いい鏡の選び方

多田いづみ

いい鏡の選び方

「いい鏡の選び方って知ってるか?」

 とおじさんが言った。


 またか、という感じだった。

 週に一度、おじさんちに母親の作った惣菜そうざいだとか炊き込み御飯だとかそうした差し入れを届けにいくたび、どこかで仕入れてきたあやしげなガラクタの数々を自慢され、わけの分からないうんちくを聞かされる。


 おじさんはガラクタマニアというか、誰も興味をしめさないような廃材や不用品に、本人にしか分からない謎の価値を見いだして収集するおかしな人だ。

 結婚もせず、定職にもつかず、何をして暮らしているのか分からない。おじさんの小さなボロ家は、そうして集めてきたガラクタで足の踏み場もなかった。

 おじさんの話はたいていうんざりするほどトンチンカンだが、ときたまおもしろい話がまじることもある。でもそれが何かの為になるなんてことは絶対にない。

 そして本日のお題は、どうやら鏡らしかった。


「知らない。でも鏡なんてどれだって同じじゃない?」

 とぼくは答える。

 おじさんとのやりとりは出だしが肝心だ。最初の受け答えには細心の注意を払わないといけない。あんまり興味をしめしすぎると話が長くなる。かといってきっぱり拒絶するとひどく落ち込んで、もっと扱いにくくなる。てきとうにうんちくに耳を傾けつつ、うまくおだてて話を切り上げさせるのがコツだ。

 それにしては、ずいぶん突き放した物言いだと思うかもしれない。でもこれは長年の(おじさんの無駄話を聞かされてきた)経験からぼくが編みだした作戦のひとつで、なんにも知らない初心者をよそおえば、おじさんは知識をぞんぶんに披露できて機嫌がよくなる。しかしよそおうも何も、じっさいぼくは鏡についてなんにも知らないのだが……。


「ああ、新品ならな」

 おじさんはにやっとした。どうやらぼくの返答は、おじさんの意にかなったらしい。

「でも、使い込んだ鏡となると話はいろいろ違ってくる。十年、二十年と使い込んだ鏡となればなおさらだ。そして一番いい鏡ってのは、そうやって使い込んだやつなのさ。アンティークとはまた違う。アンティークには骨董的な価値しかないが、いい鏡ってのは実用性にも優れてる。でも使い込んでればなんでもいいってわけじゃないぞ? 使われ方が肝心なんだ――どうやって使われていたかがな。そもそも鏡ってのは何のためにあると思う?」


「ええと、姿を見るためかな」

 ぼくはちょっと考えて、そう答える。

「まあそうだ。鏡は姿見ともいうからな。つまりかんたんに言えば、人をたくさん映してきた鏡がいい鏡ってことだ。でも、個人の家にあるようなやつはだいたいダメ。特定の人しか映さないもんだから、映りがひどく片寄った感じになる。かといって、なんでもかんでも人を映してりゃいいってもんでもない。たとえば公共の洗面所の鏡とかな。ああいうのは人が入れかわり立ちかわり映るから、むしろ質が悪くなる。ひどいのになるとボケたり、二重映しになったりする。鏡に幽霊やへんなものが映るなんて怪談がよくあるだろ? 呪いの鏡みたいなやつ。ああいうのもじつは質の悪い鏡が原因なんだ」


 ぼくはおおげさに相づちをうって、おじさんの話に興味しんしんというふりをした。

 おじさんはぼくの持ってきたプラスチックの入れ物からほかの容器に移し変えもせず、じかに差し入れ(フキとタケノコのまぜ御飯だ)をぱくつきはじめる。

「ほんなわけれ――」とおじさんは口をもごもごさせながら話をつづけた。食べたりしゃべったりでいそがしそうだ。

「そんなわけで、いい鏡を選ぶのもなかなかむずかしい。だが、ここの鏡なら百発百中で間違いなしってやつがある。おまえもよく知ってる商売というかお店の鏡なんだが、どんな店か分かるか?」


 ぼくはまたちょっと考えて、ううんと首を振った。今度は分からないふりじゃなくて本当に分からなかった。でもおじさんは自分がしゃべりたい人だから、分からなくたって学校の先生みたいに怒ることはない。

 おじさんは何で分かんないかなあという顔をしながら、しかしどこかうれしそうに、

「床屋だよ。床屋の鏡がいちばんだ。床屋ってのは客が鏡のまえでじっとしてるだろ? あれがいいんだ。さっき、入れかわり立ちかわり人を映すのはよくないって話したな? 床屋の鏡はそれと反対で、人の姿をじっくりと映し込むから質がよくなる」


 おじさんは差し入れをぜんぶ平らげ、いっしょに持ってきた麦茶をごくごくと飲んだ。そして服の袖で口のまわりを拭くと、

「新品の鏡ってのはそれなりに映りがいいと思っても、どっか浮ついているというか、どことなく焦点が定まってなくてぼんやりした感じがするもんだ。まだ人を映すことに慣れてないんだな。それがあるていど時間が経つと、なじんで映りが落ち着いてくる。鏡ってのはそうやって育てていくんだが、その育てるのに最高の環境が床屋ってわけだ」


 おじさんは今度は冷蔵庫からビールを取り出して、ぐびぐびと飲みはじめた。ぼくにもすすめるが、手を振ってことわる。子供なのにビールなんて飲めるわけがない。


「床屋の鏡の何がいいって、まずは経験値だな。一日に何時間も人を映すだろ? つまりそれだけ経験を積みやすい。いろんな人をまんべんなく映すからおかしな片寄りも生まれにくい。それからなんてったっていいのは人が鏡のまえでじっとしてるところだ。おちついた環境で人の姿をじっくりと映し込むからどんどん質がよくなる。あれ、この話さっきもしたな? まあ一日、二日くらいじゃ見た感じはぜんぜん変わらないんだが、それが五年、十年とつづくと新品のころとは見違えるほどよくなる。透明感がでてくるっていうか、鏡のなかに吸い込まれそうになるっていうか――。で、そうやって経験を積んで最高の状態に仕上がったのが、この鏡だ」

 とおじさんは、座っている椅子の背中の壁に立てかけてある板を、コンコンとたたいた。そして大きなげっぷをした。


 そいつが鏡だとするとかなり大きい、たたみ一畳ぶんぐらいはありそうな姿見だ。部屋に入ったとたん目に入ってくるから何だろうとは思っていたけれど、つまりそういう代物らしい。しかしなぜか、布がかぶせてある。


「おじさんのなじみの床屋が店をたたむことになって、建物も取り壊すっていうからもらってきた。もったいないけどしょうがないんだ。床屋のじいさんもかなり年だったからな。手がぶるぶる震えて人の首をかっ切る前に引退ってわけだ。しかしあれも別にどうってことない店だったけど、なくなってみるとけっこうさみしいもんだな。こんなど田舎いなかの、世間から取り残されたような町でもいろんなもんが変わってく」

 とおじさんはしんみり言った。


 そりゃあそうだ。世の中にぜったい変わらないものなんてない。ぼくだって小さいころはおじさんのことが大好きで、ほかの大人とはぜんぜん違うすごくおもしろい人だと思っていた。けれど今のおじさんの印象は、おもしろいというよりおかしな人だ。そしてときどきちょっと心配になる。

 でも変わったのはおじさんじゃなくて、ぼくのほうなんだろう。


 ぼくはなんで鏡に布がかかっているのか不思議だった。もったいぶっているのかと思っていたら、どうも違うらしい。

「ああ、これか。よそから持ってきたばっかだから、こうして覆ってしばらくなじませないとな。置く場所が変わったときは少しずつ慣らしていくのがコツだ。どれ、ちょっと見てみるか」

 とおじさんは、ようやく布を外してモノを見せてくれた。


 それはなんというかとても――鏡だった。

 べつに映りは悪くないけれど、ほかの鏡とくらべて特に良いわけでもない。どうということもない、ごくふつうの鏡だ。でもぼくは、

「ほんとだ、すごいや。そこらのやつとはぜんぜん違うね。鏡のむこうに別の部屋があるみたい」

 とわざとらしくおどろいてみせた。

 いくらなんでもお世辞があからさますぎたかなと思ったけれど、おじさんはそんなことにはぜんぜん気がつかないらしく、

「だろう?」と満足そうに笑った。

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いい鏡の選び方 多田いづみ @tadaidumi

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