射してきたということを貫いていただきたい。いかにも誤認というわけではなかったんだろう? 少なくとも照射という行為が行われたので相手に打ち込んだ、打ち込んだという事実が先走りしてしまったことで、照射されたという事実の影が薄くなったようなんだが、ここが重要なんだよ。君も外交にしたがって、今後は行動していただきたい」

 とシュルツは言った。

 結局閣議では、

「照射を受けたので報復したということを前提に、和平交渉に入る」

 と決定された。

 幸いに、休戦状態に入った時点では、戦端が開かれたところから、ほとんど拡大していなかった。

 ここでは表に出てきてはいなかったが、最前線の軍部では、誤認をごまかすために、軍部の諜報員が相手の軍に入り込み、相手によからぬウワサを流して、最前線の兵士を疑心暗鬼にすることで、攪乱するという戦法が真剣に考えられていた。

 自分たちの誤認をごまかすために相手の中に楔を打ち込むというのは、戦術的にはいいのかも知れないが、戦略としては失敗だった。それを未然に防いだのは、首相自ら最前線に視察に訪れたシュルツの手柄というべきであろう。

 シュルツの中には、具体的な内容までは分かっていなかったが、今回の紛争が誤認から生まれた可能性があるという情報を得た時点で、このような戦法は思いついていた。

「こんなことを最初にしてしまうと、もう後には引けなくなる」

 と考えた。

 いかに外交努力を行おうとも、軍部の独断専行から戦術的に成功を収めても、戦略的には失敗することが分かっていたからだ。

 一番の理由は、この事件が偶発的に起こったことだということだ。

 軍部が最初から計略を計画していたのだとすれば、何ら問題はない。綿密な計画の元に一糸乱れぬ行動を取ることで、軍隊の軍隊たる理由がハッキリと表に出るからだった。

 偶発的な事件であれば、戦端が拡大しないように考えるのが一般的で、少なくとも軍部の独断専行は、そのまま国家の危機になりかねない。

 何といっても戦闘に大義がない以上、紛争でしかないのだ。侵略でもない、専守防衛でもない。紛争に対しての戦略など、臨機応変でなければいけないが、それを統率できる人間が本当に軍部にいるかどうかということが問題だった。

「今の軍部ではな」

 と、シュルツは頭を抱えるところだった。

 建国間もないこの国なので、強化しなければいけないところは山ほどあった、一つ一つのレベルアップが必要なのに、軍部が独断専行してしまうと、政治的には行き詰ってしまうのは目に見えている。

「不拡大方針を政府としては取ることにする。しかし、相手に対してこちらの報復行動だったということはしっかりと明言したうえで行動してください」

 ここ数日の戦闘で、有利なのはチャーリア国の方だった。先にアクションを起こしたことで、完全にアレキサンダー国の国境警備隊はうろたえてしまった。

「相手から攻撃はしてこない」

 という考えがあったからだが、

「相手からの攻撃はないとは思うが、対峙している関係で、相手との間に不測の事態が発生しないとも限らない。こちらから挑発などは決してしないように」

 というのが、相手国の国境警備隊の方針であった。

 だが、起こったのは皮肉にも偶発的な事故だった。

 考えてはいたはずなのに、本当に起こってしまうとここまで浮き足立ってしまうのは、本当の意味での軍の統制が取れていない証拠となるだろう。

 アレキサンダー国の方の首脳としては、

「相手が攻撃してきたことは事実だ。照射の問題は関係ない」

 と、外交に持ち込まれても、この路線で突っ切るつもりだった。

 お互いに言い分はあるが、その信憑性は限りなく低い。したがって外交でも決め手に欠けることは分かっているので、長期化するのは必至だった。

 お互いに自国の名誉を守ることが最優先で、相手の言い分を認めることは許されなかったのだ。

 そこで登場してきたのが、WPCによる調停だった。

「両軍を紛争前の状態に戻すことが最優先。そして国家間の言い分が真っ向から対立しているので、二国間での解決は難しい。そうなると第三国により調査団を組織させるから、彼らの視察を受けること」

 これが調停の条件だった。

 両国とも、その意見に反対はしなかった。

 正直、お互いにこの状況をこう着状態のまま推移させることにウンザリしていた。

「どこでもいいから、仲介してほしい」

 と、二国とも水面下で近隣の国に調停を依頼していた。

 依頼された国とすれば、関わることにはいい迷惑だと思っていたが、こんな時こそ、WPCの権威を利用しようと思ったのだ。

 WPCによる決定事項には、実際に拘束力はない。しかし、WPCの決定は、国際社会による目が一つになっていると言えなくもない。無下に抵抗することは、自国が国際社会からの孤立を意味するのだった。

 国際社会の目だと考えた時、両国はそれぞれに和平に向かって努力し始めた。調査団の受け入れも承認し、平和のうちに調停に入ったのだ。

 調査団の報告は、

「照射はなかった」

 ということで、チャーリア国には不利な内容だった。

 そのため、この紛争の間にチャーリア国が占領した地域からの撤収。逆にアレキサンダー国が占領した地域はそのまま領有を許される。しかも、その分だけ、国境の移動するということになった。

「そんなバカな」

 とチャールズは訝しく感じていたが、

「しょうがないですね」

 とシュルツは落ち着いていた。

 信頼を置いているシュルツが落ち着いているのだから、それが正解だったということを感じないわけにはいかないチャールズは、それ以上何も言わなかった。


                  (  続  )

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ジャスティスへのレクイエム(第一部) 森本 晃次 @kakku

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